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私はとくに福祉の仕事などしたことは無いけれども、それでも障害者と接する機会は今までありました。
障害者の方って多くは礼儀正しいと思えるような人は少なくて社会人としてのマナーはイマイチな印象を持ってしまっています。

毎日バスで通勤する車椅子の人を二人知っています、彼らは毎回運転手さんに手伝ってもらって乗車するのですが見ていると挨拶やお礼等一切なくて平然としています。

また別の件では突然電車に知的障害者風な男性が乗り込んできて女性の座っている前に来て指さして「座る!」と一言。
女性は察したのかすぐ席を立ちました、知的障害者は体はとても元気そうですが何も言わず座りました。
障害のある方で「この人礼儀正しい人だな」と印象を持った人に今まで見た事出会った事がありません。
これって障害者本人の性格なのか、保護者などがハンデがあるから助けてもらって当たり前と教育しているのか。
だとしたら社会的に恥をかき「あの人は心にも障害がある」などと後ろ指さされないように教育すべきではないのかと思うのですが、障害者、または障害者のお世話をしている人の意見を訊きたいです。

A 回答 (4件)

確かに、知的障害のない人には、感謝の言葉を添える教育が望ましいですね。

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自閉スペクトラム症を持ってて、就労継続支援B型に通ってます。


そこで毎日障害を持った方と過ごしてますが、礼儀がない・マナーがないと思ったことはありません。
皆さん挨拶やお礼もしっかりしてますし、作業も皆さんで協力して進めてます。
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もと障害者介護職員です。


質問者様に知っていただきたいことがあります。

私たち健常者は、日常生活の中で、例えば時刻が来たら電車がちゃんとくる、コンビニで欲しい物が買えるといった便利さを当たり前と感じ、それを享受しています。
それを、いちいち「有り難い」と感謝していますか?

当たり前のことと思っていますよね。

障害者に礼儀正しい人は少ない。マナーもイマイチ。
それはたしかにそのとおりだと思いますよ。

でも、それは健常者の常識を一方的に当てはめているからではないでしょうか。

障害者は、昨日今日車いすになったわけではありません。

仮に、事故で骨折、とうぶん車いす生活、というような人であれば、手助けしてくれる人に対し「すみません、ご面倒かけます、ありがとうございます」という気持ちを持ち、言葉や態度で示すと思います。

しかし、障害者は違います。
彼らは生まれつきそういう生活をしてきています。
それが彼らにとっての当たり前であり、それ以外の生活を知りません。
当たり前に介助を受け、それが当然だと思っています。これは無理ありません。

「お前は人にめ面倒をかけているんだからね。お世話になっているんだからね。いつも感謝しなさい」などという親はほとんどいません。別にそうなったのは彼らのせいではなく、萎縮させたり、肩身を狭くして生きなくてはならない理由はないのです。

そこに感謝の念は生じません。介助してもらって、ようやく社会生活ができるわけですが、介助は彼らにとって普通の生活の前提条件です。

もちろん、「ありがとうございます」などの声かけは望ましいのですが、またそう教育されるほうが望ましいのですが、家族はもちろん私たちも、そして作業所など彼らが利用する施設もすべて、介助は当たり前であり前提ですから、お互いに特別「世話をかけている」「世話をしてあげている」という認識はなく、当たり前のことをしているだけです。

多分「他人に世話をかけている」ということ自体、彼らにはその感覚がわからないと思います。

なお、身体障害者の多くは、軽度の知的障害を持っている人も多いのです。また知的障害がなくとも、健常者とは小さな頃から異なる世界で生きてきているため、礼儀やマナーについて知らない/わからないことも多々あります。

私たちは、毎日ご飯を食べるとき、「生産者さん、ありがとう」と感謝しますか? 昔はそういう風習がありましたが、今はごく少数派だろうと思います。

子供も、本来育ててくれる親には感謝すべきですが、そのありがたさに気づくのは自分が親になってから、あるいは親が死んでからだろうと思います。

つまり、本来は感謝するべきことであっても、それが当たり前である間は感謝の念が湧かない。これは健常者でも障害者でも同じことではないでしょうか?

それから、知的障害者についてですが、彼らに礼儀を求めるのはむちゃくちゃだ、とわかりませんか?

赤ン坊に礼儀を求めるのと同じですよ。普通のことができないから、知的障害なんです。

私たちに言わせれば、「まだ、したいことや欲求を伝えてくれる分、世話がしやすい」と思っています。

まあ、日常的に障害者に接していないとそのあたりはなかなかわかりにくいと思いますが、彼らは決して傲慢なわけでも、「世話してもらって当然!」とふんぞり返っているわけでもありません。

子供がお礼も言わず当たり前のようにご飯を食べているように、赤ン坊が昼夜関係なく泣きたいときに泣くように、彼らも彼らにとって当たり前のことを無意識にやっているだけなのです。

どうかご理解ご協力をお願いいたします。
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この回答へのお礼

真摯に回答頂きありがとうございます、あなたの言いたいこと伝わってきます。なるほどと思う面もありますね。
しかしあなたこそが障害者が後ろ指される事に加担する張本人の一人だと確信します。
私が言っているのは「人と人とが面と向き合った時に人としての礼儀を果たせるか」という話なんです。
電車のダイヤが規則正しい事にそのたび感謝など意識しないのはもちろんです。
しかしそれをお仕事で行っている方に会う機会があるとしたら「いつもこうして電車が時間どおりに発着するように管理してくれているのですね」と感謝の念を表すのは珍しい事では無いと思います。
食べ物でもそれを作っている方々と面と向かえば感謝の言葉も出るでしょう。
しかし多くの障害者にはそれが無い、あなたの言う事は確かだと思いますが
故に彼らは感謝を知らず後ろ指差される人間に育っています。
あなただけの責任では無いですが、やっぱり障害者ほど周囲への感謝を忘れず
愛される人間に育ってほしいと思います。

お礼日時:2022/07/23 23:56

感謝ではなく、人に迷惑をかけているという罪悪感でしょうね。


罪悪感とは「私は罰せられるべき存在」というマインドが潜在的にあり、実際に自分が不幸になるような出来事がおこります。
その一つが犯罪であるのかもしれません。
また、障碍者の世話をしている人というのはそういうことをすることで「私は素晴らしい人間。」という勘違いをして証人欲求を満たしていると思います。
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この回答へのお礼

じゃあ駅員さんに電車に乗る手伝いをしてもらってもお礼をいう事で余計自分が惨めなのが認識されるから出来るだけ何事もなかったように振る舞いたいという事でしょうか。

お礼日時:2022/07/23 14:58

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