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秋田でのワールド・ゲームズ総集編をNHK総合で見ましたが、ナマハゲが出て来ました。ところであのナマハゲは何者でしょうか?山で暮らす(山家)が里に出てきたのか?奈良時代での朝廷から見たいわえる(蝦夷)でしょうか?もっと突っ込んで日本海を挟んだ沿海州の土着の人ゞが船で渡って来たのでしょうか?ロマンあふれる設問ですが宜しく!ちなみに私の家内は秋田生まれです。

A 回答 (3件)

最初に蝦夷と渡来人となまはげがどーしても結びつきません。


渡来人が米を伝えたへ、それを広めるために奥州遠征をして
蝦夷という抵抗勢力のことをなまはげとみなしたんでしょうか?
であれば、多少、反論したいところがあります。

第一に米が伝わった年代と奥州遠征の年代には数百年の開きがあり、
坂上田村麻呂よりも前に奥州には稲作文化があったことです。
縄文時代後期に青森で水耕田ではないが、稲作が行われていた
という説があります。今の教科書には登呂遺跡が削除されたり
しているのを御存じですか?私らのときには弥生時代=稲作=登呂遺跡
って感じでしたのにね。まあ、縄文時代後期には稲作が確立していた
というのは、もはや通説ですね。
そんなわけで、渡来人と奥州遠征はあんまり関係ないと思います。

第二に蝦夷となまはげの関係ですが、蝦夷が「野蛮な敵」という意味で
あるので、ちょっと関係あるように思えるのですが、蝦夷は降伏して
大和朝廷の一員として同化したので、蝦夷の残党が村を襲うなんてことも
考えにくいですね。教科書的には蝦夷が有名ですが、隼人やクマソやら
なにやら、要は大和朝廷とは別の勢力はたくさんあり、蝦夷だけが伝説と
なったとは無理があります。そもそも、坂上田村麻呂の遠征は多賀城を根拠
に今の宮城県での戦いが中心だったような。

山家というの、どうでしょう?山家となまはげというと「またたぎ」のことで
しょうか。たしかにまたたぎも秋田ですが、山家というのは日本版ジプシーで
あり、彼らは定住しません。そこから考えると年一回だけ村に訪れるというのも
なんとなく、なまはげと関係ありそうですが、なまはげは夜の行事なので
山家が夜中にいきなり家に来るなんて慣習としては考えられないですよね。

他の説として「異邦人説」がありますが、秋田を中心とした東北の日本海側って
すごいんです。十三湊なんてはるか昔から貿易港として栄えていました。
それに沿海州からだと対馬海流の影響で、けっこう秋田へは異邦人が商売やら
流民やら多く訪れています。秋田美人っていいますよね?その理由として
秋田は伝統的に異邦人との混血がすすんでいるため、目鼻がくっきりしている
という説があります。そんな流民が村を集団で襲うという可能性はありますが
それが伝統的な祭りへと発展するかというと疑問ですね。

批判ばかりなので、ここで私の考えを。
私はなまはげはずばり「鬼」だと思います。鬼というと悪魔を想像しがちですが
ここでいう鬼とは阿修羅や羅刹と異なり、天部の神様の眷属である夜叉のことを
指します。諺に出てくる鬼は「心を鬼にする」、「鬼の目にも涙」、「鬼の居ぬ間に」
というものがありますが、そのほとんどが その人のことを考えて、あえて厳しい
ことを実行している 人達のことですよね。「来年のことを言うと鬼が笑う」というのも
弟子が今日のこともろくにできないのに、将来のことをくちにしたことに師匠が笑う
と解釈すれば、しっくりきませんか?

四天王という神様の下敷きになっている邪鬼も、踏み付けられているという印象
があるんですが、よく見ると邪気自身は笑顔なんですよ。そんなわけで鬼とは
その恐い様相でもって悪事を働く者の抑制力となったりします。ちなみに
桃太郎の出てくる鬼は「羅刹」のことです。このへんはインド古典にまったく
同じ話があるんですね。鬼が島はスリランカ島だったような。

そんなわけで、なまはげは「雷が鳴ると鬼にへそを取られるから隠せ」と同じ
根拠だと思います。雷とへそと鬼、雷鳴時は寒冷前線の通過を示し、急激な
温度低下が伴います。薬の不十分の時代にはお腹を冷やすことは死活問題に
つながることも大袈裟ではありません。ただ、子供に「寒冷前線が云々」
と言っても理解できるはずがなく鬼が登場するわけです(寒冷という言葉が
あったわけじゃありませんけどね)

なまはげの時期は雪積る晩です。冬場の東北は食べ物が非常に乏しいため、
エネルギー代謝の観点からも、夜はあたたかくして寝た方が得策です。
でも、子供は起きてる間は動きまわりるので、大人の知恵として、夜になったら
騒がないように鬼に登場してもらったのだと思います。夜には騒がないと
いうのは昔のルールですからね。「夜、口笛を吹くと鬼(蛇orお化け)が出る」
と同じ発想です。それをほんとに実践してしまっているのがなまはげ行事では
ないでしょうか。だから今でもなまはげは「泣く子はいねーか?」というセリフだし、
子供はパニックでも、大人はようこそって感じなんですよね。

まとめると夜に子供を騒がせないために鬼を登場させ、それを言い伝えの
レベルを超えて村ぐるみの大芝居にまで発展させてしまたのがなまはげの
ルーツだと思いますよ。少なくとも略奪、強盗系ではないと思います。
あんまりロンチックじゃないですね。
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この回答へのお礼

大変ご丁寧なご返事頂きまして有難う御座います。noribou11さんの博識には敬意を表します。私ももっと書籍を読んで勉強していく所存です。
ご返答有難う御座いました。

お礼日時:2001/09/03 19:12

あのナマハゲ自体は、赤い方が「ナミー」、青い方が「ハギー」と言います。

「ナミー」はnum=たくさんの人たち、「ハギー」はhug=抱き合うという意味もこめられています。ワールドゲームズ用のキャラクターで、それぞれ3体ずつ作られ、うち1体は男鹿にある「なまはげ神社」だったかな?に「なまはげ関連品」ということで、数日前に保管・展示されることになりました。残り2体は運動会などに貸し出すことにしていますが、「秋田県のマスコットキャラクターにしてはどうだ」という意見もあるようです。私は賛成です。詳しくは下記URLをご覧下さい。

秋田県人でした。

参考URL:http://www.sakigake.co.jp/Sports/wg/wg2001_top.h …
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この回答へのお礼

私は東京生まれ。家内は湯沢市近くで生まれ育ち、私と結婚して1男2女をもうけました、家内の叔母が秋田市に住み男鹿半島まで旅行し観光向けでナマハゲを見ました子供達は本当にびっくりした事が有りました。今回秋田の方々ワールドゲームズご苦労様でした。今回のご返答有難う御座いました。

お礼日時:2001/09/03 14:15

下のページが詳しいのではないかと思います。


調べてみて、私も勉強になりました。

「鬼」説「異邦人」説「修験者」説とあるようですね。

参考URL:http://www.namahage.ne.jp/namahage/oga/sinwa.htm

この回答への補足

ご返事頂き有難う御座います。私はは色々本を読み漁ってきまして、日本人とは何かと興味が沸き梅原猛先生の書物を読んだりしまして、日本人が縄文時代から稲作を持ってきた渡来人により弥生時代に入った。そこまでの経緯で奈良朝廷は稲作を広めるため、坂上田村麻呂に東北の蝦夷征伐を命じます。渡来人と蝦夷と言うキーワードでナマハゲの存在に結びつくのではないでしょうか。
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/gb3/s-kimura/ta …

http://www2u.biglobe.ne.jp/~REKISI/rekishi/34234 …

宜しくお願いします。

補足日時:2001/09/03 09:54
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