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以前ある先生にカウンセリングを受けました。
その先生は登校拒否している子供の専門のカウンセラーで、当時登校拒否の子供がとても増えている時代だったので、よくテレビにもでてコメントなされている方でした。

よく両親ともに通いました。親の前で私の気持ちをきいてもらうという目的もあり、また親の方でも私の気持ちを知りたいということもあったと思います。

しかしここで当惑するようなことがおきたのです。親との価値観の違いによる軋轢のためにカウンセリングを私と親たちは受けたわけです。現場では私は勿論、両親も私への不平不満をカウンセラーにぶつけます。でもそれに対してその先生は、親に対して「なぜここまで傷ついた気持ちをわかってあげないのですか?あまりにも(私が)可愛そうです」と言いました。つまり私の味方になってくれたわけですが、私も当時は、「そうか、やはり第三者から見ても、親の無理解はひどいものなんだ」と思ってしまいまた悲しくなり泣きました。先生も泣いています。親たちは困惑しています。その後いろいろあってカウンセリングには行かなくなって20年以上たちました。しかし今、心理学を勉強していて、あの先生の態度はどうなのか?と思います。確かカウンセラーは中立的な態度をとらなくてはならないのですよね?勿論先生の存在なくしては、私は救われませんでしたし、今でも大好きです。でも当時も今も泣かれたことによって自分の傷が深まったように感じているのも事実です。

親との確執やされたことへの恨みつらみや、すさまじい葛藤はまだ私の中では続いています。事情を最も知るその先生に再度カウンセリングをお願いしようかと思うのですが、どう思いますか?ちなみに先生は臨床心理士ではないです。

A 回答 (3件)

カウンセリングには、指示的療法、精神分析、行動療法・・・などなどいくつかの技法がありますが,中立的な立場をとるロジャースの来談者中心療法の3本柱(●純粋性●共感的理解●無条件の肯定的関心)はカウンセラーとして必要な態度とされていると思います。

症例によって適切な対処はまた違ってはきますが。。
中立的な立場を取り、非指示的でなければならないのは、クライエント自身が自分の力で治癒していく力があるからです。カウンセラーが泣いて親御さんに訴えた、ということは、クライエントさん自身が思いを伝えたことにはなりません。クライエントさん自身が、親御さんに自分の気持ちを打ち明けることに意味があると思うので、人としては間違っているとはいえませんが、カウンセラーとしてはどうかと・・・と思います。親御さんにしてみれば、『カウンセラーから言われた』わけですから・・・。クライエントさん自身が親御さんに理解してもらおうと『言った』ことにはなってないので、一時的な対処ではなく長い目でみれば、もっとニュートラルなカウンセラーの方の方がいいかもしれません。。
特に親子関係(家族関係)では、こどもが親に養ってもらっているといううしろめたさや、親には反抗してはだめだという倫理感等によって、自分の気持ちを伝えることにためらってしまう子どもさんも多いかと思います。いつか自立していかなければなりません、自分で判断して歩いていかなければなりません。そのためにも、クライエントさん自身がアクションを起こすことが重要だと思います。泣いて訴える、それはカウンセラーではなく、sunnyaquabloomさんがすべきことであったかもしれないです。
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この回答へのお礼

その先生が例えばカウンセラーではなく普通の学校の先生だとしたら、私に共感してくれた、代わって気持ちを伝えてくれた、第三者からみれば、優しい人という印象でしょう。そうした関係においては何の問題もありませんが、カウンセリングということになるとまったく関係性が変わってきます。変わるという以前に、そうした中立的な態度を作るということがあるわけで、その態度によってクライエントの心理的な作用も変わってくるわけですよね、とても不思議です。

フロイトやロジャーズの強調するそうしたことがとてもわかりました(身体で学んだということでしょうか(笑))。

当時いや、今の方が断然、言いたいこと言えてないです。今はそうした抑圧のせいかどうか、ますます悪くなっているような気がします。当時は確かに諍いは耐えませんでしたが、私は伝えたいことや言いたいことをはっきりと言えていました。お決まりの文句で父親からは「誰が養ってやってるんだ」という答えが返ってきましたが、怖いもの知らずだった当初の方がまだ今よりも「生き生きとしていた」と思います。でもsnoopinist さんの温かいご指摘のとおり、まず経済的に「自立」し、そして精神的な「自律」性を確保すること、それはとても遠い道のりになりそうですが、再び泣いて訴えられることができる自分になりたいです。

気持ちわかっていただけて嬉しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/06 14:51

ご自身でもお気づきのとおり、その先生が家族の中に「悪者」を作ったところにsunnyaquabloomさんは違和感を感じたのでしょうね。

誰かの味方をするということは誰かを悪者に仕立て上げることになります。先生がすべきことは家族内の葛藤を解決することなのに、家族内の敵と味方の関係を明確にしてしまったわけです。これでは違和感が生じるのは無理もない話です。

これから再度カウンセリングをお願いするかは自分次第ですが、違和感を感じているのにわざわざ出向く必要はないと思います。

ちなみに、テレビに出ている自称カウンセラーにはまともな人がいません。特に不登校・引きこもり専門のカウンセラーはリスクを犯すのが好きな人が多いように見受けられます。
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この回答へのお礼

特に先生自身は野心や悪意はなかったと思います。ただ、特別なレッスンは受けていないのでしょう。臨床心理学を学ぶに当たり、とにかく実技が必要になってくるということを何度も重ねて言われていますがそういうことだったのですね。

だからクライエントとカウンセラーとは友人同士の悩み相談でもない、親でもない教師でもない特別な関係(匿名性)を持つ必要があるということだと実体験でわかりました。

再度カウンセリングに当たりやはり顔見知りの方が事情もわかっていて話しやすいし、と思ったのですが、やはりやめておいたほうがよいですね。

また、カウンセラーは無資格で名乗ることができますが、そういう危険性があるということは、ますます厳しい審査や規制が必要であることと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/06 14:38

このカウンセラーの対応は理論的に間違っていますし、プロフェッショナルとしての自覚に欠けた言動だと思われます。

その彼女の「間違った」言動が貴方を救った・・・という考えもありますが、実際問題としては、平均的にそのような対応は利益よりはダメージをもたらすことが多いとされています。その上、貴方の責任では有りませんし、今更どうでもいい事なのですが、カウンセラーのことを「いまでも大好きです」という感情を許すこと自体、好ましくないものなのいうのが臨床心理学の常識です。

素人さんの中には、同情心イコールカウンセリング・・・だと思われる方々も多いのですが、長い目で見ると、その様な療法は結局何の役にも立たない事が多いと実証されています。しかし、貴方が今考えるべきことは、現在いかに自分が健康に毎日を送っているか・・・であり、過去のカウンセリングの経験を分析することに余り集中ならさなくてもよろしい場合もあります。
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この回答へのお礼

実は自分でも書いていて違和感を感じたのですが、「大好き」というのはちょっと違います。当初は先生しか味方がいないと思っていましたしある意味では実際そのとおりでした。でも当時のことがフラッシュバックとなって想起されるとき、真っ先に思い浮かべるのはこの光景なんですね。私はカウンセラーの態度の常識については勿論当時まったく知りませんでした。でも何かしらの心の作用が違和感を感じさせていたのですね。

先生自身は「悩んでいる子供たちを救いたい」と純粋に思ってらっしゃるのでしょう。それはお人柄で分かります。でも本人の気持ちがそうでも、それによる作用(結果)はまったく逆効果ということですよね。それがカウンセリングの、というよりも、人の心の不思議なところです。

今学んでいるなかでも「同情」と「共感」は違うと学んでいます。実感しています。

お礼日時:2005/02/02 13:14

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