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自分の絵に自信が持てません。

私は美術系の高校に通っています。
周りのみんなは自分の描いた絵を自慢げ?というか、サラッと「みてみて〜」って感じで見せてきます。
「下手になった…」とか言いつつも見して来る時もあります。
てか、そういう人しかいません。
私は、下手になったと思ったら絶対に見せたくないし、人の前で自分の本気の絵を描きたくないです。

昔に本気で描いた絵を絵が上手い友達に見られた時に、絵上手いやん!と言われた事がありました。
そして私は、絶対コイツ嫌味だろ、
心の中では絶対に馬鹿にしてる。と思ってしまい、
その時から人前で本気の絵を描くのが怖くなりました。

案外上手くないんだな…って思われるのが怖くて、みんなの前では本気の絵を描かず、いつもふざけたようなイラストばかり描いてます。

もうなんか、家でイラストを描いてても、全然自分の絵に自信が持てなくて…。描いてる途中にも、うわ、下手だ…と急に思うと、その絵を描くのをやめてしまうこともあります。

友達はTwitterとかInstagramとかに、上手に描けた!とか言って、描いた絵を投稿しています。
私には絶対に出来ません。
なんでそんなに自分の描いたえに自信があんだよ…!!
どうすれば、自分の絵をみんなに見せれるようになるのでしょうか。
自信が持てるようになるのでしょうか。
家族にも自分の絵を自慢げに見せれないです。
こんな自分をやめたいです。
堂々とみんなに自分の描いた絵を見せれるようにたりたいです。
こういう経験をしたことある人とかいますか。
なんでもいいから教えてください。

A 回答 (5件)

あなたは「絵を見る力」(審美眼)と「絵を描く力」(画力)とが、遊離してきたのかも。

そして、友達はその乖離がないのかも。

画力は日々の努力、いくら注意深く詳細に対象を描き取るかで決まる。審美眼は、いかに注意深く詳細に対象を見つめ、選ぶかで。
つまり、前者はデッサンやスケッチなど「描く活動」が必要です。後者は、とりあえず「見る」のです。良いものだけではなく、良くない物も。

思春期に、審美眼と画力の遊離があるのは普通のこと。嫌ならば、ひたすら描くしかない。人に見せるのは承認欲求なので、どうでも良いかと。あっても良いしなくても良い。
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自信があるから描くのではありません。


自慢したから描くのではありません。
描きたいから描くのです。
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描く目的は主に2種類あって、


ひとつは『人に見てもらいたい』ひと。
もうひとつは『自分だけ満足できればいい』ひと。
あなたの描く目的はなんなの?

人に見てもらいたいと思わないなら、自分だけが気に入る絵を描けばいいだけ。
僕には、
「ホントは人に見せたい。褒められたい」
という本音が隠れてるように感じるのですが。

見せないのに褒めてもらえることはないですもんね。
でも「下手と思われたら……」という気持ちが拭えなくて見せないから褒められない。
褒めてほしいという本音が満たされないから不満が溜まる。
そんな悪循環だと思います。
そしてその「人に見せて下手と思われたら……」という気持ちは、
あなた自身が他人の絵を見て「別にこんなの上手いと思わないけどなー」って内心で思ってしまうから、
『他人からの評価って基本マイナス』ってイメージになってるんだと思います。
自分と同じように、みんな本人の前では褒めるけど内心では「大したことない」って思うに決まってる、って。

他人の絵を見て褒めるとこ探しをしてみたらどうでしょう。
本人の前でお世辞で褒めるだけじゃなく、色とか構図とか何でもいいからたくさんプラス評価をする。
そのうち自分の絵もプラス評価できるようになるかもしれないし、そしたら「人に見せてみようかな」って気持ちも生まれるかも。
結果、「見せたい、褒められたい」欲も満足できると思います。
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美術系の高校に通っているくせに、芸術とは何かが分かっていならしい


優れた作品は何処が違うのか分かっていないらしい
芸術の心が分かっていないらしい

ヨーロッパのルネサンスの芸術は、ある意味で、教会に束縛され、為政者に圧迫されてきた民衆の大反撃の結果という面がある。「人間は、こうあるべきなのだ!」と立ち上がり、表現した。偉大なる人間の力を示した。これが不朽の芸術として、今に残っているのです。
そこには
恐れはなく、自由があり、喜びがあり、独創性があり、想像があり、哲学が有るのです
そのような一流の芸術は「人をくつろがせたり」「生命力を与えてくれる」ものなのです

「美」を愛する心が、芸術・文化の心だと思います
「美」の追求が、芸術・文化に通ずると思います

権力は「外から」人を抑えこもうとするのに対し
芸術や文化は「内側から」人々を解放するのです
「人」と「人」をつなぐ力があります

芸術を「学ぶ」ということのいちばんの敵は、「恐れる」ということです。何でも――。「下手だと笑われないだろうか」「間違えて恥をかくんじゃないか」。そういう恐れがあると、なかなか前へ進めない。だから「勇気」を出すんです。笑われたって、かまわない。

人間は五感を通して情報を認識し思いを巡らし
脳が確認し美を想像し共鳴します
駄作は認識しずらく脳が拒否し、醜さを想像させます

又、同じ芸術でも
感受性の低い人と高い人で違うし
深い哲学のある人や知識と経験のある人と、
ただ無意味に生きてる人と、感じ方は違うのです

更に最高の芸術は、
人を育て、自分を育て、独創性、創造性を育むのです
最高の芸術は
勇気の源泉であり、喜びの源泉であり
自分の名誉や、もうけではなく、「皆を喜ばせたい」という心。
その心をつくっていこうというのが、本当の芸術です

その意味から、「哲学」のない芸術はクズです
クズに感動するのはクズだけです

「芸術は私たちの中にある『聖なるもの』の表現なのです」
(ユッタ・ウンカルト=サイフェルト女史)
「勇気や希望を心に灯し、或いは清澄は心を引き出すのが、
真の芸術といえましょう」
饒宗イ博士
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>なんでそんなに自分の描いたえに自信があんだよ…!!



自分の絵を他人と比較しない人っていうのは、いるんですよね。
今自分にできることはここまで。
今までよりもうまくできたから、うまく描けた。
自信じゃないんですよ。
会話と同じで、絵でコミュニケーションしたいと考えている人が、そんなふうにできてる。
自分を他人に見せることがその人にとってのアートの根幹なので、自信がなくても主張するのは自然なんですよね。

アーティストの適性のひとつです。

でも、そのメンタルの強さがないとだめかというと、そんなことはないんですよ。
人によるんですよね。


>どうすれば、自分の絵をみんなに見せれるようになるのでしょうか。

傷つきたくない気持ちがあるから見せられないので、強くなるしかないんですよね。
強くなるためにあなたが欲しがっているのは「うまさ」ですから、うまさを強化するしかないと思います。

堂々と見せなくてもいいんですが、人に見せるというのは上達の最良手法なんです。
ですから他人に絵を見せられる人というのは、気がつくととんでもなく遠い人になってた、みたいなことが多いです。
他人の視線にさらされる自分というのは、すごく大変だけれども、すごく上達が早くなります。

やだなあと思われるでしょうし、自分もいやでしたけれど、今になってみればもっと見せてればよかったと思います。
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