少し前にテレビで、若い日本人の女性が「哲学とは矛盾したことを言うものである」というようなことを言ったときに、フランス人の大学教授が(フランスは哲学が盛んです)「それは大変危険な考えです」と言われていました。尤もですね。
我々は日本に住んでいると、ともすればそのような感覚に陥りがちだと思います。このカテでもしかり。日本人は哲学が苦手であると思います。
だからでしょう、「哲学とは何か?」という質問がしばしば立てられます。私自身この問いに淀みなく答えることができるかどうか、正直自信はありません。
改めて問いたいと思います。「学問としての哲学」とはいかなるものであると認識していますか?
A 回答 (19件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
下記のURLでは、哲学への批判が述べてあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6 …
哲学を捏ねくり回して何が得られるでしょう? ソクラテス/デカルト/ニーチェあたりで成果は出尽くして、もはや何も出て来ないのでは?
哲学から生まれた自然科学は、これからもどんどん成果を出して行くと思います。
自然科学は、哲学から生まれたというよりも、哲学から分離したモノと言えると思います。
分離したことによって、本質を考えなくなった言えます。また、細かく分野に別れ専門性が高まったことにより、更に本質が考えられなくなったということが言えると思います。そのことは「専門バカ」という少々乱暴だけれど、的を射た表現があると思っています。
確かに、人間の便利、快適について成果を科学は上げています。しかし、それが人類にとって本当に価値なのか?という問題があります。
科学文明の中で、その批判を科学ではできません。
No.2
- 回答日時:
哲学の本質は「そこにあるそれがどんなものであるか、言葉を使って表せ」というものです。
源流はギリシャ哲学だとされています。キリスト教が誕生すると「神とはどんなものか、言葉をつかってその存在を証明しろ」という哲学が生まれます。一般的にこれを神学とよび、哲学と神学が中世に融合して生まれたのをスコラ学と呼びます。
現代の科学や哲学はいずれも「それがどんなものか示せ」という考え方であり、だからモノはどんどん分解されて量子力学にまで発展し、哲学は「神」という命題を得たことによって、ますます難解になっていったともいえます。
日本人にとって「神とは何か?」というのはあまり重要な命題ではなく、そのため日本には「究極的な存在がどんなものであるか、言葉を使って表せ」という哲学的思考はかなり苦手とされています。
>「哲学とは矛盾したことを言うものである」
本来哲学とは「モノの本質を見抜く」ものであるはずで、モノの本質が人によって違うという矛盾や、その人個人でも時によって違って見えるという矛盾があるなら、全く役にたちません。
いやそれ以上に西洋の学問では「モノは正しいひとつの何かである」という前提ですから「矛盾しているかもしれない」という認識は受け入れがたいし、危険な思想であるといえます。
でも日本人にとって「神々」とは多面的なモノであって、「あっちの神社の神と、こっちの神社の神は違う」のが普通、そういう融通無碍な日本人にとって「モノの本質は一つしかない」というのは、逆に「ほんとですかーーー」というような疑問になって返ってくるといえます。
で、日本人的には「哲学=矛盾」というのは割と正しい考えともいえ、西田幾太郎は「絶対矛盾的自己同一」という論文で、日本的な「モノのみかた・モノの捉え方」を定義しています。
>哲学の本質は「そこにあるそれがどんなものであるか、言葉を使って表せ」というものです
なるほど。
一神教=西洋、多神教=日本、という宗教的影響からくる考え方の違いは、そのことを自覚することさえなく、その上に作られた多くの文化によって分からなうなっているのでしょう。
また、西洋の言語は主語的論理で、日本語は述語的論理で成り立っていると指摘する学者がいますが、これもやはり、宗教的影響が由来するものなのか、どうか?
No.3
- 回答日時:
>「哲学とは矛盾したことを言うものである」
これは人生哲学の方で、学問の方じゃないですよね。
「酒が人をダメにするんじゃない。人間がもともとダメだということを教えてくれるものだ」(立川談志)
こういうののことでしょう。
哲学なんか意味ないとか、単なる言葉遊びだとかいう批判も同じで、
「人生哲学」と哲学を混同しているだけだと思います。
哲学は倫理学のベースだし、倫理学は法律と密接に結びついている。
哲学がなければ現在の司法はないし、社会システムが揺らぎます。
たとえば、堕胎、同性婚、クローン動物の製造、脳移植手術を許容すべきかどうかという問題がある。
そういう問題を決めるためには、人はどういう生きもので、どうあるべきなのかという前提を共有する必要がなる。
体系化して、一般化しないと大衆にとって使える前提にならない。
未解決の問題はたくさん思いつく。「哲学の役割は終わった」とは全然思いません。
また、民主主義に疑義を呈するのも、哲学者の役割なのではと思います。
最大多数の最大幸福を求める功利主義は、ともすると衆愚政治に陥りやすい。
マイノリティの権利擁護は多数決ではなしえず、多数決に限界があることは、実は多くの人が体験的に知っていますよね。
このテレビ番組のテーマは「学問と教育」でしたので、彼女は学問の哲学のことを言っていました。
談志師匠の言葉は、落語のネタみたいなもので、人生哲学と言えますかどうか?
人生哲学と言ってもピンキリで、全く普遍性を感じられないものから、人間の経験の凝縮と思えるものまであると思います。特に、長い間語り継がれているものはいいものが多いと思いますよ。
後半の部分は、大変に賛同できます。
No.4
- 回答日時:
「学問としての哲学」は、哲学学ですね。
Wissenschaft der Philosophie です。
哲学する事ではなく、人類はどの様に哲学してきたか、極めて単純化してしまえば、哲学史≒哲学学です。
従って、勉強家なら、哲学者でなくとも、哲学学を教えることができるし、実際哲学的ではない有能・勤勉な人物が哲学科の教授になることは珍しい事ではない。
逆も真なりで、哲学的な人物でも、有能で無く、勤勉でない人物は、哲学科の教授職には就けないと思う。
No.5
- 回答日時:
そもそも少なくとも日本において日常生活の場において哲学という言葉が用いられることはまず無いですね。
それはそれとして日本において多くの一般の人達の哲学に対するイメージは「わからない」に尽きるでしょう。多くの一般の人達にとって哲学は難しすぎて取っ付き難いからそのようにイメージしてるでしょうね
No.7
- 回答日時:
哲学とは、問い続けることだと思います。
問うてはならないものがあるのが宗教です。
問い続ける中で、実証できそうなものを整理し、事実と認定されたものを蓄え系統立てていくのが科学と言えます。
この世界には実証できそうにないもの、実証することに意味が見出しにくいものがいくらでもあります。それでも問い続けるのが哲学です。
その過程で矛盾したことが見つかると、人はそこに着目するので、哲学は矛盾したことをいうものだ、と思ったのでしょう。矛盾にこそ真理への階段が隠れているのですからね。気持ちはわかります。
宗教とは、私は「哲学」を信じ実践することだと定義しています。
だから、宗教の哲学も問い続けてゆかねばならないもので、それに耐えられない宗教哲学はインチキとして、捨てるべきです。
No.9
- 回答日時:
平和と自由が保証される世の中だと
弱者や強者てなカテゴリーもなくなるのではないのでしょうか?
平和じゃなくて
自由でもないから
弱者と強者てなカテゴリーが産み出される
弱者や強者てなカテゴリーは
自分自身が思う主観ではなく
世間や世の中のような、不特定な多数が認識するカテゴリーだとは思うんですけどね
平和と自由も、主義や主張によって変化してて
プーチンやロシアが行った行為は批難されるべきだけど
その行為を産み出したのは
プーチンやロシアだけで産み出された訳でもないですもんね
第二次世界対戦をドイツや日本だけに責任を問うって人も居てるけど
実際には、ドイツや日本を追い詰めたのは
イギリスやフランス・アメリカなどなど
そういった国の行動が絡んでますもんね
強者とは弱者が居てこそ強者であって
弱者とは強者が居てこそ弱者である
強者が強権を発動すると
弱者が蛮行に及ぶのも事実であって
平和や自由って
強者の論理じゃなかろうかと
考えたりもするんですよね
学問で人が殺し合わないで済む世界が造れるのか?
現在の学問って
利益を追及するために傾き過ぎてて
個人的には( ̄~ ̄;)なんだかなぁ~とはとは想うんですよね
個人の利益であったり
企業の利益、はたまた国家の利益
利に溺れる者は、利しか見えなくなってしまい
人を見ない学問になってそうなんですよね
人を見ないで、平和や自由を求めると!
安易なロシア叩きになってる今の世の中のように思えます
平和で自由な世の中になっても、強者・弱者はなくならないと思います。
自由ということは、自分のやりたいことを自由に選択し、やるようになるということです。
しかし、その選択したものが、その時代、時代において人気がある、ないがあります。人気のある分野を選択した人は、人気のない分野を選択した人より収入は多いでしょうし、社会的評価も高くなります。
また、才能、運の違いというものがあり、これによりやはり、収入、社会的評価の違いが出てきます。それは、残念ながら社会的強者、弱者になってしまいます。
強者、弱者があっても、強者が弱者を敬愛し尊重できればいいわけです。そうなるためには、分野として哲学という学問が必要になってくるということです。
No.10
- 回答日時:
#2です。
お礼ありがとうございます。>一神教=西洋、多神教=日本、という宗教的影響からくる考え方の違いは、そのことを自覚することさえなく、その上に作られた多くの文化によって分からなうなっているのでしょう。
哲学的な土台、または科学的もしくは宗教的土台を意識するには、それなりの教養が必要です。
なので、日本に限らずほとんどの文化で「自覚しないで宗教的影響に嵌っている」人たちは多いと言えます。
たとえば日本では「私は無宗教(無信仰)です」という人が多いですが、これも誤謬があり、自分たち日本人の宗教特性をまったく認識しないで、西洋的な宗教価値観で判断している人が多数存在するからです。
(日本人は西洋的な戒律を重んじる宗教観からいえば、無宗教(無信仰)に近いですが、宗教的規範はあるし宗教的行動も行うので、無宗教とはいえないです)
>また、西洋の言語は主語的論理で、日本語は述語的論理で成り立っていると指摘する学者がいますが、これもやはり、宗教的影響が由来するものなのか、どうか?
違うと思います。むしろ「言語の論理構成の好みによって、宗教的特性が異なるようになった」というほうが実態に合っていると思います。
なぜそう思うかというと、現代人が考える「西洋的宗教特性」であるキリスト教やイスラム教の「一神教」や「戒律の重視」よりも先に、ギリシャやローマで哲学や法学などにロゴス(論理性)が求められていた、のが事実だからです。
哲学的な論理性を有する宗教があり、その影響で言語が論理的になったというのは歴史をみれば明らかにそうは言えません。
日本語も古代から一定の法則を維持している言語で、そのために中国語を導入することができませんでした。万葉仮名や訓読文などを使って中国語を翻訳していたわけですから、儒教などの影響のはるか前に、言語構造は固まっていたといえます。
私は、「宗教」と「信仰」とをほぼ同義であると考えています。即ち「ある哲学(世界観・人間観等)を信じて実践すること」です。
そう考えますと、すべての人間は宗教・信仰を持っている、と。
物事の根本は科学では分からないわけですから、人間は、科学的根拠なく何らかの世界観・人間観・人生観などを持っています。つまり、それを「信じている」ということです。
勿論「宗教」と分類される分野からのものが多いとは思いますが。
宗教の教義、哲学書からのもの、あるいは、それらに影響を受けた文学、芸術からのもの、身近な人間からの影響、経験からのもの、等々たくさんのものがあり、その由来が分からないものもあるでしょう。
それから、近年においては科学的思考から生まれた「哲学」というものがあり、それを信仰するものが増えていると思います。
人間の「言語」については非常に興味がありながら、これまでほとんど勉強をしたことがありません。少しづつ勉強したいです。
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論理学 – 主張の妥当性の評価や主張に含まれる誤謬の記述によるよい推論の研究
形而上学 – 存在の状態と真実性の性質に関する研究
存在論 – 存在や実在に関する研究
社会哲学 – 社会的行動に関係する問題の研究
政治哲学 – 政治的な価値になる概念の研究
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目的論
参考までに
上記補足はwikiより