
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>なぜ中国では大規模な流民が発生するのですか?
現在では「大規模な気候変動が原因である」と認識されるようになっています。
ただ、これは1980年代ぐらいから自然科学と考古学・歴史学が知見交換をするようになった結果と、自然科学のうち気候学がものすごく発展したことに由来します。
なので司馬遼太郎氏などの本を読んでもあまり重視されていない、のです。
他の方で「官僚があり得ないぐらい堕落していたから」という回答がありますが、これもある意味正しく、つまり「気候が変化してどんどん富の全体量が減っていく中で、権力者が自分たちの権利ばかり優先した」からこそ堕落に見えたわけで、結果として流民の発生とそれに伴う農民階級の反乱がおきて王朝交代につながるわけです。
これは小規模でいいなら、現在の日本でも起きていて、たとえばNHKがやたらに受信料を取り立てるようになったとか、JASRACが著作権料を細かく徴収するようになったとか、これはバブル以後縮小する日本経済では、大らかにしている余裕がなくなったから、であるわけです。
>日本では、中規模な流民でさえ発生することもありません。
実をいうとそんなことはありません。ただ日本の場合、流民以前に戦争になってしまっているだけです。
たとえばアジアでの寒冷期として、紀元1中期~紀元2世紀全般、があります。
この時期日本では魏志倭人伝に記録されているように卑弥呼が現れその前後に大動乱が起きています。この時期の中国はいわゆる三国志の時代でもあり、寒冷化が日本では「大動乱」中国では「天下三分の謀」となってあらわれているわけです。
で、日本はどうもその後にやってくる温暖化でヤマト王権による「豪族たちの連合による寒冷化対策」が進んだようです。ところがこのような対策では対応できないぐらいの寒冷化が起き、それが大化の改新につながっています。
同時に中国では隋から唐への変化があり、その後唐は寒冷化を乗り切り温暖化時代に覇権を握ります。でその唐が滅亡したのが10世紀の初めで、この時期は「渤海滅亡寒冷期」と呼ばれる一時的で短期だが、しかしものすごく急激な寒冷期と同じ時期であったことが印象的でもあります。
また鎌倉時代末期から江戸時代までの動乱の時代は11世紀の鎌倉幕府成立から江戸時代の始まりまで寒冷化する時代の動乱であったこともわかっています。つまり「どんどん小さくなる食糧事情を、それに見合うまで人口が減るようにする人口調整が戦国時代だった」と考えると実情が合うのです。
とはいえ、日本はヤマト王権時代に「天皇をリーダーにしてなんかみんなで乗り切ろう」というやり方を採用したので、国家全体が崩壊するようなほど流民も出なかったのだろう、と私は考えます。
早速のご回答ありがとうございます。
<現在では「大規模な気候変動が原因である」と認識されるようになっています。>ですね。
歴史を文献だけでなく、考古学も重要視し、気象学も重要視されてきましたね。
たしかに、歴史の節目には、寒冷化による食物不足などが大きく働いているようですね。
ただし、日本社会は、庶民に対して、為政者が口やかましい(締め付けも強い)が、保護もしていたため、流民の発生が少なかった、のかなと私は最近思っています。
No.5
- 回答日時:
#4です。
お礼ありがとうございます。>日本社会は、庶民に対して、為政者が口やかましい(締め付けも強い)が、保護もしていたため、流民の発生が少なかった、のかなと私は最近思っています。
私はなによりも「ヤマト王権から大和朝廷が成立する過程で、日本民族という認識が強固になったこと」が一番大きいと考えています。
これはコロナ禍でも同じで、日本人は極端なほど自主規制をしてこの国・この社会を守る行動をとりますし、東日本大震災などの災害時でも諸外国に比べて自発的な統制が取れていたといえます。
人類は「自分の民族の仲間」は大切にしますが、それ以外の人たちは「別に人間だと思っていないから死んでもいい(殺してもいい)」という考えの時代が長く続いていて、漢民族は必ずしも一つの民族とはいいがたい側面があり、階級制度も固定化していましたし、異民族支配を受けた時代も存在するので、王朝交代に際して「救ってもらえない庶民」は多数発生しました。
文化大革命の後の4千万人に上るといわれる餓死者も実は同じで、当時の漢民族にはまだ「民族的自覚」があまりなかったのです。
再度のご回答ありがとうございました。
日本人論に落ちいりますが、
<日本民族という認識が強固になったこと」が一番大きいと考えています。>ですね。
気候も大差なく、(異民族からの侵略がなく)人種もほぼ同じだから、日本人としての意識は強まりますね。そのおかげで?そのせいで?極端なほど自主規制が生まれていますね。
これらが、中国には薄くて、流民が発生するのですね。
No.3
- 回答日時:
大規模な戦乱ですね。
飢餓の場合、大規模な飢饉は流民化するまえに餓死したり、流民化しようとしても食料が無ければすぐに餓死してしまいます。
時の王朝がしっかりしていれば、迅速に対策を講じて食糧支援を行うのですが、王朝の統制力が弱体化している場合は大惨事になるわけです。
有名な戦乱による流民化は、三国時代の黄巾の乱、そして曹操による徐州虐殺でしょうか。
曹操のは、父親を徐州民に殺されたことを恨んでのことですが、そのために徐州民の多くが荊州や呉に逃げました。その中には有名な諸葛瑾・諸葛亮の一族もいました。諸葛瑾は呉へ行って重臣となり、諸葛亮は荊州に行きましたが後に劉備の軍師となって曹操の天下統一を阻止するなど大活躍することになります。
曹操はこの徐州大逆殺で一気に悪名を高めたわけです。あれがなければ、曹操の天下統一は早々に達成できたかもしれません。
日本で大規模な流民が起こらなかったのは、天皇制が確立して以降、国内が世界的に観てもかなり安定していたことが大きいのかもしれません。
早速のご回答ありがとうございます。
<王朝の統制力が弱体化している>→<食糧支援>が滞こうる→
流民の発生→王朝の交替、と連なるのですね。
No.2
- 回答日時:
なぜ中国では大規模な流民が発生するのですか?
↑
作家の陳舜臣氏と、司馬遼太郎氏は
飢餓を上げています。
戦乱と大雨・旱害・地震・蝗害等で、
人口が1/3,1/4に
激減したことも一度では
ありません。
日本はあの戦争でひどいめに遭いましたが
中国は、あれ以上の惨禍に
600回も遭っています。
東洋大学教授 山田利明氏は、戦乱よりも
自然災害の方が影響が大きかったとしています。
s早速のご回答ありがとうございました。
<飢餓>ですね。<自然災害の方が影響が大き>かったのですね。
<600回>とも、<人口が1/3,1/4に>とも。
(じつは、この御回答を頂いた後、陳・司馬の対話の書を斜め読みしましたが、残念ながら関連の内容を見つけることができませんでした)
No.1
- 回答日時:
中国で王朝が変わる時は、官僚がありえないぐらい腐敗・堕落して農民を搾取するのだ。
どの王朝も経年劣化で必ずそうなる。皇帝は宦官の傀儡のバカボンばかり続く。例えば官僚が勝手な税目をでっち上げて、10年先の未来分まで取り立てて全部ポケットに入れて国庫に納めないといったことが当たり前のように起こる。税金を断れば男は奴隷、女は娼婦として売られる訳だ。そうなったら流れるか一か八かの農民反乱しかない。それが中国史。早速のご回答ありがとうございます。
<王朝が変わる時は、官僚がありえないぐらい腐敗・堕落して農民を搾取する>のですね。これが要因になって農村(農民)が荒れ、流民の発生につながるのですね。
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