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東京大学の起源って幕府天文方(現理学部)と種痘所(現医学部)なのですか?
勝手に東大は官僚養成を目的として設立されたのだと思ってたのですが、それは技術官僚と司法官僚を省庁内で養成する工部大学校と司法省法学校を吸収した後だったそうです。
以下の画像通り、東大の原点は理学や医学主体の学校だったという事でしょうか?
(因みに昌平坂学問所は途中で途絶えており、直接的な起源とはなっていません。)

「東京大学の起源って幕府天文方(現理学部)」の質問画像

A 回答 (2件)

江戸時代には、明確な地方分権制度があり、各藩は、自分の藩の武士たちの中から


有能な人物を見つけ出し教育するために「藩校」を持っていました。
幕府も同様で自前の「学問所」を持っており、そこで必要な知識や技術を教えていました。
そうした意味で、その時代に必要とされた学問を教える場所が「学問所」であり、
東大の原点は、「技術的に有能な幕臣を育成し、幕府の権力基盤」を固めることにあったのです。
また、当時学問は「政治」や「技術」といった具体的な部分で結果をことを求めるもの、
つまり「実学」が主であったので、その流れに沿った形で出来上がったのだと思います。
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この回答へのお礼

非常に納得出来ました。
だから幕末や明治は勝海舟や大鳥圭介、榎本武揚など医学や工学、兵学などの実学を学んだ政治家が多かったのですね。
国を動かす者には欧米列強に負けない程の技術と軍事に精通した人間が相応しいという思想だったのでしょうね。

お礼日時:2020/09/15 12:49

身分制度があり 貴族、士族の子が入る学校です。


何を合併させても平民には無関係だたご時世です。
平民が堂々と入れお仕事をするまで
かなり年月がかかります。

帝国時代はダメですね
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