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今、30歳ですが、先祖供養(お墓参り)が日常生活に与える重要性をご存知の方、わかる範囲で教えていただけないでしょうか。よく、お墓参りに行かないと不幸になるとか聞きますので、色々詳しい話を教えてください。

A 回答 (9件)

不幸になるかどうかはわかりませんが お墓参りを


すると気分が晴れたりすることがありますし
お墓参りで自分と先祖との距離をあらためて身近に
感じとれます 
お願いするのでなく ありがとうございます
成仏してください という言葉を口にせずとも
気持ちで伝えているのですが それだけでも
ほっとします
人は離れ離れになっていても その人のことを
思えば なにか身近にいるような気がするのと
同じで 亡くなっていても ふとおじいさん おばあさんのことを考えると 亡くなっているのだけれども
自分の中では想い出が生きていて なんかまだ
身近にいてるような気がします
お墓参りうんぬんより 先祖に感謝する気持ち
を普段から心がけるのが大切と思うのですが
もし お墓が遠方にあるのなら......
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よくそう言いますねェ。

でも、墓石の中にお骨はあるかもしれませんが、お詣りに行かないから不幸になるなら、お墓をなくすのが一番手っ取り早いです。自分の子孫を不幸にする先祖なんて、先祖なんぞといって欲しくないですナ。プンプン

先祖供養というのは、先祖のお陰で今の自分がいると喜ぶものであり、感謝することを言います。
決して、しなければ不幸になるからするものではありません。

仏教では、本来は先祖供養をしません。というか、そんな考え方は仏教ではありません。先祖だけでなく、様々な先に亡くなった方たちの働きによって、現在と言うときがあるのだから、その働きに感謝するわけです。
法事やお墓参りは、その様々な人たちの中でも、直接的に現在の自分を作り上げた働きをしてくれた先祖に対して感謝する儀式です。

あなたにも、今まで生きていたすべての有情の働きが、今も働いています。ありがたいことです。
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はじめまして。


宗教というものは、生きている人間のためにあるものです。
人間が、生というものを考えるときには、必ず死を考えなくてはなりません。
死を考えた時、初めて生を考えることができる、とも言えます。
自分が実際に死ぬことはできないので、身近な人間の死にあたったとき、人は自分の生と死を考えることができます。
「葬」の儀式は、死を感じることができるものです。
30歳にもなって「祟り」を不安に思って過度に恐れたり、人の一生(自分も他人も含めて)に思いを馳せることができないならば、それは「不幸」であると言えると思います。
見えないことにも思いを馳せることができれば、それは人間的な魅力となってあらわれることもあるでしょう。
人間の日常生活に「宗教」や「哲学」がなくなれば
それは生命活動をしている物体、でしかなくなると思いますがいかがでしょうか。
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  こんにちは。



 母親の実家がお寺ですが、墓参りに行かないと不幸になるとかのいわれはありません。

 ただ、祖先がいたからこそ現在の質問者さんがいるので、祖先の存在を大事にする気持ちは忘れてはならないと思います。

 これは宗教、宗派を問わず皆同じです。

 お墓もすぐいける距離であれば良いのですが、遠く故郷に帰省しなければできないときなどは一年に一度も行けないかもしれません。

 そういうときには、お墓のある方角に手を合わせるだけでも気持ちは通じます。

 質問者さんは所帯を持っているのかが不明ですが、家族や子供がいれば、小さい頃から一緒に墓参りに連れて行くことは大事です。

 年始周りや彼岸やお盆、帰省もお墓参りを含めて行うもので、遊びに行ったりするだけでなくこういう機会に祖先のことを思い、考えるためにあるのです。
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今あなたが生きているのは、あなたのご先祖があなたのためにがんばって生きてくれた。

この事を感謝するためにお墓参りをするのだとおもいます。
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先祖供養をしていないと、お墓の管理をしているものがいないとみなされ、無縁仏に移されてしまう可能性があります。


お寺などのお墓は土地を買ったのではなく、借りているだけなのです。
年間にいくらかの管理費を納めていると思います。
期間が決めてある場合もあると思います。
他の家族が管理していれば、問題はありません。
また、他の方が書かれているように、ご先祖様がいなければ今の自分はいない訳ですから、感謝の気持ちを持つべきだと思います。
それに何か不幸があった時に後ろめたい気持ちがあるので、先祖供養を怠った事と結びつけてしまうでしょう。
怪奇現象のことなど信じるのでしたら、先祖供養はしましょうね。
お墓が遠くてお参りに行けないのなら、お寺にご相談されて供養をしてもらったり、ご自宅にお仏壇をおかれてはどうでしょうか?
身近な肉親が亡くなられれば、どうしてお墓参りが必要なのか分かると思います。
お墓は、亡くなった人との交流の場?上手く表現できませんが大切な場所です。
亡くなった人を思う気持ちがあれば、自然にお墓参りをする筈です。
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先祖を敬う気持ちを子供たちに伝える意味でも、お墓参りの習慣をつけたほうがよいのでは・・・



ご先祖のお墓があっても、家族でお墓参りの習慣がなければ、お子さんたちはお墓をまもっていくことを考えないでしょう。
それではご先祖さんがかわいそうだと思います。

私が学生の頃の話ですが、
夏(お盆頃)の夜、寝ていてふと目を覚ますと、部屋の入り口に白い着物をまとった、40歳代くらいの女性が立って、こちらを向いてにっこり笑っていたのです。
同時に金縛りにあいました。
私はあまりこういったことを信じていなかったのですが、このことがあってから、たびたび金縛りにあうようになりました。
拝み屋さんにみてもらったところ、戦時中に死んだひいおばあちゃんが、「お墓参りをしてもらえず寂しがっていますよ。」と言われました。

ひいおばあちゃんのお墓まいりを家族でするようになってからは、金縛りがなくなりました。
お墓参りというのはやっぱり意味があるのかなと思いました。
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基本的には#1さんの言われるような意味でお参りするものだと私も思っています。



ただ、
>お墓参りに行かないと不幸になるとか
についてですが、これが大抵新興宗教の勧誘のきっかけになる事が多いのが問題だと思います。

大抵人間生きていたら、何かしらの問題や悩みを抱えていきます。
その時、新興宗教の勧誘をする人にたまたま出会うと
「先祖供養が足りないから。」
とお墓参りなどサボっていた事と結びつけて、入会するように大抵勧められます。

先祖供養やお墓参りを熱心にしても、本質的にはあまり変わりませんが、本人の考え方が多少変化する事によって、問題が解決に向かう事もあります。
そういう私から言うと「偶然に近い出来事」が「先祖に守られている」「供養したら救われた」と言う風に言われているのだと思います。

お墓を粗末にしたり、供養そのものを否定したりは私もしませんが、
>お墓参りに行かないと不幸になるとか
という考えはとてもナンセンスだと思います。

というのも、そもそもお世話になっている菩提寺の住職がそういう風に言われるのなら私も納得しますが、仏教関係者がそんな事を言われているのを聞いた事がないのです。

世の中には仏教とは関係のない宗教もたくさんありますから、迷信に近いものも多いと思いますよ。
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不幸になるとかならないとか、損得の問題ではありません。


あなたはご両親から「生」を受け、ご両親はそのまたご両親から「生」を受けと、綿々と先祖から受け継いできた命の流れがあって、今あなたは生かされている訳ですね。
先祖供養はそのことへの感謝の表現です。命を授かったことへのお礼の気持ちを表すことで、同時に自分が生きていることを改めて大切に思う・・・それが先祖供養であり、お墓参りの意味合いだと思います。

そして、そのことを同時に自分の子供へ、また孫へ教える(伝えていく)役割りも持っています。
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