さて、私がこの質問を立てたのは、一言で言えば、”勿体ないから”であります。
実際にあったやり取りを元にするのですが、以下主題に入ります。
ここに普通以上に言葉を仔細に使いこなせる人がいて、その人の悩みは、他者と言葉が通じないと言う事でした。
私はこれを勿体ないと思いました。
何が勿体ないかと言うと、
・彼が偽悪的(偽偽的)になって、自身の言葉の発信・受信能力が足りてないと考えることであり、
・実際には言葉が通じているのにそれを認めないことで、孤独に”振舞う”ことであり、
・自分の本当の気持ちは(自分にさえ分からないのだから)他人には分からないのだと決めつけて自尊心を保とうとすることであり、
・実は他の人も自分と似たような苦悩を大なり小なり意識的か無意識的かを問わず持っていることを知らず、他の人への信頼の不足から与えられているもの(=他者理解と自己理解)を放棄していることが、
勿体ないのであります。
(ただ、彼が他者とのやり取りの中において、自分の本当の気持ちに気づけるかもしれないと思っていることは、一つの希望でしょう。)
この度の問いは言い回しもちょっと難しく、その意味が半分くらい分からないか、全く分からない人も居ると思います。しかし、分かる人も居ると思います。
端的な物言いをすれば、次のような事実があると言う事です。
・人は、他者と似たような苦悩を共有しているにも関わらず、あなたには(私の気持ちは)分からない!と言いたくなる時がある。
さて、この事実は”勿体ない”と私は思うのですが、如何でしょうか。
追記
ここに苦悩する人がいて、他者の前に立ったところ、
「あなたが何に困っているのか私には分からない」
と言われた。
これは言い換えれば
「あなたは困っていない、別段に苦悩する理由がない」
と言う解を述べた言葉であります。
その時その苦悩する人は、自分の言葉はその他者に理解されなかったと感じて一層苦悩するのであります。
しかし、その他者の発した言葉の示す事実は、彼は人々と同じような苦悩を持っている、人並みの人間であると言う事なのです。ところが人並みであると言う事を、言葉や思考においては人並み以上に秀でたる彼は受け入れることが出来ない。それで、彼は偽悪的に振舞うのであるが、自分の秀でたるところの隠し方を知らないので、自分は人並みよりも劣っていると規定する事によって、つじつまを合わせようとする。
何故秀でたところを隠すのか?人は、他者に気持ちを悟られることを怖れるからです。人は自分が苦しんでいることを他者に悟られたくないのであるから、もしそれを悟った時には、自分がそれを悟った事を本人に悟られてはならない。
それで、彼は偽悪的(偽偽的)に振舞うのだと私は考えたのであります。
皆さんの考えは如何?
(哲人、哲人見習い、月並み、ぱんぱかぱんでも!自覚ある皆様の様々な回答お待ちしております。示唆をお与えください。)
A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
理屈では納得しない心のあり方をしておられるキサラギ X さんに向けてになるとはおもいつつですが。
心の抽斗のひとつくらいの中身とは絡まることができるか なのですが きわめて辛辣な回答を寄せます。
《哲学的な悩み》であるなら 通じ合えます。それが 出来ないのでしたら 《哲学的》と規定した内容に何か足りないものがあると成るのではないでしょうか?
★ (№1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
(あ) この話は哲学的な悩みを大いに含んでいて、この悩みは倒錯した自尊心では無いとその人は仰っています。
(い) 自分と言う例外性、非一般性、特殊性において、何故他者と言葉が通じ得るのかと言う事について深く悩んでおられるのです。
(う) しかし同時に、相対する人には敵対性が無いことが大切で、他者が怖いという思いもあるそうです。
(え) しかし私はこのような人ほど世界や孤独の原理について知っていて、他者と交流できないと本人が感じて交流を閉ざしてしまうのは勿体ないと思うのであります。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ まづ読みですが (え)に《他者と交流できないと本人が感じて》とあることから (い)の《何故他者と言葉が通じ得るのか》を 《何故他者と言葉が通じ得るはずなのに通じないことがあるのか》と解釈します。
なぜひとと交流できないのか?
★ (い) 自分と言う例外性、非一般性、特殊性
☆ とすでに明確に規定しておられます。
《非一般性》が まづい。それがもろに自己表現に現われるなら マジハリにおける意思疎通は むつかしいのではないかと考えます。
つまり 《一般性――いわゆる常識ですね――》をも合わせて話に出して 自分の《特殊性》あるいはさらになお稀なる《例外性》のことを説明するならば 話は通じると思います。
悩みや感情は 伝わりにくいものですが:
★ 哲学的な悩みを大いに含んでいて
☆ ということですから その心性の内容に《一般性》があります。ならば 話し合えるはずだと思うのですが。
ひとまづ総論に終わる恰好だとは思いますが。
ここで彼に代わって私が皆様と議論すべきではない、つまり代打では意味が無いと思うのですが、推測の前提で話をします。
しかしどこから話して良いのかわからないので、やや徒然になるのですが。
例えば、ある人が他の人に「やばい、めっちゃ痛い!いてぇー!」と叫んだとします。他の人は「え?どうしたの?どこが痛いの!?」と狼狽えながら訊ねる。その人は、「ここがこんな感じで痛い!」と説明するのだけど、他の人には、「ここってどこ?こんな感じってどんな感じ?」と尋ね返される始末。そして当人は、「ヤバい、通じてない、、、しかし痛い。それは事実だ。このままでは死ぬかもしれん。。」と絶望するのです。
そしてこのやりとりに類することが、彼において方々で繰り返されてるようなんです。
この場合通じてないのは、その痛みと、その場所と、その質なのですが、私が聞いた彼の話では、彼は孤独で苦しいと言うことと、その苦しさが他者に通じないと言う二点で困惑している様なのです。
私は、他者も似た様な苦悩を(表に感じるかどうかはさておき)持っているもので、他者もそれを忍んでいる事を信頼すべきと言いたかったのですが。。
これはブラジェさん的に言う孤独関係?と言う言い回しになるのでしょうか。
とにかくあなたは独りであって独りではないのだという事を説明しようと思ったんですね。
余計な端々のことも考えてしまい明瞭な表現はできなかったのですが、言葉はすでに通じているんですよ、とは言いました。
解決するといいなと言う希望を持って会話は終わったのですが、勿体ないなあと言う思いからこの質問を立てました。余計だったかも知れないと思いつつも、私としては例外的に立てたのです。
自明性の欠如とは言い得て妙で、言葉がむしろ良く通じたのに全然通じてないと思い、むしろ十分に共感があるのに全く無いと思う。それで、その通じない理由を自分の言語能力の下方修正などとして意図的に施し、自分は悪く無いのに悪いと思ったり、自分は偽ってないのに偽っていると思うことによって辻褄を合わせているのでは無いかと思ったのですね。それで自明性を自ら認めない理由は、他に対する嫌悪があるからでは?と指摘したのです。その事についてはご理解いただけた様です。彼が自分の中で自分の気持ちを一般化出来た時に苦悩が失効すれば良いなと思っています。
No.7
- 回答日時:
追記
この動画は
私のgoo友が、こっそり教えてくれたもので
あの人に観て貰えたら
(  ̄▽ ̄)にっこり
キサラギさんにも
観てもらえると
(  ̄▽ ̄)にっこり
個人的な動画の感想で
孤独や寂しさ
感じるように人は出来てるなら
孤独や寂しさも、楽しむのが人生なんかとね
若いときのワシは
あちこち流転してたから
寂しさと友達になって
やり過ごした経験なんかも
ありますよ
深夜に連投m(._.)m
寂しさも、味わってこその寂しさで
苦しむだけでは
もったいない
別れも愛の一つだーとー♪という歌がありましたね^_^
そう、ゴダイゴの銀河鉄道999です。一番はこうです。さあ行くんだ、その顔を上げて。安らぎよりも、素晴らしいものに。
そーゆー事だと思うんですわ^_^
動画見ました。
僕は、僕の理解を超えた人と付き合いたいし、尊敬出来る人と共に過ごしたい。お互いがそうであれば、楽しいだろうなと。黄色に黄色混ぜても何にも変わらない。黄色に青を混ぜるから、赤を混ぜるから、色が増えるねん。
みんな想像してる。現実よりも素晴らしいものを。安らぎを想像してる。幸せを想像してる。でもそうじゃないんですよね。想像を超えるから素晴らしいんですよ。
お父さん指お母さん指、お兄さん指お姉さん指、赤ちゃん指、みんな独立してるけど、手のひらにおいては一つになってる。個々の人も同じで、先端では独立しているが、根底では一つなんだと、思ったのが17歳くらい、学校の図書館での事でした。
ひもじい、寒い、もう死にたい。不幸はこの順番でやって来ますのや。とはなにわのバイブルに記されてる通りですが、食べると言うのは何も食べ物だけではありまへん。言葉の見聞きや他者とのコミュニケーションと言った接触も、言ってしまえば精神の食事なんですな^_^
こんな談論もできず、世辞しか言えない様な世界で生きてる人は苦痛だと思う。
一人で生まれて1人行き、一人で死ぬ人などこの世には居ない。だからこそ寂しさも生じ得る。母から生まれ、世に生きて死ぬ。別れが来る。だが人は決して孤独ではない。父母や先祖や友は自分の中に息づいてる。死ぬときにさえついて来るだろう。
しかしそれでも人が孤独に生きる故に、そこに気高さが生じるのであります。
人の美しい様を形容して高嶺の花などと言うでしょう?
独立していると言う事は気高く美しいのです。
純粋な色の様に。
それは寂しさではなく貴さと言われる。
そんな人に私はなりたいか?
うーん。。正直、別にって感じやけどw
悪くないとは思うね^_^
どうですか?高嶺のおっさんw
キモいなw
要らんかもw
わいはどちらかと言うと、大きな大きなふるーい樹の方がええなあ。どしっと大地が隆起したようなやつ。
泥とか苔とか沢山ついてるんやけど、色んな生命を宿してて鳥の巣とかあるの。その本体も一本ではなく複数の木で出来てたりして、全体としては一本になってるみたいな。
No.6
- 回答日時:
実感できないからこそ
実感したいと望むのも
また、人のある姿で
姿や形が、だいたい同じように出来てる人間も遺伝子レベルでは
無数の組み合わせが考えられますもんね
人並みでありたいと思う気持ちと
他人と同じなのは嫌だと思う気持ちのジレンマ
なんかも在るのかと、ワシは思ってますよ
そういったジレンマを持つのも
持たないのも
人並みな事で、なんでそんなジレンマを持つのか
それは、必要だから持つのかとね
そういったジレンマが不必要なら
持たないですもんね
クオリアのはなしなら
( ̄~ ̄;)
空間が有る限り
まったく同じてのは
存在できないですもんね
空間からうける影響は
その空間に存在してる人にしか
理解出来なくて
まったく同じ空間を共有することは
たとえば
一人用のイスに、無理に二人で座るみたいなことで
独りづつ、交代で座ったとして
空間を支配したとしても
次に
時間の影響や関与が働くから
まったく同じだとは
言いがたい
なら
空間や時間を超越して
一人用のイスに
二人の人間が座ったとしても
時間や空間の超越が与える影響を考えると
( ̄~ ̄;)
時間や空間を超越して
他人との共通理解を求めてしまうのは
確かに不可能ですもんね
でも、越えてみたくなるのも
解る気持ちがあるから
こうやってコミュニケーションをはかるわけであって
越えれない現実に打ちのめされた人がいるなら
ほおっておけないのは
人柄なのか
余計な親切なのか
でも、座り心地の悪いイスに座った経験がある人は
もっと座り心地のイスを勧めたくなりますもんね
追記
相変わらず纏まりのない回答で
m(._.)mスンマセン
飾り気を排除して
思うまま回答したら
こんな感じです
夜更かし、わしさんw
わしさんの考えてる事は私の考えてる事を一歩進めた感じですね。
影は同じ方向を向いてるのに、二人は別々の方へ歩き出すんだ、みたいな失恋ソングを思い浮かべましたよ^_^
或いは逆に、幾重にも掌の影を重ねたならば、気持ちが一つになったんだ、みたいな青春の一コマとか。
更には、振り返らない後ろ姿に漢気を見たとか、ちと人情劇が入ってきますが、そう言う幅を持ちつつのコミュニケーションですから、下の人が言う様に、一般には、論理筋書きが通ってあれば良いというもんでもないんでしょうね。人間は複雑な様で、その複雑さを謳歌しとるんですなあ。
しかし彼もそれはわかってると思うんですよ。
それでも尚、孤独が苦しいんだと思うのです。
足るを知らないと話をすると、それは諦念でしょうかとの問いが返って来ました。
そうじゃないんだなあ。。と私は思いつつも、与えられたもの、すでに得ている他者理解と自己理解について、あなたは人並み以上に足りているんだよと言おうとした矢先、ご質問を閉じられてしまいまして。勿体ないなあと思った次第。足るを知るとは、ネガティブな意味でやめる、あきらめるのではなく、明らかならしめるることであり、それは食事に例えたなら、腹八分に仕入れた飯を完全に消化するという意味です。十二分に食った飯を消化し損ねることとは違うのですね。同じ栄養価を獲得したとしても、前者は足るを知って満足し、後者は余して不全感を残す。
即ち他者の気持ちはオーバーに、全部を包括的に理解しようとせずに、概ねを理解する事で要諦を得れば良いという事なのです。
彼の問いに答えるに、それはあなた(キサラギ)の主観で私の考えたことではないですよね?などと言われて、自分から他の人に理解を求めておきながらなんという言ぐさ、矛盾した人だと少し憤ったのは事実です^_^
その矛盾によって、何かを守っている様な印象を受けたんですよね。それが、孤独感に耐える自身の矜持なのか、実は自身が孤独では無かったと知ることによる自分の馬鹿らしさの露見への恐怖なのか、そんな想像しか私には出来ないんですが、本来孤独感てのは孤独じゃ無いから感じるものなのであって。自分はニンゲンでは無いという説が最も理解しやすいというお話も私は共感できるんですが、その共感されていることをあまり認めたく無いのかも知れないとも思います。
No.5
- 回答日時:
臭いが嫌なら
鼻をつまんでみる
味わえば
嫌な香りも
どこえやら
(  ̄▽ ̄)にっこり
彼の孤独感はかなり強固なようで、自死も考えるほど深く悩んでおるわけです。医師は知的興味から彼に心理テストを行い、彼はますます自分と言う特殊性と世界と言う一般性との隔たりを感じているようです。
私も、福祉関係者に出会えば、「キサラギさんは全く普通の人ですよ。障碍があるなんて分からない。」と言われます。このセリフは、
「あなたが何に困っているのか分からない(すなわちあなたは困っているところが無い)」
と言うのと似ていると思います。
私はそのように言う他者の気持ちも分かるし、その様に言われて失望する彼の気持ちも分かるのです。何故なら彼の問題にしていることの本質に、他者には分かりようが無い、と言う事があるからです。
しかし私は、他者には決して分かられない、という悩みそのものが、実は普遍的なのであると考えているのです。
これは哲学一般に考えられている問題ですが、独我論にも似て一般に共有できるのかできないのか、議論できるのかできないのか自体が分からないとされているのです。そして問題は、この設問に際して、彼は苦悩を感じてしまうと言う事であります。
苦悩と言うのは実感であり、実感は他者と共有できる性質のものではありません。
ことばは共有するものですが、ことばの実感、すなわちクオリアは共有できないのです。
それで彼は悩んでおるのだと思われるのです。
No.3
- 回答日時:
私は当時、新人でした。
正直、職場の先輩や同僚より、仕事は出来ましたが、直属上司から、「お前は俺の敵だ」と発言されたり、「俺は指定暴力団組長だ。組長に土下座して謝れ!」などど加速的に暴言が増してゆきました。そういった暴言の数々を最終的に許してしまった責任の一端は私にもあるとは思えますが、職場の部課長が正直無能で、直属上司の越権行為が止まらない職場でもあり、ひとつ上の職場の先輩の家庭は、私の直属上司の暴言が止まらず、家庭崩壊。奥方は精神病院に入院しました。その奥様は元々幼稚園の先生をなさっていらっしゃったそうですが。現在、その上司は、ある大企業のOB会の会長職にあります。加害者責任を感じさせることは一切無く、責任転嫁の上手い上司でもありました。直属上司は中卒でもあったことから、大卒の職員に対して、大声で怒声を放ち、それを放置し続けたのは、無能な部課長です。
私は、直属上司の直接の部下でもあり、僅か、半年足らずで、重症の精神疾患を発症し、婚約者とも縁談が破断になり、事実上、人生が滅茶苦茶になりました。上司に反省の色はゼロです。
こういった、悪質なパワハラ行為を容認しつづけたのは、無能な部課長の監督責任の無さに終始するものであります。
私は、当時25歳でしたが、現在は五十三歳です。誰もが知っている有名な大企業なんですが、ネットでは、パワハラは全く見受けられないとか、大ぼらを吹いています。
そういった、悪質大企業は糾弾するに値するべきであり、社名は、小松製作所です。
コマツは建設重機の世界的企業ですね。
しかし、そこが大企業であろうが零細であろうが、そんな人達とは縁が切れて良かったのです。当時、その上司と闘えなかった以上、むしろ、その悪縁を引きずって、マジカルさんが人生を棒に振るのは勿体ない。
「お前は俺の敵だ」→「はぁ?意味わからん」
「俺は指定暴力団組長だ。組長に土下座して謝れ!」→「はぁ?知らんがな」
くらいにあしらって、クビになるならそれで良かったのではないかと思います。いくらでも他に行き先はあったでしょうに。
言葉が通じないと言う事の例としてパワハラを挙げられたのでしょうか。
No.1
- 回答日時:
勿体ないというのは一理あります
でも、多分ですが
厳しい言葉や解決策の助言を求めているケースと
実は解決策に気が付いているが優しい言葉で寄り添ってくれる心遣いを求めているケースがあって
後者の場合、それは偽悪的に孤独に振る舞っているというのとは少し違いますよね
この話は哲学的な悩みを大いに含んでいて、この悩みは倒錯した自尊心では無いとその人は仰っています。自分と言う例外性、非一般性、特殊性において、何故他者と言葉が通じ得るのかと言う事について深く悩んでおられるのです。
しかし同時に、相対する人には敵対性が無いことが大切で、他者が怖いという思いもあるそうです。
しかし私はこのような人ほど世界や孤独の原理について知っていて、他者と交流できないと本人が感じて交流を閉ざしてしまうのは勿体ないと思うのであります。
確かに、孤独に振舞っているわけではなく、彼自身は真に孤独を感じているに違いありません。その点は私は間違っていたと思います。しかし他者である私には、そう見えたのも事実なのです。
また、偽悪的、偽偽的と言うのも問題の核心ではないと思いました。しかしながら、心理を想像するに、このある種の内的欺瞞のあることを想定することは、理解をしやすかったのも事実です。
以上に二点において、一面、私は浅はかだったでしょう。
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偽善的とは言って居ないですね。誤記でしょうか?
偽偽的と言っているのです。
自分は悪くないのに悪いと言い、自分は偽って居ないのに偽っていると言う、という意味です。
例外的に立てたこの問いでありますが、当人を除いて長引かせるのもおかしな話ですので、締め切ろうと思います。
この質問が蛇足となったか、補足として良かったのかはまだ私には分かりません。
しかしながら、ご回答の中には幾つか示唆も得ることができ、皆様の時間を使いましたがそれは無駄では無かったと思います。
ありがとうございました。