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運命って、どうして人によって違うのでしょう?

病気のため、成人せずに短い一生を終えてしまうかたがいる一方で、
健康で長寿の方もいらっしゃいます。

私(30代前半)は今年、癌を宣告されました。
幸い早期発見だったため、大事にはいたりませんでしたが、
同じ病に冒されながら、発見が遅かったため、私より若くして
お亡くなりになられる方もたくさんいらっしゃいます。
癌を宣告されてから、「同じ人間なのに、どうして運命に
こうも違いがでてくるのだろう?」と考えるようになりました。

明確な答えなんて永遠に分からないのかもしれないけれど、
どうしてひとによって、運命って分かれるのでしょうか。
是非、みなさんのお考えをお聞かせください。
(「前世」とか「先祖の因縁」と言ったお答えなら、ご遠慮ください。)

A 回答 (11件中1~10件)

#6のDanielです。


ごめん、その後別の視点で考えた。

≫運命って、どうして人によって違うのでしょう?
人が、生きていく過程で、「選択」をするからです。

例えば、同じ日、同じ地域、同じ性で産まれた人は、最初は平等な運命を持っていたとしても…
ある人は、左の可能性を捨てて、右を選んだ。
ある人は、右の可能性を捨てて、左を選んだ。
「選択」という行為は、選ばれなかった可能性を捨てるという事。
人は、産まれながらに、沢山の可能性を持っています。
それは、産まれ付きのハンディも、才能に変える可能性を持ってます。
でも、人は壁にぶち当たる度に、選択をして、可能性を捨てていきます。
未来は無限にあるのではなく、選択をして、段々と1本の線にしていく。
死に向かって。
「今、無理をする」選択を続けていけば、身体を壊す?
「自分を護る」選択を続けていけば、友が去る?
「勉強しない」選択を続けていけば、職業選択の余地がなくなる?
可能性は、生きている限り0には、ならないけど、概ね道が決まってきますよね。

でもそれは、「過去の自分が好んで選択した路」の延長。

過去の自分が、過去の人々が、選択した結果が、同じ人間の運命を、こんなにも変える。
アジアで羽ばたいた蝶が、地球の裏側で嵐を起こす。

こんな視点は、如何ですか?
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 運命というものを分かり易く言えば、「因果の法則」と言ってもよいでしょう。

結局、善因は善果をもたらし、悪因は悪果をもたらすという至極当たり前のことであり、これはすべての人に貫かれている法則であり、誰もこれには逆らえないのです。つまり、原因と結果は決して切り離すことができない鉄則なのです。
 ただ人は往々にして自分が作った原因のことは忘れて、そのもたらされる結果に一喜一憂しては、それが自分以外の何ものかによってもたらされたと思いがちになるのです。ともかく、良きにつけ、悪しきにつけそれらはすべて自分自身が為したものであるということなのです。
 しかもこの因果は過去、現在、未来というように連綿と途切れることなく続くのです。そして、その中で様々な因を積んだり、それに対する様々な果を報いとして受けていくのです。
 ですから、生まれ出てくる赤ん坊は、それがその人生のスタートにもかかわらず、子供によっては平和な国に生まれるものもいれば、戦乱の絶えない国に生まれるものもいるし、たとえ平和な国に生まれても金持ちの家か貧乏の家か、あるいは病気持ちか、健康か等々、様々な差別が生じるのです。つまり、その子供たちはその差別の結果をもたらした原因を生まれる以前に作っていたということなのです。もし、前世を否定すれば、この差別は一体どこから来るのかということになるのです。因も無しに結果だけということはありえませんから、その赤ん坊の生まれる前に原因を求めたとしても何ら合理性に反することはないのです。
 ともかく、我々が為す善悪の言動は因としてその生命に刻まれ、その未来に結果として影響していくので、当然、十人十色の言動があれば、それなりに運命も分かれることになるのです。
 いずれにしましても、人に対しての善悪も、自分自身に対しての善悪も結局、未来の自分に返ってくるので、他人に対しての善意善行は当然のこととして、自身に対しても悪しき否定、悲観は避け、プラス思考、楽観主義を貫いて善因ばかりを刻んでいくべきかと思われます。
 ともかく、我々自身が幸福にするも不幸にするも、その運命の唯一の支配者であるということです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
お礼がおそくなってしまい、申し訳ありません。

皆様からいただいたご回答を、ひとつひとつ熟読させていただき、
考えておりますうちに、すっかり時間が経ってしまいました。

また、考えながらお礼を書くのも、私には時間を要することで
ございます。

大変申し訳ありませんが、必ず返礼させていただきますので、
いましばらくのご無礼をお許しくださいませ。

                    
                      2008/10/18  

補足日時:2008/10/18 21:51
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Q、なぜ、人の運命は異なるのか?


A、偶然の悪戯です。

平安末期の混乱に生れてくるのか?
それとも、アフリカ難民の子として生を授かるのか?

人が子を産み、新しい世代が誕生してくるのは必然。
ですが、いかなる必然も偶然を媒介にしてしか出現できません。
で、どういう時代にどういう事件に遭遇するのかも必然と偶然との兼ね合い。
江戸時代人が車の交通事故や飛行機事故で不幸にならなくて現代人がなるのは必然。
だが、どこの誰がどのような事故に合い不幸になっていくのかは偶然の悪戯。

1、個人的な資質と努力。
2、社会的・時代的な要因。
3、突発的・偶発的な要因。

この3つが入り混じって人生の幸・不幸ってのが決まります。
で、3分の2は「偶然の悪戯」と形容できます。

Q、なぜ、選ばれたのか?
A、理由もなく偶然によって選ばれたということです。

で、偶然というのは非情ですから・・・。
不幸と言えば不幸ですね。

この回答への補足

再度のご回答、誠にありがとうございます。
お礼がおそくなってしまい、申し訳ありません。

皆様からいただいたご回答を、ひとつひとつ熟読させていただき、
考えておりますうちに、すっかり時間が経ってしまいました。

また、考えながらお礼を書くのも、私には時間を要することで
ございます。

大変申し訳ありませんが、必ず返礼させていただきますので、
いましばらくのご無礼をお許しくださいませ。

                    
                      2008/10/18  

補足日時:2008/10/18 21:49
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運命と言っても結局は遺伝子の問題になってくると思います。

進化医学の本など読んでみると納得できると思います。

多様性が無いと全滅する可能性がありますから、いろいろな遺伝子を持った人々が暮らしているのです。その誰かの遺伝子はそのときの環境によって良くも悪くも働きます。ある条件下では有利でも、ある条件下では不利になります。

環境と遺伝子のマッチングで運命が変わってくるのでしょう。これは自分のご先祖様がどんな環境で暮らしていたのか、今の自分がどんな環境で暮らしているのかで大きく変わってくると思います。(ちょっと先祖の因縁がはいったかも)

生物は進化のために多様化と自然淘汰を必要としているのです。人間は頭が良いので人々は平等であるとか、平均などと言う数字を作りだし、自らを悩ませているのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
お礼がおそくなってしまい、申し訳ありません。

皆様からいただいたご回答を、ひとつひとつ熟読させていただき、
考えておりますうちに、すっかり時間が経ってしまいました。

また、考えながらお礼を書くのも、私には時間を要することで
ございます。

大変申し訳ありませんが、必ず返礼させていただきますので、
いましばらくのご無礼をお許しくださいませ。

                    
                      2008/10/18  

補足日時:2008/10/18 21:46
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aoichan24様


仰るように永遠に答えの無い問い掛けとも考えられます。
アリストテレスが論理学を科学として認め、修辞学を捨てて以来人間は「名前」をつけると相手を征服したと考えるようになったと思っています。(物理学でクォークと名付けたものにまで迄辿り着きましたが、未だ分からないものがあるでしょうね。)
ご質問を逆に考えると、一人の人間の出発点から、終着点までを「運命」と名付けた。一人一人の出発点から、終着点まで同じと言う事はありえません。全ての人は各個人の道程を持っています。この道程を「運命」と名付けた。従って、時間軸の今より先に起こることは人間には分かりません。この道程の変更が可能か否かは恐らく議論の分かれるところと思われます。そこで“運命を切り開く”等と言う言葉が出てくる余地を与えられたのでは?(ジョー・タイターが時間旅行者か否かは不明ですが。)
運命が「前世」とか「先祖の因縁」で決められていると考えると、一番最初の人間のものを我々が全て背負っていると考えざるを得ないのではないでしょうか?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
お礼がおそくなってしまい、申し訳ありません。

皆様からいただいたご回答を、ひとつひとつ熟読させていただき、
考えておりますうちに、すっかり時間が経ってしまいました。

また、考えながらお礼を書くのも、私には時間を要することで
ございます。

大変申し訳ありませんが、必ず返礼させていただきますので、
いましばらくのご無礼をお許しくださいませ。

                    
                      2008/10/18  

補足日時:2008/10/18 21:47
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

おっしゃる通り、すべての物事は名前を持って、はじめて認識されるのかも
しれません。もし、人の一生のプロセスを「運命」と名付けなければ、
私達はひとりひとりの人生の違いについて、そう深く考えることもなかったのかも
しれませんね。

本当に、未来のことは誰にも予測できないし、この先の道程が、もうすでに
決まってあるのかどうかは人によって議論が分かれるところですが、
私は時々、ふと思うことがあるのです。おおまかな流れというのはもうすでに
決まっていて、その流れから逸れないように、私たちの言動、思考も
あやつられているのではないか・・・、と。

ただ、「運命は、もうすでに決まっているのだから。」と努力を怠るのではなく、
生きている限り、努力は一生懸命しなければいけませんね☆

お礼日時:2008/10/27 22:02

何で3cmは3インチや3寸に勝てないんだろう?


同じ3で、同じ長さの単位なのに。

で、悩んでませんか?
同じモノを比べてる心算でも、よく見れば、同じに分類出来ないもの。
言葉の綾で、つい同じモノに見えてしまうもの。
人間なんて、精神レベルでは、みんな別な生き物ですよ。
スタート地点も違えば、目指すゴールも違う。
目的地への、アプローチ法だって違う。
何もかも違うのに、同じ単位だから、比べてしまう。

一人一人、世界の見え方って違うものだと思います。
こういう「答えの無い問題」って言われるものは、実は立体的な形をしている問題なんじゃないかと思ってます。
貴方の立ち位置からこの問題を見ると「同じ物の様に見える」のに、違う結果が生まれる。
俺の立ち位置は、貴方と、「問題を挟んだ後ろ側」から見てるので、「別な物の様に見える」
当然、貴方の立ち位置からは、問題の後ろ側は見えません。
でも、相手の立場に立ったら、何となく言ってる事が解かる。つまり「そう見える」
この問題を、上から見たら「前世の因縁」の様に見えたり、下から見たり、横から見たりすると、違う形をしているんだと思います。
貴方の立ち位置から、もっと近い位置や遠い位置から見ると、貴方の意見に同意する、回答が来ると思います。

色んな立ち位置に立ってる人の「見え方」を聞いて、「全体の形」を想像すれば、いいんじゃないですか?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
お礼がおそくなってしまい、申し訳ありません。

皆様からいただいたご回答を、ひとつひとつ熟読させていただき、
考えておりますうちに、すっかり時間が経ってしまいました。

また、考えながらお礼を書くのも、私には時間を要することで
ございます。

大変申し訳ありませんが、必ず返礼させていただきますので、
いましばらくのご無礼をお許しくださいませ。

                    
                      2008/10/18  

補足日時:2008/10/18 21:45
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。

そうですよね。おっしゃる通り、人それぞれの人生は
はじめから比較できないものなのかもしれません。
ただ、自分が比較的順調な時は、あまり考えないけれど、
逆境に陥った時は、どうしても他人と比べてしまって、
自分が持っていないものを持っている人を、幸福そうだと思ってしまいます。
病気の時は健康な人を、子供が欲しくても授からない時には、子供のいる人を。
そうではなく、たとえどんな苦難に遭遇しても、「私は私。」と、
常に超然としていることができたら・・・。そんな人にならなければ、
いけませんね。

おっしゃる通り「答えの無い問題」って立体的な形をしているのかも
しれませんね。同じものを見ても、私の立っている位置からと、
別の人の位置からとでは、全く異なって見えることもあるのかも
しれません。
ただ、常に他人の意見に耳を傾けることって、大切ですよね。
たとえ自分の立ち位置からでは、そう見えなくても、
別の人の立ち位置からでは、そう見えることがあるのねと、
自分とは異なる考え方も柔軟に受け入れる人になりたいですね。

お礼日時:2008/10/20 16:51

これは難問ですね。


永遠の問いというもので、明確な答えはないと思います。
ですから、私なりに思うことを書きますね。
何かのヒントあるいは参考になれば幸いです。

病気のため、成人せずに短い一生を終えてしまうかたがいる一方で、
健康で長寿の方もいらっしゃいます。

こういう場合、ただの偶然という回答に納得できるなら、運命という言葉を使う必要はないと思います。むしろ、こういう違いの出る理由が分からなくて、どうしても心から納得できないから、人は運命という回答をだして心を納得させようとしてると思います。

詳しく言うなら、自然科学的な因果関係の理論では、人間の心を納得させる答えは出ないのです。たとえば、遺伝と環境と偶然の違いで、こういう違いができると説明されても、それでも何故、こういう不平等な違いがでるのかと思うのが人間の心というものです。

それに対して、運命という考え方には自然科学的な因果関係の理論を超えたものがあります。だから、運命という考え方にはどこか神秘的で不思議な要素があります。つまり、偶然の奥に何か人間には分からない意味があるのだろうという感覚です。そして、運命というのは理由が分からないからこそ、人間を惹きつけるとだと思います。仮に運命を前世や因縁などで説明すると、途端に安っぽい答えになると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。

そうなんですよ~。遺伝と環境と偶然云々と、いくら自然科学で
説明されても、じゃあ、なぜ、その人には、その遺伝子が与えられ、
その環境が与えられることになったのか? これが一番、知りたい事なんです。

他の回答者さまへのお礼にも書かせていただきましたが、
いろんな方の人生を比べると、不平等だなと思う事がたくさんあるのです。
もちろん、これは私だけではなく、世の大半の方が感じておられるのでしょうけど。
あきらかに、人間の運命は、「明」「暗」分かれると思うのです。

もちろん、人間すべての運命が同じなら、人間は絶滅してしまいますし、
個性がなくなってしまいます。なので、それぞれの人生が一様でないことが
自然の摂理なのは分かります。
でも、「明」の人生を与えられた人たち・・・。なぜ「明」の人生を生きる人たちに
その人たちが選ばれてしまったのか。
そして「暗」の人生を与えれた人たち・・・。なぜ「暗」の人生を生きる人たちに
その人たちが選ばれてしまったのか。
一番知りたいのは、このことなんです。

確かに、hisya さまのおっしゃるように、「運命」という考え方には、
どこか神秘的で不思議な要素がありますよね。
おそらく「運命」は、どんなに科学が進化しても、生きている人間には、
永遠に答えの出せない謎なんでしょうね。

お礼日時:2008/10/18 21:40

福岡のおじさんです。



難しくないですよ。
SMAPですよw

生まれた境遇。
育った環境。
生活習慣♪

それぞれ違うはずですよ。
これらによって、みんな感じ方も違うから「世界にひとつ(一人)だけ・・・」なんじゃないですか?

もちろん、タイミングもありますけどねぇ♪
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この回答へのお礼

なんだか楽しくなるようなご回答、どうもありがとうございます。
nanotuswee さんの明るいお人柄が伝わってくるようです♪

そうですよね。すべての人の運命が同じなら、人間ではなく
機械になってしまいますよね。
幸せな人生を歩む人がいて、不幸な人生を歩む人がいて、
それぞれが「世界でひとつだけ・・・」なんですよね。

でも、幸せな人生でも不幸な人生でも「世界でひとつだけ・・・」
なら、幸せな人生を歩みたいですね。

お礼日時:2008/10/17 22:32

ちと宗教くさいかもしれませんが。



人は生まれたとき「天命」を与えられている。
これは文字通り、生まれてきた意味。これを成すためにこの世に生まれた。
「運命」は命の運用方法。「天命」を成し遂げるための道のりを示す。

「天命」はゴール地点だが、「運命は」至る道。つまり複数の道のりもある。
そういうわけで、同じ「天命」を持った人同士でも「運命」が違うのもあり。

というのが、ワタシの考えです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「運命」が複数ある道のりならば、「運命」ははじめから
一つに決まっているのではなく、ある程度はそれぞれの人が
選択していくものなのでしょうか。

私はたまに、「人間って自分の意思で動いているようだけど、
本当は何か大きな力(?)によって、考えや行動が操作されている
のでは?」と思うことがあります。
「運命」の大きな流れって、もうすでにひとつに決まっていて、
その流れから逸れないように、ちょっとした思考や言動でも
操られているような気がするのです。

もしかしてDESTROY11 さんとは、「運命」に対する考え方が
違うかもしれませんね。

お礼日時:2008/10/17 22:13

運命という語自体があいまいなので、的を射た答えにはなっていないのかもしれませんが、単にそれぞれの人生が違うからではいけませんでしょうか。



病気一つとっても、体質にせよ、その他の外的要因にせよ、何かしらの原因があります。
人それぞれの生き方が違えば、そこから生じる結果が異なるのも当然ではないでしょうか。
それがときに人にとって残酷なものに見えても、世界は人間にとっての益や害を考えて存在しているわけではありません。ただ法則に従うのみです。

不条理というものは確かに存在します。それは私も常々感じることで、それが普段小難しいことを考えるための糧となっているのも事実です。
ですがやはり、ここでいう"条理"も、あくまで人の基準で見たものであって、自然はそのような人の意志とはかけ離れた基準によって動いているのですから、二つの基準の間に食い違いが生じるのは当たり前といえば当たり前です。
ですので、どこかで不幸が生じるのは、ある意味仕方のないことなのです(重要なのはその後の対応をどうするかです)。

感情的にそういったことを認められずに、無理に人間的な"理由"を求めたとき、「前世の因縁」や「たたり」といったこじつけによって、納得しようとしてしまうようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですよね。世界は個々の人間の益や害を考えて存在している
わけではないですものね。だから、”運命の違い”というのは、
人の基準で感じることであって、自然とか宇宙とか言うものは、
もっともっと超越した存在なのでしょうね。(うまく表現できませんが・・・。)

ただ、人間の運命が一様ではなく、それが自然の摂理なら、
なぜ、ある人には、その運命が与えられて、別の人には、別の
その人生が与えられたのかが分かりません。

それぞれの人に与えられる運命って、恣意的に与えられたもの
なのでしょうか。
もしそうでなく、その人に与えられるべくして与えられたものならば、
個々の人の運命を決めるものは、いったい何なのか?
今、一番知りたいのは、ことことでしょうか。

お礼日時:2008/10/17 17:28

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