A 回答 (14件中1~10件)
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No.14
- 回答日時:
質や性格
難しい( ̄~ ̄;)
質や性格をどのように捉えてるのか
ワシの頭には出てこない
個人の資質や性格てな話なら
教育よりも親の躾が大事であって
親の躾が行き届かなくなったのは
親子の信頼関係の変化なのかとおもってます
教師と生徒の信頼関係の変化は
ある場所に置いては、atoitiさんの言われるように崩壊に近いもの感じたりしますので
資質を伸ばす性格を育てる
これは、家庭での教育が基本なのかも
( ̄~ ̄;)捻り出してみました
ズレてたらm(._.)mごめんなさい
No.13
- 回答日時:
いい先生だな~理論
(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
たしかに現代は、他者の落ち度をことさら責める時代だと思えて
落ち度を、覆い隠した昭和世代は
失敗しましたもんね
先生だから偉いとか
先生だから間違いない
なんてな覆い隠し方で子供に押し付けてましたもんね
覆い隠し通せば
それなりに効果のあった考え方なんだけど
先生だからってな事がいつしか
責める要因になってしまい
atoitiさんのおっしゃる
信頼の崩壊に繋がりましたもんね
教師だから
ってな考え方も
大人だから
ってな考え方も
今の時代には責める要因になってて
社会全体での信頼関係てのが
相手から責められない
責められるくらいなら、責めにまわる
そんなギスギスしたものが
教育をより遠ざけてしまってるのかも
知れないですもんね
責めるよりも、誉める
ネット社会での言葉のやり取りをみたら( ノД`)あちゃ~だと思えますもんね
いじめや暴力、また非行、少年犯罪にしても、
教師の問題にしても、
数そのものが増加しているわけではありません、
問題は「数や量」にではなく、
その「質や性格」にあるのではないでしょうか
No.12
- 回答日時:
atoiti社長さん、どうも。
私は人を人間たらしめるのは「労働」ではないかと思います。大学で学んだ知識より、運送屋、引越屋、レジ打ち、塾、接客、土方、古書店、会社員など、いろいろやりましたが、スキルとさまざまな人たちの人生と生き様を知りました。
もちろん、子供の頃から読書は好きで(家に本がたくさんあったので)宗教書や哲学書、小説、歴史書、心理学など興味を持った本は毎日少しずつ読む習慣はあります。しかし、それではただのインテリです。インテリはたしかに教養があり、知識が豊富ですが、大学の教官(ほとんどが東大博士課程卒です)を観察していて感じたことはバイト・仕事先の人たち(教養のない人たち)より自我・精神の成熟度が未熟であったということです(貧弱というか、脆弱というか、根性・逞しさがないというか・・・)。知識・教養はあるにも関わらずです。これは人生の経験値の差からきていると思われます。
やはり社会に出て、いろんな失敗を経験し、不条理や悔しさから涙を流すような「肌による体験」の方が人として成長させてくれました。あとは恋愛ですかね。
atoiti社長さんの主張とは異なる見解を書きましたが、その辺の大学教官の自我より若くして独立し社長をされている社長さんの方が成熟度や経験値は高いのではないかと思いますね。タフそうですし、喧嘩もできるし、すごい読書家で博識。机上で得てきたものより、やはり現場で生きてきた人間の方が強いと思うのですが・・・いかがでしょうか?
うちの父は私をルソーの「エミール」のように育てたかったそうです。なので、保育園も幼稚園も行っておりません。小学校に上がるまで自宅学習でした。
PS.ちなみにいまは井上靖の「天平の甍」を読んでおります。「天平の甍」は命をかけた遣唐使のそれぞれの生き様の物語ですが大スペクタクルですごいです。
ありがとうございます
言葉だけ、知識だけで人間教育ができるとは思いませんが
土台、基礎、根っこの部分を育てておけば
社会の中で、労働や実践で得た知恵や体験が、枝葉となり
より大きく育ちます、
根がしっかりしていれば台風にもびくともしません
労働は限られた範囲ではありますが人間教育ですね
でも、それだけでは人間を、より高く広く大きく深く育てるには
限界があると思います
天平の甍、読んでみたい
鑑真和上を歴史で知っているだけなんですよ
No.11
- 回答日時:
知への懐疑、否定は、謙虚さから来るものではありません。
懐疑、否定して、考えを組み立て直さないと、新しい発見、発想、知識が見出だせないのですね。私のような迷いだらけの凡夫は、知への懐疑、否定は、
謙虚でなくてはできませんのであしからず。
無知を自覚するがゆえに、知を愛し、知を求める。
そこに新しい発見がある。
プラトンはその新しい発見から行動へ、行動から思索へ。
思索から行動へ。生涯を閉じるまで、絶ゆることなくつづいた
この往復運動こそ、プラトン哲学の真髄だと思うのですが
寝っ転がって思索しているだけの
哲学好きにの輩に警鐘を鳴らしたい、
No.10
- 回答日時:
迷いの払拭、ある程度の自信は、ルーティンワークあるいは、知の経験と蓄積でしょうね。
なるほど、我々の場合はそうかもしれません
プラトンの場合
ソクラテスを死に追いやった魔性への復讐に見えるのですが
ソクラテスへの誓(ちかい)を果すため、と見えるのですが
No.9
- 回答日時:
お礼ありがとうございます
無慈悲で利己的な状態も精神的成長のひとつの段階だと思います
人は最低の限りを尽くした後、新しい方向性を見出すのではないでしょうか・・・
そして、次の可能性を見つけ出す時は、その必要性を心から感じた時だと思います
それは、今現在なのかもしれません・・・
ありがとうございます
次の可能性を見つけ出すまでもなく
重要な法則も、魔法のような力も、秘密兵器も
多くの聖哲が示していると思うのです
その最終兵器こそ
人間精神を時代精神を、土台から変える大改革だと思うのです
大改革を革命と言います、政治革命、経済革命、産業革命、
科学革命、芸術の革命、流通や通信の革命、さまざまありました。
それらはそれらなりに、意義があり、必要な場合もある。しかし、
何を変えても、一切を動かしているのが人間精神です
欲張りで残虐な精神を変えるには
精神的成長ではなく、精神的革命だと思うのです
「革命」は「レボリューション」「ひっくり返す」という意味です。
急激な変化を意味している。
人間が少しずつ、年とともに成長するのは自然の流れです
それを一歩、越えて、急速に変えていくのが「精神的革命」です。
時代精神の構築を図るプロジェクトが必要かと思います
No.7
- 回答日時:
学ぶ気持ちが何よりではないでしょうか?
教育論の話になると
何故か一方的に、教える者と教わる者てな区切りが出来てしまい
教えることによって教わる気持ちが欠落してる世の中のように思うんですよね
教育は大事なんだけど
それより大事なのは教わる気持ちではないでしょうか?
教わる者が教わる気持ちを失うのも
教える者が、教わる気持ちを無くしてしまった世の中だからじゃないでしょうか?
教わる気持ちが育たないと、atoitiさんの説かれる畜生になるのかなぁ~
あえて、善悪は語らないでおきますね
(  ̄▽ ̄)にっこり
ありがとうございます
教わる気持ちを育てる。
同感です、
そのために必要な、重要な要素は「信」だと思います
子供が、先生を信頼すれば、大人を信頼すれば、社会を信頼すれば
急速に成長します
疑えば、簡単な事さえ分からなくなるのです
だから「信頼できる社会(環境)」こそ、人間として成長するための
重要な要素だと思うのです。
と言う事から
ポンコツな先生でも、子供の前では「いい先生だね~」と言いましょう
No.6
- 回答日時:
知とは当代の常識の一部です。
ですから、プラトンもデカルトもヘーゲルも同じことを考えてますね。俺って、本当に物事を知ってるのかな?という思考姿勢ですね。プラトンは「無知の知」。デカルトは知への「懐疑」。ヘーゲルは既存の知への「否定」です。分野の偉大な人々は、哲学者に限らず、ひとまず自身が所有する知識、死っているを疑うんですよね。ありがとうございます
横道にそれてすいません
そうですね、常に立ち止まり、謙虚にならなければと思います。
でも、迷いは良くないとおもうのです。
プラトンの書き、語り、走った激浪の生涯の、揺るぎない自信は、
何処から来るのでしょうかね。
No.5
- 回答日時:
「大なりと呼ぶなら、それはまた小として現れようというのだ。
また重しといえば、軽しで、万事が万事かくのごとく」は日本で言えば
「五十歩百歩」に近い。
随分、質問から離れましたが、この言葉は、「無知の知」ではなく、「不知の知」という表現が正しいとする論もあります。「無知」とは、知識が欠けることや愚かなことを意味していますが、ソクラテスが自覚しているのは「知らないこと=不知」であるためです。
「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの概念です。
ソクラテス以前の哲学者は、タレスが「万物の根源は水である」と言い、ヘラクレイトスが「万物の根源は火である」と言うなど、万物の根源について探求し、それを知っている者として哲学者は「知者」(ソフィスト)と呼ばれていました。しかしソクラテスは「自分は何も知らない」そして「それを自覚している」といい、自分はソフィストではないとしたのです。ソクラテスの真理を探究する哲学の基本となる概念である「無知の知(不知の知)」は、ギリシャ哲学の流れの中で画期的な考え方でした。
「無知の知」はよりよく生きるための指針。
ソクラテスは「いかに生きるべきか」「よりよく生きること」について問い続けました。無知である自分に気づいた時、人は安易な自己満足でごまかさず、自分と向き合い、真の知に近づこうとする探求が始まります。それはいかに生きるべきかの探求へもつながります。ソクラテスの「無知の知」は、よりよく生きるための指針でもあるのです。
「知」への欲求は「知への愛」とされます。「哲学:フィロソフィー」の言葉のもととなったギリシャ語「フィロソフィア」は「知を愛する」という意味です。
「無知の知」のきっかけはデルフォイの神託。
ソクラテスが「自分が何も知らないということを自覚する」に思い至ったきっかけは、デルフォイの神託でした。デルフォイの神託とは、古代ギリシャにおいて最も重要で神聖な場所とされていたデルフォイの神託所で、神の預言として巫女を通じて授けられる言葉です。
ある時、ソクラテスの弟子が、アテネで一番の知者は誰かとデルフォイの神託所で尋ねたところ、一番の知者はソクラテスである、と告げられます。それを聞いたソクラテスは、そのお告げの意味を解明するため、賢者とされる人や高名な人を尋ね歩きました。その結果、全ての人は「何も知らないのに知っていると思い込んでいる」ということにソクラテスは気づき、やはり一番の知者は自分かもしれないと思うのです。なぜなら、知らないということをわかっているという点が、知恵のある者だからです。
「無知の知」を探求したためソクラテスは死罪となりました。
ソクラテスは「知らないことを自覚する」ということを哲学の出発点として、他者との問答を通じて探求を深めますが、その過程で論駁されたり知らないことを暴かれたりした識者などから激しい憎悪を受けることになります。やがて無実の罪で告訴され、裁判の結果死刑判決が下り、ソクラテスは毒を飲んで自害しました。
「汝自身を知れ」が同じ意味とされることもあります。
ソクラテスが大切にしていた言葉に「汝自身を知れ」があります。この言葉はデルフォイの神殿の入り口に掲げられていた言葉です。「自分が知らないことを自覚し、その自覚に立って真の知を得て正しく行動せよ」という意味としてソクラテスが行動する上での指針としていました。そのため、「無知の知」と「汝自身を知れ」は同じ意味であるとされることもあります。
「汝自身を知れ」は、もともと誰の言葉なのかという論議とともに、古来よりさまざまな意味の解釈があり、「自分を知り、自分の人生について決定を下せるのは自分しかいない」という意味だとする人もいます。
無知の知への言及が記されたプラトンの本を紹介します。
『ソクラテスの弁明』
ソクラテスが「無知の知」という言葉を使ったわけではなく、のちにプラトンが書き記したソクラテスの言葉が格言のように変化して日本に定着した言葉が「無知の知」です。その意味は、先に説明したように「知らないことを自覚する」という意味のソクラテス哲学の基本の概念です。告訴されたソクラテスが法廷で弁明する場面を描いたプラトンの著書『ソクラテスの弁明』にその記述があります。知らないことへの自覚が語られる箇所を紹介します。
その人と対話をしていて私にはこう思われたのです。
「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない」と。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
「私はこの人間よりは知恵がある。この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」と。
「無知の知」を使った例文
・「無知の知」、あるいはその概念を用いた例文紹介です。
・唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある。
・自分が無知であることを知り、真の英知に近づくために努力することが大切だ。
・無知の知は、真の知へと近づく第一歩である。
・知らないということを知っていることは、知らないことを知らないことに勝る。
「無知の知」は、ソクラテスの「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。その哲学を探求するため、ソクラテスは識者に問答をしかけ、その結果、相手の無知を暴いてしまったことから憎しみを買われ、法廷で裁かれることになります。さらにその法廷の場で、人間はみな無知の中にいることをソクラテスが指摘したことから、さらに人々の憎悪が高まり、有罪に至るのです。
結果としてソクラテスは自らの死によって、人々の無知を証明したことになります。私たちはソクラテスの生き方から「無知の知」について考える機会を得ることができるのです。
本題からそれてすいません
貴重なお答え、ありがとうございます
「汝自身を知れ」も大きなテーマですね
自分を見つめるとか、自分を反省する、自分の知を疑う、
ということは非常に難しいと言う事ですね、
自分の事が、一番分からないのかも知れませんね
でも、最も大切な事でもある訳です
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ご回答の中に「無知の知」にいてありました
補足します
この問いかけの意味を理解するためには、
自覚せよ、罪深い、などの
既成の用語に寄り掛からないほうがよいと思うのです
後のプラトンが
「大なりと呼ぶなら、それはまた小として現れようというのだ。
また重しといえば、軽しで、万事が万事かくのごとく」
との言葉から読み解くと
知と無知はこの関係であり相互の混和又は相互の依存性を表している
知と無知は二にして二にあらず「二而不二」の関係で
東洋哲学と響き合う思考法と考えられるのです