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哲学的に回答を頂けると幸いです。

質問者からの補足コメント

  • 人生とは不自由である。

    だから、哲学無き自由さを得られないから、哲学という不自由があるのである。

      補足日時:2020/07/23 19:25
  • 王族とは、かつて、(現代でも王政はありますが。)富の独占、暴虐、性愛の宴を人類史に刻んできたのではないですかね。

      補足日時:2020/07/23 21:36

A 回答 (12件中1~10件)

親が喜ぶ。

大抵は、ね。
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新しい事を発見する人は意義があろう。


そこに至れるようにする勉強も意義がある。
この世を上手に説明できた人が見たこの世の見方。
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誕生というものは「自己に内在する何かを」外に出す行為を指しているとしたら、人の誕生の意義は、


母性だけが感じることができるということになる。つまり、誕生させられた側にその意義を問うのは
芸術作品に芸術作品の意義を問うのと同じような気がします。人そのものには「意義」はないということです
ボディーペインティングされている人は、その芸術の意義は感じていないのではと思ったりします。
ただ芸術作品も「人」も、他者に何らかの影響を与えることが「誕生する意義」なのではないかと思います
それは、良い意味でも悪い意味でも「周囲」との関係の中で成立するものでしょう
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人間に産まれることに、特別な意義など


ありません。

あると考えるのは、人間は他の動物とは
違う、特別な存在だとする傲慢な
考え方です。

人間に産まれることに、意義があるなら、
胎児の段階で死んだのはどうなるのでしょう。
何の意義があるのでしょう。

産まれて即死ぬ場合もです。

意義が欲しければ、自分で造るしか
ありません。
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★ (№7お礼欄)


人の性は悦びを生み、人の性は、他者に対して差別的で攻撃
的です。・・・

☆ 生命をめぐる哲学をエロスの問題として拓こうとする視
点でしょうか。

わたしの考えですが この場合 男については:
★ 性は、他者に対して差別的で攻撃的です。
☆ という規定が 普遍的には当てはまらないと思っていま
す。

最後までそうであり得るのは 女という性であり 男は そ
ではないことがあり得ると。



男は 差別的視点や攻撃性から自由であり それらの状態に
落ち入る手前で ふつうの人間性に踏みとどまり得ると思っ
ています。(偏見が入ってしまうことになるのですが)。

かつて 次の質問で長い議論をしたことがあります。
【Q:男と女】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3689191.html

☆ おひまなときに 気が向いたら どうぞという不案内な
回答になりますが。
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この回答へのお礼

性愛劇無しに、生命の誕生は、科学的な技術力を考慮外にするのであれば、男女の駆け引き無しに、新たなる生の誕生劇はありえません。

性が旺盛であることは、支配的で、独善的な世界が広がり、性の衰えと共に、絶望が降りかかってくる。

お礼日時:2020/07/23 22:20

★ (№5お礼欄)


心とは深淵なる闇だと思われます。魔性が住む世界、それが
人の心です。

☆ 後学のために問いますが その命題を持ち出される意味
がよく分かりません〔ので おしえてください〕。

その判断ゆえに・だから どうなる・どういうことが言える
・・・のですか?
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この回答へのお礼

人の性は悦びを生み、人の性は、他者に対して差別的で攻撃的です。

性に悦びが失われていく、初老の私は、異性愛が既に、消滅しかかっています。

性は、異性を選り好みし、性は、他者に対して自分が優位に立つことを悦びとします。

人が真に自由であることは、殺戮と悦楽の宴、其れが人の性の正体だからです。

ですから、法の下では、人は自由にはなれないのです。

人が差別的で、金品を思うが儘にしたいという欲求は人の性に由来しているからであり、性が衰えることは、絶望に他ならないからです。


博愛、自由、平等 というものは、法の枠を超えて実現できるものではなく、人間本来の魔性の本性を露にすれば、法に依って、裁かれ、死刑を申し渡されるから、本来の自由ではないのです。


人は、暴虐、性愛、富に貪欲であり、それが人の正体です。ですから、魔性だと人を私は定義したのです。

お礼日時:2020/07/23 21:26

>基本的に、宗教、哲学とは、ネガティブシンキングだと思うのですが。



基本的に宗教と哲学は真逆。天敵。カント以降の話しだけどね。

大学で哲学史を教えているサラリーマン哲学解説者の中にはネガティブ志向もいるかと思うが、ディオゲネスから始まって、カントもショーペンハウワーもニーチェもネガティブじゃあ全く無いよ。生を肯定し、生を讃歌していますからね。
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この回答へのお礼

人が神の呪縛から逃れることが出来るのでしょうか。ニーチェの晩年は悲惨でした・・・・。

お礼日時:2020/07/23 21:00

むしろこちらから質問があります。



★★ (質問者からの補足コメント) ~~~~~~~~~
人生とは不自由である。

だから、哲学無き自由さを得られないから、哲学という不自
由があるのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ と自己表現なさったとき:
★ 人生とは不自由である。
☆ なる命題は 哲学ですか 否ですか?


哲学だとすると 多少は《自由》をこころざしの内に持つ結
果なのではないか? と思われます。




          *



★ 人として生誕する意義はあるのでしょうか。
☆ 単なる感想や印象批評でも 深い哲学でも いづれでも
まったく自由におのおのが考えて答えればよい。――という
回答を寄せます。

あるいは ちなみに そういう問いは 好かんと言ってなほ
ざりにすることも 自由だと考えます。



論証抜きの見方――直観――としては 《生命のことは 人
間の知性たる哲学を超えている》と理解します。
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この回答へのお礼

心とは深淵なる闇だと思われます。魔性が住む世界、それが人の心です。

お礼日時:2020/07/23 20:59

偉人はさて置き。

凡な人の話し。
高度化した0g0cmの閉じた世界で苦しんでいるのは人だけ。他人の築いた過去の積み上げを継承するのも人だけ。これらを昇華させ 開いた世界に展開、フィジカルと混ざり合って、何を生み出せるか何が生まれるか。未来の誰かの踏み台として、今出来る事をやる。やり切る。そこに人としての意義があると信じている。

平たく言うと皆んな未来の誰かの踏み台役。
ずっとその連鎖。
やりたい放題やり切って、誰かに安心して託して感謝しながら消えていけたら幸せ。
そんな事、獣には出来ない。人は託していけるからある意味不死身だと思う。
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この回答へのお礼

抑々、生を繋ぐ意義があるのでしょうか。

人が子供を儲けることについては、理性がない訳ではないですが、極めて若い時の性衝の影響度が高く、そもそも、地球環境上、人は生きる素養に恵まれているのでしょうか。

人類が滅亡すれば、(但し、核戦争で地球自体が消滅というシナリオは無いものとします。)地球環境に人為的な影響力はほぼなくなります。

人類が異質なのは、他の生命体が恐怖に怯え、近づこうともしないことに、人類は恐怖心より、好奇心の方が勝る点が最も、他の生命体との違いだと私は思います。

お礼日時:2020/07/23 19:34

無いね

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この回答へのお礼

私は仏教的解釈で、現世に生誕することを捉えています。

科学的証左は不可能ですが。

前世の因縁に拠るものだと考えています。

要するに、涅槃の境地に立てなかったから。

現世も涅槃の境地に立てないでしょう。

来世もあるのではないのか、と考えております。

お礼日時:2020/07/23 19:19

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