14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

イザベラ・バードの日本奥地紀行を読むと、
日本の学校での漢字教育で漢字を学ぶために論語などの四書五経を使っていることをあげて、
アヘン戦争で、大英帝国の科学技術に基づいた大砲や軍艦の総攻撃の前に、科挙の試験に合格して四書五経を暗誦して『子の曰わく』などとやったところで何の役にも立たなかったことは立証されているのに、
まだ日本人は、論語などをテキストに使って無駄な努力をしている。
漢字を勉強するなら漢字だけ覚えれば良いので。論語なんかテキストに使って暗誦しても何の訳にも立たない
というようなことをレポートしていて、
私も高校生のときに論語通読して今もたまに読みますが、特に人生の、役には立たないと思うのですが、
何故論語は古典扱いされているのでしょうか。
孫子の兵法は、政治的な駆け引きには役に立つと思いますが。論語は…

A 回答 (5件)

論語は精神的な内面の教えで、それを表現する為の手段です。

と思っています。
一つの漢詩は短く、解釈の仕方は色々でき、自分なりの解釈ができます。
そのようになるには、かなりの読み込みが必要です。
時代背景や自分の立ち位置で、異なる解釈ができるもので、どれが正しい&正しくないは言えない、ものだと考えています。
古典だからではなく、その古典の上に立ち、未来を創造するものです。
その基本概念が書かれていると考えます。
孔子が無くなった後、子弟達がひとつづつ漢詩にまとめた物であり、その時は、孔子自身の解釈に近い物で有ったと思いますが、今は知るべきも無いので、それぞれが翻訳を理解するのではなく、自分なりの立ち位置で解釈すためのものと思ったほうが良いと感えます。

世界の有り様や、戦争が必要なのか、科学知識は必要か等全てを基にした、精神的考えが書かれているのであって、実用的に勝った負けたを議論するものではない。
また、直ぐに仕事で役立つかと言うと、そうでもなく、人が生きていくのに必要な事を。後ろから示してくれるものである。ゆっくり読み自分の考えで理解していくものと考えています。
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> 何故論語は古典扱いされているのでしょうか。



現代文ではないことは明らかだし、ただの漢文というのではなく、出典が明らかで、古典という以外には、いいようがないでしょう。

> 私も高校生のときに論語通読して今もたまに読みますが、特に人生の、役には立たないと思うのですが、

今でもたまに読むのは、どうしてでしょうか。 「人生の役に」の判定の基準や視点、尺度などが分かりませんが、 映画、演劇、音楽、小説、スポーツ、あるいは、イザベラ・バードの日本奥地紀行を読むのだって、どうなのでしょう。 あの店の○△は大好きというのだって、
私など、高校の数学はそこそこ得意でしたが、その後の人生で役立てることはなかったです。 英語など、役立てるほどに習得できていたらなぁと思うことは何度もありましたが、事実上、現状はせいぜい中Ⅰレベルで、高校の勉強は全然役立ってないです。

フランスでは、広汎に知識を持つことが良いとされているというようなことを聞いたか、教わったか、そのような記憶があります。 イギリスの上流階層もパブリックスクールでエリート養成がねらいだから、実務の職業教育ではなく、ラテン語習得にも力をいれているし、「ラテン語教育のみに専心し、自然科学を教えない」という批判さえでるほどです。
「日本人は、論語などをテキストに使って無駄な努力をしている。
漢字を勉強するなら漢字だけ覚えれば良いので。論語なんかテキストに使って暗誦しても何の訳(?役)にも立たない」なんて、どこみていってるのとも言えないことないでしょう。
アメリカで進化論を教えない?ようにということをいっているのと、「何の役にも立たない」という主張とは通底しているのでしょうか。

> 孫子の兵法は、政治的な駆け引きには役に立つと思いますが。論語は…

ある経営者は、孫子の兵法も論語も引用して挨拶や教えを説くということが多かったです。
https://type.jp/tensyoku-knowhow/skill-up/book-s …
https://www.b2b.alibaba.co.jp/aj-press/000321/

でも、マネジメントや経営に役立つというような視点で、高校生や寺子屋で論語を教えるというのではないのだと思います。 一種の常識、教養、文化レベルの向上がねらいだと思ってます。 
ヨーロッパでラテン語教育がそれなりに高等教育を目指すものに欠くことが出来ないのも、各種古典を読むのも、同じでしょう。
ただの探究心や専門追求とか、実用技術知識の習得とは、違う次元です。
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19世紀のガチガチのキリスト教と白人優位の人種差別時代に生まれ育った女性の東アジア文化への無理解と蔑視が良く分かるお話ですね。



そもそもアヘン戦争は、イギリスの麻薬密売マフィアが、中国当局に麻薬販売を禁じられると、本国の黒幕政治家を動かして艦隊を派遣させ、民を麻薬から護ろうと立ち上がった中国の文官・武官たちとその軍勢を、有無を言わせず叩き潰し、法外な賠償金をせしめた上に、従来通り麻薬販売を続けたという最悪の暴挙でしょう。
さすがに、英国内でも清教徒などから「大義無き戦争」という非難の大合唱が起こったほどの野蛮極まりない、凶行です。

英軍との戦闘で戦死した司令官や、国家防衛失敗の責任を取って自決した防衛責任者などは、当然四書五経に通じていたでしょう。ひょっとしたら科挙合格者もいたかもしれません。

イザベラ・バードにしても、多分、現代に生きた人ならば、かなり違った評論を残したかもしれません。
少なくとも、東アジアで広く愛読された中国の古典である四書五経で育ち、庶民のために麻薬撲滅に立ち上がり、結果的に英国人に殺された人々のことを愚弄するような文言は残さなかったと思います。
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特に人生の、役には立たないと思うのですが、


 ↑
逆でしょう。

大砲の作り方を学べば、戦争には
役立ちますが人生の役には立ちません。
論語をやっても、戦争には勝てませんが
人生の役には立ちます。

少年よ大志を抱けのクラーク博士は
次のようなことを指摘しています。

「科学技術だけを学んでも西洋には
 追いつけない。
 文化を学ぶ必要がある。
 科学技術は、文化という基礎の上に
 成り立っているからだ」



孫子の兵法は、政治的な駆け引きには役に立つと思いますが。
論語は…
 ↑
国家が成り立ち安定し、強くなるためには
国民を一丸にする必要があります。
そのためには、国民の価値観を統一する
ことが重要です。

国家統治という点から四書五経というのは
まさにそれなのです。

西洋は其れをキリシスト教でやりました。
日本や中国は四書五経でやったのです。
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それはイザベラ・バードがキリスト教徒で「教養と道徳と宗教が同じ」だと思っていたからです。



キリスト教徒(とユダヤ教・イスラム教徒)にとって「道徳」と「宗教」は同じものです。神が定めた戒律を守ることが「道徳」になるからです。

だから文字を覚えることは教科書で行い、文字が読めるようになったら聖書を読んで道徳を身に着ける、というのがイザベラバードなどキリスト教徒の考え方になります。だから「文字を覚えるのに論語は不要」となります。

しかし東アジアでは宗教と道徳は同じものではありません。四書五経は明治以前まで教養であり、基礎的な道徳観を教える教科書でしたし、同時に読み書きを教えてくれる教科書でもありました。

たとえば論語にはこういう言葉があります
・己の欲せざるところ、人に施すことなかれ
・学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや
・過ちては則ち改むるに憚ることなかれ
小さい時に素読しても、意味はなかなか理解できないでしょう。でも暗唱を繰り返しているうちに、これらの言葉の意味を「価値基準」として身に着けて行くわけです。

だから、西洋科学が入ってこようが「日本語を勉強するのには四書五経」であり、それは「日本語と日本人に必要な教養や道徳を一気に学べるから」だったのです。

このような認識は日本人はまだ持っていて、論語などからの人生訓を今でも活用します。

たとえば「温故知新」などはよく使われる例で、このような価値観は日本人の中に生きていて、それを利用できるので「古典」と呼ばれるのです。
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