「平成」を感じるもの

よく夢は諦めず追い続けろ!
決して諦めるな!
努力は報われる!

という意見があります。
でも、特にアスリートのような頂点を極める人数が限定されている場合、
その言葉は危険とさえ感じます。

つまり、ダメな可能性が高かった場合どこかで諦めるのも大事だと思うのです。
※まぁ大半の目標・夢は叶えられるのかもしれませんが。

可能性という言葉は甘美なものなんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ちょっと怖いなと感じるのは、希望の大学へ入れなかったぐらいで死を意識しちゃう子です。

    昨日(一昨日?)のテレビでは、宝塚に入れなくて号泣とかありました。
    確率論でいえば入れない可能性の方が高いわけで、また特に狭き門であればあるほど、それは多くの人が挫折を経験する訳です。

      補足日時:2021/04/11 20:14

A 回答 (7件)

諦めが肝心です。



諦めの語源は「明らかにする」と言う言葉らしいです。
できないことを明らかにすること。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに諦めも肝心ですよね。

喉から手が出るほどのものは確かに気持ちはわかるのですが、、、。

お礼日時:2021/04/11 20:23

オリンピックの特定の個人種目では、4年に1人しか金メダルを授与されない。


しかし「可能性」は非常に多くの人にある。それを夢見て子供の頃から切磋琢磨する人も多い。正しく「夢」だ。
「夢」が挫折するということは、下手をすれば数十年の人生が無駄になることを意味する。真剣な努力を続けた後のことであれば「死にたい」と思っても無理からぬことだ。

夢や可能性という言葉は甘美なものではない。達成されてこそ甘美なものであり、それまでの努力は「苦」だらけのことが多いだろう。そして勝利の美酒を味わいたいがために「苦」が耐えられる。

多くの人は「苦」だけで、「甘美」は味わえない。
私は「苦」自体が無駄で意味がないとは思わない。苦に耐えるということは人生を前向きに捉えていることでもあるからだ。

ヒトは目的が無くても生きていける。目的を失っても、必要に応じて別の「可能性」という目的を見出すこともできる。

ブッダの云う通り、人生は苦に満ちているのかもしれないが、人によっては「可能性」を信じることで苦に耐えることができる。
私は「可能性」という言葉は、甘美なものではなく、苦に耐えるための励ましの言葉ではないかと思える。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
確かに、願望成就までの過程において「苦行」ではあるとは思います。

特に金メダリストなんか、世界中の頂点になる訳でそれこそ生半可な努力では成し遂げないでしょう(多分、私がイメージしている以上の生半可な努力では無いと思われます)

お礼日時:2021/04/12 19:25

今は、全てがそろい過ぎてて、追いかける夢が無いと思う。


「諦めるな、追いかけろ」は、目標が無い夢が見つからない人に言うのは、無責任な気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
自分は小学生の時点で既に夢がありました。

確かにここでの質問でも将来の夢なんて決まってない高校生が多いと思われます。

 さっさと目標決めちゃった方が楽なんだけどなぁ(^^;

お礼日時:2021/04/12 19:23

可能性の大半はうまくいかないという可能性です。


可能性を信じるってことは失敗を信じると同義です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

あぁ、なんというネガティブ思考なんでしょう(笑)
いや、好きですよ^^

お礼日時:2021/04/12 19:22

一人っ子が多いのが原因ではないですか。


生まれてこの方、欲しいものは全て手に入る人生を送ってきた子供が、
入りたいと思った大学(入れるものと確信していた)に拒否された時のショックは、計り知れないほど大きいと思います。
確率は他人のことで自分には無関係だと思っている子供だと思います。
コミニュケーション能力が低いのも、一人っ子の特徴です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど!
それは思いもつきませんでした。
確かに今の子供たちは、苦労知らずのイメージが強いです。

恐らくお勉強も時間を費やせば、希望校へ行けるという妄想があるんでしょうね。

 現実問題として一流大学なんて全体の10%にも満たないわけですし、
かといって残りの90%になると負けという訳でも無いのですけどね。

お礼日時:2021/04/12 19:22

明らかに、余力や伸びしろがある人には効果がある言葉ですが、


そうでない人には、過酷な結果をもたらすハイリスクな言葉となります。
結果が出れば、言った人(指導者など)も賞賛されますが、逆の場合は、言った人の責任が問われないのが不思議です。
甘美な言葉に酔うのは、選手より指導者の方かも知れません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

これは難しいですね。
よく占い師とかでも言う言葉の1つに
「あなたはダイヤモンドの原石のようだ」と(笑)

 これ、誰にでも当てはまる言葉なんですよね。

伸びしろというのは本当になんとも言えませんね。
努力だけでは開花しないであろう、才能もあるし、
才能だけでは開花しない部分もあるし。

お礼日時:2021/04/11 20:25

可能性とは「可能になる確率」だと思うので甘美なものとは思えません。



ちなみに
あるタレントさんの受け売りで申し訳ありませんが、よく「無限の可能性」という言葉を耳にしますが、私はこの言葉あまり好きではありません。無限ではなく「有限の可能性」なら若干信頼してもいいかなと思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
確かに無限ではありませんね。

世の中、何億通りの選択肢は存在すれど、すべての選択肢は選択できません。
選択肢は沢山存在する=可能性は無限という意味かもしれませんが、

最終的に、その数個ぐらいしか選べないのが現実です。
確かに、何年もかけて努力した結果の挫折は辛いのは分かりますけどね。

お礼日時:2021/04/11 20:18

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報