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なぜ人は神様(的な存在)を信じるのでしょうか。
私が冷めてるだけなのかもしれませんが、科学的根拠もないし、「○○教を信じた人は無宗教の人より△△」みたいな実績もないのに、なぜ信じるのかな、、と疑問です。

めちゃくちゃ残酷な事件も、神様が本当にいるなら起きないのでは?被害者は救われるのでは?と思ってしまいます。

確かに居ないということも証明できませんが、本当に神様などが存在すると証明されて実績や成果が出ていないのに何故なんだろう、、と昔から疑問に思っていました。

直接人に聞くのは失礼な気がするので、ここで意見欲しいです!

A 回答 (14件中1~10件)

洗礼まで受けられるようにする、一応クリスチャン合格ライン、信仰が薄いと落っこちる、クリスチャンは1日で成らず、イエスキリストを求め

る気持ちが大事、聖霊が降臨、最低10回は聖書を読む!
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神が分らない人が良く質問する、聖霊の働きで神が分かる、つまり神に選ばれていない人達、イエスキリストは新約聖書で言っている、あなた方が私を選んだのでは無く私が選んだからである、未だに99%日本民族は神に選ばれていない。

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この回答へのお礼

選ばれるとは何ですか?そういう指令とかが来るんですか、、?直接話したとか、、?

お礼日時:2021/12/04 12:15

おそらく、一つ二つの理由や事情に絞られるものではなくて、個々にはそれぞれの理由や事情があって、神のようなもの(?)がイメージされるのだと思います。



「……と証明されて実績や成果が出ていないのに」ということであれば、神ではなく、新型コロナ感染の原理でも対策法でも、景気理論でも、多くの経済理論、文学理論、心理学研究、各種の健康法や勉強法、事業成功法、スポーツの強化トレーニング法などでも似たようなものでしょう。

一般的に多いのは、親や先生、周囲の人々が教える、そのような文化が形成されているから、その環境で成長発達する人は、教えや文化から学習するのです。 地球が球形に近い物体で人間はその上で生活しているとか、人間の祖先は地球の誕生と相前後して生まれたものではないとか、200年間も生き続ける個体の人間はいないとかも、自分で確認したり、論理的に思考推察するのではなくて、教えられた、本に書いてあった、ネットで見たなど、周囲の教説をほぼ鵜呑みに(実はかなり誤解して)信じ込むのです。

もちろん、ごく一部の人は、自分で神を認識したりします。 啓示というか、神から直接の教唆・言葉・感覚を得たという人もいるし、いろいろ悩んだり思考したりした結果の統一理論・始原原理として神に思い至ったという人もいます。

「科学的根拠もないし」  ん、ん、ん、、、 
どのようなことを「科学的根拠がある」というのだと思いますか。
https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/di …
科学的根拠に基づく医療とは、「個々の患者の状態や医療が行われる場の特性」や「患者の希望や価値観」、「最善の科学的根拠」を把握し、「医療者の専門性」を考え合わせて治療方針を決定していく医療のことです。科学的根拠は、エビデンスとも呼ばれます。
https://www.comhbo.net/?page_id=3080
「科学的根拠にもとづく医療・サービス」とあらためて聞くと、少し不思議に感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。なぜなら、「医学」とか「医療」というと、もちろん当然のように「科学的」に行われているもので、「わざわざ『科学的根拠』を付けるのはちょっと変」と思われる方もいるのではないかと思うからです。
でも実際は、少なくとも十数年くらい前まで、医療専門家の間では必ずしも「あたりまえ」ではなかったのです。「科学的根拠にもとづく医療」は、エビデンス・ベイスト・メディスン(Evidence-Based Medine)、略してEBMの日本語訳です。
この言葉が医学・医療の世界において、強い支持を得て急速に広まったのは、世界的に見てもごく最近の一九九〇年代、日本では平成の世になってからのことでした。それも、この「あたりまえ」のことが、医療関係者の間でここ十数年間にある面で「熱狂的」に受け入れられてきた事実に注目していただきたいと思います。
科学的根拠にもとづく医療(EBM)とは、直感やあやふやな経験に基づく医療ではなく、科学的に明確なエビデンス(証拠)にもとづいて、最適な医療や治療法を選択し実践するための方法、あるいは行動の指針のことです。
https://www.jst.go.jp/ristex/stipolicy/policy-do …
科学的根拠とは何かという概念が少しずつ変わってきています。医学であれば結核には予防接種と薬が効くというエビデンスで来たけれど、高血圧などの慢性疾患は因子がたくさんあります。どのくらいの人が治り、コントロールでき、あるいはうまくいかないのは確率の話です。同じように科学的根拠についても、これをやれば必ずこうなるというものから、確率論になってきたときに、一般の人々と研究者ではエビデンスというもののとらえかたが違っているかもしれません。
http://www.sci.kyoto-u.ac.jp/ja/academics/progra …
「科学的な根拠がない」とは「今の科学には結論を出すことができない」という意味であり、「正しい」か「正しくない」かを科学には判断することはできず、その材料を与えるに過ぎない。科学的な根拠のない主張を認めないことは、絶対的ではないはずの暫定的な科学の見方を絶対視することになりかねない。
また、科学に答えらそうでも実は答えられない問題は多い。例えば、「因果関係を科学的に証明できない」として与えられてこなかった原爆による被曝認定を求める訴訟は未だ続いている。科学的判断をする上で必要なデータが揃っていないためだ。被曝認定に必要なデータに今となっては集められないものがあるうえ、被曝による健康被害は個体差が大きいので容易に科学に答えを出すことはできない。証拠となるデータが揃っていない問題は、科学には解決できないのだ。
さらに被曝認定も薬害騒動も、因果関係を示すことと同様に因果関係の無さを証明することも難しい。因果関係の有無の境界線の決定もまた科学の対象外なので、科学によらない方法で線引きをすることになる。「科学的な証拠がない」場合でも「正しいかもしれない」ことは無数にある。科学技術は私たちの生活を豊かにしてきたが、その使い方によっては私達の生活を脅かしかねない。「科学的である」ことに頼りすぎてはいけないという認識を一人一人がもち、科学に解決できない領域は科学者でない人も一緒に考えていかなくてはいけない。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3000年前でも、1000年前でも、宗教改革後の500年前でも、第二次世界大戦後・人工衛星が周るようになり・原子力発電や太陽光発電が行われ・高等学校の教科書にヒトゲノム全体に含まれるタンパク質をコードする遺伝子数が記載される時代でも、ヒト・ホモサピエンスの生物的基本特徴はほとんど同じです。 生物としては、基本的に進化しておらず、3000年前も今も、おそらく1万年前でも、「脳」の構造・生理的機能・神経学的構造も変わらないのです。 ネアンデルタールとはもしかしたら、何かの違いがあったのかもしれませんが、クロマニオン(ホモサピエンス)がラスコーなどの動物画を残したのが、神は意識しなかったとしても、祈りや祭り(祀り)をしたのであって、日常生活実用上の都合やメンバー相互の人間関係の都合だけの行動をしたのではないことは明らかです。 願望なのか不安排除なのか、そのために単に騒ぐ・酔う・激しく活動する・慰撫し合うというという即物的行動ではなく、「想念を外部化する」という芸術的あるいは哲学的あるいは信仰的行動をしているのが、他の種には見られない「ホモサピエンスの重要な特徴」です。 
文学、絵画、彫刻、詩歌、舞踊、哲学、スポーツ競技、探検、研究、建築、ファッション、事業活動、労働、信仰、改革、政治 こういうことを追求・邁進出来る能力を持っているのがホモサピエンスです。 恋愛小説、冒険小説、歴史探訪もの、SF小説、戦記、バトル、妖怪変化、オカルト、成功ドラマ、映画や演劇などを軽く楽しむヒトも、強く惹かれ熱心になりそれが生きがいのようになっているのもいるのがホモサピエンスです。 
教えて!gooでも、メンタルヘルス関連は、投稿が多いです。「気」はとても大きな影響をもつものです。
https://oshiete.goo.ne.jp/articles/qa/2040/
厚生労働省が3年ごとに実施している患者調査によると、精神疾患の患者数は増え続けていて、2011年約320万人、2014年約392万人、2017年約419万人です。 科学情報は増え続け、多くの人が容易に情報にアクセス出来るようになっている、医療技術も医薬品も改善や普及が進んでも、医療体制も充実しても、精神疾患が急増するというのは、情報の普及やアクセスの容易さ体制整備などが進んでも、個々の人間の脳や精神面のスタビリティを強固にする効果は得られないということを示しています。 

神は、「想念を外部化する」という機能が働いてこそ成立するものです。
この「想念」を生むのは「脳のハタラキ」です。
食事、飲料、服、化粧、動作、口調、表情、ものを見たり、運動や行事、ヒトとの交流、業務課題の達成・不達成、成長・老化・貧・品・富・賎などに、悦びや楽しさ平穏・不安・期待・恐れ・辛さ・哀しみ・諦観・好・下賤などを感じるのも「脳のハタラキ」です。
科学的根拠・エビデンス・数的客観性も「想念」に影響はしますが、その一般的な影響度はとても低いです。 

「想念を外部化する」という機能が働く場合、世間一般からの疎外や排斥を感じ困難さを生じるときには「神」を感じないことが多く、行動目標に気が向きあるいは達成・成功・輝きのある展望・喜悦を感じ積極性を生じるときには「神」を感じることが多いようです。 
いわゆる創唱宗教の創唱者は、自分がすべき行動目標を感じ取ったとき、そして断固として行動を開始するときに、神を感じているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E5%94%B1 …

神の信仰者の多くは、フォロアーです。 学習者、文化継承者です。 創唱者ではないです。
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トレッキングをしている時に、山の麓に祠があって、そこで休憩したくなりました。

心地よく休憩して、旅の記念に写真を撮ろうとしたとき、お爺さんが孫を優しく叱るみたいな声が頭に響きました。
「こらこらこらっ」
 その声と一緒に、お前に撮られたら全て写ってしまうという意識が理解できました。でも、カメラを構えた勢いでシャッターを二回押してしまいました。

旅行が終わって、その使い捨てカメラを、カメラごと現像に出したフィルムの中で2コマだけ何も写っていませんでした。その前後は普通に写っているのでカメラに故障があったわけでは無いです。写真屋さんに聞くと、強い光源に向けてシャッターを切ったのでしょうと言われたのですが、そんな記憶は無かったです。家に帰って調べると、何も写っていない部分は、あの祠で誰かに叱られた時にシャッターを切った部分でした。
でも、それがあのお爺さんの仕業だと証明する物は何も無く、写真屋さんに説明しても分かってもらえないと思います。
ただ、なんとなく、あの時の心地の良い優しい雰囲気は残っていて、
あのお爺さん。何か写るとヤバイ物でもあったのかななどと考えてます。

神様かどうか分かりませんが、自然の中を旅しているとそういう不可思議なことがけっこう起きますよ。
昔の人が、精霊や妖怪や神様を信じたというのは、意外にそんな身近なところに不可思議な出来事を経験しているんだと思いますよ。

ただ、神を人間にとって身近で見守ってくる存在から、人間を管理監督する偉大な存在などと祭り上げる段階で、そんな偉大な存在がどうして不幸な人間を救わないのかという疑問を感じるようになりますね。
そんな普通の疑問に対して
・お前は異教徒だから、信心が足りないから救われないとか
・その不幸は神がお前に与えた試練だとか
困難に直面している人にとって、どうでも良いこじつけを聞かされても意味は無いですね。

でも、それが神様か、守護霊か、精霊かなんてどうでも良く、その人を見守っている存在を自然に信じても良いと思いますよ。
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正直に言うと、私は社会的に孤立しており、とても悲惨な境遇(虐待、親の介護、持病)にあるので、犯罪防止と自殺防止のためです。

平穏無事に生活するためです。

映画の「JOKER」ってありましたね。あらすじは知っていて、一発で共感を感じました。神がいないなら自分もそのようなことをして社会に同じようなことをしてしまいたい気持ちがあります。人には言いませんが…事件も起こりましたね。「カラマーゾフの兄弟」のイワンの思想に共感を感じます。「神がいないならすべての行為は許される」。

ですが、私には神を信じることで(たとえ、ごまかし・自己欺瞞・薄々と神なんていないと思っていても)、なんとか犯罪も自殺も犯さず、問題なく過ごせています。しっかりと映画を観てみなくてはと思い、先日ヤフオクで落札しました。

JOKERと私の何が違うのか、(境遇はそっくりなのに)たぶん「神を持っているかどうか」の差(紙一重)だと考えています。しっかりと見て、考えたいと思います。

私はどうしようもない孤独と絶望、社会に対する復讐心があります。いまそういう人は多いと思います。なんとかイライラしながらも我慢して生活しているのでしょう。私は自覚しているからこそ神を求めます。神や仏教を勉強します。JOKERのようなはた迷惑な犯罪や自殺をしないで、毎日なんとか頑張って平穏無事に生活するために。たぶん、哲学では無理でしょう…私の救いようのない絶望感は。私だけじゃないと思います。そういう人は増えているんじゃないかと…なので、変な事件が多くなったような印象を受けます。

「薄化粧」「飢餓海峡」「復讐するには我にあり」など、犯罪者の映画をよく見ます。あと死刑囚の本をよく読みます。それらは私にとっては「どうすれば犯罪者にならないか、または自殺をしないで済むか」の良い教材です。私にとってもっとも強力なブレーキになるのが神でした…それだけ私が弱い人間だということかも知れません。

偉くなりたいとか、普通の家庭を持ちたいとか、ちゃんとした仕事をしたいとか、お金を稼ぎたいとか、おいしい物を食べたいとか、恋人が欲しいとかは夢のまた夢なのです。そういう余裕はありません…毎日が自分との戦いです。地獄の底です。こういう人も増えてきているのではないでしょうか…恵まれた人だけ普通の(あるいは立派な)生活をすればいいと思います。そういう人は宗教など必要ないと思います。

なるべく警察のお世話にはならない生き方(静かに目立たず平穏無事に)をしたいものです。

すべては自分次第。自己責任なので、自分で対処法を模索していく生き方しかできませんでした…たぶん、頭が悪かったからかも知れませんね…でも、自分ではどうしようもないことが人生には起こってきますよね…夢は夢、憧れは所詮、憧れです。現実が大切。なんとか問題を起こさないように生活をするためにメジャー宗教の勉強をするのはどうかと考えました。それで、神が一番強力なブレーキになるなと…あくまで個人的な信仰・考えです。

長文になり、また重たい話になって申し訳ありませんが率直な気持ちです…

PS.
神に頼らないで、普通に生活できている人は凄いと思います。たぶん、頭が良くて精神的にも強いなのだと思います。尊敬します。自分もそうなりたいですが、無理でした…
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どうして世界は出来たのか、月や


星はどうしてあそこにあるんだろう。

こうした疑問に答えたのが
神でした。

神様が創ったんだよ。

時代が進むと、これでは満足できなく
なったため、哲学や科学が誕生した
訳です。


これが、神様の起源です。

この神様を国家が利用するように
なりました。

王さまはどうして威張れるの?
神が選んだからだ。

これを「王権神授説」といいます。
学校で習ったはず。

宗教を同じくすることにより、
国家という巨大な集団を形成出来る
ようになりました。

道徳も、神を持ち出すと簡単に解決
します。
神様がそう決めたんだ。

こうした歴史が、宗教を生んだのです。



神なんてのは、およそ非科学的なように
思えますが、時代の最先端い居る学者
ほど、神の存在を信じたくなるそうです。

アインシュタインも述べています。
「宇宙には意思が感じられる」

つまり、人間の無知が産んだのが
神、というわけです。
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他に信じるものや心のよりどころ・信念がないからじゃないですかね。

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この回答へのお礼

何かを信じないとダメなのでしょうか。。。

お礼日時:2021/12/01 17:01

宗教の話に科学を持ち出しちゃう人って、結局のところ科学教信者だと思います。



世界では一流の科学者が神の存在を信じているケース、たくさんあります。
僕自身も工学部卒程度の科学知識がありませんが、それですら神秘的に精密な世界は誰かが作らないとこうはならないと思うほどです。
科学を現象としてだけではなく、なぜを突き詰めるとちょいちょい神さまの存在を信じたくなります。

質問者さまが無茶な神を設定するから、神がいなくなるだけです。
その手法は宗教対立なんかでよく使われるやり方ですし。
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なぜ大きな事件があったときだけ


神がいるかいないかの話が出るのでしょうか
神は警察ではありません

平和な時間には神は存在しないのでしょうか

勉強をして実績や成果が出るか出ないかは
現生の学生の発想です
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この回答へのお礼

もしいるなら平和な時にもいるんじゃないですか?全く詳しくないので分かりませんが、、、

でも、すごく大きな事件に巻き込まれて死にそうな時に髪に頼んでも死んでしまうケースをよくネットで見るので疑問に思いました。

お礼日時:2021/12/01 17:02

一言でいうと、人類は神なしには生存できなかったからです。



神は科学より古い存在です。
科学がまだ発生していなかった時代、神は科学に代わるものだったのです。
というより、時代と共に科学が神にとって代わっていった、という方が順序としては正しいです。

人間は「わからないこと」を恐れます。
分からないままで進むことに不安を感じます。
人は、「答」を欲しがる存在です。
でもすべてを解明することはできない。
「不安」は常に人生の道連れです。

その「不安」を解消するのが、人間をはるかに超える力をもった「神の存在」です。
全ての謎は「神」で答えることができる。
生き物として本能的に恐れる「死」ですら、神は解決してくれます。

「死んだら天国にいける。
天国にいくには、この世で神の教えを守り、正しく生きなければならない」
という答があれば、神を信じて生きればいい、という答がでます。
生きねば気持ちになれる。
生きねば、という強い気持ちは自分を支え、結果的に生き続けていける。
そして「やはり神の教えを信じていればいいんだ」という結論が出せるのです。

科学はその後の時代に、分からないことをたくさん解明してきました。
だから、今どき、「嵐は神の怒りだ」と信じる人はほとんどいないでしょう。

でも、生きることのつらさ、苦しさ、理不尽なことが消えてなくなったわけではありません。

科学では解明できてないことや、人の心理のわからなさはまだまだたくさんあります。
だから、科学が発達した現代でも、不可知なことの「納得方法」として神の存在は有効なのです。
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この回答へのお礼

すごくしっくりしました!!!

なるほど、分からないことを恐れるのですね。。

お礼日時:2021/12/01 17:03

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