秋田でのワールド・ゲームズ総集編をNHK総合で見ましたが、ナマハゲが出て来ました。ところであのナマハゲは何者でしょうか?山で暮らす(山家)が里に出てきたのか?奈良時代での朝廷から見たいわえる(蝦夷)でしょうか?もっと突っ込んで日本海を挟んだ沿海州の土着の人ゞが船で渡って来たのでしょうか?ロマンあふれる設問ですが宜しく!ちなみに私の家内は秋田生まれです。

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A 回答 (3件)

最初に蝦夷と渡来人となまはげがどーしても結びつきません。


渡来人が米を伝えたへ、それを広めるために奥州遠征をして
蝦夷という抵抗勢力のことをなまはげとみなしたんでしょうか?
であれば、多少、反論したいところがあります。

第一に米が伝わった年代と奥州遠征の年代には数百年の開きがあり、
坂上田村麻呂よりも前に奥州には稲作文化があったことです。
縄文時代後期に青森で水耕田ではないが、稲作が行われていた
という説があります。今の教科書には登呂遺跡が削除されたり
しているのを御存じですか?私らのときには弥生時代=稲作=登呂遺跡
って感じでしたのにね。まあ、縄文時代後期には稲作が確立していた
というのは、もはや通説ですね。
そんなわけで、渡来人と奥州遠征はあんまり関係ないと思います。

第二に蝦夷となまはげの関係ですが、蝦夷が「野蛮な敵」という意味で
あるので、ちょっと関係あるように思えるのですが、蝦夷は降伏して
大和朝廷の一員として同化したので、蝦夷の残党が村を襲うなんてことも
考えにくいですね。教科書的には蝦夷が有名ですが、隼人やクマソやら
なにやら、要は大和朝廷とは別の勢力はたくさんあり、蝦夷だけが伝説と
なったとは無理があります。そもそも、坂上田村麻呂の遠征は多賀城を根拠
に今の宮城県での戦いが中心だったような。

山家というの、どうでしょう?山家となまはげというと「またたぎ」のことで
しょうか。たしかにまたたぎも秋田ですが、山家というのは日本版ジプシーで
あり、彼らは定住しません。そこから考えると年一回だけ村に訪れるというのも
なんとなく、なまはげと関係ありそうですが、なまはげは夜の行事なので
山家が夜中にいきなり家に来るなんて慣習としては考えられないですよね。

他の説として「異邦人説」がありますが、秋田を中心とした東北の日本海側って
すごいんです。十三湊なんてはるか昔から貿易港として栄えていました。
それに沿海州からだと対馬海流の影響で、けっこう秋田へは異邦人が商売やら
流民やら多く訪れています。秋田美人っていいますよね?その理由として
秋田は伝統的に異邦人との混血がすすんでいるため、目鼻がくっきりしている
という説があります。そんな流民が村を集団で襲うという可能性はありますが
それが伝統的な祭りへと発展するかというと疑問ですね。

批判ばかりなので、ここで私の考えを。
私はなまはげはずばり「鬼」だと思います。鬼というと悪魔を想像しがちですが
ここでいう鬼とは阿修羅や羅刹と異なり、天部の神様の眷属である夜叉のことを
指します。諺に出てくる鬼は「心を鬼にする」、「鬼の目にも涙」、「鬼の居ぬ間に」
というものがありますが、そのほとんどが その人のことを考えて、あえて厳しい
ことを実行している 人達のことですよね。「来年のことを言うと鬼が笑う」というのも
弟子が今日のこともろくにできないのに、将来のことをくちにしたことに師匠が笑う
と解釈すれば、しっくりきませんか?

四天王という神様の下敷きになっている邪鬼も、踏み付けられているという印象
があるんですが、よく見ると邪気自身は笑顔なんですよ。そんなわけで鬼とは
その恐い様相でもって悪事を働く者の抑制力となったりします。ちなみに
桃太郎の出てくる鬼は「羅刹」のことです。このへんはインド古典にまったく
同じ話があるんですね。鬼が島はスリランカ島だったような。

そんなわけで、なまはげは「雷が鳴ると鬼にへそを取られるから隠せ」と同じ
根拠だと思います。雷とへそと鬼、雷鳴時は寒冷前線の通過を示し、急激な
温度低下が伴います。薬の不十分の時代にはお腹を冷やすことは死活問題に
つながることも大袈裟ではありません。ただ、子供に「寒冷前線が云々」
と言っても理解できるはずがなく鬼が登場するわけです(寒冷という言葉が
あったわけじゃありませんけどね)

なまはげの時期は雪積る晩です。冬場の東北は食べ物が非常に乏しいため、
エネルギー代謝の観点からも、夜はあたたかくして寝た方が得策です。
でも、子供は起きてる間は動きまわりるので、大人の知恵として、夜になったら
騒がないように鬼に登場してもらったのだと思います。夜には騒がないと
いうのは昔のルールですからね。「夜、口笛を吹くと鬼(蛇orお化け)が出る」
と同じ発想です。それをほんとに実践してしまっているのがなまはげ行事では
ないでしょうか。だから今でもなまはげは「泣く子はいねーか?」というセリフだし、
子供はパニックでも、大人はようこそって感じなんですよね。

まとめると夜に子供を騒がせないために鬼を登場させ、それを言い伝えの
レベルを超えて村ぐるみの大芝居にまで発展させてしまたのがなまはげの
ルーツだと思いますよ。少なくとも略奪、強盗系ではないと思います。
あんまりロンチックじゃないですね。
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この回答へのお礼

大変ご丁寧なご返事頂きまして有難う御座います。noribou11さんの博識には敬意を表します。私ももっと書籍を読んで勉強していく所存です。
ご返答有難う御座いました。

お礼日時:2001/09/03 19:12

あのナマハゲ自体は、赤い方が「ナミー」、青い方が「ハギー」と言います。

「ナミー」はnum=たくさんの人たち、「ハギー」はhug=抱き合うという意味もこめられています。ワールドゲームズ用のキャラクターで、それぞれ3体ずつ作られ、うち1体は男鹿にある「なまはげ神社」だったかな?に「なまはげ関連品」ということで、数日前に保管・展示されることになりました。残り2体は運動会などに貸し出すことにしていますが、「秋田県のマスコットキャラクターにしてはどうだ」という意見もあるようです。私は賛成です。詳しくは下記URLをご覧下さい。

秋田県人でした。

参考URL:http://www.sakigake.co.jp/Sports/wg/wg2001_top.h …
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この回答へのお礼

私は東京生まれ。家内は湯沢市近くで生まれ育ち、私と結婚して1男2女をもうけました、家内の叔母が秋田市に住み男鹿半島まで旅行し観光向けでナマハゲを見ました子供達は本当にびっくりした事が有りました。今回秋田の方々ワールドゲームズご苦労様でした。今回のご返答有難う御座いました。

お礼日時:2001/09/03 14:15

下のページが詳しいのではないかと思います。


調べてみて、私も勉強になりました。

「鬼」説「異邦人」説「修験者」説とあるようですね。

参考URL:http://www.namahage.ne.jp/namahage/oga/sinwa.htm

この回答への補足

ご返事頂き有難う御座います。私はは色々本を読み漁ってきまして、日本人とは何かと興味が沸き梅原猛先生の書物を読んだりしまして、日本人が縄文時代から稲作を持ってきた渡来人により弥生時代に入った。そこまでの経緯で奈良朝廷は稲作を広めるため、坂上田村麻呂に東北の蝦夷征伐を命じます。渡来人と蝦夷と言うキーワードでナマハゲの存在に結びつくのではないでしょうか。
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/gb3/s-kimura/ta …

http://www2u.biglobe.ne.jp/~REKISI/rekishi/34234 …

宜しくお願いします。

補足日時:2001/09/03 09:54
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Q「なまはげ」について

なまはげにとても興味がある関東人です。
2月に観光客向けのなまはげ紫灯祭りがありますが、
実際の大晦日の「なまはげ行事」は一般人は体験できるのでしょうか?
地元の方限定行事でしょうか? 
大晦日のものは具体的にはどのようなものなのでしょうか?
ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なまはげの行事がある土地に住んでます♪

大晦日の行事は、主に地元の家をなまはげがまわって、勝手に家の中に入って(笑)暴れてお酒を振舞われて帰っていきます(笑)
なまはげを家の中にいれていいかは事前に聞かれます♪

なまはげが暴れて落としていったワラを拾うと風邪をひかない、また頭に巻くと頭がよくなるといわれています☆

子供のころは毎年なまはげがくると恐くて泣いて隠れていました。。「泣ぐ子はいねが~」と叫びながら子供を探して見つければ捕まえて担ぎます(笑)そして、親の言うことはちゃんと聞くか、など約束をします♪その後親がお酒を振舞って、(お酒を飲む時はお面を取って、ふつーの飲み会みたいになってます!しかもなまはげは寄る家全部でお酒を飲んでいるのでベロベロ)なまはげは帰っていきます(^-^)

たぶん、地元の限定の行事だと思うのですが、こちらに知り合いとか親戚がいらっしゃるなら是非大晦日に来てください♪面白いとおもいますよ♪

Q蘇我蝦夷、と蝦夷地、は同じ意味?蘇我蝦夷の時代には「蝦夷」ということばに侮蔑の意味はなかった?

「蘇我蝦夷」と蝦夷地は名称が同じです。蝦夷地は蘇我蝦夷と関係がありますか?

蝦夷地の蝦夷という語は侮蔑的呼称であると読んだ覚えがあります。まさか侮蔑的な言葉を人の名前にするわけはありません。ということは、蘇我の時代には侮蔑的ではなかったのですか?

Aベストアンサー

Wikipedia「蘇我蝦夷」の項に「名称」についての論争がかなり詳しく触れられていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E8%9D%A6%E5%A4%B7
「蘇我毛人」が本名であったという説は面白そう。「夷」という字は野蛮人の意で軽蔑のニュアンスが含まれます。聖徳太子の国書に対し隋の煬帝が「蛮夷の書、無礼なる者あり」と激怒したことはよく知られています。「毛人」を「蝦夷」と書き換えたのは軽蔑のニュアンスを付け加えるつもりだったのか微妙ですね。中国でも、あの管鮑の交わりで有名な管仲も本名は夷吾(いご)、「夷」という字がついていますね。昔の人はどういう字を使うかにはあまり頓着しなかったのかも。

Qなまはげからわが子が自衛で怪我をさせてしまったとしたら

なまはげの人が我が家にやってきて、もしもわが子が怖がって、自衛のために刃物でなまはげ人を怪我させてしまったとしたら、治療費は全額我が家の責任でしょうか?もしも、の話でお願いします。

Aベストアンサー

法的な損害賠償責任の問題と解釈して回答させていただきます。

 まず、お子さんが11歳~12歳未満である事を前提に話させていただきます。この場合お子さんは事理弁識能力がないと判断され損害賠償責任を負いません(民法712条)。

 しかし、この場合未成年者の監督者である者に、自分がその未成年者を監督する義務を怠っていなかった、または怠らなくてもその損害が発生したであろうときを除き、損害賠償責任が生じます(民法714条)。

 また、正当防衛(民法720条1項)が立証できれば損害賠償責任を免れます。この場合なまはげはお子さんを害そうと思って来ているわけではありませんが、お子さんが「自分が害される」と思うに足りる状況ならば反撃行為として正当防衛(誤想防衛)が認められるでしょう。


 現実的には監督義務を尽くしていた事の証明は難しいので、正当防衛の認否の問題になると思われます。この場合、お子さんの年齢、具体的状況、なまはげの行動など、その具体的事実によって変わってくると思われます。

 個人的には、正当防衛は立証できないが、相手にも過失があると認められて、過失相殺(相手も悪いときに損害賠償額を減らすこと。交通事故などで7:3などと言うそれ。)という運びになると思うのですが・・・過失相殺になった場合、全額はもちろんのこと半額以下になることと思われます。

法的な損害賠償責任の問題と解釈して回答させていただきます。

 まず、お子さんが11歳~12歳未満である事を前提に話させていただきます。この場合お子さんは事理弁識能力がないと判断され損害賠償責任を負いません(民法712条)。

 しかし、この場合未成年者の監督者である者に、自分がその未成年者を監督する義務を怠っていなかった、または怠らなくてもその損害が発生したであろうときを除き、損害賠償責任が生じます(民法714条)。

 また、正当防衛(民法720条1項)が立証できれば損害賠償責任を...続きを読む

Q日本の朝廷制度の改革について。 日本の朝廷の歴史に詳しい人に聞きたいのですが、戦国時代、安土桃山時

日本の朝廷制度の改革について。

日本の朝廷の歴史に詳しい人に聞きたいのですが、戦国時代、安土桃山時代でも時の大名の天下人が朝廷制度の改革は出来ますか?

例えば、大政大臣というポストは今でいう
最高栄誉職みたい?だと自分では思ってます。

もしこの時代でもそういう認識なら、権力、権威なども持たせることは出来ますか?

やはり朝廷や王朝は儀礼、伝統、前例などを重視する為、織田信長、豊臣秀吉などでも無理ですか?

Aベストアンサー

権威は自分から唱えてもだめです。万人がそれを認めなければ。武家政権は力で国家権力を握りました。されどその正当性を認識させるためには、天皇から征夷大将軍の任命を受ける必要があったのです。織田信長は統一半ばで没してしまったので、権威などは無視したとも思われていますが、京に上るに際しては足利将軍の権威を利用しましたし、戦の和解にはたびたび天皇の綸旨をも利用しています。
日本の朝廷制度は大和政権の成立から、その利用の便宜性に支えられて存続してきました。天下人といえども利用できる権威の存続は望ましかったと思われるのです。そしてそれに手を付けることが、権威の低下、失墜に及ぶことを危惧したのではないでしょうか?

Q「なまはげ」の格好で山登りをしたら、熊は逃げますか?

「なまはげ」の格好で山登りをしたら、熊は逃げますか?

今年は夏の猛暑の影響からか、山に熊のえさが不足していて、人と熊が遭遇する機会が増えているようです。

そこで、せめてもの防衛策として「なまはげ」の格好をして山登りをしたら、もし出会っても熊は逃げますか?
出会わないで済みそうだと思いますか?

Aベストアンサー

強さの順で言えば、熊も所詮は人間と同じ哺乳類ですから神の使いで鬼の仲間である、なまはげには敵わないので逃げます。

ただし、これは本物のなまはげであった場合のみの話で、人間とばれたら襲われるでしょう。

「なまはげ」の格好で山登りをして効果があるのは大晦日と2月の数日(だったような^^;)の間だけです。

これ以外の時期では熊が「今の時期になまはげが居るわけ無い」と襲ってきます。

なまはげが熊に通じる時期と本州以南に生息している大多数の熊の冬眠時期が重なることは、自然の摂理とは言え非常に残念なことだと私は常日頃から思っています。



※よい子の皆は信じたり実行したりしないでね。

Q蝦夷

高橋克彦氏の小説などを読むと古代東北人は自らを『蝦夷』と呼んでいますが、蝦夷というのは当時の差別用語ですから、今の我々が自らを『じゃっぷ』とは呼ばないように、当時蝦夷といわれていた人々が、自分たちを『蝦夷』と言っていたとは思えません。
ヤマト・奈良時代の東北人は自分たちのことをどう呼称していたのでしょうか。

Aベストアンサー

●文字記録がないということと、文字がなかったと言うこととは違いますね。
○違いますね。
 ただ、これだけ発掘調査がされているのに「古代蝦夷の文字」が見つかっていないですし、蝦夷の子孫tのも言われるアイヌ民族に文字がなかったことを考えれば、「古代蝦夷は文字を使っていなかった」と考えるのが妥当でしょう。

 また、「蝦夷」というのは「東国に住まうまつろわぬ人々」という意味で使われていますので今日的意味で言う「民族」とは異なります。(故に、臣従すると「俘囚」と呼称が変わる)
 そうなると「蝦夷」というのは
・今日的意味でいう大和民族とは違う異民族
・朝廷に逆らった元・大和民族
・上記の子孫
と言う可能性を否定しきれませんので、その言葉を特定することさえ困難でしょう。
ただし、東北地方には「アイヌ語の遺存地名」(アイヌ語で解釈できる地名ではなく、アイヌ文化圏に残る地形と地名が、東北における地形と地名一致する例。八戸などの「へ、ぺ」、「ナイ」など)があることは確認されていますので、あるいはアイヌ語にその遺存名を求めることが可能かもしれません。(ただし、文字を持たないアイヌ語では中世以前にどのような言葉であったかを確認することは極めて困難。また当然古代と近世・近代のアイヌ語は語彙・発音が変化していることは容易に想像できる

「わ」がポリネシア語などというのはトンデモ説もいいところですね(笑)
言語俗解そのもの。

 ちなみに「えみし」という言葉そのものは差別用語ではなく古代においては「力の強いもの」という意味しかなかったそうです。実際「えみし」という言葉は神武天皇にも使われているくらいです。
 それが東国の異民族の名称として使われたことにより「蝦夷」という漢字をあてて差別用語となったのです。

●文字記録がないということと、文字がなかったと言うこととは違いますね。
○違いますね。
 ただ、これだけ発掘調査がされているのに「古代蝦夷の文字」が見つかっていないですし、蝦夷の子孫tのも言われるアイヌ民族に文字がなかったことを考えれば、「古代蝦夷は文字を使っていなかった」と考えるのが妥当でしょう。

 また、「蝦夷」というのは「東国に住まうまつろわぬ人々」という意味で使われていますので今日的意味で言う「民族」とは異なります。(故に、臣従すると「俘囚」と呼称が変わる)
 そうなる...続きを読む

Q「なまはげ」はどうして子供に訓話をするの?

有名な秋田の「なまはげ」。
その恐ろしい形相から、かつては荒ぶる神だったのでと想像します。
それがどうして子供に訓話じみたことを話すのでしょうか?
訓話じみたというか、訓話そのものですね。
なまはげが農耕や疫病の神ではなく、子供の神になった経緯を教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なまはげ、とは「なもみ剥ぎ」の事である、と言われています。
なもみとは何かと言えば、冬に囲炉裏で足を炙っているとできる囲炉裏ダコの事です。
元々なまはげは、家中で火にあたって怠けてばかりいる者を戒める属性を持っている訳です。
また、岩手のスネカや四国のあまぶらこさぎ、北陸のあまめはぎ等、似た妖怪は多いです。
これらは前述した通り、『戒めを与える者』なんです。

以下、多分に私見が入っています。

なまはげの起源の一つとされる男鹿赤神神社の九百九十九の石段伝説によると、なまはげとは鬼であるとされています。
細かい部分は端折りますが、悪さをした為に退けた鬼を懐かしんで、この鬼の真似をするようになった。この真似こそが、今に伝わるなまはげの大本だと言われています。

また、年に一度訪れ、訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えて去るという今に伝わるなまはげの姿からは、確かに神としての属性も持っているように見えます。
これは、男鹿を地理的な面で見ると浮かんでくるように思えます。恐らくは、外部から来て富を与え去っていくモノ、所謂マレビト信仰が根底に絡んでいるんだと思います。

なまはげの習俗は多岐に渡ります。村々でも細かい差異がある程です。当然その成立には、多くのものが影響しているでしょう。
なまはげを構成する一つが赤神神社の五色鬼伝説であり、地理的に発生するマレビト信仰なんでしょう。

まとめますと、
凶相:由来の一つが鬼である
訓話:元々が戒める者である
神:由来の一つがマレビト信仰から来ている
となりますでしょうか。
また、なまはげは子供だけに限ったものではないようです。初嫁も戒めの対象になっているそうです。
子供の事がクローズアップされるのは、やはり時代の流れなんでしょうね。戒めの範疇に子供の躾が入ってくるようになったからなんでしょう。

以上、長文失礼しました。

なまはげ、とは「なもみ剥ぎ」の事である、と言われています。
なもみとは何かと言えば、冬に囲炉裏で足を炙っているとできる囲炉裏ダコの事です。
元々なまはげは、家中で火にあたって怠けてばかりいる者を戒める属性を持っている訳です。
また、岩手のスネカや四国のあまぶらこさぎ、北陸のあまめはぎ等、似た妖怪は多いです。
これらは前述した通り、『戒めを与える者』なんです。

以下、多分に私見が入っています。

なまはげの起源の一つとされる男鹿赤神神社の九百九十九の石段伝説によると、なま...続きを読む

Q朝廷ってよくわかりません。

いつも恥ずかしい質問ばかりしているものです。日本の歴史を学ぼうと思い小学生低学年レベルの本を買って勉強しなおしております。本を開くとすぐに「大和朝廷」という言葉が出てくるのですが意味がわかりません。勿論、大和朝廷についての本も見るのですが尚更解らず悩んでいます。どなたかこんな私でも理解できるような説明をして頂けないでしょうか?宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

天皇家が居るとことが朝廷です
従って、大和地方で天皇が居てが政治をしているの時代が大和朝廷となります。

天皇の下で武士(将軍)が政治を行うと幕府となり、鎌倉に将軍が政治をしていたのが鎌倉幕府、江戸でしていたのが江戸幕府になります

いま、天皇は東京に居ますので東京が朝廷になります
(京都では、東京に出張しているだけだから京都が朝廷だと言っています)

朝は日本では天皇を示しています
したがって、朝廷は天皇が居るところです

天皇が政治の中心に居る時代のことをXX朝廷時代またはXX朝時代と呼びます
(平安朝時代、南北朝時代など)

Qなまはげ

日曜日に秋田に行くのですが なまはげを(実物?)を見れる場所を教えて下さい 我が家の 悪ガキンチョに見せたいので お願いします

Aベストアンサー

GWに、男鹿半島の、入道崎に行ったとき、
青赤緑のなまはげがいましたよ!!

「どっからきたんだ~っ!!」と、聞かれました。

観光シーズンなので、きっと居ると思います。
近くに水族館もありますよ。

海岸沿いの道路は、絶景です。

楽しんで来てくださいね! 

Q沿海州共和国のメルクロフ政権について

ロシア革命の中でソ連の傀儡国家「極東共和国」や、日本の傀儡国家「沿海州共和国(沿海州自治会、沿海州自治会臨時政府)」という地方政権が出てきます。
この「沿海州共和国」と同一、あるいは関係が深いと思うのですが、「浦潮(浦塩)メルクロフ政権」という言葉を見つけました。
ウラジオストックの貿易商人、メルクロフ兄弟(S.D. and N.D. Merkulov)の短期政権(1921~22年)らしいのですが、詳細をご存じの方、教えていただけないでしょうか?
参考文献なども上げていただけると助かります。

Aベストアンサー

既知の情報の場合は笑って許して下さい^^

◆近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/
では検索キーワード「沿海州」&条件「1921年以降」で71件ヒット、
メルクーロフ関連で或る程度の頁を割いているのは下記ぐらいのようですが、
残念ながら情報は少ないです。

ヱス・デ・メルクーロフ氏

氏は黒龍州の出身で、農家に生れ、韃靼系の血を亨けてゐる。
ペテルブルグ大學の理科及び法科を卒業し、一時大蔵省の官吏たり。
千八百九十八年以來極東に歸り、極東の經濟的開發の研究に沒頭し、經濟界に重きをなす。
氏は露國が對清鐵道政策及び關東州と朝鮮とに對する野心を放棄せざれば、
日本と衝突し、極東の開發を阻害すべしと論じ、當路者にも屢々之を建議した。
義勇兵として日露戦争に參加し、後辯護士となり、旁ら『露國に於ける直接及び間接税と
其理論及び應用』なる論文を草しペテルブルグへ行き、之を學士會に提出して、
法學博士の稱號を得た。
千九百十三年から十七年迄ノーウオエ・ウレーミヤ紙社(社)員として言論界にも認められ、
十七年八月極東に歸り、二十年五月から浦潮のスローウオ紙に財政經濟問題に關する論文を
掲載し、メドウエーデフ政府の無能を指摘しつゝ、反動派の中心勢力を形造る動機をなした。

◇『シベリヤ秘史:出兵より撤兵まで/山内封介/日本評論社出版部/大正12.3』
ヱス・デ・メルクーロフ氏の写真(沿黒龍政府首班)&略歴 <206/242>左頁より
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971944/206
ほか関連部分は下記のとおりです。
第六 極東統一の氣運
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971944/209
「十 沿海州再び白化(356~363頁)」 <209~212/242>
「十一 舐められた大連會議(363~370頁)」 <212~217/242>
「十二 メルクーロフの失脚(370頁~375頁)」 <217~219/242>

続いては、外務省記録などですが…
こちらは日本側視点とは言え当時の生情報ですから、
実態解明とまではいかなくとも当時の情勢は把握出来ると思いますが…
個々の検索は厄介です(><)

◆国立公文書館アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
検索キーワード「メルクーロフ」では51件ヒットしますが、
(「メルクロフ」でも結果は同一)断片情報が多い中では
…政変初期に過ぎませんが…
下記URL内の「第十節 浦潮政變」あたりが纏まって読み易いようです。

[階層]外務省外交史料館>外務省記録>1門 政治>6類 諸外国内政>
3項 欧羅巴、其他>露国革命一件/出兵関係/西比利亜政情 第十九巻 その2
◇件名:11 極東露領政情 浦潮政情(自大正十年一月至大正十年六月)
[レファレンスコード]B03051240400[画像数]38
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B03051240400

上記以外でも、たとえば下記など時系列<大正10(1921)年5月~大正11(1922)年6月>
で辿ればメルクーロフ政権失脚までの断片情報が或る程度は得られるようです。
検索キーワード「西比利亜政情 第十九巻 その1」など…

・[階層]外務省外交史料館>外務省記録>1門 政治>6類 諸外国内政>
3項 欧羅巴、其他>露国革命一件/出兵関係/西比利亜政情 第十九巻 その1

・[階層]同前 第十九巻 その2
・[階層]同前 第二十巻
・[階層]同前 第二十一巻
・[階層]同前 第二十二巻
・[階層]同前 第二十三巻 A
・[階層]同前 第二十三巻 B
・[階層]同前 第二十四巻

ほかにも、たとえば
◇件名:自大正9年至大正12年 西比利亜参考書類1(21)
[レファレンスコード]C08051027000[画像数]56
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08051027000
<2~3/56>
…「ソビエト」全露ト同様貧困ナリ然レ共共和國ハ極東各州
多数住民ノ意ニ適合サルモノタリ共和國ハ日本ニ對
シ只干渉セサランコトヲ望ム日本ニハ不干渉ハ極メテ安價ナルモ
「アターマン」若クワ「メルクロフ」ハ多大ノ失費ヲ要スルコトヲ
忘ルヘカラス干渉ハ数億ヲ要ス占領ハ更ニ高價ナリ悪シキ平和ハ
善キ爭論ニ優レリトセスヤ
<11~13/56>…省略…<21~28/56>…省略…
などと防衛省防衛研究所関連の記録も多数揃っています。

[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>
大正12年>大正12年 公文備考 外交附属 巻1
自大正9年至大正12年 西比利亜参考書類1
(13)~(21)あたりとか

なお「国立公文書館アジア歴史資料センター」の検索では、
[階層]が厄介で、下層部の袋小路に入ると元からやり直しなんて事にもなりますが、
当時の情報収集には或る意味宝庫とも言えそうですが如何でしょうか?

以上 少しでも問題解決の糸口に繋がれば幸いです^^

既知の情報の場合は笑って許して下さい^^

◆近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/
では検索キーワード「沿海州」&条件「1921年以降」で71件ヒット、
メルクーロフ関連で或る程度の頁を割いているのは下記ぐらいのようですが、
残念ながら情報は少ないです。

ヱス・デ・メルクーロフ氏

氏は黒龍州の出身で、農家に生れ、韃靼系の血を亨けてゐる。
ペテルブルグ大學の理科及び法科を卒業し、一時大蔵省の官吏たり。
千八百九十八年以來極東に歸り、極東の經濟的開發の研究に沒頭し、經濟界に重き...続きを読む


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