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江戸時代は平和な時代であり、泰平の世を築くにはそれなりの苦労があったでしょうが、15代260年もの間存続しました。
その前の室町幕府はどうかというと、最初は南北朝の動乱、後半は戦国時代という大変な時代を経験しながらも、徳川幕府と同じ15代、そして徳川幕府より少し短い230年もの間、政権を存続できています。
戦国時代は名ばかりの存在になったと言われることも多いですが、それでもそれだけの間、権威を保ち続けたことは凄いことだと思います。
これだけ長い間、幕府に刃向かってくる勢力を退け、権力が失われて権威だけの存在になっても100年以上存続できたのはなぜだと思いますか?

A 回答 (5件)

武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いのように、強い武将同士がつぶし合って、上洛する余裕がなかった。


というより、領土拡張だけで満足してた。
結果として、その領土の持ち主として承認してくれる将軍は便利な存在だった。
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参勤交代で国力を奪ってたから

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色々な説がありますが大きく言って4つ考えられます。


1有力守護大名を京都に住まわせ、互いに監視させるシステムを作った
いわゆる三管四職の制度です。有力守護間のバランスをとるという意味では有効な制度です。そのため、各守護は京都に住むことを命じられ、支配地は代官(守護代)に任させました。
2天皇や公家勢力をうまく利用した。
南北朝を含め天皇から様々な命令を引き出させ、それを有効に活用して、支配の正当性を周囲に示したことなどです。戦国期には、様々な命令書を天皇や貴族から出させ、政権の安泰をはかっています。
3商業活動を活発化させそこに、課税して、多様な財源を持っていた。
鎌倉幕府や江戸幕府が、農民への課税中心であったのに対し、室町幕府は、商業活動に積極的に課税をしました。市や座、関所や貿易多種多様なものの活動を認める代わりに「営業税」をとりました。幕府の収入は少なかったものの、幕府関係者は個人的に蓄財し豊かになっています。その典型が「義尚」の実母「日野富子」です。
4倫理感が硬直せず「自由な発想」が許された
江戸時代のように堅苦しい「武士道」などというものはなく、幕府の政治自体が「自由な発想」で行われ、柔軟な政策をとっていました。南北朝の頃は「南朝」の天皇勢力と結んだり、義満のように天皇にとって代わろうとしたり、戦国時代は「大名への安堵状」を乱発したり、政権維持のためなら何でもありの政策をとりました。
こうしたことで「のらりくらりと」室町幕府は続いたのだと思います。
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足利家は直轄領はそんなになかったみたいなので武士の嫡流の本家だったからではないでしょうか。



応仁の乱で朝倉家が下剋上するまで、鉄砲が伝来して本格的に戦国時代になるまでは全国を普通に名家が治めていたみたいです。庶民でも相続の時は嫡庶の序を大事にするので、本家嫡流を尊敬するのが日本人の普通の感情であり、地元の大名以上の全国をまとめる権威を納得させるのは嫡庶の序しかないと思います。
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そもそも「『幕府』ってなんだろう」って話はあったりしますが.



まず, 権力を失った「権威だけの存在」って, かえって長生きすることがあるんだよね. 端的にいえば天皇がそうだけど, アッバース朝もそんな感じ. 権力者に対してその地位を保証する立場だから, のらりくらりと渡っていくと意外と残ったりする.

あと, 鎌倉にしても室町にしても
幕府あっての御家人

御家人の合議制による政治
なので, 「御家人」という地位にこだわるとむしろ幕府を続ける方向に進む.
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