いちばん失敗した人決定戦

なにか、どうぞ。

質問者からの補足コメント

  • 若々しさも失われたのが痛いのかもしれませんが。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/09 09:19
  •   補足日時:2020/08/09 11:14
  • No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/09 11:59
  • 人生は未完のまま、生涯を終えると言いたかったのです。

    完成してしまえば、未来人が困り果ててしまいます。

      補足日時:2020/08/10 00:44
  • 残酷の極みですが。

    人間、生まれたら、自他ともに戦うしかないのでしょう。

    破った敗者は記憶に刻み込まれ、悪夢となって、夜な夜な襲ってくる・・・・。

    ただし、戦争は無しよ。と言いたいが。

    神のみぞ知る。

      補足日時:2020/08/10 00:51
  • 東條英機元総理の孫娘でいらっしゃった、由布子氏が亡くなったのは、ほんの最近の話です。

    保守右派(元軍属)の擁護がなければ、殺されていたかもしれないか、ともらされていらっしゃったかもしれません。

    東條由布子 youtube

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/10 01:41
  • 日本史は、二千年くらいあると思えます。

    天賦人権説は、基本的人権の尊重でもあり(13条)、生存権の保障(25条)でもありますが。

    長い日本史上、人権が付与された憲法はたった、73年の歴史です・・・。施行は、昭和二十二年からだと記憶しております。

      補足日時:2020/08/10 01:58
  • 統合失調症の1割から2割は、自殺を遂げますから、大変苦しい精神疾患です。

    妹と中山美穂さんは、一日違い生まれですが。

      補足日時:2020/08/10 02:23
  •   補足日時:2020/08/11 12:01

A 回答 (28件中11~20件)

認知症の研究が進められてるから、その研究に付随してその他メンタル系の疾患にも朗報が出るとは思います。



腕が再生されても、同じ様に危険なことをして、同じ様にまた腕を失ってしまうなら話にならないので、病気が治って昔の様に戻れたとしても、同じ様に再発しない様に気をつける必要はあるでしょう。

病気が治ったらあれをしよう、これをしよう、こんな風に生きよう、と、想像するのも良いと思います。そして、手をつけれるものから先に実現して行くのも良いですね^_^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

少なくとも、自己再生医療が遠くて近き医療だとしても。

サイコ(人工)目、人工耳、など、人工臓器は医療の今後ですが。科学技術の最先端は、正しく神域ですが。最後に人類は神の座とほぼ同じ地位に就けるのか、すべてを失って(軍事利用)しまうのか、神は無言のまま、人類に最後の審判を下すのか、それは、私が生きている時代にもおきるのかもしれません。

お礼日時:2020/08/10 02:14

残酷な例えですが、拷問されて脳を手術されたら誰だって心が折れる。

インドラでも無理だろうと思う。人は痛みに弱く、精神は器質に左右されるからです。
脳に何かが起こってメンタルを崩すと言うのは、自主的努力や意識の改革ではどうしようもない事です。周囲のサポートと医術によって克服するしか無い。病識が生まれなければ闘病も出来ないのだから。

例えば事故で腕が無くなったのに努力で腕を生やす事が出来るだろうか?未来の再生医療が無ければ無理です。
人格が欠損した時に、自主努力や意識改革でどうにかなる事とならない事があります。
右腕を無くした人が右腕が無い人生を幸せに送れる様になるには、リハビリと新しい生活の確立が必要です。
人格を部分欠損した時も、失った人格の部位に頼らない生き方を確立する必要がある。
そして、脳というのは再生能力の高い部位です。恒常性が高い。
失った部分を補完する機能を持っている。
今あるもので幸せになるのです。そう言う意志は必要でしょう。
弱さを捨てる必要はない。
むしろ弱さは持っておくほうが良い。
自分の弱さを知る事は賢さに他ならない。
失ったものへの未練は断ち切れないと思う。
しかし未練があっても幸せには成れる。
本当はカレーライスが食べたかったけれど、食べてみたカツ丼は十二分に美味しかった。だったらそれで良いじゃない。と言うことです。いや、実はカレーライスよりうまかったんじゃないか?
それは、病気になった人生を、幸福に過ごすことで証される。
マジカルさん、別にイエスにならなくても、偉くならなくても、幸せに成れる。
清浄と言うことに汚されてはならない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自己再生医療に賭けたいですね。

医療が抜本的に改革されると思えますが。軍事利用にされたら・・・・。

諸刃の剣ではありますが。

お礼日時:2020/08/10 00:29

真の強さとは質問者さんが仰っているような強さではありません


真の強さとは如何なる状況下であっても自分を見失わない強さの事です
何かがあって折れてしまうようではそれは真の強さではないのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人生、汝、自分自身を知れ



未来永劫、死ぬまでつかめないのではないのか、と。

お礼日時:2020/08/10 00:40

人は誰であれ自身のそばには常に自分がいます 


しかしながら多くの人達はそれに気が付かいのです
そのために弱さや脆さが生まれるのです
自分のそばに常に自がいる
この事を質問者さんが真に体感されたならば質問者さんは弱さや脆さを克服して本当の強さを手に入れられるでしょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は弱さは捨てられないし、捨てません。

鋼のように強い心は、折れやすくもあるからです。

柔軟性に富んだ、心、天衣無縫な心が欲しいですね。

お礼日時:2020/08/09 23:14

質問者さんを見て思う事それは「質問者さんは他人をとおして質問者さん自身の存在意義を見出そそうしてる」という事です。


そうであるなら「存在意義」を見出す事は決して出来ません。
何故なら他人は質問者さんのそばに常にいるわけではないですから 質問者さんのそばに常にいるのは質問者さんです。 
この事実を質問者さんが受け止められたならば質問者さんの心に覆っている霧がはれ質問者さんにとっても重要な何かを質問者さんは気づかれると思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人間、一人では脆いし、失礼でしたが、あなたさまに寄り添ってみたのでしょうね。

人間、一人でいるのはよくないです・・・。

進化論といえば、進化論ですが。

神さまが男女を創造なされたのであれば、男一人暮らしはよくないですが。

正直、私の相手を務めてくださる異性は今後も現れないでしょう。

お礼日時:2020/08/09 23:01

質問者さんが殻を破って周りを見れば絶望と希望が転がってるのを見つけられますよ


どっちを拾うかは質問者さん次第ですけどね
根源的に言えば
「あそこに行けば食べ物がある」これが希望
「どこを探しても食べ物は無い」
これが絶望
当たり前ですがこれを素直に受け止められたら質問者さんは希望を見いだせるでしょうね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は贅沢者なんだと、猛省しております。

ご配慮、有難く受け止めさせていただきます。

お礼日時:2020/08/09 20:11

日本では大衆は希望が持てる。


日本では富豪が希望を持てない。

だから大衆は日本国内に留まり、富豪は日本を見捨てて希望が持てるシンガポールナなどへ逃げてゆく。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

カネってなんでしょうかねぇ・・・。


人を生かしも殺しもするのがカネですが。

お礼日時:2020/08/09 17:55

「希望」を持ち生きる事は、人類にのみ与えられた特権です


人間だけが「希望」という未来への「光」を自ら生み、
わが人生を創造することができるのです

希望とは我人生を励ます魔法の力です
希望は、不屈の楽観主義を生み出す建設のエネルギーです
希望は自分への信頼と励ましの力です
希望を持てる人は幸福です

どんな財宝を持ち
どんな権勢を持ち
どんな名声を持とうが
希望を見失った人生は
早々と挫折していくに違いありません

希望のある限り
人間には行き詰まりはない
希望は努力と忍耐に咲く花である
希望に生き抜く人には
堕落が無い惰性がない
成長がある、充実がある、向学がある、想像がある、連帯がある
希望は何ものにも負けない不屈の旗である
「どうせ何をしてもダメだ」と言う諦めを克服できる

人生という遠征に向かうにあたって、
最も大切なものは、財産でも地位でもない。
わが胸中に炎のごとく燃えたぎる”希望”の一念です

人生には
さまざまな「山」がある。
次から次に、課題が出てくる。
人生とは、宿命との容赦なき闘争である
そこで、生きる希望に意味を見出す人は
知恵が湧いてくる、知恵ある人は
「山」を越えるたびに、境涯は高まり、広がる。
希望を失わず、あらゆる課題へ、ぶつかって、
乗り越えていけば、打ち勝てば、
悩みは全部、喜びに変わる

知恵ある人は、障害をも
自分の味方にしてみせる。
知恵ある強者にとっては、
運命と戦うことすら喜びである。

運命や環境が
人の幸、不幸を決めるのではない。
自身の心によって決まるのである。
大いなる希望の持てる勇者は、
どんな環境でも平静でいられる。

人生とは挑戦の連続です、実践です、戦いです、前進です。
人生は生涯、研鑚です、勉強です。
大いなる希望がある人は不屈の闘志で挑みます

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
サミュエル・ウルマンの言葉です

新渡戸稲造博士が断言した如く
最も暗い悲哀の中でさえ希望は見出せる
と。

過ぎ去った過去は取り戻せません
しかし
希望は取り戻せます
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。勇気づけられました!

お礼日時:2020/08/09 17:54

希望はある。

しかし実現は難しいと思う。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大衆が希望を持てなければ、それまでだ。

お礼日時:2020/08/09 17:42

「人が希望であり絶望なのです。


今の質問者さんの意識が質問者さん自身には向きすぎているからその当たり前の事実に気付けないのでしょう
質問者さんの意識を外に向けない限り質問者さんが希望を見出すことは決して無いでしょうね
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

希望は自らが作り出せるものなのでしょうか。


外界、(社会、地域、家族)など、外側からの働かきけ大きいのではないしょうか。

お礼日時:2020/08/09 11:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!