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未経験からIT業界に転職した方に質問です。①なぜプログラミングを学ぼうと思いましたか?②エンジニアを目指そうと思ったきっかけは何ですか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    回答ありがとうございます。僕も東北出身(宮城県)で大学は山形でした。元々勉強は得意な方なので、新しい知識や技術を貪欲に学びたいと思います。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/25 22:16

A 回答 (2件)

プロファイルのような年寄です。


コンピュータが黎明期の頃に育った者なので、話しはお役に立たないかもしれませんが。

私は東北の山間の寒村の生まれ育ちです。
子どものころから電子工作が趣味でした。
時はまだ真空管の時代で、廃品のラジオやテレビから部品を取るなどして、ラジオやオーディオアンプを自作してました。
アマチュア無線の免許を取って通信の送受信機などを自作したりもしてました。

なので、大学には関連することを学べる工学部を選び、入って初めて半導体やコンピュータと言うのに触れました。
当時のコンピュータは今とは違い、大型冷蔵庫を難題も並べたような『大型の汎用機』と呼ばれるものでした。
そう言ったものを使って、プログラミングやアルゴリズム、それを使ったOSや言語などの勉強をしました。
面白かったので半年もしないで結構なことが出来るようになりました。

それと並行して半導体を使った電子回路の作り方に触れると、電子回路の理論や、半導体そのものにも面白さを感じました。
とりわけ強烈な印象を持ったのがアメリカの先端半導体技術や、信頼性・耐久性に関する技術の教科書でした。
アメリカのこれを勉強し、これを仕事にしたい、そう思ったのが今の私の始まりでした。
その勉強にはコンピュータを使った計算は欠かせなく、それを使うという事でプログラミングの勉強も結構出来ました。

大学を出た後も勉強は続けましたが、それはアメリカに行って夢を実現したいから。
私は主にリアルタイムの信号処理や通信、データ計測・自動制御などの電子システムの研究開発をしていましたが、そんな中では、OSの核部分とか今は世界中の多くの方が日常的にお使いのシステムなんかを作りました。
ソフトに限らず、電子回路やそう言ったものを組み合わせたシステム物、機構・構造なんかの電気以外のものの設計なんかもしました。

そういった仕事をしていた中で、思い立って10年ちょっとが過ぎた時、アメリカの研究機関と先端技術の研究開発事業の立ち上げでアメリカに来る仕事に就けることになりました。
そこで仕事をしているとき、当地の仲間が私たちの仕事とは別に進めていた仕事に難儀していることを聞きつけました。
必要なのは特殊な信号処理のソフトウェアと電子回路、それとそれを実行するこれも特殊な半導体でしたが、私の専門の世界で対応できるので、無償のボランティアとして助けてあげました。
一人で全てをしないといけないのでボリュームがすごく結構手こずりましたが、もともとはひとり遊びの趣味が発端ですからそれに抵抗はありませんでした。
私の期待以上に時間はかかりましたが、結果は結構期待以上で、仲間は半ばあきらめていたとかで、出来たことに驚いていました。
そんなこともすっかり忘れたある日、その仲間のずっと上の上司の方から声をかけられました。
彼を手伝った実績が耳に入ったそうで、アメリカにとって有用な能力を認めるから、アメリカには好きなだけ居られるようにしてくれると言う褒美をいただきました。

その後は、それまでの日本の会社には所属しつつも、その顔色を見ることもなく日本とアメリカを行き来して好きな研究開発や業界団体の技術審議委員などをして暮らしてきました。
でも、プログラミングはやめていません。
今でも、自身で考えた工夫を実現する半導体回路のプログラミングなんかはやっています。
ノーバグ・ノーエラーの成功請負人を自称する私にとって、実戦で使われている道具を自分で使えなくてその評価なんてできない、は譲れません。

でも、大変ですよ。
この先端性を維持するには、先端の腕だけでなく、先端の情報も手に入れて使えるようにしておかなければいけません。
そのために、私は毎年自費とすべての休暇を使って専門機関の訓練に参加してきました。
3~4週間ある期間に缶詰めになり、同じような境遇の数人と一緒に朝から晩まで訓練を受けるのです。

そんな生活も昨夏のリタイアで終了。
今は趣味の世界に戻って、好きなチップの設計なんかで遊んでいます。
この回答への補足あり
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アメリカ資本企業おりました。


理由、時代が来る思ったから

製品設計やプログラムの仕事はしませんでした。
営業から商品企画でアジア向けの製品仕様変更の
アドバイザー的な仕事でした。

私がいたおかげで、説明書が日本語が付属したりとね
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