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徳川綱吉は、人間への福祉に力を入れれば名君になれたのに、なぜ極端な動物愛護に走ってしまったのですか?

A 回答 (5件)

生類憐れみの令は近年再評価されているそうです。

昔学校で習ったような「動物を人間より重んじる悪法」と言ったものではなくて、人間を含めた生命の価値を重んじるのがその主旨だったそうです。
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江戸時代は盲目者など障害者にも優しい時代だった。


綱吉の犬を中心とした動物愛護も世界的に画期的な素晴らしい法令だった。

ただ、綱吉は批判することを憚られる絶対君主だった。臣下たちの忖度も現代の比ではない。だから赤穂浪士たちも綱吉の決定に対し、命を張って抵抗した。

犬がお犬様になるなど行き過ぎた部分があったことは間違いないし、だから次代の将軍は取り消した。とはいえ、綱吉が歴史に残る名君であったことは間違いない。
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「生類憐みの令」、巷間に伝わっているような法律ではありませんよ。


人間に対しても適用されているのです。
行き倒れで、死ぬ人が多くいました、地方では、地元の人やお寺が、
埋葬してましたが、江戸では放置されたままでした、腐敗して匂いが
酷くなると、しかたなく町役人が河原などに埋葬してました。
生類憐みの令が出てからは、奉行所が、人相書きを造り、所持品や
遺骨とともに保管管理するようになったのです。
当時の世界の国々では、無かった画期的な法律なのです。

いつの世にも、よいしょ、ごますり、など、媚びを売る人がいます、
「お犬様」の騒動になり、それを江戸雀が拡大風潮した負の部分が、
現在に、面白、可笑しく伝わったのです。
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学者将軍の綱吉は、佐渡の金が枯渇するのを予想して、今の紙幣に
あたる様な物を発行しましたが、400年も時代を先取りした考えなので
受け入れられず、幕府の金が流出して、かえって、財政を苦しくして
しまいました。
これを立て直したのが、暴れん坊将軍の吉宗です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/08/09 15:24

その方がお話として面白いので後世に作られた印象でしょう。

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大老の堀田正俊が江戸城内で若年寄・稲葉正休に刺殺されると、綱吉は以後大老を置かず側用人の牧野成貞、柳沢吉保らを重用して老中などを遠ざけるようになった。


つまり綱吉に進言も諫言もする人がいなくなって、暴走して
しまったんです
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