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正論だとしても 相手には言わない方が良い事ってありますか?

A 回答 (33件中11~20件)

No.10の 夢子ちゃんを見て思い出しました。


 うちの家内の母が彼女に言っていた言葉、「あんたは人に立つ瀬を残すことをしない」と恨み言を言ってました。人の落ち度を話題にするときは追い詰める言い方は避けるべきでしょう。

正論
 安倍さん、菅さんに役人が、「それは出来ません、法に悖ります」なんて言ってたら左遷で地方に飛ばされたんでしょうね。これが政治主導と信じてたんでしょう。田中角栄のように官僚に行政上の問題点を数行に纏めさせて、解決のための政策を打ち出して、細部の肉付けは官僚に任せるのが本来の政治主導だったんですけどね。

洞察にもとずく発言
 後にならないと、その発言が正しかったかどうか分からないようなこと、先見の明なんだけど、同時代の人には理解できないことがあります。私財をはたいても強引に推し進めて、後になって見れば、ここに これだけの道路が有ってほんとに良かった、とかになる場合があります。
 人口が減って高齢化社会になるのに備えて道路整備を今、しっかりやるべき、という論は、所管の省庁、業界は喜んで受け入れたが、
 高齢化社会になって物流を担う労働力が不足するようになるから、第二東名は物流専用の自動化道路にすべき、といった議論は浮いた議論として立ち消えになる。
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正論を言う、ときに「正論を吐く」と言われますね。


正論を主張するのは最小限にとどめたほうがいい、なぜなら、その正論は正論であるがゆえに、相手や周囲に対して受け止め難い状況であることが多いからです。
その正論に感情が入っていると、自己主張が強いとみなされ、聞く人の心は離れていきます。自分にとっても益なし、という場合が多いです。

わたしはいま還暦すぎの退職者ですが、30年間勤めた会社で「正論」を主張、居場所をなくして中途退職しました。上司、同僚には「言っていることは正しくても、言い方というものがあるだろう」とよく諭されていました。アドバイスをくれる人はいいほうで、無視に近い人も少なくなかったと思います。

しかし…自己弁護になってしまうかもしれませんが、「正論」を主張することは大切です。正論にもいろいろありますが、企業が社会倫理にもとる行為をしていたとき、「やめるべきだ」とストップをかけることは、個人を超えて、公の利に資するものです。

日本人は…というと、また反発を食うだろうと推察しますけど、同調圧力が強い社会です。「和を尊ぶ」という評価すべき美点との指摘もあります。ここでいわれる「正論」と「社会正義」は異なっている、そういう考えがあるかもしれないですけど、正論と呼べるものは、たいてい筋が通っていて、容易に反論ができない、そういう意見です。でも、例えば会社経営的、職場事情を勘案したとき、「そりゃ、無理な話だぜ」みたいな空気で否決されてしまいます。

ですから、日本の(企業)社会で、自分の「正論」を通そうとしたら、いわゆる「根回し」がとても重要になるといいますね。支持をとりつけるためにあれこれ策をめぐらす、または互いに傷つかない人間関係の形成に常に努める「活動」と、「人望」の涵養がキモとされます。

わたしは日本以外で働いたことがないので、諸外国の事情にはうといですけど、個人主義が優先とされるアメリカ、欧州でも多少の違いはあればこそ、案外、その国の社会、職場それぞれに”タブー”とされる言動があって、それに触れると正論であろうがなかろうが、「聞かなかったこと」として、排除されてしまうことは少なくないのではないかと推察します。

質問にこたえます。

よほどの「正論」、それを言わないと「後悔すること必定、自分がいらぬ責任負わされるリスク高い」というケース以外は、黙して語らず、静かにその自己の正論・正義に沿って、行動するにとどめておいたほうが、世渡り的には「ベター」です。

しかし、反感を買っても、ひとつの正論が「波」をおこし、波紋を広げ、やがて大きな影響を周囲に与える、きっかけとなることも、この世には存在します。人間社会にはそのような行為も必要です。たとえ嫌われても、言うべきだと考えたことはその場でしっかり指摘する。困難を伴ってもおのれの信じるところを主張する、とても意味深いことだと、わたしは思いますね。あなた(質問者さま)の判断一つです。損得抜きに自由に正論を述べて構わないと思います。他人の一時の評価より、自己がどう生きるかを熟慮し貫く、その価値に勝るものはない、というのがわたしの考えです。
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漱石ではないですが物言えば角がたつ


適当にながすほうがいい
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正論は、時に人を傷つけます。


相手を傷つけてまでも、いう価値がある
そう確信がある時だけに発言するのが、、、もしかしたら、大人の対応かもしれません。
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何を正論とするかにも寄ります。


でも、ところ変われば正義も変わります。たとえ同じ国・同じ職場で働いていても、それは一部が重なっているだけです。
仕事で支障が出ることなら、「コレはこの状態にしてね」という程度。

人格・人生・体格を元に否定することは言ってはいけません。正論でもありませんし。
私は、「こいつのこういうとこ絶対受け入れられない」と思うこともありますが「私は世界中のすべての人が私を正しいと言ってくれるほど、正しい人間なのか。」と考えて、言葉をぐっと飲み込みます。
正論はいつだって、人を優しく包み込んではくれません。正しいだけの人に友達はできません。清い水に生き物は住まないのです。
清濁を併せ持ち、他人の濁りを許容できる人間が増えるように、そうなれるように、他人にも自分にも優しい世の中が来るように、願ってます。
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貴女は女性ですか?


人の考えは多様です貴女が正論と思うことが、
他の人にとって同でしょうか、個人的な価値観道徳的な考えがその人の生い立ちにより違うから多様な寛容さが必要なのです。
一義的な主張でなく、相手の考え方を道日出して、一般六的な正論でなく多様性のいぇでの理解を深めてください(^_-)-☆
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その口調と言うか 言い方による部分もあるし 相手が対等に受け入れするなら言うこともあるかもしれないけど 時には スルーすることも大事だと


思いますね
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追加


田村由美 のマンガ
『ミステリーという勿れ』
って読んでみてください。
真実と事実の違いなど
上手く書かれていますよ。
( 全巻は飽きますから適当に…)
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正論って何でしょう


あなたにとっての正論も
誰かにとっては異論かもしれない。
今、正論と
位置づけられているモノも
近い未来では極論かもしれない。
あなたが
ここで問うてるって事は、
言うことを躊躇うほど
鋭い槍のような言葉なのでしょう
正論は宗教と同じです。
多数派の認める言葉であり
理想です。
何の行為のダメ出しの"正論"か
書かれてないので解りませんが
俯瞰して多角面で考えてください。
あなたの"正論" は
表すことにより、誰か1人でも
得をしますか?
あなたの自己満足だけになるなら
止めた方がいいと思われます。
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あると思います。


その正論がなんの解決にもならず、もしくはなんの救いにもならなく、
単に角が立つだけかも、
と思ったら何も言わないかもしれないですね。
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