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江戸時代、当時の人々(主に幕府)はオランダ風説書以外に国際情勢を知れる方法はあったのでしょうか?

A 回答 (7件)

三国志演技の方は漫画もゲームも小説もアニメも全部見て、楽しく見た。


THREEEKINGDOMっていう中国のドラマ一番興味なかったけど一番面白いという予想外。

OPは楽器と絵面がデモンズソウルっぽくて重厚感あるし
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「幕府」といっても大きな組織ですから、身分の上下にかかわらず、だれでも情報にアクセスできるということはないでしょうし、そもそも情報の有無さえも分からないという方が通常状態でしょう。

仮に、そうした国際情勢に関わる情報があるらしいといううわさのようなものを耳にしても、興味をもち、「アクセスしたいものだ」と思う人はまずいないでしょう。 「オランダ風説書」にしても、そのような情報があるか、どこにあるのかを知る人はごく少数ではないでしょうか。 「オランダ風説書」を手にする正当な権限を持つ人物、あるいはその内容の講釈・解説を受ける正当な権限を持つ人であっても、国際情勢を知りたいと思うことは希でしょう。
国際情勢を知れるのであれば知りたいと思うのは、世間一般に比較するとかなり変わった志向・嗜好をもつ奇特な人物に限られるでしょう。

新井白石著 『采覧異言 (Sairan igen)』延享5年 (1748)
宝永5年 (1708) 禁令を犯して来日したイタリア人宣教師シドッチを新井白石が尋問して……
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/sai.htm

聞き取りは他にもあったのでしょう。
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/kom.htm
後藤梨春(1696-1771)は、江戸参府のオランダ人より聞き取ったオランダの地理、 風習、 言語、 産物、 器具、 医薬などを談話体に筆述したもので、 若干の挿絵を収め理解に役立てている。 上巻にはオランダの地理その他を記した後、 オランダ文字とその読み方を載せ、 下巻ではオランダの産物や器具、 医薬などと共に 「エレキテリセイリティ」 (Elektriciteit 電気) に関する事を摩擦式発電機の図を付して説明して

http://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/kankai.htm
漂流民が帰国の際、 世界地図を受け取り幕府に献じたことは、 地図史上特に興味深い。

幕末
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9 …
1840年から、別段風説書の提供が開始された。これは、植民地政庁がアヘン戦争とその影響を幕府に知らせた方が良いと判断したためである。こちらの方はオランダ語で作成され、それを基に日本語に翻訳された。1846年からは、アヘン戦争関係に限らず、世界的な情報が提供されるようになった。その情報源は、中国の英国植民地などで発行される英字新聞であった。別段風説書の中で最も有名なものが1852年に提供されたペリー来航に関するものである。本来風説書は秘密文書とされていたが、このペリー来航予告は外部にもれており、幕府関係者以外にも知れ渡っていた。
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学校の教科書では、江戸時代は鎖国で長崎で中国・オランダとしか交易しなかった、と習います。



しかし、実際にはそうではなかったようです。
外国人は江戸まで来ていた記録もあります。

こんなところで楽して誰かから聞くのではなく、自分で努力して調べられてはどうですか?

それと同時に、その知識をどう生かすかもよくお考えになるといいと思います。

私はプロファイルの様な在米の長い年寄りです。
長らく日米欧豪亜を行き来して暮らしてきました。
コロナ禍になってからでさえ、この年になってさえ、日米間は2往復しましたし、米国内大陸横断や米欧間を何度も行き来してきました。

そんな身からは、他の国のことはさておき、日本もまだまだ鎖国と感じることがあります。
他人の目や言葉を借りず、自分の体で勉強することです。
特に日本のマスコミの色眼鏡はひどいですから。
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江戸時代があれほどにまで鎖国が長く続けられたのは、世界主要地域に隠密が派遣され、正確な情報が幕府に送られてきていたからです。



鎖国前に、仙台藩の支倉常長がメキシコ経由でスペインからイタリアまでの140人以上の長旅を実施していますが、メキシコ・アカプルコ到着時にこの一行を出迎え同行したのがいたのも、知られています。当時の貿易通貨はメキシコの銀貨建てなので、そこでも、幕府派遣の隠密がちゃんと常駐していました。

メキシコだけでなく、ヨーロッパ諸国の主要地にも、ちゃんと情報官は常駐しています。東南アジアでは、山田〇〇などの隠密の武勇伝も多く残っています。
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当時、長崎以外で対外的に交流していたのは鹿児島(琉球)、対馬、松前、といった所で貿易と言うか交流と言うか搾取というかそうした事が行われ、そこで得た情報は幕府に送られました。

また朝鮮通信使や琉球からの慶賀使・謝恩使が来日して、特に通信使には朝鮮の学者が同行してきたこともあり、幕府や諸藩の学者が交流していました。でもそうした情報では自国の失態や欠点の含まれた情報は幕府にまでは、細かに伝わらなかったようです。長崎でナポレオン戦争の影響でイギリス船がオランダ船を追いかけまわしたことがありましたが、幕府はそうした事が理解できなかったようです。逆に、アヘン戦争の様子は、オランダや琉球から細かに情報を得ていたようです。
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オランダ、中国経由で各種書籍が輸入されていますね。


幕末になれば蕃書調所として独立機関もできている。
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オランダ人を取り締まったのは長崎奉行所で、彼らはオランダ人と密に接していた。


つまり、オランダ人を通して随時世界情勢を手に入れることができた。

対馬藩は幕府の命により対朝鮮・中国の情報入手に活躍した。
もちろんその情報から間接的に奥州情勢を知ることもできる。
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