No.101ベストアンサー
- 回答日時:
コロナウイルスが自然界の理に置いて発生したとしたら
これは神の意識だと言い切れて
コロナウイルスを人類が遺伝子操作に置いて作り上げたものなら
たんなる殺人兵器としか言えない
ここら辺の見解を
bragelloneさんに聞いてみたいから
遺伝子の話をふってみましたよ
(  ̄▽ ̄)にっこり
神をめぐる議論についての注意事項は:
神: 超自然・超経験;人知を超える
概念: 絶対性・無限
擬人化: 絶対者(つまり 意志を持つと想定・忖度している)
属性: 真善美;愛;全知全能;摂理(神の心・意志とされる)
物語化: 全知全能の絶対者ゆえ 万物の創造主として描かれる
☆ さて
★ コロナウイルスが自然界の理に置いて発生したとしたら
☆ 自然界のことは ひとまづ自然界における経験事象として扱われます。
しかも 超自然のことが 顔を出すこともあり得ます。人間が 忖度するのです。つまり:
★ これは神の意識だと言い切れて
☆ という主観――神観とよびます――を持つ場合です。
神は 人知を超えていますから ひとがいかなる自分に合った神観を持っても それは 自由です。
ただしその有効性は おのれの主観内部のみに限られます。人知を超えている事柄だからです。
★ コロナウイルスを人類が遺伝子操作に置いて作り上げたものなら
たんなる殺人兵器としか言えない
☆ この事態についても 神を持ち出すことが 自由に出来ます。
神が その意志によってチカラをもって人間にハタラキカケをおこなったと忖度する場合です。
むろん《無い神》派は 神観も無です。経験事象のみを扱います。
神観は おのおの主観内部のみでの有効性です。
《有る神》派と《無い神》派とは 互いに対等です。同時にその相対立する神観が おのおの主観内でのみそれぞれ 成り立ちます。
神は 有る無いといった経験事象を超えているからです。因果関係からも自由であるゆえ 自然現象や人間の行為過程に対して自由に――因果を決めるほどの――ハタラキカケを行なえると想定され得ます。
《無い神》派は そんなことはお呼びでないと言います。どっちもどっちです。
No.100
- 回答日時:
物質の全一ってのは
確かにとおもうんですが!
生物の設計図である
遺伝子ってのは
物質なんだろうけど
何かしらの意図や意識のもと
組み合わされたりしたよえな気がして
遺伝子ってのは、概念なのかと言えば
考え方を言語化したり、数値化したりして概念ではあるけど
人類が淘汰されたとしても
遺伝子の活動って
地球そのものがなくならない限り
続きそうな気がしてて
遺伝子って
無限なのか?有限なのか?
何故に活動するのか?
コロナウイルスなんかを調べてるうちに
不思議に思ったんですよね
人類が滅亡しても、神様は無限である
人類が淘汰されても遺伝子の活動は続けられてそうで
人とか神様と遺伝子
なんか対比は興味ないでしょうか?
野菜のトマトは人間より複雑な遺伝子配列とかって
言われたりしますもんね
★ 遺伝子って
無限なのか?有限なのか?
☆ 経験的な事物ないし現象は すべて相対的で有限です。
遺伝子は モノです。事物です。
ただ 議論をそこからさらに展開することは出来て それをも同時に言わなければならないかも知れない。
すなわち 無限で絶対性なる神は 相対世界に対して――絶対性ゆえに有無を言わせず―― 一方的にハタラキカケを成すことが出来ます。(論理的な帰結です)。
その想定じょうの議論としては 事物や現象につまりは いま 遺伝子に対して その事実か否かは分からないかたちで神がハタラキカケを成しているかも知れない。
遺伝子に限らず 人間や世界に対して神がハタラキカケをおこなっていると発言するひとは いくらでも出て来るでしょうね。
それを証明することは出来ないのですが それが事実ではないと証明することも出来ない〔場合がある〕からです。
(それをいいことにして オシへを売り物にする組織宗教は生き長らえています)。
No.99
- 回答日時:
呼び方や言葉
数字って
概念てなことで
すべて無になる可能性はあるとは思うんですよ
神様も人間が作り出した概念なんてな考え方もあるけど
bragelloneさんの説かれる
神は無根拠であり、無限てもある
人類がひとりも居なくなっても
神は無限であるとするなら
人間が作り出した概念に縛られることはなくて
数式や数字のような捉え方とは
別次元かなぁ~とおもったので
bragelloneさんに尋ねてみたけど
どうも、ワシの言葉が足らなかったみたいですね
存在するものと
存在を確認できないもの
ここら辺の考察を
あらためてbragelloneさんに訪ねたいですよ
現代だと、物質の最小単位が何処まで小さくなるのか
遠心分離機だったかななにかで
分子やら原子やら、粒子やら素粒子やらをぶつけ合わせて
限界まで小さくしてるみたいですもんね
★ すべて無になる可能性はある
☆ この場合は 《かつて有った》ものが 無くなるということですよね。
あるいは 実際には 構成要素に分かれてしまい もとの形が無くなり 別のものになる。
これが 相対世界ですね。有限の領域 あるいは 経験事象の世界。
ところが 神は――絶対性で真無限なるものとして―― 有る無しを超えています。初めから終わりまで。というか 初めもなければ終わりもない。
★ 存在するものと
存在を確認できないもの
☆ これは 細かく言うと:
存在したり〔形を変え部分要素に分解されて 元のものとしては〕存在しなくなったりするもの
および
存在するかしないかについて 人間が考えても分からないもので げんみつに言うと その分からなさについて どうなっているのか 分かるか分からないかが 分からない。
後者は 部分という要素がない(あるかないか 分からない)。
もし数量でたとえて言うならば つねに全体であり その全体としてすでにつねに同じひとつである。全一性と言ったりします。
No.98
- 回答日時:
本当に無限のものって
神様以外だと、( ̄~ ̄;)
人間の持ち合わせてる概念なんて、人間が滅びたら
同じく朽ち果ててしまうはずであって
物質なんかだと
めに見えない大きさになるだけで
実際には無くなることはないみたいですね
物質は化学変化して
違う物質に変化するだけであって
もしかしら
物質てなものは有限ではなく
無限なんじゃないかと
( ̄~ ̄;)専門的な話は浅くしか理解してないけどね
有限と無限のその違いって
感じかたや捉え方に引き摺られやすいけど
目に見えなかったり
認識できなかったりするだけで
無限なものって沢山あるのかも?
★ もしかしら
物質てなものは有限ではなく
無限なんじゃないかと
☆ 無限には 二種類あります。
X:絶対性としての無限(真無限):数や形の有る無しを超えたもの
Y:相対性としての無限(可能無限):数が限りなくつづくさま
☆ 円周率(π)は 3.14・・・というふうに小数点以下が 限りなくつづきます。これも 言葉としては 無限です。
ですが この π の値そのものは 有限です。3と4の間におさまります。有限で相対的です。これを 可能無限と呼んでいるようです。
あるいは ∞(無限大)は それに1を足すと ∞+1 という一定の数になります。つまり 相対的です。比較可能です。さらに1を足しつづけていけば つねにその値より大きな数が出て来ます。ただし 限りなくつづきます。
つまり 無限大は 有限の数です。無限小で考えると分かりやすいですが どちらも 全体から見て 有限の領域に属します。ただ 円周率のように限りなくつづくという性格です。
物質の探究で分かってくる素粒子等についても 同じです。《有限領域において 限りなくつづく様子》が 見られます。
真無限は――神としては―― 数や量の多い少ないや 形の有る無しやまたその大きい小さいなどなどの相対的な比較のあるものごとを超えています。
二で割っても三で割っても 元の真無限のままです。これが 神です。
ですから ブラフマンだのヤハヱーだのアッラーフだのと人間がいくつかの異なった名前で呼んでも その正体は――真無限なのですから―― 同じひとつの神すなわち 普遍神です。
山の神(山祇:やまつみ)や海の神(海神:わたつみ)等々・エトセトラエトセトラといった八百万の神々はすべて普遍神の分身です。
また それぞれが 普遍神の――霊性の――依り代と見られています。神籬(ひもろぎ)とも呼ばれます。
この普遍神としての定義に まったく問題はありません。でしょ?
No.97
- 回答日時:
bragelloneさん
明けましておめでとうございます!
絶対性ですか!
人の人生は短くて、人から人へと受け継がれてきた事柄って沢山あるけど
受け継がれなく淘汰されてきた事柄も沢山ありますもんね
無神論や無宗教なんて言われる日本でも
神様って概念や話になると
淘汰されることなく、それなりにフワッとした感じではあるけど
人から人に受け継がれてますもんね
神様ってな絶対性は人類が滅亡したとしても失われない感じはするけど
人類が滅亡したら、神様ってな概念や話を確認することは
人類にはできなくなりそうなんですけどね
滅びることはない
けれども
仮の話でね
人類から忘れられることはあるのだろうか?
ここら辺を絶対性を唱えるbragelloneさんの考えを聞いてみたいですよ
オシエテヾ(・ε・。)
わしやさん おめでとうございます。
★ 絶対性ですか!
☆ 日本人は ほとんど関心を寄せて来なかったみたいです。
★ ~~~
人の人生は短くて、人から人へと受け継がれてきた事柄って沢山あるけど
受け継がれなく淘汰されてきた事柄も沢山ありますもんね
無神論や無宗教なんて言われる日本でも
神様って概念や話になると
淘汰されることなく、それなりにフワッとした感じではあるけど
人から人に受け継がれてますもんね
~~~
☆ どう見ても あいまいなままのようです。ないわけではない。
★ 神様ってな絶対性は人類が滅亡したとしても失われない感じはするけど
☆ いや まさに それだと思います。不可変性です。
★ 人類が滅亡したら、神様ってな概念や話を確認することは
人類にはできなくなりそうなんですけどね
☆ そのとおりですね。神は 《独り満ち足りているもの》。
★ ~~~
滅びることはない
けれども
仮の話でね
人類から忘れられることはあるのだろうか?
ここら辺を絶対性を唱えるbragelloneさんの考えを聞いてみたいですよ
~~~
☆ 変わりようがありません。
よく言うタトヘは 同じ概念としての《無限》です。
無限は 二で割っても三で割っても 商はもとのままの無限であると。
No.96
- 回答日時:
お礼について。
確かに。それを「絶対」とした時に、不可触の普遍性が抽象されますね。
その先に、人が行けるか、行けないかとしたら、あなたはその先に行くアイデアがありますか?
★ 確かに。それを「絶対」とした時に、不可触の普遍性が抽象されますね。
☆ はい。絶対性ですから 普遍性が必然的にみちびかれます。
相対なるものとの違いは それが可変的であるのに対して 神は 不可変性です。
★ 不可触
☆ については げんみつに言えば 人知を超えているのと同様に あらゆる感性をも 神は 超えています。
感覚を超えているとは どういうことか?
可視的か不可視か 可触・不可触などなどが 人間には分からない。分かるか分からないかが 分からない。これが 神です。
すなわち ひょっとしたら 神は 見ることが出来るかも知れない。その声を聞くことがあり得る。と同時に――同時にです―― いや そんなことはありない 神は不可視だという見解が 妥当なのかも知れない。
これが 感性を知性を 神は 超えているという意味について人間が考えた内容です。
★ その先に、人が行けるか、行けないかとしたら、あなたはその先に行くアイデアがありますか?
☆ たとえば 次のような推論です。:
☆☆ (№95お礼欄)
また 絶対性は 絶対有と絶対無とに――人間の表現として――分かれます。つまり 《有る神》と《無い神》とに。どちらも 同じひとつの普遍神です。
☆ 世に言う《有神論》と《無神論》 これら両者は――神とわれとのカカハリである信仰として―― まったく同じものです。
有る神か無い神かいづれかで――同時に――表現されうる普遍神と われとの カカハリが 信仰ですから。
だって 単純に言って 《神はいない》という命題は 《神はいる》という命題とまったく同じように 人間は証明することが出来ないのですから。
No.95
- 回答日時:
お礼について。
あってあるものの神を語るとき、それは唯一神のことであるから。
その機能とは、「絶対」が不可欠です。その「絶対」と人の機能には隔たりがあるのだから、人が神の「絶対」を証明することは、実態として不可能に限りなく近い。その隔たりを超える時その瞬間、その神は唯一神ではなくなるからね。
それが神の「機能」の作用だとしたら、人はそこから解脱したとしても、限りなく遠くにいけるだけであって、逃げ切ることは難しい。
資本主義としても、そう。人が限りなく逃げたとしても、その作用の外状には、脱出できない。作用は、どこまでも波状するからね。
この全人類が、せーの。で、神を忘れ去らない限りは、無理なんですよ。それは、資本主義も同じ。
★ あってあるものの神を語るとき、それは唯一神のことであるから。
☆ 神は――いやしくも神と言うなら―― 普遍神のことであって 同じ一つの神です。
いろんな名前で神が呼ばれているのは ただその呼び名がちがうだけのことです。
《無い神〔という神〕》も やはり同じ普遍神のことです。
なぜなら 神は 絶対性であるゆえ。つまり 絶対性が ここに一つ あそこに別のがもうひとつある・・・といった事態にはゼッタイなりません。なったら それは相対性なるものです。
また 絶対性は 絶対有と絶対無とに――人間の表現として――分かれます。つまり 《有る神》と《無い神》とに。どちらも 同じひとつの普遍神です。
★ その機能とは、「絶対」が不可欠です。その「絶対」と人の機能には隔たりがあるのだから、人が神の「絶対」を証明することは、実態として不可能に限りなく近い。
☆ ですから 《絶対性ないし無限》という概念で説明することになっています。
★ その隔たりを超える時その瞬間、その神は唯一神ではなくなるからね。
☆ 絶対の隔たりを 人間が超えることは あり得ません。
そもそも人知を超えている場ないしチカラを 神と言うのです。
★ それが神の「機能」の作用だとしたら、人はそこから解脱したとしても、限りなく遠くにいけるだけであって、逃げ切ることは難しい。
☆ もっと精緻な表現にすべきですが 内容として 諾。
★ 資本主義としても、そう。人が限りなく逃げたとしても、その作用の外状には、脱出できない。作用は、どこまでも波状するからね。
☆ これは 超える・脱出するといったことには 馴染まないと思います。
たとえ無人島に言って暮らしたとしても 過去の資本主義社会の記憶は残っているでしょう。それは 生活の方式ですから。生活日常のありさまそのものですから。
★ この全人類が、せーの。で、神を忘れ去らない限りは、無理なんですよ。それは、資本主義も同じ。
☆ 資本主義は 確かに変わりがたいように見えるけれど 基本として――相対性ゆえ―― 可変的です。
神は 不可変性です。
No.94
- 回答日時:
相対世界の概念から飛び越えてる神に
何故に人は思い悩みのか!
例えば、地球滅亡まであと365日てな、宇宙戦艦ヤマトみたいな状況に成れば!
意識はかわるのでしょうか?
まぁ~温暖化や脱炭素なんて言われてる御時世だけど
差し迫って滅亡なんて考えてないですもんね
★ ~~~
相対世界の概念から飛び越えてる神に
何故に人は思い悩みのか!
~~~
☆ 絶対性には 人間はかなわないからです。
そんなことは――神は見えないから――忘れる・忘れていいんだと説くのは 唯物論≒無神論です。
★ ~~~
例えば、地球滅亡まであと365日てな、宇宙戦艦ヤマトみたいな状況に成れば!
意識はかわるのでしょうか?
~~~
むろん影響を受けるのですが 基本は 《永遠の現在》主義です。
そして ダメな時はダメとして受け容れ あとは神にすべてをゆだねます。(この後半は 余計な部分ですが)。
★ ~~~
まぁ~温暖化や脱炭素なんて言われてる御時世だけど
差し迫って滅亡なんて考えてないですもんね
~~~
☆ いえ。考えても 同じということです。
むろん人間に出来る防衛策はやりますけれど。
No.93
- 回答日時:
歴史の過程は段階があるのか!
( ̄~ ̄;)知識てな認識を与えられた生命体がとる過程てな空想話としてとらえたら
神にはじまり、栄えて、神を忘れて
滅びるってな段階はあるのかも知れないですね
どんな生命体でもいずれは滅びるのは
明白な事実として受け止めてるワシからしたら
そうなりますね
人は死ぬ運命であり
文明は滅ぶものである
人が死のうが、文明が滅びようが
神は続くのか?
続かないのか?
段階てな言葉から思い浮かびましたよ
★ 歴史の過程は段階があるのか!
☆ いや イエスは 一足飛びにユダヤを(旧約聖書を)離れて《普遍神》の理論の話へとつきすすむことはしなかった。
アウグスティヌスは まづ時代の子として 飛躍のありすぎる神学との調和を図ることを避け得ない前提としたので イエスの指し示していた普遍神論をまだまだ 全面開花させることは できなかった。
★ ~~~
( ̄~ ̄;)知識てな認識を与えられた生命体がとる過程てな空想話としてとらえたら
神にはじまり、栄えて、神を忘れて
滅びるってな段階はあるのかも知れないですね
どんな生命体でもいずれは滅びるのは
明白な事実として受け止めてるワシからしたら
そうなりますね
~~~
☆ 普遍神は――絶対性が 絶対有と絶対無とに人間のあいだでは 分かれるというので―― やがて《有神論と無神論とは 同じ一つの信仰の理論である》という常識の時代に入ると思います。
その段階では もうキリストのキの字も言わない・要らないという時代だと思います。
★ ~~~
人は死ぬ運命であり
文明は滅ぶものである
人が死のうが、文明が滅びようが
神は続くのか?
続かないのか?
段階てな言葉から思い浮かびましたよ
~~~
☆ 絶対性は 生まれる・生きる・死ぬといった相対世界の概念から自由です。超えていますよ。
No.92
- 回答日時:
神てな言葉に埋め尽くされてた感じですね
現代の日本とは真逆な世界観ですもんね
イエスは ユダヤ人のために現われたのだとみづから言っています。
隣りの民であっても ユダヤでない場合には 何も語ることはないと答えています。
もっとも そう言われた婦人は 子が病いに臥せっているので ぜひとも手を差し伸べて治していただきたい つまり犬でも机の下に落ちるパン屑をひろって食べますから と懇願しました。
この信仰に感じて イエスはそれにこたえました。
あらゆるものごとには ときがある。ときにかなったことは みなうつくしい。――と言われています。
歴史の過程には 一つひとつの段階があるってことでしょうか。
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№21つづき
ムハンマドの場合が ややこしいと思います。アル・クルアーンは オシへだと言ってよいはずですが しかも――信徒にとっては―― 神の言葉そのものです。
アラビア語は 人間の言葉だと思うのですが 神の言語だとされます。
こうなると 何とも――哲学としても――口出しするのは むつかしい。そういう特殊絶対性としての神観であり神学であり宗教(神のオシへ)なんだと思います。
★ キリストは ただ単なる、ユダヤ原理主義者だけだったのだろうか??
☆ この議論は はっきりしています。民衆は イエスに絶大な信頼を寄せ イスラエルのローマ帝国からの独立をみちびいてくれると思っていました。
つまりイエスは 政治的指導者ではなかったということです。
★ それぞれに於いて『神』の取り扱いが事なっている点です。
☆ どうでしょう。わたしの中では 神はまったく同じ扱いなのですが。
№77
★ 神の根拠を説く宗教なんかは
あくまでも、その宗教の信者や教えてな根拠でしかなく
☆ まづ宗教ではなく 個人に置きかえるなら 表現の自由でまもられます。問題は その根拠の中身です。
宗教が そうする場合は 他の人に宛ててだと 意味がないです。《思考や感覚を超えて無条件に何かを受け容れる》という意味での《信じる》は 他者から根拠なりを説かれて そうすることはあり得ないからです。
神をではなくその説を受け容れることは あるかも知れないけれどそれは 思考の問題であり信仰とは別です。
その説教にうながされ信仰を持つかも知れないのですがそれでもそれは 因果関係があるのなら 一定の思考と理解という条件によって受け容れるということですから 信じるではなく 前者と同じ思考の問題にとどまります。
★ 赤の他人の根拠・・・
☆ いえ これは 吟味し検証すればよいんです。
№78
★ 宗教とは思想である
☆ この信仰を オシへに表わして集団的なものとしたのが 宗教です。あり得ない。つまり あり得ているのは 思想の集団なんです。
生命体と大いなる生命とのタテの関係が 信仰であり 信仰は 人と人とのヨコの関係で共同化するのは 無理です。出来たとしたら 信仰ないし神についての思想を共有したに過ぎない。
★ 歴史から宗教をこうさつしてみると
・・・
わかりやすく言えば
食べる事が出来ないラーメンの味を
美味しいと言い切ってしまってるような状態なのかとも個人的には思えるんですけどね
☆ おもしろい。ぎゃくに言うと もし言い切ってしまわないなら その集まりは 同好会だとか生活共同会みたいになって 無害です。
いい説明法があるのを忘れていました。
神を 問題をめぐる正解に譬えると 宗教のオシへや神学やら何やらは 補助線です。
補助線を引くと 分かりやすくなります。
ほら あの月をみてごらん。まんまるい。
と言って指差したとき だれもその指を見る者はいません。というタトヘで言って 月が 神であり 指は オシへです。オシへは 経験思想ですね。
№88つづき
⑥ ギリシャ人が バルバロイと呼んで田舎者扱いをしたアフリカ(前身はカルタゴの地)の人間です。
⑦ 愛人の話が出ていますが 一点の擁護としては 《わたしは閨(ねや)の信実をつくした》と言っているとおり パートナーへの裏切りはしなかったようです。
⓼ 《悪は存在しない。ただそう呼ぶ現象が――負の善として――あるのみだ》という倫理観です。
⑨ 時間論は 《永遠の現在》説です。過去は 記憶として現在にあり 未来は予期としてやはり現在にある。いま社会生活の中で何らかの価値創造――ま ふつうに言う仕事ですが――をおこなっているというその幅を持った時間過程が 現在時である。この現在時に集中するという恰好です。
☆ 取りあえずこんな感じですかね。