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「無宗教という宗教」にならい、
たとえば「無自覚という自覚」・「無価値という価値」・「無許可という許可」は、何という表現・思考なのですか?
(一見、矛盾しているようにみえますが  / たんなる言葉遊びですか?)

A 回答 (12件中1~10件)

たとえば


「芸術は物質としては無価値だが、経済的には価値がある」という表現でしたら、視点を変えているんだなとわかりますが、「無価値という価値」だけでは、レトリックか言葉遊びっぽく聞こえますね。

「無宗教という宗教」については、かつて宗教学者の島田裕巳氏が日本人の「無宗教」を肯定的に評価してそう言っていましたが、これも字義通りに受け取るべきではないと思いました。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<「芸術は物質としては無価値だが、経済的には価値がある」という表現でしたら、視点を変えている>ですので、理解できますね。

お礼日時:2022/03/12 08:30

宗教という言葉。

religionという言葉の翻訳なら 正確な使用になってませんよ。religionとは「神と人のつながり」を言います。それを持って、言語学者ヴァンヴェニストは、「襟元をただす」という語源的意味を持っています。この観点から議論しないと、議論は、日本の中だけ、どころか、「ここだけ」のものになります。
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この回答へのお礼

私には、難しくて理解できません。

お礼日時:2022/03/14 17:02

なんとあなたが主張しても、


創価学会員が,折伏行として
他宗教を破折する目的の
定義された用語です、

質問は創価学会教学部に
提出するのが本来だ!と
他の回答者は主張しているのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<創価学会員が,折伏行として
他宗教を破折する目的の
定義された用語>なのですか。

お礼日時:2022/03/15 17:48

これは学界の論文などではなく 僕の叔父が言ってた話なので



宗教が乱立し 宗教同士が合い和しない状況の中で

永久中立国のような「無宗教」という立場を説明したものであって

宗教を持たないという信念を言ったものです。

こう書けば意味は分かるのではないでしょうか?

言葉遊びではありません。個人の信念です。
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この回答へのお礼

(個人の信念であろうがなかろうが)
「無宗教という宗教」は言葉遊びではありません、ですね。

お礼日時:2022/03/13 12:06

よく分かりませんが ちゃんと考えて書いてもらわないと



歪曲しているように感じますが?
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この回答へのお礼

回答は?

お礼日時:2022/03/12 08:43

「無宗教という宗教」は無宗教を主張する人が滑稽だという


単なる隠喩による言葉遊び
無自覚を主張する人がいるならそれは自覚しているわけで
ホントの無自覚者は自覚ではない
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<単なる隠喩による言葉遊び>と言いたくなりますね。

お礼日時:2022/03/12 08:43

無意識。


意識していないのに、意識があったかの様な言動をする。
ここには何らかの意識的な何か、がある様に思います。
意識の大地、みたいな。

無宗教と云う宗教、と云う表現も、宗教の大地、云わばカンバスがあるという事を、云おうとしているのではないでしょうか。

敢えて云ってみれば「心は宗教(と云う性質)で、出来ている」と、なりますね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<宗教の大地、云わばカンバスがあるという事を、云おうとしているのではないでしょうか。>ですね。
   *
私も内心、宗教の大地、云わばカンバスがあり、それに(一般に言いわれる普通の)宗教と無宗教が載っている・含まれている、と考えたこともあります。(うまく説明ができないですが)

お礼日時:2022/03/12 08:41

人間は何かを信じないと生きられないと考えますので「無宗教と言う信仰」はあると思います。



無自覚の自覚とか無許可という許可、等は論理的にはおかしいと思いますので、「文学的表現」としたらいいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<論理的にはおかしい>が<「文学的表現」と>みればよいのですね。

お礼日時:2022/03/12 08:31

相対化、かなあ。


相対化は場面によっては有効な思考方法なんですが、使いどころを間違えるとただの言葉遊び、あるいは批判から逃れるための欺瞞になりえますね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<相対化>ですか。私には理解が難しいですね。

お礼日時:2022/03/11 18:16

多分、インド哲学の祖ヤージュニャヴァルキャの無限遡行では・・・・


無限遡行に陥ると哲学的に成立しない。
ヤージュニャヴァルキャは「自己とは認識するものである。認識するものを認識することはできない。認識するものを認識するとなると、さらにそれを認識する必要になり、無限遡行に陥る。」と説く。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
深ーーく考えると、よく言えば、<無限遡行に陥る>ことに行き着くのですね。

お礼日時:2022/03/11 18:14

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