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JR神戸~京都~琵琶湖線の快速、各駅停車区間内では両方向共に種別案内を「普通」に変えています(時刻表上は快速)。この列車のルーツをたどると1957年まで走っていた「急行電車」とのことで、これが1958年に快速電車と名称変更して誕生したもののようです。

そこでふと疑問に思っていたのですが、1958年に快速電車が登場した時点で、各駅停車区間に入った際の快速←→普通の種別案内変更は行っていたのでしょうか?

またこの当時もし種別案内変更を行っていなければ、いつ頃から行われるようになったのでしょうか?

ご存じの方いれば、回答の程よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

統一された扱いはなかったと思います。



元々京都-西明石間では各駅停車の普通電車と急行(快速)電車と以遠から直通する特急、急行、準急、普通列車という区分ですから途中で案内種別が変わることはありません。
ややこしくなるのは中長距離の普通列車が電車化されて京都-西明石間で快速電車と同じ停車駅になってからです。
原則としては京都-西明石間では快速、それ以外では普通が原則でしたが始発駅から京都-西明石間を通過するまでは快速として案内することもありました。
統一されるのは京都-高槻間の普通電車が削減されてこの間の各駅に快速電車の一部が止まるようになってからでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

有難うございます。

>元々京都-西明石間では~
快速電車登場時点では、普通は各駅停車タイプと京都~西明石外のエリアから直通で停車駅が異なるタイプが存在していた、ということですね。

>中長距離の普通列車が電車化されて京都-西明石間で快速電車と同じ停車駅になって~
この頃は2000年ごろまでの常磐線のように、快速と同じ停車駅の普通も存在していたということですね。

>京都-西明石間を通過するまでは快速として案内することもありました。
現在の京浜東北線の快速のように、通過区間に入る手前の各停区間では快速と案内「することもあった」ということですね。

そして現在の形になったのは、快速が高槻まで各駅停車の列車が登場したタイミングということですね。

お礼日時:2022/04/21 15:23

確実にやるようになったのはJRからではないかと。



「京都まで快速、京都から各駅停車の米原行き」などというアナウンスがされているという書き込みを見たことがあります。

新快速運行開始後は、区別のためにちゃんと「快速」と案内されるようになったと思われますが、運用される車両はきっちり分けられていたこともあり、車両の側に「快速」や「普通」が表示されるようになったのは、221系や207系登場後のはずです。
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この回答へのお礼

有難うございます。
国鉄時代の車両は快速の種別表示は無く、中央線の201系や常磐線の103系ののように行先のみだったようですね。

お礼日時:2022/04/21 15:26

以下は一般論です。



関西の国鉄電車区間には、全国とは違い、急行料金を徴収しない急行がありました。俗にいう関西急電で、京阪神地区で私鉄、特に新京阪(現在の阪急京都線)とやりあっていた大阪~京都間、南海経由で阪和電鉄を買収し、南海と競った阪和線などがそうです。阪和のモヨ100を使った優等列車は超特急でしたから、急行は大幅格下げですね。

それが、国鉄のルールで、急行や準急は優等列車として急行料金や準急料金を徴収することの例外がなくなり、関西の急行は急行と名乗れなくなったので、快速に改称されました。
なお、それ以前の関西急電は全区間急行表示のままだったはずで、快速化されても変わらなかったと思われます。
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この回答へのお礼

有難うございます。

なるほど、少なくとも快速に名称変更された前後の時点では、種別の変更を行っていなかっただろう…ということですね。

お礼日時:2022/04/19 20:32

当時はまだ「快速」ではなく「準急」じゃなかったかと、記憶して....いません(陳謝&笑)

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この回答へのお礼

No2さんも触れられていますが私自身でも調べた限り、現在の快速やそのルーツとなった急行電車は、有料の急行列車や準急列車とは別物という認識です。如何でしょうか。

お礼日時:2022/04/19 20:31

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