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現役時代に所属したヤクルト、巨人、阪神の3球団で4番を打った広沢克己は、巨人へFA移籍したことを深く後悔したのでしょうか?
広沢がFA権を獲得した94年シーズン中に、巨人監督だった長嶋茂雄から、「トラちゃんおいで」とラブコールを受けていたものの、広沢はFA権を行使する気はなかったと言っていました。
それが一転したのがその年の契約更改で、球団社長から、「もう君の時代は終わった。これからは、古田が球団の顔だ」などと言われ、止むなくFA権を行使したそうです。
広沢の当時の年俸2億円を引き受けられる球団は巨人しかなく、巨人移籍が決まりかかると、ヤクルト監督だった野村克也から、「巨人の体質を考えると移籍するべきではない!」と忠告を受けながらも、巨人へFA移籍しました。
広沢が巨人へ在籍していた頃は、一塁に落合、清原がいる選手層がかなり厚い時代で、広沢は一年目がレフト、三年目がライトと言った不慣れな外野手でのスタメン出場で、レフトで出場したときに打球を後逸すると解説者からダメ出しされていました。
広沢が最も活躍したのが三年目の97年で、清原が不振に喘いでいたときに4番を打ち、結果を残しました。
高橋由伸が入団してからは完全に控えに回り、99年に出場した試合で走塁時に肩を脱臼して戦線離脱した後、自由契約となり、野村克也が監督をしていた阪神へ移籍しました。
巨人時代は、ヤクルト時代の面影は一切なかったと言えます。

A 回答 (2件)

FA移籍>>野村ID野球。


が広沢克己に根底にあったため、試合出場が極めて少なることを覚悟の上で、移籍したかと思います。
まぁどんなスポーツでもプロの世界では試合に出場がなんぼであり、選手にとっては何よりも幸せであり達成感を得られるものです。
移籍後の広沢選手は、ヤクルト時代に比べれば、不振、怪我と続き、実績が出ない中で迷走していましたよね。
それを思えば、深く深く移籍を後悔したに違いないと思います。
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別に巨人ファンでもヤクルトファンでもありませんが、私はあの時、「なぜ?」と思った記憶があります。



巨人ブランドは確かに魅力的ですが、野村監督の元で野球をやっていた方が幸せだったのではと
思いました。
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