重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

心は身体と違ってどれだけ傷ついても命に別状はないのに、どうして守ろうとする本能があるのですか。

A 回答 (7件)

質問様は死について考えられたことがおありでしょうか。


例えばの話ですが、、、
質問様が、身体か精神(心)のどちらかを失わなければならない、としたら、どちらを失いどちらを残すことを選ばれますか。身体だけは健康だけれど物を考えたり感じたりすることができない状態と、身体はまったく動かせないが考えたり感じたりすることはできる状態。どちらも「生きている」のですから、「命」はある状態だと思います。

心が傷ついたり病んだりしている状態は、今の質問者様のようには考えたり感じたりすることができない状態です。ある意味で、今の質問者様の考えや感情が失われてしまうような状態と考えることができると思います。それでもまだ、心を守る必要はないと思われますか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/09 01:24

心と身体は繋がっています。


とは、既にございましたので別の視点から。

嫌なことされて、嫌な気分になった。
そのせいで、八つ当たりした。
やろうとしていた事がやりたくなくなった。

辛い目にあった。
何もかも、嫌になった。

と、気分次第で選択が変わったことはありません?



命とは時間。時間は行為。
行為に何かしら影響を与えるのなら、命に別状はあるというもの。

だから、本能は守ります。
    • good
    • 0

心と身体は繋がっているんですよ。



病気の多くはストレスが原因だ
という一言を持って、理解出来る
でしょう。

最近では腰痛でさえ、ストレスが原因
の場合が多いことが確認
されています。

ストレスが原因の下痢もあります。

病は気から、です。
    • good
    • 0

心って言うから情緒的になってしまう。


精神活動も脳ですよ。
脳にダメージを与えるからです。
特に、生命中枢の視床下部が疲弊して、そこにある自律神経中枢もダメージを受けます。
    • good
    • 0

身体の健康より自我の安定の方が大事だからです。


例えば、昔の隠れキリシタンは踏み絵で検査されました。
踏み絵を踏んだら、キリシタンとしての自我が崩壊し
生きてはいけないので、
死罪になるとわかっていて踏んだんです
    • good
    • 0

こんにちは。



いえいえ……(^^ゞ
自殺者の過半数が鬱を患っていると言われています。
心の傷は致命的ですよ。

また、完全に傷が癒えることもありません。
一番想像しやすいものが、戦争の記憶ですね。
PTSDもしかり、親しい者を失った人々の心も同様です。

ご参考までに。
    • good
    • 0

辛いのとか痛いのとか悲しいのとか、そういう苦しみって味わいたくないですよね。


ずっとそんな状態なら、鬱になって死にたくなるし。
だからではないでしょうか?
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

今、見られている記事はコレ!