誕生日にもらった意外なもの

自然科学は社会科学に比べて世間離れし過ぎて社会から必要とされない学問なのか?

ある経済学部の学生から、科学を追求してる人は現実社会から逸脱していてまるでガキの様だと言われました。
確かに今思うと科学技術館などは若年層からの人気が高い傾向にあり、大人にとっては世間離れし過ぎている科学や技術には興味が向かないのでは無いかと感じる事があります。
また、法学部や経済学部卒は政財界を動かす様な社会の重要ポジションを占めるのに対して、理学部や工学部卒は役に立つかどうかも分からない科学技術に没頭していて社会に関心を示さない印象があります。
彼の主張通り、社会科学を専攻してる人から見れば
、自然科学や工学を専攻してる人間は稚拙で現実離れしている様に映るのでしょうか?

最近ニュースなどで文系の有識者達が政治や経済などの「オトナ」の社会について深く議論を交わしている場面を見るたび、自分の様な理科系の人間は俗世間から離れた環境に居て社会で表立って活躍していない現実に直面し、落ち込んでいます…
結局世の中で生きていく上で必要とされる知識や人材は自然科学なんかより社会科学の方が圧倒的に重要なのでは無いかと思った次第です。
非常に下らない質問ですみませんが、回答お願いします…

A 回答 (12件中1~10件)

私は逆だと思いますけどね。


文系の方が、権力と欲のための努力しか知らないでしょ。

本当に社会を良い方向に導くのは、権力や個人の欲ではなく、
創意工夫や技術です。
そのためには、真に論理的な考え方や絶対に正しいと思えるような知見です。
正しい論理に従ってこそ、正しい道に進めるからです。

「韓国と日本どっちが正しい」
みたいな結論の出ないこと(専門家によっても意見が違う)
に、時間を費やすのバカバカしい。
一生やってろ、って感じ。
サラリーマンの居酒屋社会学と違いが判りません。

―――
科学はここ100年で革命的に進みました。
社会学はどれだけ進んだのでしょうか。
完璧な世の中にはしないまでも、
「戦争くらい無くせよ」
って思いませんか。
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自然科学は社会科学に比べて世間離れし過ぎて


社会から必要とされない学問なのか?
 ↑
自然科学が無かったら、生命活動にせ
支障がでるでしょう。
このネットだって自然科学のたまものです。
車だって、ビルだって、皆自然科学の成果です。



ある経済学部の学生から、科学を追求してる人は現実社会から
逸脱していてまるでガキの様だと言われました。
 ↑
経済学部だけからは言われたくないですね。
経済学がなんの役に立っているのか。

ジョーンロビンソンはこう言っています。
「経済学を学ぶ目的は、経済学者に瞞されない
 ようにするためである」

ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンも
次のように言っています。
「経済学者は無能と加害者であり続けた」

同じく、ノーベル経済学賞を受賞した
マイロン・ショールズとロバートマートン
が経営者になったLTCMというヘッジファンドの
会社は空前の赤字を出して倒産しています。




確かに今思うと科学技術館などは若年層からの人気が高い傾向にあり、
大人にとっては世間離れし過ぎている科学や技術には興味が向かないのでは
無いかと感じる事があります。
 ↑
興味の問題ではなく、難しくて
ついて行けないだけです。
そもそも、日本の文系というのは数学が
出来ないから、やむを得ず文系に進んだ、という
人が多いのです。
いわば、負け組です。



また、法学部や経済学部卒は政財界を動かす様な社会の重要ポジションを占めるのに対して、
理学部や工学部卒は役に立つかどうかも分からない科学技術に
没頭していて社会に関心を示さない印象があります。
彼の主張通り、社会科学を専攻してる人から見れば
自然科学や工学を専攻してる人間は稚拙で現実離れしている様に映るのでしょうか?
 ↑
自然の偉大さに比べれば、人間社会など
ちっぽけなものです。
理系の指導者は沢山おりますよ。
ドイツのメルケル首相などは物理学者です。
欧米の著名な哲学者には数学者が多いです。
カントなども数学者です。




最近ニュースなどで文系の有識者達が政治や経済などの「オトナ」の社会について深く議論を交わしている場面を見るたび、自分の様な理科系の人間は俗世間から離れた環境に居て社会で表立って活躍していない現実に直面し、落ち込んでいます…
  ↑
机上の空論をやっているだけです。
あんな議論をいくらやっても、実りのある
結果など出ません。



結局世の中で生きていく上で必要とされる知識や人材は自然科学なんかより社会科学の方が圧倒的に重要なのでは無いかと思った次第です。
非常に下らない質問ですみませんが、回答お願いします…
 ↑
今は役に立たなくても、100年後200年後には
役に立ちます。
それが科学技術です。
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理系学部の研究者だって、世事に通じていなければ、教授にはなれないよ。


教授とは研究者であると同時に大学・学部の運営者なのだからな。
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そういう人に限って、「天気予報が当たらなくて困る」とか、「何でコロナのワクチン開発にこんなに時間がかかるんだ?」などとまくしたてるんですよね。

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その経済学部の学生は自然科学を批判するに値するだけの、自然科学への知識や理解はあるのでしょうかね。


それもなく批判すると、経済学を学ぶ者の品位を貶めることになりますが…

昔は携帯電話を肩から担いでいました。
今では通話機能付き携帯小型コンピュータのレベルです。
科学の発展が経済に及ぼす影響なんて、まともに経済学をやっている人なら関心があると思うのですけど。

そもそも【工学】は役に立つものを作るのが目的で、その基礎が【理学】です。
役に立つか分からないと言っている時点で、すでに無理解の極みです。
質問者さまのその経済学部の学生も、批判の前にもうちょっとだけ調べる行為をした方がいい。
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科学というのは「予測すること」。

それをするためにモデル化して予測する。それに基づいて社会貢献をする。工学系の自然科学系の研究や実績が無ければ,そもそも社会は存在し得ない。家もたたない道路もできない,上下水道も維持管理できない。災害対策はできない。スマホも存在しなかったかもしれない。飛行機も・・・理学系の研究も,昨今のノーベル賞受賞者のテーマを見ればその社会貢献度はすぐにわかる。
 そして,工学系には経済やってる人達がいる。社会が今度どう発展するかを予測して,インフラをどう整備すべきか等を考える人達。その予測!全く当たらない。本州四国連絡橋が完成後,国交省のとても偉い方とご一緒に見学したとき,「何でこんなに通行する車が少ないんだ!」と絶句なさった。経済学のモデルが悪いとは言わない。政治も関与しているから。ということは,政治や経済が社会貢献をしているか?ということにも大きな疑問が生じる。
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「文」つまり政(まつりごと)を重視する儒教に毒された偏見ですね。


中華文明が欧米に敗北したのは、明らかに中華文明が科学技術を軽視し続けた結果です。それを理解したからこそ、代表的な儒教国家である中韓は今になってノーベル自然科学賞を切望し、近年やたらと取りまくっている日本を羨むわけです。しかし、中韓の自然科学界も儒教に毒され、儒教特有の政治的権威主義の束縛から逃れられないため、ノーベル自然科学賞からは程遠い状況にあるわけです。

数年前に初めて中国からノーベル自然科学賞受賞者が出ました。ついに中国の自然科学界は儒教の束縛から脱したのかと驚きましたが、受賞者は中国国内では全く無名の存在、つまり儒教的権威主義の枠外にいた女性であることを知り、妙に納得してしまいました。

自然科学は人間社会の基礎であり、社会科学も自然科学から派生したものです。理系の知識なしには文明社会は成立しません。現代社会科学も現代自然科学なしには成立できません。現実に先端的経済学は完全に数学者のものになってしまいました。
理系出身の優秀な大企業経営者は数多く、理系出身のコメンテーターが文系の政治経済評論家よりも卓見を披露することもよくあります。

落ち込むのは勝手ですが、あなたご自身のことを自然科学界全体に当てはめるのは、自然科学界に対する侮辱ではないでしょうか。
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社会に暮らす大多数の人間にとり、最も極悪で最も不要な学問


それは経済学です
知ってます?
実はそうなのです
経済学は金持ちになるために存在する学問
デタラメで現実性のない前提条件の上に立つ砂上の楼閣
最も必要とするのは自由
自由です
何をしようが自由
労働者を同じ賃金で毎日今の倍働かせれば自分が儲かる
それが経済学
実は人を人と思わない最低の学問なのですがノーベル賞まで貰えてしまう
十分な需要が存在し、情報は一瞬で世界を駆け巡る
こうでないと経済学自慢の計算式は成り立たない
ウソなのです
正体はデタラメ
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「現実社会ではモノ作りの技術屋より政治経済に精通してる人々の方が重要視されてる」のはどんな社会でしょうか。


「大人にとっては世間離れし過ぎている科学や技術には興味が向かない」、「役に立つかどうかも分からない科学技術」と言うところに本質が現れている様に思います。
先の方がおっしゃっておられるように、自然科学なくして社会は成り立ちません。自然科学が「世間離れしている」とか「役に立つかどうかもわからない」様に見えるのは、歯に衣を着せず申しますと、「目先の利益だけに囚われた無知蒙昧の輩」です。そんな者の戯言に耳を貸す必要はありません。
人間がいないところに、社会科学は存在しません。なぜなら社会科学は人間の主観から成り立っているからです。それ故、社会科学は、目先の欲に目が眩んだ人間に悪用されがちです。政財界を動かすポジションには法学部や経済学部出身者しかいないのは、日本の悪しき伝統の一つだと思います。(政財界ほど様々な欲に塗れた社会も少ないと思いますが、、、)また、政財界のトップのほとんどが、自然科学と同様、普く法学者や経済学者の意見を取り入れることには消極的です。自分たちの利益につながる意見だけにしかまるで興味はないようです。時代や地域、人種が変われば、結論も変わる、それが政財界です。社会科学が自然科学より役に立っているのではなく、社会科学は欲に駆られた亡者の様な人々に利用されやすいだけです。
それに対して、自然科学は目先の利益よりも興味や目的意識を優先し、客観的に物事を見ようとします。発見者、開発した時点で世の中からその成果が注目されていなくても、後になってその価値が見出されることも少なくはありません。
社会科学も自然科学もどちらも必要で大切なものです。どちらが優位かなど不毛な議論をする様な無知蒙昧にはなりたくないものです。
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逆に、経済学は具体的に何の役にたっているのかな?


経済予測が当たったためしはないし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も同じく思っています。

お礼日時:2020/09/01 14:38

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