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みんなに聞きたいのですがなぜ日本はインドや清が欧米列強に植民地とされる中でどうして日本は植民地にならなかったと思いますか?
レポートで書きたいのでお願いします。

gooドクター

A 回答 (10件)

#9さんの視点は重要ですし、他の方の回答もそれぞれその通りです。


で、もう一つ違う視点を紹介します。
それは「日本は西洋の情報を取り、西洋のやり方に合せた国土防衛をしていたから」というものです。

学校で習う歴史だと、なんとなくペリーがいきなりやってきて、幕府は押されて開国に至ったように感じます。それはそれで正しいのですが、しかし幕府は「ペリーが来ることを知っていたし、要求も知っていたし、対応策も考えていた」のです。

日本は出島でオランダと通商していて、オランダ商人には必ずレポートを提出させていました。オランダ商人は世界中を回っていたので、アジアからヨーロッパ、そしてアメリカの情報を日本人は知っていたのです。
 
特にペリーは大西洋から喜望峰を回り、インド洋を通って日本に来たので、途中で遭遇したオランダ商船が先に日本に到着して、ペリーの来訪も教えていました。このようないわゆる「インテリジェンス」を使っていたのです。

またこのようなインテリジェンスによる国土防衛は18世紀には始まっています。
それはロシアのシベリア到達によりロシア人がアイヌと接触したことで、1759年に松前藩はアイヌ人からロシア人との交易を知り、1778年には松前藩士がロシア人と直接接触しています。

1800年になると、伊能忠敬が北海道地図を作り始めますが、これは当時国境が曖昧だった北海道や樺太・千島列島などの領有権争いが本格化すると考えたからで、地図を作るという事自体が西洋社会の領土策定基準に合わせたやり方だったのです。

このようなことをペリーが来航する50年以上前から幕府はやっていたので、そう簡単には西洋の植民地にはならなかったし、なによりも西洋自体が「日本は国土領域の全地図を作れるぐらいの統制された国家である」と言う認識を持っていたわけです。

こういう統制された国家は、兵站も整備されていると考えるのは普通で、だから西洋列強としても「日本を攻めても、すぐに圧倒的な防衛力で追い出される」と認識していたし、そこに武士や日本刀という心理的な圧迫もあったわけです。

ただ、西洋も「じゃあ、内戦起こせばいいじゃん」というやり方で日本の乗っ取りを計った形跡もあるのですが「徳川慶喜による大政奉還」と「勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸城を無血開城する」というような、西洋の常識を超えた「内戦回避」を行ったために、西洋列強の付け入る隙ができなかった、というのも大きな特徴になります。

ようするに「日本」と言う国の統制力の強固さが植民地化を防いだ、ということになるわけです。
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回答者の方々が「鎖国」と「武士」と「資源がなかったこと」を上げていますが、別な視点で説明したいと思います。

江戸時代後期の日本は「資本主義が成立していたから」というものです。細かな説明をすると4000字では足りませんが、資本主義は「労働者」という奴隷ではない働き手と「資本家」という経済を握る経営者と「政治家」という国に仕える公務員によって成立します。そして何より重要なことは「法と契約」によって社会が動かされていたということで、「将軍」といえども「法度」や「証文」に従うことがあたり前であると考えられていたことで、日本に来た「欧米諸国」もこうした手続きに従わざるを得なかったことが、大きい理由だと思います。しかも明治政府は「江戸幕府」が欧米と結んだ条約や借金を無視したり踏み倒すことなく歯を食いしばって守ったことが、植民地k差を防いだ大きな要因だと考えられます。また、資本主義社会に参加するためには「契約」を理解する必要がありそのために、全国に「寺子屋」という教育システムが成立したことも重要だと思います。
以上、回答者の方々にはない視点での説明でした。
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こういうのはね、理由は一つでは


ありません。

1,彼らの狙いは中国です。
 資源の無い日本は魅力的では無かった
 のです。

2,日本は武士が支配していました。
 武士てのは戦闘のプロです。
 
 江戸時代に来日した英国人の手記が沢山
 残っています。
 
 あの両手で持つ恐ろしい刀
 という表現がいたるところに出てきます。
 つまり、日本の戦闘力を怖れていたのです。

 ローニン、というのも怖れられていました。
 当時、百万のローニンがいる、と思われており
 植民地にしたら、彼らがテロして収拾がつかなく
 なる。

 五稜郭の戦いでも。
 射撃が終わり、接近戦になると、彼らはみな 
 銃を放り出して、刀で戦った。

 台所で物音がするので護衛の英国人兵士が
 銃を持って見に行ったが、やがて凄い悲鳴が
 聞こえた。
 恐る恐る台所にいくと、件の兵士が血の海に
 溺れていた。 
 これは、ローニンがあの恐ろしい刀を持って
 襲撃に来たのに違いない。
 慌てて拳銃を取りに戻ったが、そこにローニンが
 表れ刀を振り上げた。
 ダメだ、と観念したが生きていた
 あれ?
 ローニンもあれ?
 そんな間に幕府の役人が大挙して護衛に来たので
 ローニンも逃げ出した。
 調べてみたら鴨居がざっくり。
 これで助かった。

 こんな記録が沢山のこされています。
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清は領土の一部を占領され、割譲していますが植民地になっていませんね。



日本の場合は国家組織が出来上がっていて武力も有ったので植民地にするより貿易をした方が儲かったからですね。
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ひとつは


日本には何の資源もなく
植民地にしても得なことがない

江戸時代から
海外の植民地の情報はたくさん入っていました
そこで鎖国が行われました
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うまみがない

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日本は地理的にアメリカとロシアのせめぎあいの立地であり、


鎖国で高性能な鉄砲輸出国として踏ん張れていたせいでしょうね。
そしてなんといってもアメリカ人が紳士だったってことでしょう。
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簡単にいえば、刀や弓、槍などで武装した武士がいたからですね。

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鎖国、島国だから。

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簡単です。


強かったからです。
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