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ある哲学人間に運命はないと否定されました。

でも、流されて行き着いた未来も、自由に自分の行動で得た未来も、運命じゃないかと思うんです。

"運命が変わった"といった実感ができない以上、どうであれ運命はあるんじゃないでしょうか。もしくは、運命があると断定はできないから、運命はない、もしくは分からないとしかいえないのでしょうか。

この世の物がすべて物質で、きまった物理的化学的法則でうごめいているならば、決まった結果になるのは当然だと思います。

まぁ、私は霊的な何かを信じたい性質(たち)ですが…

感覚的でも哲学的でもいいので、
回答お願いします。

ここで、あなたの回答をもらうのも、
また、運命のような気がしてならないの…。
(なんちゃって

A 回答 (20件中1~10件)

運命って、目に見えるモノでもなく、それを確認する術も無いワケで、、


「ある」or「ない」のどちらかに決めるのは難しいかもしれないですよね。。
でも、私自身は運命ってのは「ある」と感じてますよ♪

人生には分岐点がたくさんありますけど、そこでどの道に進むかによって
全然違う人生を歩むことになるわけですよね。
もしかすると逆の道を選んでいたら…と考えると今とは全然違う生活を
送っていたかもしれない。。。そう思うと、分岐点でどの道を選んだか…
それさえも運命のように思えて来るんです。

予め引かれているレールの上を決められた通りに歩くのが人生ではなく、
歩いて行くうちにいろんな障害や分岐点に立たされ、そこで悩み、考え、
人それぞれの道を選んで歩んで行く訳ですから…。
そして、その道を選んだことで新たな出会いがあったり試練があったり…
何もかも運命かな~って感じがしてしまいます。

ただ、運命を「ある」「なし」で答えることは私には難しいので、
個人的には運命は「信じる」「信じない」のどちらかになるのかも…とも思います(^^*)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今の人間にはわからない気がします。
でも、わたしはある気がしてなりません。

お礼日時:2005/03/07 14:54

全く同感です。

そして「霊的な何か」との事ですが、霊とは不可思議な何かではなく、「科学で割り切れないだけの」何かだと思います。
どう転んでも運命は運命のままである、という気がします。まるでロールプレイングゲームの中の主人公のように、巨大な何かに動かされているのではないか、と。どう操作されて何処に行き着いても、結局はゲームという運命の中にいるのではないかと、そう思ったりします。

また、何かで読んだ話ですが「天命」は生まれ持ったものだから変わることはないが「運命」は自分で変えられる、という考え方もあるようです。一般的にはここで言う「天命」がいわゆる運命なんでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。私は人間というか、この世に息づくものはすべて天命なんじゃないかと思っています。この場合は人間の命をかっこよく表現するものだと思いますが…。何もかも天命でなのでしょうか。

お礼日時:2005/03/07 14:58

運命の前にないかがあるとかないとかをどうやって決めているかというのが問題だと思います。

私はあるとか存在するというのは、その対象がそれ以上わからない(或いは分解できない)ものである時だと思っています。このように考えますと,だから運命というものが存在するとすればそれはわからないものですし,もし説明ができてしまえば運命というのは分解というか解消というか,要するにあるように思えたのは錯覚というか、別の要因の組みあわせであったということになると思います。結局,何を言っているのかわからない回答になったと思いますが,このことは、運命に限らず,ありとあらゆるもの,例えば、私でもあなたでも,言葉(或いは言葉の対象)については全てのことに言えるということです。自分などはその際足るものです。絶対自分というのはわからないです。分からないから自分でいられるというのは面白いとも思いますが,自分の頭が良いと自認している人には不愉快なことかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

結局、わからないんでしょうか。

お礼日時:2005/03/07 15:00

 運命を「定められた、もしくは何かに導かれた未来」もしくは「未来を導く何らかの力」みたいな意味で使っていると思っていいでしょうか?それを前提に私なりの考えを述べてみたいと思います。



 と、その前に。
>この世の物がすべて物質で、きまった物理的化学的法則でうごめいているならば、決まった結果になるのは当然だと思います。
 についてですが、現在量子力学と呼ばれる分野では、この「決まった結果」が確率で論じられます。
 例えて言うと、ある地点からある角度でボールを投げるとします。このとき、投げる力・周囲の環境など全ての条件がまったく同じだったとしても、落ちる場所がまったく同じにならないのです(てきとうな説明ですみません)。
 何故かは分かっていませんが、残念ながら(?)これを証明する証拠はいくつか出ており、逆にこれが間違っていると言う証拠は一つも見つかっておりません。

 こういったことをある程度勉強してしまった身としては、運命はないんじゃないか、と思わざるを得ません。
 科学が万能でないのは百も承知ですが、古今東西の頭のいい人悪い人皆の知恵と知識によって現在の科学が成り立っていることを思うと、信じるに足るのではと思っています。
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この回答へのお礼

 私は、運命を"未来を導く何らかの力"も含みますが、ものがたどり着いて今にいたっている、その未来は決まりきった法則にもとずいているのではないかという意味で考えて見ました。

まず、量子力学はまったくわかりませんが、人間に完全に同質な環境で実験をするのは無理だと思います。

バタフライ効果というのを聞いたことがありますが。北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークの天気が変わるかもしれないといった…些細な因果関係のことを表しているみたいです。
 この世のアナログを、誤差のないデジタルみたいにきっかりしたものとして、ミクロの原子がどの方向に動いているといった事を含めた、全てを同質にして実験したのならばいいのですが、人間に作り出す環境にはどうしても限界があるでしょう。部屋の中の水素原子を同じ数にきっちり分けることさえ、人間には無理ではないでしょうか。しかもその水素原子は同じ方向に運動していなければ同質とはいえない。
 でも、そんな些細な動きがすべて決まりきった物質の中の一つに、この世界を当てはめたならば、今、ランダムに選出されているように見える未来の物事は、そういった超ミクロ世界の科学的な部分で、きっちりとした方向性をもっている気がしてならないのです。

そういった原子とかわけのわからない物質の動きが、やがて単細胞生物を生み出し、どうのこうの…ってなったとしても、世界が存在しはじめた時(があったなら)から、決まった法則にのっとっていると言えるのではないでしょうか。

私の話は壮大すぎるのでわからないでしょうか。

お礼日時:2005/03/07 15:23

たとえば、あなたが一人生まれるまでに何人の人が必要なんでしょう。


両親で二人、両親が生まれるのに四人・・・
10世代さかのぼって最低1024人
出会うための人まで入れると大変な数の人間が絡み合ってあなたが生まれました。
そして、あなたが育っていく過程に於いて影響を受けたであろう人たち。学校の教室で右の人、左の人なぜその人はあなたの隣にいるのでしょう。

偶然そこにいる?
偶然と言うには数が多すぎませんか。
このようなものが運命ではないでしょうか。

早く死ぬ人もいますが、それも運命、その人の寿命です。
決まっているんですよ。生まれたときから。
事故だろうが、自分で決めようが決まった寿命です。
いつ寿命が尽きるのか我々は知ることは出来ません。
いつ来るか分からないし、必ず訪れます。死なない人はいませんから。
だから、前を向いて一生懸命生きましょう。それも運命です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかにどうあれうんめいのような気がします。
過去をくやむのもまた運命…。今より良い方向に、自分の命を運ぶことも、また選択した運命で、頓死しても運命のような気がしてなりません。

お礼日時:2005/03/07 15:33

こういうのはどうでしょうか。



人には「天命」と「運命」がある。
「天命」とは生れ落ちたときからある天から与えられた「使命」のこと。
これを成すために人は人生を生きている。
「運命」とは「天命」を果たすための道のり。
どんな道をたどろうとも、最終的に「天命」を果たせばよい。
「天命」=目的地は決まっているが、「運命」=過程は決まっていない。

どうでしょう?
あ、ワタシ自身も「神(絶対神とか)などいない」派です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私もSFや神秘的なものは好きなので、こういった類のものは大好きです。(過程も目的も定まっていると思いながらも)今をよりよくし、未来を築き上げたいと思っています。

お礼日時:2005/03/07 15:39

わたしの中では運命は変えられるもの、宿命は変えられないもの、天命は天が人に与えるもの、という感覚です。

例を挙げるとどこの会社や大学に入社・進学するかが運命・人は200年も300年も生きられないのが宿命・一国の最高権力者になり人々を幸福にするのが天命――という感じですかね。
わたしも霊的な存在をあまり信じない性質です。困難に遭遇すると思わず頼りたくなりますが(笑)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そういった考え方をする人は多いみたいですね。

お礼日時:2005/03/08 05:20

まず運命という言葉の意味の認識が皆さんそれぞれ、


違うかと思いますが、個人的見解を書かせてもらいます。

まず、運命が決まっているかどうか。
・・決まっていると言えば決まってると思います。
例えばタイムマシンで未来に行ったとします。
そこで見たものが運命の結果と言えると思います。
ここで私が回答しているのも運命です。

運命を変えられるか?
それは未来や物事の法則を知らないとできないので、
現時点では無理だと思います。

例えば、もし私が未来に行って、
交通事故に合って死ぬ自分を見たなら、
家にでも閉じこもって回避すると思います。
となると、家にでも閉じこもって回避する、という行為が、運命を変えるという事になると思います。

ただそうする事で一説によると、
交通事故で死ぬ私がいる世界は、
パラレルワールドとして、もう1つの世界として、
存在しつづける事になってしまいます。

という事で、現時点では安易にこうだと決められる
ものではないんじゃないでしょうか。信じる信じないの次元だと思います。

人と人との出会いを、運命だと思って大切にするような考え方は、脳に良い影響をあたえるんじゃないかなと思います。
みなさん不幸にならないように努力しましょう。
自分の未来が幸福である事を願って。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

未来を予知して変える事、
それ自体が運命になるのではないでしょうか。

交通事故で死ぬ世界は存在しなくなりませんか。

お礼日時:2005/03/08 05:23

運命があるかないかを議論しても意味がないと思います。

そんなことは誰にも分からないでしょう。

要は個人としてどちらの考え方をとるかということで、自分は運命はあると考えるのが好きなほうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

誰にも分からないかのがなぜなのかわかりません。

お礼日時:2005/03/08 05:24

私は運命はあると思っています。


運命を書き下し文にすればさしずめ「命を運ぶ」と言ったところでしょうかね?
そもそも何故この世界はあるんだろう?
最初の生き物の命はどこから来たんだろう?
そう考えるとまさに今自分が生きている事が「運命」のように思えるんです。
だから運命はあるんだ、って思いたいのはちょっと単純すぎますかね?(苦笑)
でも信じたいです。


ただ一つ己を戒めるのは何か悪い事があったとき
「そうなる運命だったんだよ」
と「運命」を言い訳に使わないようにすること。
何か大きな力のせいにするのは楽だけど、それじゃ「自分」は進歩しないよな…、と己を見つめなおす事にしています。


最後に蛇足ですが
「運命のタロット」(皆川ゆか著・講談社X文庫刊)
はライトノベルながらも真剣に「運命」について考えさせられる物語なのでオススメしておきます。
もしご縁がありましたらどうぞv
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私は逆に運命だと感じることが出来れば、
妙にわずらわしい気持ちがなくなるので、
そういった点では良いのかなぁ、と思ったりもします。
運命のせいだったから、
諦めよう…反省するのはやめよう
…必ずしもならないで、
悲痛な運命に、真理で対抗できるわけで…
命が運ばれた、たんなる結果として、
みつめられるという利点があると思います。

タロットカードは結構好きです…
見つけたら手に取ってみようと思います。(本

お礼日時:2005/03/08 05:30

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