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孔子曰く
五〇にして天命を知る。
六〇にして耳順う。
七〇にして心の欲する所にしたがって矩を喩えず。

五〇や七〇では、天命・欲する所・矩心のような抽象的な格調の高い言葉を使っています。
質問は、間の六〇では、なぜ、耳という具体的な俗っぽい言葉を使うのでしょう。

A 回答 (8件)

>なぜ、耳という具体的な俗っぽい言葉を使うのでしょう。


身体をも支配下に置いた、ということでしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
(やっと/ついに)<身体をも支配下に置いた>ということですね、

お礼日時:2020/10/25 19:15

人の意見·注意をよく聞くって事ですねッ!

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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2020/10/25 19:58

耳はメタファーですよ。

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この回答へのお礼

御解答ありがとうございます。
<メタファー>ですね。
ただし、50・60・70も同じようなレベル(類似)のメタファーを
なぜ使わなかったのか?、という疑問が依然として残りますね。

お礼日時:2020/10/25 20:03

ん~。



他に
それらしい「決めのフレーズ」を
考えられなかったんでしょうねぇ・・・。

耳の痛い話です。

(「三十而立」も、肉体の一部を使った表現では?
と、邪推をする今日この頃です。)勃
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この回答へのお礼

早速の御解答ありがとうございます。
<それらしい「決めのフレーズ」を
考えられなかったんでしょうねぇ・・・>ですね。
後世からみれば聖人孔子でも、うまくゆかないこともあったのですね。
「三十而立」は深読みしたくなりますね。

お礼日時:2020/10/26 10:11

耳は”言葉を理解すること”を象徴しているのです。

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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2020/10/26 10:06

もっと言えば、たとえ自分より若輩の者の言葉であろうと、しっかりと聞いてその真意を理解することが出来、また、自分の及ばない先達の言葉であろうと、しっかりと聞いてその真意を理解することが出来ると言う意味です。

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この回答へのお礼

御尤も
私の質問が不出来で申訳けありません、
質問は、「五〇や七〇では、天命・欲する所・矩心のような抽象的な格調の高い言葉を使っています。
挟まれた六〇では、なぜ、耳という具体的な俗っぽい言葉を使うのでしょうか?」です。
50・60・70で同じようなレベル(類似)の表現をなぜ使わなかったのか?、という疑問がです。

お礼日時:2020/10/26 10:05

当時の中国で、耳と言う漢字が具体的で俗っぽいニュアンスを持っていたのか私には分かりません。

聖と言う漢字の成り立ちを見ても、王という字の上に、口と耳が並んでいます。
ご質問を抱いたそもそもの感覚の根拠を少し精査してみるのも、質問者様の疑問の解決の役に立つかもしれないと思いました。
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この回答へのお礼

再度の御解答ありがとうございます。
<耳と言う漢字が具体的で俗っぽいニュアンスを持っていたのか、肝心な点ですね。

お礼日時:2020/10/26 19:16

60と言えばもう相当な老人だ。

いまさら「人の言う事を素直に聞けるようになった」と言うことではないだろう。天の声が分かるようになったと言うことではないのか。天の声がすんなりと受け入れられる境地になったと言うことではないのかな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
五〇にして天命を知った孔子が
<いまさら「人の言う事を素直に聞けるようになった」と言うことではないだろう。>
<天の声がすんなりと受け入れられる境地>なのですね。
<人の言う事>など聞き置>程度でしょうね。

お礼日時:2020/10/29 09:59

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