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目に見えないものを哲学してる
わしやけどですが!
質問です
不快とはなんなのかな?
( ̄~ ̄;)

辞書によると
不愉快とか、病気とか書かれてるけどね
そもそも
なんで、不快になるんでしょうね

好きや嫌いみたいな
愉快や不愉快
てな感情や機嫌だけの問題なのでしょうか?

個人的には
感情論で好きや嫌い
理性論で愉快や不愉快

みたいな分類もしたりもするけど

迷惑だから不快みたいな使われ方もしますもんね
梅雨時や真夏なんかだと
湿気や湿度から
不快指数なんてな言葉もあるみたいだし

人が快適に暮らせない状況なんかを
推し量ってるのかも?

快適に暮らせないから迷惑

人は快適に生きていきたいけど
常時快適に暮らしたいると

不快は発生しないけど
快適てな感覚も失われそうで

熱帯魚なんかだと
だいたい水温が25度前後が快適な状況で
水温が上昇すると
海の奥深くに潜りこんで
快適な水温環境に調整するらしくて
熱帯魚を飼育するには
サーモヒーターなんかは必需品てなはなしですもんね
ペットショップでかってきた熱帯魚を
水槽に移しかえる時なんかも
いきなり水槽に放さず
ショップで購入した時の、袋ごと
水槽に入れて

水温の変化をゆっくりと時間をかけて調整してから
水のなかで袋から放つみたいですね

急激な環境の変化や状況の変化は
熱帯魚に、ダメージを与えるらしいですもんね
ダメージから、病気になったり
命をおとしたりもするらしくて
海の中とは、ちがう水槽ならではのはなしですね

人間も、現代社会てな人工の水槽を
長い年月かけて造り上げたからこそ
環境の変化や対人関係の軋轢などの対処が出来なくなって

海で泳ぐ熱帯魚みたいには
水温の変化に対応出来なくなってしまったのがも!
Σ(゜Д゜)
不快はあってあたりまえで
不快がまったくなくなると
それもまた、不快になるのか?

不快を対処する能力って、生物には備わってるはずなのに
人工の水槽みたいに、対処能力がはっきできない環境なのか

そもそも、不快ってなんなんでしょうねぇ~~~
( ´-ω-)y‐┛~~一服

教えて!gooで活躍されてる
哲学好きな回答者さんが居ましたら

御自身の経験哲学からひもといて
なにかしらの御回答をお待ちしてますよ
(  ̄▽ ̄)にっこり

哲学好きでなくても、不快について
御意見や御回答がありましたら

ワシのこの疑問の解決になるかも知れないので

気軽に回答やコメントもらえると
ヘ(≧▽≦ヘ)♪ヤタヤタって
踊ってしまいますので
お暇なかたも
お付き合い頂けると幸いです

「目に見えないものを哲学してる わしやけど」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 沢山の御回答ありがとうございました

    今回のベストアンサーは
    こちらの方に贈りたいと思います
    (  ̄▽ ̄)にっこり

    サーチライトだから
    ついつい不快を探したりしてしまうのが!
    人の気持ちなのかも知れないですね

    教えて!gooなんかでも
    探さなくていい不快までも
    探してしまう方なんてなのも
    見かけたりしますから

    サーチライトをどう使うのか
    個人の在り方に、委ねられますもんね

      補足日時:2020/11/02 03:35

A 回答 (10件)

返答を受けて



去勢技術を、人に行うこういって
他人の遺伝子を残せないようにすることによって
自身の遺伝子や、自身に近い遺伝子を残りやすい環境を作ったのかも!
微細な確率をあげる行為でしかないけど
それすら、遺伝子を残しやすくする行為なんかなぁ~( ̄~ ̄;)
上記はまさに「子殺し」相当する行為ですね
因みに「子殺し」とは他の個体の子供を殺してその代わり自分の子供を残すようにする事です
有名どころでは「ライオンのオス」です
ハーレムの雄ライオンを倒して新たなハーレムの主となった雄ライオンは前主の雄ライオンの子供を皆殺しします
そうすると雌ライオンは交尾が出来るようになるのですぐに交尾してすぐさま子作りに励めます 
加えて前主の子供を皆殺しする事で生まれていくる我が子のライバイルとならないように出来るのです
上記はライオンと言う生物種の保存としては非合理的ですが新たな主となった雄ライオンの遺伝子を保存するには有効な戦略です
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この回答へのお礼

子殺しですね
((((;゜Д゜)))

自分と似通った遺伝子を残しやすい環境づくり

血筋であったり
人種であったり
主義であったり
主張であったり
宗教であったりしますもんね

ミーム論的な、遺伝子の企みを思い浮かべながら
( ̄~ ̄;)ちょいと暴論を考えてみると

すべての生き物が、子作りや子育てを放棄してしまったとすると!

生物の世代交代や代謝が成されなくなり
あっという間に
地球の環境って、死の惑星になりそうですもんね

生きとし、生ける物の定義で
他者を養分とすることで
自己の代謝がなされる

個別な生物の代謝や世代交代などを
全体主義として考えると

淘汰や進化などの、環境に適した変化
でうって
変化した生物が造り上げたのが環境てなことでもありますもんね
生物は全体主義からしたら
環境の一部でしかないんだけど
個別主義からしたら
環境はあくまでも、環境でしかない

この、全体主義と個別主義
この兼ね合いが

もしかしたら、不快の源なのかとね
理想と現実
全体と個

人は全体主義的であるべき事柄と
個人主義的であるべき事柄との
葛藤にさいなさまれる

みたいな暴論をおもってしまいますよ

真逆に、子作りや、子育てに永遠に追われ続けるてのも

あるいみ、環境の崩壊にも繋がりそうなので

子殺しが行われるのかも?


( ̄~ ̄;)子孫繁栄と子殺しについて
暴論を、おもいおこして

その中にある、人類の不快と個人の不快

思い描いてみましたよ

ムカリンさん
(  ̄▽ ̄)にっこり

御礼が遅くなってm(._.)m

あえて、ゆっくりめに返礼させて頂いてますよ

いつも気にかけて頂いて
感謝いたします
(^人^)

お礼日時:2020/10/31 17:43

「風呂上がりのビールが生ぬるいと欲求満たされないもんですもんね」についてはそのとおりではありますが私の回答とずれているので改めて回答します


真夏の耐え難いほどの蒸し暑いときには暑苦しさと汗でベタベタした感じと喉がからからに乾ききって堪え難いほどの不快感に苛まれたときにきんきんに冷えたビールを飲むととても旨いと感じます
このとても旨い感じが強烈な快感として記憶されると、この強烈な快感を得たいが為にサウナとか行ってわざと暑苦しくしたり喉をからからに乾かせたりして堪え難いほどの不快感を感じるようするのです。
そうしておいてその後に冷たいビール飲めば「とても旨いと感じる」=「強烈な快感」を得られる事がわかっているからそうするのです
これは快感と不快感との差が大きくなればなるほど快感を強く感じるようになるという「生理現象」
によるものです
快感が強くなればなるほどその快感に贖い難くなるのは快感は快楽欲求=性的欲求よるもので性的欲求が強くなればなるほど性的欲求に贖えなくなるからで性的欲求が強くなればなるほど何故それに贖えなくなるのか?というと自然界においては性的行為とてもリスキーな行為だからです
自然界において性的行為をするということは命を失いかねないリスクがあるです
生き物は合理的です
性行為によって得られる快感と性行為によって生じるリスク(命を失う等)を自己保存欲求によってに天秤に掛けより強い方を選びます
快感が弱ってリスクがとても強い(命を失う等)場合リスクをとって性行為を拒絶します
そうなってしまったら性行為をしない→子孫が残せない→種が絶滅してしまうのです
それをさけるためにどんなにハイリスク(命を失う)であっても確実に性行為させるために快感をハイリスクより強くし意識を麻痺させ性行為をさせるのです
(例クモやカマキリのオス)
故に強烈な快感を感じるとそれに贖えなくなるのです
因みに上記を意図的に利用することで他人を支配出来るようになります。
DVがそのいい例です
堪え難いほどの辛さや苦しさ味合わされてもほんの少しの喜びを与えられると不快感と快感との差がおおきいが故にその喜びはとても強い快感となりそのとても強い快感が原因で依存症になってしまうとそのとても強い快感が欲しくてたまらなくなるのです。
その為どんなに辛く苦しい目に合わせてきた相手であってもその相手から離れなくなり結果その相手に支配されてしまうのです
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この回答へのお礼

自己保全の感覚てなことは
自己の子種を保存する感覚
種族の繁栄ですね

(  ̄▽ ̄)にっこり

確かにズレてましたねm(._.)m

不快を、個人の範囲で考えるのか
血脈の範囲として考えるのかで

回答に対する意味が、かなり違ってきますもんね

動物も植物も
遺伝子を残すために
適した環境を求めて、また、環境に適した遺伝子を残してきましたもんね

特殊な事例として、古代中国に権力を蔓延らせてきた
宦官なんかが、自己の遺伝子は残せないけど
生存欲求より、権力や支配欲なんかがつよくなってそうですもんね

中世や、古代ヨーロッパなんかだと
敗戦国の兵士を、捕虜としてつかまえて
奴隷とするため虚勢をして

貴族の所有物として
酷使されてた時代もあったとか

もともと、肉食文化(おもに畜産)の在る国なんかだと
お肉の質を向上するために
玉貫して、ホルモン調節したのがはじまりなんてな説をきいて
Σ(゜Д゜)
古代の日本では、肉食文化は、狩猟で済ませてたみたいなので
去勢技術が発達しなかったらしいですもんね

去勢技術を、人に行うこういって
他人の遺伝子を残せないようにすることによって
自身の遺伝子や、自身に近い遺伝子を残りやすい環境を作ったのかも!
微細な確率をあげる行為でしかないけど
それすら、遺伝子を残しやすくする行為なんかなぁ~( ̄~ ̄;)

捕虜として捕まえた男性を去勢するって
他国の血脈を弱くするための行為ですもんね

現代社会だと、去勢行為はレアなケースでしかおこなわれないけど

そのぶん、精神的な去勢が
ちゃくちゃくと進んでるのかも
Σ(゜Д゜)ちょいと暴論ですね

ワシ自身も、嫁さんや子供の居ない
気楽な身分だから

精神的な去勢をされた存在かもしれなくて
古代中国の宦官みたいに
権利欲や支配欲が強大になることは無いけど
なら、競争社会の敗戦者として
精神的な去勢を、されたのかも?
( ^∀^)(笑)

今の世の中って、勝ち抜かないと
遺伝子を残せなくて
勝ち抜けないと、家庭が破綻とか

自己の遺伝子を残す
ミーム論的なはっそう

ムカリンさん
補足回答!感謝いたします
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2020/10/27 17:13

不快とは不快をもたらす刺激から遠ざかろうとする為のする判断(感覚)です


生存欲求による自己保存の為の感覚であり不快と言う感覚がなければ自己保存に危機が及ぶような状況においてもそれから逃れようとする判断が出来ません
感覚則ち判断はそれに必要な情報(記憶=経験)に基づきます
それは不快においても同じです
より確実に生存しうるよう人は未来を予測し予測結果に備えようとします
不快を解除するための知識の獲得やそれに必要な経験に基づいて不快が生じないよう予め対処しようとするのです
例えば「蒸し暑さによって汗で体ベタつくことによって生じる不快」について
上記の原因は「暑い事です」
暑いままにしておくと上記の不快が生じるのは容易予測できることから上記の不快が生じる前に「クーラー」等「暑さ」を冷やすのです 
上記を繰り返すことでそれに関わる脳の働きは強化されはしますがそれで上記の不快感覚が衰えるわけではありません
不快と快楽欲求
快楽欲求は贖い難い欲求でどんなにリスクがあっても制御出来ないほどの快楽欲求が生じるとリスクを無視して快楽欲求に従って行動します
これは不快にも言えるです
不快をもたらすと明らかに予測し得ることであってもその先にある褒美が贖い難い快楽である場合快楽欲求によってその褒美を得るためにあえて不快を経験するのです
例えば「冷えたビールの旨さ」を得体がためにあえて「蒸し暑さ」を経験する等です
不快と快感は相反する感覚ではありますが互いに関わっている状況が多いことから人はそれを意図的に利用する事があるのです
相反する感覚を上手く利用するには両感覚のバランスとその程度を適切に制御しなけれなりません
上記が上手くいかないままに不快と快感を意図的に利用しようとするとそのバランスが崩れたり過剰になったりして「心身の崩壊」するなどの問題が生じます
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この回答へのお礼

生存欲求による自己保全の感覚!

Σ(゜Д゜)てなことだと

身体に作用する、精神的な感覚

砕いていうと、心の痛点みたいなことですね

経験から得られる痛み

こっちの方が、無難かな?
( ̄~ ̄;)

とくに、身体や生命にかかわる不快と

快楽欲求が引き起こす不快とに

切り分けて説明されてるのが!

唸ってしまいますね

快楽欲求に支配されてる生き物だとしたら
足しかに、風呂上がりのビールが生ぬるいと、欲求は満足にみたされないですもんね

冷えたビールをコンビニなどにを買い直しに、行って
もう一度、お風呂を沸かし直して
風呂を入り直して

冷えたビールを飲み直しても

消費された時間をかんがえたら
( ^∀^)(笑)
笑えてしまって、快楽が満たされたとしても
満足な快楽にはなりそうにも、ないですもんね

ムカリンさんの回答を読みながら
思ったのが!

ネットなどで見掛ける(教えて!gooでもそうですが!)
不快なコメントてのは、身体や生命にかかわる不快とはちがい
快楽欲求にかかわる不快とおもわれますもんね


ワシの質問なんかも、他の利用者さんから、不快と指摘されることがあるけど

ワシ自身が、他者を不快にさせてることを前提に質問させてるわけではないですもんね

ワシの質問は、風呂あがりの冷えたビールではないですもんね


御回答ありがとうございました
感謝(。-人-。)

お礼日時:2020/10/26 03:44

合目的である時には快を、


合目的でない時には不快を、
感じる様に人間が設計された。
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この回答へのお礼

合目的ですか!

一定の目的が一致しなければ
不快を覚え
てんで、ちぐはぐだと、確かに
不快はおぼえますもんね

その、目的てのが多種多様であって
個別、個別であったり
個人、個人ちがったり

人はなにかしらの目的で生きていたり
生かされていたりするから
人間である

目的が何もないような人間であっても
なにかしらの目的てのは
ありそうですもんね

合理性かと最初はおもったのですが、
理性ではかりきれない目的なんてなのも
ありそうだからこそ

合目的!

単なる目的ではなく

一定の目的てなところがまた
哲学的な回答になってますもんね

Mokuzoさん
御回答ありがとうございます!
(  ̄▽ ̄)にっこり

追記
今回は質問内容を答えて頂けたので
光栄です(。-人-。)感謝いたします

お礼日時:2020/10/24 13:54

>なんで、不快になるんでしょうね<



種族保存に反することを私たちは不快と感じるのです。全ては種族(仲間の群れ)保存の為に存在するのです。すべての感情もすべての言葉も、私たちが必要とするありとあらゆるものは絶対善である「みんなの安心・幸せの為、みんなの為」に作られ存在するのです。

絶対善である「群れの仲間のみんなの安心・幸せの為、つまりみんなの為」、これに適う、寄与することを私たちは常に「正しい」と感じるようになっているのです。
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この回答へのお礼

shinwoodさん
絶対善の提言者ならではの

全体主義思考からの不快の定義ですね

種族の保存や群れの継続
コミュニティの維持に反する行為は
個体として不快を感じる

人は正しさに支配されてるからこそ
不快を感じる
shinwoodさんの御回答を
こんな感じで受け取ったんですが!

人は独りでは人でなくなるからこそ
集団を維持する

その集団が、全人類規模の発想の人もいたら
国家単位だったり
宗教単位だったり

家族単位だったり

微妙な違いが発生するけど
自己の存在価値よりも
他者との共存価値に着目されてるんですね
他者との共存価値を損なうことは
自己の存在価値を損なう
だからこそ
正しさに支配されてる

てな想像が膨らみましたよ

正しさに相反する事柄に
不快を感じる

誰しも正しさに支配されてるのか
正しさを追い求めてるのか

微妙な違いが沸き上がるけど

正しさが質問の時にでも
正しさについて、深掘りしたいと
思いましたよ
御回答ありがとうございます
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2020/10/24 13:28

こりゃ一筋縄では行きませんね。


幸福論と合わせて考えてしまう。
不快は不幸か?なら、快は幸福か?
快が幸福であると言うことに疑問符が付くなら、不快が不幸であると言うことにも疑問符がつく。
病気がちな人生でも幸福な場合もあり得ると思うし、健康体でも不幸な人生を送る場合もあるだろうし。

しかし!
直近15年ほどは、私は不幸な人生を歩いてきたのですが、それは病気と連動しています。病気になったから不幸になったと考えてる。コツコツと闘っては来たが、15年は溶けるように消えた。良かったことは殆ど何も無いと言っていい。それを思うと怒りも湧く。何かしらに対する怨みや破滅願望のようなものも存在する。善人では居られなくなる。
世の中は基本的には草食動物の群れのようなもので、人々は我先にと安全な所、安全な所へと行こうとしている。稀にお人好しもいるが、不幸にも運命に狩られた個体を省みる事はない。目にしても、ああはなりたく無いと思うだけである。
そこに、闘志と幸福の在り方とが出会う地点が現れる。不幸に至った個体は、自ら闘わなくてはならない事を身を以て知る。世の中の大方は冷たいものであると知って、自ら立ち上がらなければならないと。他者はあてにできない。自ら立ち直り、病める身体と共に、芯を持って気高く靭く我は在るのだと。
このようにして、精神的に世間に依存しない一人間として独立を果たす。
ここに一般的な幸福を超えた、特殊な存在価値のある人生が現れる。
そして実は、世間の総体とはそのような特殊性を持った人間の集合だったのだと気がつくのである。

不快、腹の立つと言うことはこのように、人間の闘志に火を点ける種火となるのではないだろうか。
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この回答へのお礼

不快とは闘志の種火や灯火説
これまた、キサラギさんならではの
切り込みかたですね
Σ(゜Д゜)すげ~
幸福論とあわせることで
不快は不幸か!快は幸福か!
確かに、疑問符がつきますね
病気になれば、健康な時の状態からくらべて、確かに不快ですもんね
子供の頃なんかだと
たまに風邪をひいて、学校が休めて
母親が妙に優しかったりすると
風邪をひくのも、幸福!
体はしんどくてつらいけど・・・
なんてな事もありましたよ
逆に、楽しみな学校行事や、家族とのお出かけが
風邪だから、お留守番とかになると
体はしんどくてつらくて・・・
妙な孤独感や楽しみが無くなった悲しみなどで、なんて不幸なんだとね
( ^∀^)(笑)体調管理してない自分が悪いだけなのにね
大人になってからの、病気は
確かにツラいですね~
色んな病気があるけど、それぞれにツラさがあって
キサラギさんの仰有るとおり
症状の度合いや痛みの有無なんかで
何かしらを怨んだり!破滅願望のようなものに支配されたり
まさに、【善人では居られない】( ;∀;)
この言葉が、痛いほど解りますよ
破滅をもとめたり、何かしらを怨みぬいても
不快はおさまらないから
逆に、不快に包まれて!不幸に突き進むような錯覚さえ覚えますもんね
でも、不快だ、不幸だと呪いの言葉をはきつづけても!不快も不幸もサヨナラしてくれないから
不快に喰われるくらいなら!
不快を闘志と言うエネルギーにかえる
誰も助けられない世界まで堕ちてしまった事があるからこそ、自分で這い上がる
まさにそのとおりですもんね
現実に抗うには闘志が必要で、その闘志の火をつける要因に、不快がある
草食動物じゃなくて、人間だからこそ
抗え!抗い!反抗し続ける
抗い続ける先にしか見えない景色って
確かに存在して
その景色は幸福なのか、不幸なのか
見てきた人にしか、わからない話ですもんね
不快とは闘志のともし火説
御回答ありがとうございます
共感(。-人-。)
追記、溶けるような15年、お疲れ様でした、良いことってほんまに無いですもんね

お礼日時:2020/10/24 13:10

サーチライト説は いいですね。



ハードル説も そこに入るような感じに思えます。ハードルと捉えて警戒したり乗り越えようとしたり。



★ なんで、不快になるんでしょうね
☆ あんまり考えたことがなかったですね。

というのも 振り返って考えてみると わたしは 不快に感じたときには なんでそうなるかとは微妙にちがって 具体的にその原因をさぐりますね。

自分の中で何かどこか 考えが浅かったか・間違ったかなどと探ったり あるいは――ほぼ同じことですが―― 相手との関係で どんな原因となることがあったのかを振り返ります。



したがってあらためて思うと 不快感を感じたらそれは行く手を照らすサーチライトなのだという捉え方は 一般的な・哲学的な分析なのですね。初めてうかがった説でした。
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この回答へのお礼

不快とは、ハードル(障害物)であるからこそ
サーチライトが照らす

障害物がなかったら
サーチライトなんて必要ないですもんね

サーチライトがなかったら
障害物が照らせないから、感じ取れない

この説を2つ合わせるところに
すごくΣ(゜Д゜)ドッキリしましたよ

bragelloneさんは
不快と感じるよりも
不快とは、あまり感じ取らないで
違和感や疑問として、感じ取ったり!受け取ったりして
対処されてる感じですね

イライラやモヤモヤ、時として、ムカムカなどの、不快と感じそうな
変調や前兆の前段階で、察知されてるみたいなゆとりを感じましたよ

不快感の感じ方でも
人それぞれ違いがあって当然ですもんね

また

不快を感じて、原因が解明さらると
対処して解決する方や
不快を感じて、原因がわかって解決しても、不快感が残ってる方や
原因がわかっても、対処できなくて
不快感が増す方や
原因も対処もなにもわからなくて
不快感にさいなやまされる方

どれかひとつってな訳ではなくて
気分しだいや体調しだいで
対処して解決したり
対処したけど解決しなかったり

なんてな事もありますもんね

他にも、感じ方の違いとか
まだまだありそうな気がしますけど
想像力がおいつかないので(笑)

また
不快感が、発生しやすいひと
不快感が、発生しにくいひと

なんてな違いなんかも
考えられますもんね


もしかしたら、bragelloneさんは
不快感が発生しにくいタイプなのかも?
( ̄~ ̄;)

言葉で不快と、現すことはできても
個々の感じ方なんかまでは

微妙な違いから
大きな違いまであって

目に見えないからこそ
思い悩んだりしますもんね

不快の感じ方の違いを
想像するきっかけにもなりましたよ

(  ̄▽ ̄)にっこり

御回答ありがとうございます

お礼日時:2020/10/24 12:43

tanzouさんの“サーチライト説”に“ハードル説”を加えたいと思います。



行く手を遮る障害、ですね。

「進化」のきっかけ、ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

汽笛さん
好き嫌いは生物の根源であって
不快は生物の障害説ですね

ハードルだから
乗り越える人もいたら
迂回する人も居てる

なかには、ハードルに向かって
罵詈雑言をぶつける人なんかも
居てますもんね
サーチライトにハードル説

発展していきそうですね

御回答ありがとうございます
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2020/10/23 20:20

快と言うのは理屈じゃなく実際に快と感じるかどうかです



そう感じない 寧ろ苦痛だと言うのが不快では?
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この回答へのお礼

ハルさん

個人的な感覚で
不快や愉快を、理性論に分類しただけで

定義付けしてる訳ではないですよ
(  ̄▽ ̄)にっこり

何事も感じないことには
起こり得ないから
ハルさんの言われるような
感覚が、不快や愉快
かも知れないですね

苦痛てのは、痛みだと
痛点だから触覚や皮膚感覚を連想してしまうけど
精神的な苦痛、心の痛みだと
皮膚感覚てな感じが
しっくりこないですね

感覚に理屈をつけて、理性でこたえるから
理性論かなぁ~
程度の話ですよ

助言!ありがとうございます
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2020/10/23 20:16

環境などが、生存に適していない場合に


不快を感じ、適している場合に快楽を
感じます。

つまり、不快、快楽というのは生存における
サーチライトみたいなものです。

こっちの環境は生存に適していないから
近寄るな、用心しろ、というわけです。
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この回答へのお礼

サーチライト
危険か安全か
照らし出してるみたいな感じですね

サーチライトがあるからこそ
危険な場所も安全に照らし出して
環境に適応する

サーチライトでてらしだしても
危険すぎるから
回避する

サーチライトを照らして
他の人に存在を発見してもらう

トラックのライトオンみたいな感じです
昼間なのにライトをつけてるトラックは
こんなかんじなんですよ
( ^∀^)(笑)


最後の言葉の
>近寄るな、用心しろ


不快とは、避けたり!回避したり!
そういった感じが特に印象に残りました

御回答ありがとうございます
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2020/10/23 20:09

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