出産前後の痔にはご注意!

沖縄の宗教についてですがお聞き致します。
私の両親は沖縄出身で両親の実家にはそれぞれ亡くなられたご先祖様を奉りご供養する為の仏壇があります。
沖縄では今でもごく一般的に『祖先崇拝』という考え方が
あり、うちもそうで、お盆は暦の上での旧盆で、正月は暦
の上での旧正月で行事を行う事をしてますがその考え方と
いうか、そのやり方に対して特定の宗教名とか宗派名などあるのでしょうか?(○○宗・○○教など)
もし、たとえなかったとしてもこの風習というかシキタリ
は他の宗教の中のどれかに似ているという事ありませんか?それに今は東京在住ですのでこの先両親に万一の事が
あった場合、お坊さんやお寺には宗派などについてどのよ
うに説明すればよろしいでしょうか?
又、沖縄の『祖先崇拝』の方が読んでいるお経はどの種類でしょうか?

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A 回答 (1件)

ご両親は沖縄生まれ質問者様は内地(本土)育ちですか?沖縄で育っているのでしたら何となく受け入れられる習慣なんでしょが…(適当というか余り考えないのですが…)



沖縄の宗教学の話になりますが・・・
先ず、本土の宗教思想はどうなんでしょう?日本人の多くは自分は無宗教だと言いますが、宗教や神仏を否定しているわけでもありません。しなければならないとされる年中行事や通過儀礼、葬式や法事、彼岸の墓参り、盆や正月の里帰り、七五三、クリスマスなどをきちんと行いますよね。日本人は特定の教団に入信し教義を学ぶということを好まない。

近年では宗派、宗教に拘る方が多くいらっしゃいますが古くは『無宗教者』が普通で何を祈る?となれば“自然宗教”「ご先祖を大切にする気持ちや村の鎮守に対する敬虔な心」、すなわち『先祖崇拝』なんです。

沖縄では、ミックス文化=沖縄にある純粋な信仰に、仏教や道教の影響を多分に受けた『混合宗教』に成るのです。

“自然宗教”=物には神様が宿る。+『先祖崇拝』=沖縄独特の宗教になるのです。

それに加え、他の地域と大きく異なるのが、女性が祭祀(さいし)を取り仕切る点。沖縄では女性が霊力を持つと考えられ、男子禁制の霊地が存在する。今も「ノロ」と呼ばれる神女が集落の祭祀を司る地域があるほか、シャーマンである「ユタ」も庶民の信仰に大きな影響力を持っている。大まかな沖縄の習慣、宗教観です。

本題に入り『そのやり方に対して特定の宗教名とか宗派名などあるのでしょうか?(○○宗・○○教など)』

特定宗派や宗教は無いに等しいその家の文化で近くの坊さんやお寺さんに頼んだりする。だからと言ってその宗派に属しているのではない。「近くに在るから頼む」という感覚でしかない。その状況に応じて「ユタ」が出てきたらりするので複雑。

「この先両親に万一の事があった場合」ですが…
ご両親が沖縄の墓に入る場合や沖縄で葬儀する場合は家長若しくはそれに近い人に相談して「その家の遣り方を聞くしか在りません。(家長の奥さんなどの女性です。そのような取り仕切りは女性ですので必ず面倒見のいいおばちゃんや親戚がいる筈です。・・・男連中は役に立たない!と言うより女性が強いのです。)

内地で葬式をするのでした。何でもいいのではないでしょうか?(地域を外れた“郷に従え”も沖縄流の考えも在りますので・・・)

親御サンとご相談するか!普段の会話で墓をどうするかなど聞きだしてご希望に添うようにしてあげてください。

私も関東に出てきて“ご先祖の仏壇”を誰が持つか?で揉めた経験があります。私的には問題は無いのですが…ご先祖様を沖縄から出すとは何事!と親戚から言われ現在、弟の狭い家に置かれています。^^;
誰も見る人がいないなら持ってくるでしょうが…ケースバイケースなんですよね。

長々とすみません。分らない点があれば補足ください。

この回答への補足

とてもご丁寧なご回答ありがとうございました。

補足日時:2005/03/05 06:15
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Q丁寧な言葉で「教えてください」を表現するには?

おはようございます。
こちらではいつもお世話になっております。

こちらを利用していていつも気になってしまうことがあるのですが、質問をするときはほとんど必ず「教えてください」という言葉が質問文に入りますよね。
この「教えてください」という言葉、個人的にはそのまま書くとあまり丁寧ではない響きに感じます。

●質問●
そこで質問なのですが、丁寧な言葉で「教えてください」と伝えるための表現にはどのようなものがあるでしょうか?

できれば↑のように「どのようなものがあるか」と問うことで教えてもらうというものではなくて、「教えてください」という言葉にそのまま換われる表現を知りたいです。
また、国語のカテゴリで質問しているのに恐縮ですが、文法的に間違っていたとしても一般的に違和感のない表現であれば構いません。

みなさんが普段使ってらっしゃる丁寧な表現をぜひ知りたいです。
よろしくお願いいたします。

※「ご教示願います」という言葉も見かけるのですが、目上の方には使いにくい響きがある気がしてしまいます。この言葉の言い換えや言葉尻を変えるだけで言いやすくなる…なども教えていただけると助かります。

おはようございます。
こちらではいつもお世話になっております。

こちらを利用していていつも気になってしまうことがあるのですが、質問をするときはほとんど必ず「教えてください」という言葉が質問文に入りますよね。
この「教えてください」という言葉、個人的にはそのまま書くとあまり丁寧ではない響きに感じます。

●質問●
そこで質問なのですが、丁寧な言葉で「教えてください」と伝えるための表現にはどのようなものがあるでしょうか?

できれば↑のように「どのようなものがあるか」と問うこと...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

「教えていただけますか?」

が一番です。
女性的な上品さを持ち、かつ簡潔で、ひらひらした装飾部分がなく、理知的なイメージを与えます。

やや、丁寧なヴァリエーションは
「教えていただけますでしょうか?」
があります。

ここまでが限度ですね。それ以上の敬語(丁寧語)の装飾を施しますと、妙に軽薄なオーラが漂います。

ちなみに「ご教示」という言葉は、漢語ですので、男性的な堅さを醸し出します。女性にはエレガントではありません。

また、「~ませんか」「~ないでしょうか」という否定語との複合語は、相手に「~してくれないということはありませんよね」という二重否定の婉曲表現になっていますから、遠まわしで、素直な感じがしません。ここは素直に「~くれますか」といった肯定形が、率直でストレートに伝わります。

要は好き好きですので、ご参考になさって下さい。

Q琉球の兵が薩摩に対抗できなかった理由 1609年

1609年に薩摩の兵3000が琉球に侵攻し4000の琉球の兵が破れて和睦のあと支配されることになった件で疑問があります。
帆船で長期航海を行い(激しい船酔いや士気の低下も想定される)、兵糧も十分ではなく土地勘もない薩摩の兵が、なぜ琉球を短期間で侵略出来たのでしょうか?琉球の方が交易も活発で薩摩よりも豊かであるような気がします。また薩摩は関ヶ原で直前に兵力を失っているとも思えます。
なぜ薩摩が琉球に侵略できたのでしょうか?琉球の兵力、軍備、他国との戦闘(琉球が他国を侵略したような事実もあれば)など付随する情報がありましたらお願いします。薩摩側の被害も教えてください。

Aベストアンサー

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で着き、次の沖縄本島にも1日で着いています。
島々での戦闘があったから薩摩から沖縄本島への到着は20日以上かかりましたが、航海日数だけで言えば必ずしも長くありません。これを長期航海と呼べるのか・・・私は疑問に思います。
また、薩摩は朝鮮出兵で水軍を出していますし、関が原の戦いにおい残存部隊が本国に戻る際には、海路であり黒田水軍と戦ってもいます。豊臣政権以降の薩摩の兵は海路を利用して派兵される事が多いので、船に慣れている者も多いと思います。

2.兵糧について・・・薩摩は琉球遠征にあたり五ヶ月分の兵糧を用意しました。3月4日に出航し4月初めには琉球は降伏しています。1ヶ月で戦いは終わっており、薩摩軍の兵糧が十分ではないというのは疑問です。

3.土地勘について・・・琉球を攻めるにあたり、水先案内人としてトカラ列島の七島衆が薩摩に味方しています。

4.豊かさについて・・・琉球が降伏した後、薩摩の検地では琉球は11万3千石と出ています。当時の島津は58万7千石ですから、琉球の石高は薩摩の五分の一です。石高から言うと、琉球が薩摩より豊かであったかについては疑問符が残ります。

5.兵について・・・諸説ありますが薩摩は関が原で1500の兵を動員し、三分の二を失ったと言われています。ただ、薩摩の石高から言えばもっと兵を動員する事は可能でした。例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵では1万人の動員を命じられています。兵士の動員方式に百石三人制というのがありますが、これを薩摩に当てはめれば1万7千人は動員可能であり、しかもこれは限界の数値ではありません。関が原で薩摩が兵を失ったのは事実ですが、薩摩の動員能力から言うと、損害は少ないものでした。

6.薩摩の損害は100から200人ほどだそうです。

琉球軍の敗因・・・まず琉球王国の一角を占めていた奄美諸島では、薩摩の鉄砲にしてやられました。
奄美大島では島民3千人を集め砦を築いて薩摩軍に抵抗しようとしましたが、薩摩の鉄砲に敗退しました。
「棒の先から火が出る武器に驚いて逃げ去った」とか、徳之島でも「目にもとまらず棒の先から火が出て打ち倒した」とあり、どうやら奄美諸島の人達はあまり鉄砲の事を知らず、その威力の前に敗退したようです。
沖縄本島の場合は、作戦ミスです。
琉球軍は北部の良港である運天港を守るために千人の兵を今帰仁城に配置しましたが、まずここを薩摩軍に攻められ壊滅します。
薩摩軍はその後、読谷山の付近で海路、那覇港へ向かう部隊と、陸路、首里へ向かう部隊の二つに分かれ、二方向より進撃します。
琉球軍は薩摩軍が那覇港に来ると思い三千の兵をここに配置し守りを固めていました。薩摩の水軍はその那覇港の守りの堅さに一度は敗退しています。
しかし、琉球軍は陸路、進撃してくる薩摩軍の早期察知には失敗しており、気付いた時には手遅れで首里目前でこの薩摩軍を食い止めるには兵力が100人ほどしかなく、この部隊も結局薩摩軍に壊滅させられました。
そして首里に迫った薩摩軍に琉球の王は降伏を決断します。
つまり琉球軍は多いとは言えない貴重な防衛戦力を北部に派遣して各個撃破され、情報収集を疎かにして薩摩の進撃路を読み誤って陸路の防備を疎かにし、薩摩軍に敗北しました。
つまり琉球軍は情報と兵力の集中に誤りがあったための敗北です。
なお、沖縄本島の戦いでも薩摩の鉄砲に痛手を受けたようなので、薩摩の鉄砲にしてやられたという部分もあるかと思います。

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で...続きを読む


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