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お前が死んだら天国に行って休息が取れる。人間の心理は醜い。たとえば、人の嫌なことや不幸を喜ぶ。天界はそのような人を受け入れない。知っているのか。

A 回答 (18件中1~10件)

だから現世で


良き暮らしをする人が天国と感じ
悪しき暮らしをする人は地獄と感じるのです。


あの世が天国か地獄と言われても
確かに天国なら行きたいと思い
地獄なら行きたくないから
地獄に落ちた場合は天国住み替えを望むし、
また現界戻りを番人王に嘆願して
どうか生まれかわって良き人生お願いしますになる。
でも願いかなわず、艱難辛苦が
現世の現実。

死んだ後、天國行くか地獄行くかは
死んでみないと分からないし、
供養をする坊さん・神父さんなどは
天国に行ったよと説くのではないですか。

でも、あれは予言・予測・願いなどであって、
行った本人しかわからない。
凡人はあの世の様子を
感覚で察知はできない。
心の中であれこれ予測して
今は空から下界の吾らを見ていると思うだけである。

それで恋人や親しき人が亡くなった後は
遺族などが冥福を祈るだけである。

それで
千の風になって
わが愛を星に祈ろう
愛と死をみつめて
なんて物語が
出来たのか。

人の不幸を喜ぶ人を
天界受け入れずというなら
虐めっ子
やくざ
重罪者などは
地獄行きか。
八雲村雲十握の剣の行法とかで
靈体を切断して
2度と現世に戻らせないこと出来たらいいなあ。

kさんは
悪人正機説を説く親鸞を否定派ですか。
これはただ聞いてみたくなっただけ。
なんとなくの質問でした。
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この回答へのお礼

お前の説くことはもっともだ。
仏陀さんはやや好きだが、その弟子となる僧侶は嫌い。親鸞も法然も最澄も嫌い。空海はやや好き。優れたる人間に対して憧れを持つ。
俺は仏教徒でもなければクリスチャンでもない。孔家の者である。

お礼日時:2022/06/30 10:59

>俺は仏教徒でもなければクリスチャンでもない。

孔家の者である。

孔子のことですか。彼が好きですか。儒学が好きですか。
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この回答へのお礼

孔子は絶望しているのに他者に対して希望を失うことは無かった。
孔子は人は自己中心である。それを否定せずに自分の世界を広げよ、と説いている。民衆は上のものが襟を正しく行えば住み良い社会が作られる。民衆なんてどうでも良い。しかし、幸せとは何かを知れば価値の無い民衆や下の政治家は立派に生きていける価値が生じる。幸せとは何か。素朴に正直に生きていくことである。そこに思いもかけない幸せが生じる。幸せとは理屈ではない。金持ちになれば幸せになれると思える民衆や政治家がいる。こいつらに生きている価値は現存、無い。

お礼日時:2022/07/01 14:11

天国は存在しませんので、誰も行くことは出来ません。

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この回答へのお礼

お前のつまらない考えだよ。つまらない人生だよ、お前は。

お礼日時:2022/06/29 08:51

滅私とは自分を殺すことでは無いよトラディショナル君。


滅私とは自分自身に執着している自分から内なる自分=本来の自分を解放することや偽りの自分を脱ぎ捨て内なる自分=本来の自分を解放することだよ。つまり滅私とは内なる自分=本来の自分を取戻すこと。
そのためにはどのような者出遭って内なる自分=本来の自分を認めること。
それは自分だけではなく他人に対しても同じ、飾りを取り払い本来の姿をそのまま認めること。
そうすることで自他それぞれ持っている真の答えに目を向けそれを認める事で自分に対しても他人に対してもすべき事がわかる。
重要なのは理解することではない認める事。
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トラディショナル君君は傲慢だ


君は「すべての悩みの答えは自利自他」と述べているが真の意味おいて人は他人を救えない(救済)。何故なら自分と他人は違うから。故にそれを認めるこそが謙虚である。にもかかわらず君は自他という言葉を用いている事から君は傲慢ということ。
真の意味で他人を救えない事を認めた上でそれでもなお他人を救いたいのなら、自分と他人の違いを解消しなければならないそれは自分を滅する事つまり滅私。
滅私の心を持つことで哀れみの心が持て哀れみの心を持つことで君が述べているが現実の妨げを受け入れられそれに苦しめられなくなる。
君が述べている神はの正体それは君自身。君は君自身である神に異常に執着しているが故に君は君自身を苦しめ苦しめられるのである。それが君が抱えている問題の本質である。
それを解決するためには自分を捨てる事。自分を捨てることで自分自身に対する執着から逃れられるのである。自分自身を捨てるそれが滅私
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この回答へのお礼

お前は滅私が好きだな。人間は自分中心である。自分を通して他者を理解する。自分の経験を増やして他者を理解するを増やしていけばよい。滅私なんて自分を殺すことはやめたほうが良い。分からないだろうな。

お礼日時:2022/06/27 07:56

今は地獄の1丁目、いや経済が困窮しているから


地獄の99丁目という感じがする。
99は窮窮と書いてキュウキュウと読め、すなわち99である。
苦苦も99と数字に代わる。
だから地獄の99丁目である。これも数霊の1種と思いたい。
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この回答へのお礼

確かに高度経済成長の昭和のころから生活困窮者がいますね。あの当時は貧乏人がいるとは実感できなかった。れいわの今では大学生が授業料を払えない、働き始めて、奨学金を返すのに生活が困窮する、と嘆いている。ひどいものだがこいつらはクズだから笑える。
お前に言うけれど数字遊びはつまらないからやめたまえ。

お礼日時:2022/06/27 07:53

神がいる世界いない世界・地獄天国がある世界ない世界等ヒトが存在している分だけ色々な世界がある。

そのような状況において己のいる世界がどのような世界なのか?については内なる己はその答えを知っている。その答えを内なる声にして自身にしらせている。つまり感覚を研ぎ澄まし神経を過敏に働かせることでその内なる声を自身で聞きさえすればその答えが分かるということ。
因みに私は上記方法で神はいないという内なる声を聞いたことから私のいる世界には如何なる神も存在していないのです
ついでに言えば私は滅私という内なる声を聞いたことから綿駆使的には自己愛より滅私の方が重要となりますね
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この回答へのお礼

お前は愚かだよ。すべての悩みの答えは自利自他だよ。自分の役に立つことをする。あるいは他人の役に立つことをする。それだけでいい。しかし、現実は妨げが生じる。嫌になってきて自分を壊したくなる。忍耐強くあれと神は要求する。どう自分をなだめるのかさとすのか。賢さの表れである。

お礼日時:2022/06/26 15:22

死ねば、もっと生きたいと思う人にとっては無念でしょう。


だから死は結局、人生の終わりということになる。
人生は2度ない。生まれ変わりというが、本当化の立証はない。あれは占い師などの作り話と思う。

天国とか地獄とか、霊になって生きるとかいうが、それは皆想像。
実際に死んだ後の世界を見て帰ってきたと説く人がいても確証はない。
証明がないから、わからない。
行い良き人は天国に行って悪しき人は地獄と説くが、
意外と逆な場合もないだろうか。

どの道、死んでみてのご本人の体験というべきか。

経済地獄というのは今の時代は
不景気で多くの人は思い通りの金がスムースに入らず、望みがほとんどかなえにくい時代という意味でそう呼んでみた。
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この回答へのお礼

お前も現実を見ない想像人間か。情けない。
あの世はあるし生まれ変わりはある。霊と接触している俺には分かる。

思い通りに収入が無い。それを経済地獄か。お前は馬鹿だ。生まれつきの馬鹿いる。どうにもならないよ。お前の馬鹿はお前の宇宙だ。

お礼日時:2022/06/26 10:01

あの世があるとか無いとかの問題ではなく己の内なる問題。

答えは内なる己が知っている
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この回答へのお礼

お前にも良いところがある。それは科学知識が豊富なこと。独断と偏見が軽減される。お前は悪いところがある。それは誤解を持っていること。お前も凡人も恐れと欲によって生きている。支配されている。お前は自己を発見したのならばがっかりする。欲の塊だから。俺は自己を発見した。それは自己愛だ。強く強く自己を愛している。暖かい愛の思いを絶えず自己に注いでいる。だから他者に対して注意を払うことができる。自分を大切にせよ、と世間は申す。俺には必要が無い。ギリシャの格言は自己を知れ。多くの凡人は自己を知ってがっかりする。欲の塊だから。

お礼日時:2022/06/26 07:08

天国があろうか無かろうがそんなことは問題ではないがそれでも死後を意識するなら外的からの情報に答えを求めるのではなく己の内なる声に耳を傾けること。

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この回答へのお礼

あの世は無い考えはひとつの生き方。あの世はあると信じてもこの世の人生が大切だと言う生き方はひとつの生き方。

お礼日時:2022/06/26 06:07

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