自分のセンスや笑いの好みに影響を受けた作品を教えて

神様っていると思いますか?

A 回答 (18件中1~10件)

科学的にいないないはず。


心配な時にも来ず、楽しい時にも来ず
    • good
    • 0

いるわけ無い。

    • good
    • 0

いないでしょうね。

いて欲しいけど...。いたらロシアによりウクライナが武力侵攻されたことも含めて、世界に戦争、飢餓とかが起きないはずですから。

全知全能な神様が戦争を起こす人間を創るとは思えません。だから、いないと思うのです。人間を創ったのは神様ではなく、私たちが未だその存在さえ知らないほかの「なにか」だと私は思います。
    • good
    • 0

いるとしたら、どのように知覚できるのだろうか。



私はいないと思う。
    • good
    • 0

宇宙は何かによって作られたということは、


宇宙を作った存在がいて、エネルギーか微粒子か人か動物かはわかりませんが、それが今の時代の神様じゃないかと思います。

だから理屈上いると思います。
    • good
    • 0

はい‼️(^ω^)

    • good
    • 0

本当に来てほしい時には来ない。


ところがまったく
予期しないときに
突然
降ってわいたように
思いもつかない
奇跡を
持ってくる
そういう経験ないですか。

私には
その時、
ああ
神様はいるのかと
感じます。

その意味では
神様は
意外と
人を選ぶ。

だからこそ
エリートという
言葉が
ある気がする。

神は全てに平等というが、
実は
意外と
あれは嘘かもしれません。
    • good
    • 1

貴方が居ると思えば居ます、居ないと思えば居ません、神は人の心の中に密やかに住んで居ます。

    • good
    • 0

○ 《わたし》なる存在の図式



[自然本性+α]:霊性: 信じる:非思考の庭 (ヒラメキ; 良心  )
-----------------------↓-----↓---
[自然本性]: 身体: 感じる: 感性の原野 (直感; ヤマシサ反応)
[同  上]: 精神: 考える: 思考の緑野 (直観; 恥ぢの意識 )    


☆ 《信じる》とは 《〈自然本性を超えた何ものか〉を 無条件で無根拠にて わが心に受け容れること》を言います。

そこに あたかも《非思考の庭――それが 信仰という動態――》が成ります。



非思考ゆえ 思考によって捉えられるか捉えられないか それが思考を超えていて 分からない。分かるか分からないかが 分からない。

よって この庭にて指向する対象は 《有るか無いか それが分からない》。

分からないからには 人間は自由に《有る》か《無い》かどちらかをらぶ。


《有る神》派と《無い神》派とどちらも もう一方の派の立ち場を――おのれの立ち場とともに――みとめているなら それとして成り立つ。


つまり 有神論と無神論とは 互いに同等であり対等なる立ち場にあり 同時に双方が成り立つ。両派は 言わば重ね合わせになっている。

人間界では 《分かれている》からには――兄弟争いがしばしば熾烈をきわめるがごとく――戦争しあうまでに愛憎相い半ばである。
    • good
    • 0

霊的な存在や力はあると思います。

表面的な事象を深く感じてゆけば、そのような存在のレイヤーに入ってしまうことがある。
例えば、普通では偶然と思われているようなことが、ちゃんとした理由のある当然のことであったり、虫の知らせといったようなことが100倍くらいの感度で感じられたりする。
幽界と言うと漫画みたいになってきますが、非常に繊細で複雑な秩序(ルール)の支配する世界があって、呪いやことほぎ、祝福といったものもそこに存在します。

物質だけで世界が構成されているわけではないのでしょう。

そこでは言葉が絶大な力を持っており、また、言葉自体が存在のあり方を決定する世界でもあるのです。

口だけ、では済まない厳格な世界とも言えます。慎重さが求められ、普通の暮らしをしているだけではこの世界には適応できない。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す


おすすめ情報