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独我論は正しいのか間違ってるのか教えてください!

A 回答 (10件)

独我論の「我思う故に我あり」とは、それを思う我が居る筈で、更にその我を思う我がいて、またまたその我を思う我がいる筈・・・結局は、無限遡行に陥り、我の存在を証明する事はできません。

よって、間違いです。
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「我思うに故に我あり」、


デカルトに聞くしかありません。

反論として、人はこの世界を五感で「いいかげんにしか認識できない」。

また、ある人は言います。
有は有であり、無は無なんだと。

スナックよしみ、幾つありますか?
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間違っているでしょ。



我々がまだ発見出来ていない
未知の天体など無数にあります。

独我論はそれすら否定する
結果になるからです。
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正しいも間違いもありません。


無意味なだけです。
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独我論とはこの世界には自分の考えしかないと言うことでしょう。

そうであれば例えば天動説の世の中で自分は天動説こそが正しいと考えていた時、急に地動説が正しいと言う考えが出てきたら、その地動説は正しいと言う考えはどこから来たのでしょうか? 自分の意識は天動説が正しいと考えているのに、何故、どのようにして地動説が正しいと言う考えが自分の意識の中に出てくるのでしょうか。
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正しいか間違っているかは証明のしようがありません。

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1. まちがっていると考えます。



2. ▲ (コトバンク:独我論)
https://kotobank.jp/word/%E7%8B%AC%E6%88%91%E8%A …

3. ▼ 日本大百科全書(ニッポニカ)「独我論」の解説[加藤尚武]

4. ▼ (1) 理論的には、自分以外の他人に自分と同じ自我(他我)が存在することを否定する考え方。

5. 
☆ もし《〈わたし――すなわち いまわたしと自称して発言している人――〉のほかには わたしと同じように存在すると言える人は いない》とするのなら この理論をいちいちわざわざ主張する意味は まったくない。

ただ思っていればよい。理論としてうったえる気を起こすならば 他人の存在をみとめている。

5. ▼ 「私たちは観念のある集まりによって、私たち自身に似た思考と運動の別個の原理が表れていると考えるようになる」(バークリー)。

6. 
☆ 《私たち自身に似た思考と運動の別個の原理が表れていると考える》のが 《観念の集まりによる》とすれば その観念は どこから来るのか? 

それは わたしと同じような人とよばれる存在でありわたしとは別の考えを持つこともある存在としての他者を――曲がりなりにも――見知っておりその他者とのマジハリをつうじてではないか?


7. ▼ (2) 実践的には、個的自我の尊重・実現に人生の唯一絶対の価値があるという考え方。

「私は、私がありうるすべてでありたい。他人が類似したものであるかが、どうして私にかかわりをもつだろう」(シュティルナー)。

8. 
☆ わたしと同じ生き物である人がわたしのほかに存在するとみとめないのならば 《私がありうるすべて》とはその内容が果たしてどこまでのことを言うのかが 分からない。部分的に分かるのみ。そして その自己実現は つねに部分であると捉えるのがよいと考えられる。経験的存在として相対的な実現度合いしか知り得ないだろう。


9. ▼ (3) 自分の他我を認めるために、

(3-1) 類比説では、身体、行為、言語を媒介に自我との類比から他我を構成する(フッサール)。

(3-2) 直証説では、他我の存在は自負や恥じらいで直接に知られる(サルトル)。

(3-3) 共同主観説は、特定の自己でない「ひと」を根本に置く(メルロ・ポンティ)。

10.
☆ 《(3-3) 社会の根本に置くという特定の自己でない「ひと」》は 自己ないしわたしのことで〔も〕あると言ったほうが分かりやすい。

同じような恰好をした生き物が 身の回りにいるといった知覚から勝手に類推した程度でよい。

☆ 《(3-2) 自負や恥じらい》は わたしにも起きているし 同じような事態がほかの人にも起きていると互いに話し合って その内容が しかも通じ合っている・・・とすれば そこで《他我( alter ego )を認める》というよりも もともと同じ種の動物がいるとすでに――ただ実感だけによるとしても その実感が裏切られないと――知ったことが先行している。

☆ 《(3-1) 身体、行為、言語を媒介に他我を 自我との類比から構成する》というけれど その他我を言うためにはすでに似た者どうしと思われるような生き物をわたしのほかに知覚し認識してしまっている。
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心が閉じていることについての理由を探さなければならない場合もある。

その行為を否定することは難しいけれど、心を開いてもらう事も簡単じゃない。
心は開けば通う。閉じれば途切れる。途切れたならば、他人を信じることも、自分を信じることも難しい。
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間違っています。

独裁論になると国を好きなだけ自分のものにしますから。
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”正しいのか間違ってるのか”という発想そのものが間違い。

それでは哲学にならない。そんなことは他人に問うものではなく、自分がどう考えるかだけの問題です。

(2) 【ゆっくり科学】「自分以外はロボットなのでは?」という疑問。-独我論- - YouTube
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