電子書籍の厳選無料作品が豊富!

私は茨城県出身で、父や周りの人たちは茨城弁でした。でも母が他県出身で、「茨城弁=田舎言葉、恥ずかしい」と言われ、標準語で話すようにしつけられました。
大学は東京に行ったのですが、卒業するときに友人に「入学したとき茨城弁だったけど、いつのまにか標準語になったねー」と言われてびっくりしました。全然話し方を変えたつもりはなくて、ずっと標準語のつもりだったんです・・・

今は結婚して大阪にきました。関西には一生いるかもしれないです。
それでつまらない悩みなんですが、時々どんな言葉で話していいかわからなくなります。

郷に入っては、で大阪弁を話して周りの人の言葉に溶け込みたい。でも他県出身者が茨城弁を話すのを聞くと、すっごく馬鹿にしているようでイヤでした。私の大阪弁も嫌味に聞こえるかも~と思います。あと大阪弁だと自分らしくないような気もします。

それならいっそずっと標準語で話そうとも思いますが、いつのまにか「あかん」とか7時をななじって言ってたりします。

ある人が関西在住でも堂々と茨城弁を話していて、うらやましくなってしまいました。私も本当なら茨城弁なのに、もうすっかり話せなくなってしまいました。自分には言葉の故郷というものがないように感じます。

愚痴を書いてしまってごめんなさい。読んでくださってありがとうございます。

A 回答 (13件中1~10件)

私は京都生まれですが、関西弁圏外で育ちました。

親は京都の出身です。保存されていた幼稚園時の会話テープを聞くと、関西弁圏に住んでいなかったのに「思いっきり京都弁」を話しています。うちの家の共通語は現在も京都弁オンリーですから仕方ないです。

この京都弁、例えば「いけずという語」「じゃこの発音のちがい」などなど小学校でからかわれました。それで関西弁を否定的に捉えてしまって、「関西弁を馬鹿にした地域の方言」と「からかわれてしまった京都弁」両方を話さないよう、テレビで勉強した東京弁を話すようにしたこともありました。

でも、完璧に自分の出自を消すしゃべりは不可能ですよ。東京弁を獲得したつもりでもやっぱり、関西なまりは消せません。語尾に確実に出ます。タモリだって、消したつもりかもしれないけど、語尾とか九州なまり消せていないでしょ? 

そんなこんなで、高校ぐらいからしゃべりたいようにしゃべるようにしましたが、当然、古典の時間に清少納言とかを読まされたりすると、本読みも自然と関西なまりになってしまうので、クスクスと笑われ気分悪かったのは確かです。でも先生に「古典の舞台は京都なのだから、こっちの方が正しい」とフォローしてくれましたよ(笑)。

大阪に住んでいたことも有りますが、何十年大阪に住んでいる人でも、他県で育った私より関西弁のイントネーションが微妙にオカシイ人もたくさんいました。実際問題、四国や九州など他県から集団就職とかで来て大阪・京都で家庭を持った人なども多いということです。だから、無理することないです。

無理に関西弁にしようとすると、映画「ミナミの帝王」の竹内力、「極妻」の岩下志麻みたいに耳障りな関西弁になります。あれは聞いてて気分のいいものではありません。ですから、無理せず今現在口から出てくる言葉で話すことが一番だと思います。

私も自然に任せてから、たとえ育った地で「どこから?」と言われ続けても、それでも気が楽ですし、そこから始まるコミュニケーションもあります。

私は、自分の関西弁を馬鹿にされて以来、育った地の方言が好きではなかったので、地の方言がうつりませんでしたが、関西弁に嫌悪感さえなければ、長いこと住んでゆくうちに言葉の端々に自然と関西なまりが入ってきますから心配要りません。あるがままでいいとおもいます。言語なんてそうしたものだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みなさん、どうもありがとうございます。
体調をくずしていたので、御礼が遅くなって申し訳ないです。本当は一人一人にお礼を書くべきなのですが、まとめてのお礼で失礼します。

皆さんの回答を読んで、前向きな気持ちになれました。本当に感謝です。私は私らしい話し方で、気負わずにいきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/24 09:36

あまり関係ないかもしれないですが


私の地方の訛りは敬語が存在しません。
だから近くの県の方言をよく真似る形になります。
それでもついうっかりでちゃうので大変です^^;
なんせ敬語がでないんですから(笑

忘れたくないけど忘れないと…非常に難しいです。
できれば使いたいけど使ってると大変なことに(;゜0゜)
    • good
    • 0

「言葉の故郷がない」という気持ち、実はあまりよくわかりません。


私は今までの8割くらいを今居る土地で過ごしておりますので、
すっかりこの土地の子だという自負がありますし
周りの人からもそう認知されています。
ですが、初対面の人に「あんたここの子じゃないね?」とか
「○○に居たことがあるでしょ?」と言われることがあります。
それがビンゴ!なんです。ここに来るまでに辿った土地の
言葉というかニュアンスがあるらしいです、私の言葉に。
でもどこらへんがそうなのか、まったくわかりません。
自分としてはすっかりここの言葉をしゃべってるつもりですw。

つまり、意識せずとも、なんというか、聞く人が聞けば
ちゃんと履歴が現れているものだと思います。
自分で「○○の訛りなんて出てない」って人ほど
訛ってるでしょw。○○弁がその人にとって標準だから→
違和感ないから検知できないんだと思うんです。
だからきっと、質問者さんも自分ではまったくお国の
言葉が出てないつもりでも、それとなく出ていたり
するものではないでしょうか。

私は土地を離れたことがないのですが、もし遠く離れたところで
訛りが聞きたくなったら、映画やドラマを観るかなぁ。
『壬生義士伝』て茨城ではなかったでしょうか?
(でも役者がしゃべってるの聞いて「違うわい!」って
腹がたったりしてね)

茨城フィルムコミッションのURLも貼っておきます。
茨城で撮影したからって茨城弁でもないとは思いますが・・・。

参考URL:http://www.ibaraki-fc.jp/top.php
    • good
    • 0

 そもそも標準語をちゃんとしゃべってる人はいないでしょう。

関東の人が「自分が話しているのが標準語」と思っているのは標準語ではなくて関東弁、東京弁。

 そんな私は関西出身で、今関東圏にいて、関西弁を通しています。でも100%関西弁だと話が通じないので、そんなときは関東弁にあわせたりもします。みんなは「標準語に慣れてきたね」って言うけど、標準語だなんてとんでもない。ただ関西訛りで丁寧にしゃべっただけ、です。

 「関西弁で敬語はありえない」なんて言われるけど、訛りがどうであれ、丁寧なものは丁寧。でも、関東で年上の人に「**さんいはりますか?」なんて言ったら失礼に受け止められるので、そんなときは「**さん、いらっしゃいますか?」と状況によって使い分けます。だから「訛りがなくなったね」なんてことも言われるけど、訛りがなくなったんじゃなくて、そっちにあわしてるからだってば!と、何度も言いたくなります。

 無駄に長くなって、何が言いたいのか分からなくなってきましたが、自然にしていればいいかと思います。以上、ダラダラ書いてすみませんでした。
    • good
    • 0

交通機関が発達していなかった頃は、生まれた地元で一生暮らす人が多くて純粋なその土地の方言で


話していたのでしょうが、現代は引越しなんて珍しくないのだから、
純粋な方言で話している人の方が少ないのではないでしょうか。

私は大阪生まれの大阪育ちですが、両親は大阪出身ではないので、私の大阪弁も
本当の純粋な大阪弁かどうかは実際にはわかりません。
母は熊本出身で今でも所々に熊本弁が出ています。
ちなみに、たぶん母の影響で私も微妙に熊本弁がまじる時があります。

>いつのまにか「あかん」とか7時をななじって言ってたりします
自然に口から出るんですよね。でしたら嫌味には聞こえないと思いますよ。
わざと大阪弁を話そうとして、変なイントネーション等になったりすると嫌味に聞こえるのだと思います。

「ずっと標準語で話そう」とか「大阪弁で話そう」とか意識せずに、自然にしてるのが一番だと思います。

大阪人は標準語に対しては敏感なことが多いので(ライバル心?)、
きれいな標準語で話すよりは茨城弁で話す方が受けはいいかもしれませんね。
    • good
    • 0

こんにちは。


実は、一番冷たい響きがあるのが標準語だって知ってました?標準語は、明治になる頃に日本という国をつくり、軍隊で兵隊がみだれず命令に従えるように生み出されたものなのです。(もちろん、他の理由もありますけど)
 国の言葉が馬鹿にされたのは、日本に統一した言語つまり標準語の教育を進めるときに、学校の先生が方言を使うことが恥ずかしいこと、標準語が良いことと教えた事と関係あると思います。
 方言という言葉には、外国語の意味が昔はあって、江戸末期には方言教育(英語の授業のこと)と書いてある文献もあるのです。
 昔、日本は、小さな国の集まりでしたから。戦国時代に、言葉が訛ったのと、戦に際して仲間を見分けるために言葉は複雑に変わっていきました。
 今でも、自分の町の方言を聞くと知らない人でも懐かしいのはそのためです。
 東北や、関東圏では、やはり東京の威力が強くて、方言は恥ずかしいもの。と、して、ねずよくありますが、本来、1000年以上首都として機能してきた関西では、関西弁を恥ずかしいなんて思う人はすくなく、標準語(いわば100年ぽっちの一人の人間が考えた薄っぺらな言葉)
は、東京弁などと呼んで、国の言葉と意識的に認めてない方々がいらっしゃるのも、面白いことです。
 関西弁がいやらしく聞こえるのは(とくに東日本)のちの映画などで、やくざや金貸しといった人間、笑いものなどにキャラとして用いたのが残っているせいで、本来の関西弁は暖かくて、上品です。
 なぜなら、世界でも類を見ないような長い年月をかけて、公家などの文化人が作り上げ、磨き上げた言葉だからです。比べて、標準語は、わずか100年、一人の人間が記号として言葉を全国に知らしめてものに過ぎません。
 もちろん、標準語は大変な効力で日本に貢献してきました。これがなかったら、現在の発展も今、私たちがこうやって話し合うことも出来なかったことでしょう。
 しかし、必要以上に関西弁を嫌がられたり、茨城弁が恥ずかしいなんて考えるのは、悲しいことです。
 そのとちの言葉はその土地の文化であり、その土地の言葉を使うことは、その土地の文化になじむことなのですから。ま、あなたが茨城のキャラを持ちつづけたいのなら、それもいいかもしれませんが、もし、なじんでゆきたいのなら、関西弁を使われるほうがよろしいと思います。
 とくに、上品な方たちの関西弁はイントネーションからまったく美しいものです。一度嫌がらずに聞いてみてください。
 そして、お子さんには、茨城に帰ったときは茨城弁を教えてあげてください。
 例えれば、京都で舞妓さんが標準語をつかったらおかしいでしょ?で、茨城で京都の言葉ではなしてたら浮くでしょ?東北の田んぼで老人が、アナウンサーのような標準語で話したら、怪しくないですか?
 方言は、標準語が出来るはるか前から、たくさんの人たちの生活と人生と、風土とともにあったのです。明治政府が出来たとき、標準語教育がひどかったとき、そして、21世紀になっても消えないのは、そのためでしょう。
 茨城は、誰がなんと言おうと、茨城弁より美しく人に語りかける言葉はないはずです。
 関西では、関西弁よりなじむ言葉がないようにです。
 あとは、関西の異文化人としての自分でいるのか、町やひとになじむのか、それはあなた次第です。
 それに、昔覚えた方言も総簡単にはきえません。ネットで茨城の人たちと方言で話し出せば、すぐにおもいだせるはずですよ。
 あとは、友達を増やして、すこしづづ言葉になじめばいいのです。使えない言葉は標準語で、みんなが使っていて、使いやすそうなものは取り入れて。
 学生時代の流行り言葉の要領です。どうがんばっても、ネイティブは、イントネーションを聞き分けますから、無理はしなくていいんですよ。
 使える言葉の中に、大阪でのあなたが出来上がってくることでしょう。
 いろいろと大変ですけど、ガンバってください。きれいな関西弁が話せるようになるといいですね。
    • good
    • 0

私は関西圏ではありますが、大阪弁ではありません。


大阪で3年ほど暮らしましたが、言葉はやはり違いました。
でも大阪でも、地方によって違うんですよ。言葉を聞けばどの辺の出身か見当が付きます。大阪弁は恐いとかガラが悪いとか聞いいた事がありますが、全然そんな事はありません。本当の大阪弁はとっても美しい言葉です。
いろんなところの出身者が居ましたが、無理に言葉を直す人はいませんでしたし、直す必要もないんじゃないですか?
私が大阪で暮らした期間で方言を馬鹿にされた経験はありませんし、そういった人を暖かく迎えてくれるのも大阪の良いところだと思います。
そのうち言葉も馴染んできますよ。
私は方言が大好きです。恥ずかしいなんて思わないで故郷の言葉を大切にして欲しいと思います。
    • good
    • 0

昔から『訛りは国の手形』と言う素晴らしい諺があります、今の時代は仕事や学校などの関係で日本中の色々な地域の人々が思わぬ所まで移動しています。

その土地に慣れてその土地の言葉に成ったつもりでも、子供の頃から育った土地の言葉はなんとなく出てくるものです。そんな故郷を離れた土地で故郷の訛りや方言をちょっと耳に挟む事があると本当に嬉しくなり、お互いに故郷を確認し仲良くなるものです。特に飲み屋などでは地が出ますので、意気投合していしょに酒を飲んだ経験も何度かありまた。ぜひ何処の土地に行っても『故郷の訛りや方言』を忘れないで下さい。
    • good
    • 0

若い時に関西から就職で東京に移り、そのまま30年を超えました。



私が方言を聞いて、栃木なのか茨城なのか区別は難しいのですが、概して 「母音」 の区別がハッキリしない方言が東の方には多いように感じています。

純粋の茨城弁がどういうものか確認した事はないのですが、たとえば 「イ」 と 「エ」 の区別がハッキリ発音されないとか、口を大きく開けないで話す習慣とか、私が聞いて東京の人が話す標準語とは随分違うように感じています。

そのため、本人は完璧な標準語を話しているつもりでも、東京の人が聞けば地方出身者だというように思われるのではないでしょうか。

たとえばテレビによく登場するゴルフの青木功氏は千葉県我孫子市出身ですが、あのお年になっても標準語とは大分違う発音で話されますよね。  もしかするとご本人は標準語のつもりで解説をされているのか、あるいは 「今さら気取ったって仕方ない。  千葉訛りで通そう」 というお考えかも知れませんが、いずれにしても、随分訛りの強い方だという印象を私は受けています。

一方、関西の言葉は、日常使用する語彙やアクセントには大きな違いがありますが、基本的に母音や子音の発音は標準語に極めて近いように思います。  そのため関西出身でも完璧な東京弁を話せる人が多いように感じています。

ただ私の場合は、咄嗟の場合に出るアクセントがやはり関西訛りになっているようです。

それと大阪でお使いになる言葉ですが、無理に大阪弁を真似るのは逆効果になる可能性があるように思います。  昔の事ですが、私が関西出身だと言うと、大阪赴任のある人が懐かしがって変なアクセントの関西弁で話しかけられた事があるのですが、何だか気持ち悪いような印象を受けた覚えがあります。

関東の人が話す関西弁は耳にシックリこないんですね。

アドバイスと言ってはなんですが、地のままのあなたでいればいいように思います。  大阪でもあなたが話しやすい茨城弁の方がいいと思いますよ。

因みに、私も故郷に帰った時でも言葉のアクセントがいつの間にか東京訛りになっている自分に気がつきます。  私もあなた同様、「言葉の故郷」 がなくなっているように思います。
    • good
    • 0

私はもともと青森県人ですが、母が茨城県人でした。

幼少から父が不在がちだったので母の言葉を聞いて育ちました。祖母が「かちゃくちゃね」というのを、母は「いじゃける」と言います。(たぶん両方とも「ごちゃごちゃしてイライラする」の意)

学校では完全ネイティブの友人たちが話す言葉の中にわからない単語がたくさんありました。(同じ県内でも郡によって方言は違うので)

高校時代はブルーハーツが大好きだったので、甲本ヒロトの岡山弁を真似たりしていました。

大学は関西の大学に行き、そのあと中国で2年暮らしました。中国から帰って気づいたのですが濁点の発音が弱くなりました。「コンピニ」「カムテープ」

今は東京で働いています。

もともと家で津軽弁をあまり話さなかったのに加えて、他の地方での生活ももう長いので、地元の方言はあまりうまく話せません。地元の友人に合わせて思い出しながらでないと出てこないです。

で、私なりの結論ですが、自分の言葉を作ってしまえばいいと思います。「私弁」「我弁」です。

いまどき一生同じ場所で過ごす人の方が珍しいですし、移り住む場所に連れて自分の言葉が変わっていくのも当然のことだと思います。自分がどの言葉を話すか、そればかりに囚われてしまうと会話がとてもぎこちなくなります。言葉は道具であって重要なのは話の内容です。

うちの母親はもう青森に嫁いて30年以上になりますが、どこの人だかわからない言葉を普段話しています。それで通用しているので、たぶんそれでいいんじゃないかと思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!