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反省とはなんなのでしょうか?僕には全く理解ができません。

煽りとかではなく心の底から思う疑問なのであしからず。

まず反省って自分の心との対話ではないでしょうか?
例えば仕事で失敗してしまうことは誰でもありますよね?じゃあ失敗したら何が必要でしょう?早急な対応とリカバリー、そして再発防止に向けた対策だと思っています。

もちろんやらかした本人は落ち込みます。同じことがないように気をつけようと、前向きに前向きに頑張ろうとするとします。

しかしそこになにをヘラヘラしてる!まったくこたえてないのか!反省しろ!とよくわからないことを言う人がいます。

反省はさっき自分の中でしました。そして切り替えて仕事に戻りました。それがダメなのですか?反省した態度って謝り続けながらしゅんとした態度で仕事が手につかなくなるパフォーマンスをすることなのですか?

そもそも起こったことは変わらないしさっさと切り替えて次へ進んだほうが建設的では?


もう一つ思う例は例えば犯罪を犯したひと。

刑務所に入り真面目に生きようと努力して自らの行いを反省し前向きに生きようとしたところに世間からの冷たい攻撃。
犯罪者、社会不適合者、クズ野郎。そんな心無い言葉をかけられます。

社会的に殺されます。仕事も居場所もなく数年後にはムショに戻るしかない。

そして世間は言います。全く反省もせず再犯するクズと。

そんなことなら反省なんてする意味ないじゃないですか。更生しても意味ないじゃないですか。

どうしたって責められるなら誰だって腐りますよ。

確かに反省してない人もいますが反省してる人がいるのも事実です。
それを見極めようともせず一括りにクズ呼ばわりするのはどうかと思います。

反省ってなんですか?

A 回答 (5件)

>確かに反省してない人もいますが反省してる人がいるのも事実



そうですね。

>それを見極めようともせず

では、あなたは、ある人が真剣に反省しているかしていないかをどのようにして、何を手掛かりに見極めるのでしょうか。それを教えてください。

反省しているのかしていないのか、本人が何らかの形で表にハッキリ示さなければ、他人が「あの人は反省しているな」と正しく判断することは、なかなかできませんよね。

誰も千里眼やテレパシストではありません。
あなたも多分そうだと思います。
なにかの手がかりをもとにして、あの人は反省している、あの人は反省していない、と判断するんでしょう。

その時必要になる「なにかの手掛かり」をなにも周りに与えようとしていないなら、あいつはまったく反省してないようだな、と周りに思われてしまうのも、まあ致し方ないことでしょう。

相手が自分の秘められた内面の反省を正しく透視してくれなかったから悪い、と感じるのは行き過ぎ、無茶振りというものです。

千里眼でもテレパシストでもない多くの普通の人達は、言葉を駆使して内面の細かい気持ちを丁寧に伝えあいます。言葉でも足りない時、或いは言葉では不適切なときは、目配せや表情、お辞儀や身振り手振りなど、非言語のサインも駆使しながら心を伝えあっています。

だから、あなたに特別なハンディがないのであれば、あなたも職場では進んでそうするべきかなと私は思いました。

つまり、ミスをしたら周りの人にハッキリ言葉で伝えたり、深く頭を下げてお辞儀をしてお詫びする、などの分かりやすい身振り、サインを進んで使う方がいいと思います。

それをただの媚びへつらいや追従の一種にしか感じないのであれば、あなたは集団で協働する時に必須のコミュニケーションスキルをまだ身に着けていない、あるいは他人の立場に立ってものごとを考える習慣が身についていないのだと思います。

>まず反省って自分の心との対話ではないでしょうか?

まあ第一義的にはそうなんですけど、他人と一緒に働いている時に何かミスをした場合は、他人に対してきちんとミスの経緯を報告したり、すみませんでした、と関係者に誠心誠意お詫びをしたりすることも、「反省」の中に含まれる大事なプロセスですよ。自分のミスをフォローしてくれた人がいた場合は、その人達に対してお礼の気持ちを伝えることも大事でしょうね。

たとえば自宅で自分のために料理していて、うっかり塩と砂糖を間違えてしまった…そんな風に自己完結的なミスをしただけなら、無言で反省して無言で対策を練り、内心で、よし。と頷くだけでいいですよ。

だけど、会社では周りに人がいて、あなたの仕事はあなた以外の人の仕事と連動しているのが普通なので、無言で内心で反省するだけではダメなことの方が多いと思います。

ミスしない場合でもある程度はそうですが、ミスをした場合は特に、周りとの連携を緊密に進んでとってゆかないといけないってことです。

>仕事で失敗してしまうことは誰でもありますよね?じゃあ失敗したら何が必要でしょう?早急な対応とリカバリー、そして再発防止に向けた対策だと思っています。

それはその通りですね。

で、あなたはそれらの対処を本当に全てきちんと行ったのでしょうか。

行ったことを周りにも分かるように伝達したのでしょうか。

「再発防止に向けた対策」それは具体的に何なのかが周りにもよく分かるようにしておかないといけないと思いますが、しましたか。

>同じことがないように気をつけようと、前向きに前向きに頑張ろうとする

「気を付ける」「前向き」「がんばる」とかも、具体的なアクションとして周りに見えてこなければ、気をつけてるのかつけてないのか、傍目には識別できませんよね。だから反省したあとは、あなたの態度の変化が周りにもハッキリ識別できるようにアクションしてください。

たとえば生死に関わる危険作業が多い職場では、声出し確認、指差し確認、ダブルチェック、といったことが細かく義務付けられています。

あなたの「一人合点理論」だったら、どんな現場でも「各自が無言で内心で気をつけて前向きにがんばっていればそれでいい」ってことになりそうですが、実際には、それだとミスや事故が頻発するので、そうはなってないんですよ。

多くの人と一緒に働くときは、ただ自分さえよくわかっていればいい、という考えは、周りの人にも迷惑や危険を与えてしまうもとになります。

この点をあなたは理解していないのかもしれません。
或いは、内心では理解しているのだけど、周りの人に自分の気持ちや理解度をキチンと伝達できていないので、あいつ全然理解してないな、と思われたりしているのかもしれません。

>反省した態度って謝り続けながらしゅんとした態度で仕事が手につかなくなるパフォーマンスをすることなのですか?

そんなことは特に言われてないと思いますよ。
あなたが勝手にそう思っているだけでしょう。

実際には、ミスしたらすぐに報告しなさいよとか、みんなにちゃんと謝りなさいとか、同じことを繰り返さないような対策を具体的に立てたなら、どういう対策を立てたのかを周りに分かりやすく報告して情報をシェアしなさいとか、そういうことを要求されているのだと思います。

>そもそも起こったことは変わらない

そうですね、だからこそ、申し訳ないとか、取り返しのつかない間違いを犯した時には、人は周りに対して深く頭を下げたり、繰り返しお詫びの言葉を口にしたりもするのでしょう。

取り返しのつかないことをしたからこそ、せめて自分に出来る精一杯のお詫びの気持ちを伝えよう、そう思った時、人は自然と、頭が深く下がったり、何度も謝りたくなったりするのではないでしょうか。

でもたとえば、交通事故で人が死んだとき、車を暴走させた当事者が「起きてしまったことはしょうがない」と言ってケロッとして記者会見で笑っていたら、遺族はどんな気持ちになるでしょうね。たまにいますよね、そういう人。

人を轢き殺した張本人が、「サッサと切り替えて次に進んだ方が建設的だ」なんて言ったら、周りはイヤな気持ちになります。少なくともその人が、人を轢き殺したことについて、心から悪いと思っているようには感じられません。

あなたが主張している態度というのは本質的にはそれと同じものなので、あなたのミスで人が死んでいるわけではないとしても、周りはあなたの「悪びれない態度」に強い不信感や不快感を抱くんだと思いますよ。そして、強めの言葉で注意が飛んできたりもするのでしょう。

繰り返しますが、あなた以外の人には何の迷惑や影響も及ばない、自宅内の一人で過ごしている時のちょっとしたミスなんかの場合には、だいたいあなたのような考えで対処すれば、それでよいのです。

だけど会社など、他人の采配で他人と協働しているときには、一人合点ではいけないということです。
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反省はさっき自分の中でしました。


 ↑
そんな心の中は、他者には判りません。



そして切り替えて仕事に戻りました。それがダメなのですか?
  ↑
組織でミスする、てことは誰かに
迷惑をかけている、ということです。
だから、心の中だけで反省しただけでは
足りないのです。



反省した態度って謝り続けながらしゅんとした態度で
仕事が手につかなくなるパフォーマンスをすることなのですか?
 ↑
他者は、その人の行動から、内心を
推測するしかありません。
だから、そういうパホーマンスも必要です。



犯罪者、社会不適合者、クズ野郎。そんな心無い言葉をかけられます。
社会的に殺されます。仕事も居場所もなく数年後に
はムショに戻るしかない。
 ↑
犯罪歴なんて、他の土地にいき、
黙っていれば判りません。
指名手配中の犯人だって、仕事に
就いています。
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反省と言うのは「再発防止に向けた振り返り」です。


質問者さんが仕事を例にして挙げた内容であっていますよ。
恐らくカタルシスを得られないと不満を言われているんですよ。

私も若い時はご質問にあるような経験をし腹を立てていました。
その後で少し賢くなりました。とはいえ、受け入れがたい。受け
入れるのは苦しかったですよ。今でも嫌ではあります。

以下は長いので暇つぶしにでもどうぞ。

成功も失敗も一番大事なのはショックを受けている方々に対して
の心のケアです。周囲への気配りも含めて反省の一つでしょうね。

「元気づけなければと思って集まった人たちもいる」

本人が自分独りで気持ちの整理をしてしまうと、誤解されるのが
普通でしょう。そのため心の中で反省をするだけでは一般感覚で
はNGとされます。

「反省した人しか分からない言葉を述べる」

のが普通であり、それを他の人が受け入れて水に流します。

この「反省した人しか分からない言葉」というのはその後も他の
人が使います。

「本人もこの様に申しておりました」

として伝える事で関係者の怒りを収めるわけです。

「ここまで思った人に追い撃ちをかけるのはしのびない」

こう思わせる言葉を作らないと行けないんです。
失敗をした人なのに、

「人々の心を変えて、結果として味方を増やしてしまった」

こう言う事は良くありますし、そうあるべきです。
そのため反省と謝罪と言うのは非常に重要な武器です。練習を重
ねて使うものでしょう。学校では反省分を書かせるなどして練習
をさせる。あれを罰と捉えている人は成長しません。

「成功や失敗が自分の助けになるわけでもないし、力となるわけ
 でもない。その時に何を言う人物なのか? こちらが評価され
 ていて次のステップに繋がる。成功も失敗も発言権を得るため
 のネタみたいなものなのだ」

私も、これに気が付くまで時間が掛りました。
成功も失敗も自分一人で為したものでは無いですし、自分一人の
成果や責任には出来ません。また誰も協力していない成果という
のは誰の共感も得られませんから、影響力がありません。

その上で頻発します。

・成功しても気の利いた事を言えないとノーカウントとなる
・失敗しても気の利いた事を言えないと仲間扱いされない

こんな風に考えましょう。

社会生活が上手くいかず、適応障害になる人は漫画やアニメの見
過ぎで偏った世界観を持っているように見えます。

私の経験ですけど。
誰にも文句の言えない成果を残そうとして、コネや評判、財力や
仲間の力などが介在できない物で戦おうと思ったんです。

「学術分野で不可能を可能とし、特許を取る事で世界中の審査を
 受け、自分が世界一であると証明しよう」

国際特許も取れて成し遂げました。
しかし、同僚にすら褒められません。無視されましたね。
この(特許が取れた)分野では世界チャンピオンなのだと説明し
てもスルーされます。身をもって成功が何の意味も無いと知りま
した。しかし、漫画やアニメの世界では成功をする人を皆が褒め
たり羨ましがったりしています。これは全く違いますよ。

「異世界に転生してチートスキルで大成功したが、俺の口下手が
 影響してスルーされてしまい思わず切れて暴れまわったら、別
 の転生者に駆逐されて転生前と同じように引き籠もった件」

というタイトル(と内容)の方が現実でしょう。

チートスキルの中に「他人を感動させる言葉を紡ぐ力」というの
があればよいのですけどね。脳や記憶をそのまま引き継いで今の
自分を異世界に持ち込んでしまえば、同じ結果になるんです。

「世界が臭いと思って異世界に逃げたら…俺の匂いだった。
 どこに逃げても臭いわけだ…恥ずかしくて死にそうだ」

他の人を感動させる力は必須技能だという事でしょう。
これを身につけてからチートスキル貰わないと意味が無いでしょ。

「成功の報償って…俺の心の美しさをプレゼンする場を頂けるっ
 てことなのね…心が醜いまま成功すると恥をかくのか。キッツ。
 ああ、失敗しても同じか。これって早急に対策しないとヤバく
 ないか? 心が折れて引き籠ることに…ああ、手遅れか」

と大部分の人達は気づいていると思いますよ。

「異世界に転生しても…それじゃ…同じかもっと酷いと思うぞ」

と突っ込みを入れたい人が沢山いますが、それに気が付いていた
らそうなっていないだろうという話で終わってしまうんです。

つまり、他の方は反省を求めているのではなく、失敗した人なら
でわの言葉を紡ぎ他の方を感動(カタルシス)させて欲しいと言
っているわけですね。自分を責める人に反撃をしたり、逃げよう
としている人は夢にも思わないでしょう。そのため一回もやろう
としていないはずです。この練習不足、不戦敗のループ。そこが
一番やばいのだと思います。

「他の人を感動させないと生き残れないの?」

「そうだよ。子供や若いうちは許されるよ。
 中年を過ぎたあたりから出来て当然見たいに言われる。
 子供の頃から必死になって練習しないと間に合わないよ。
 平等に生きる権利は他人を感動させる力がある人にのみある。
 何故かというと最後は感動合戦をすることになるから。
 どんなに努力をして成果を残しても、他の奴が皆を感動させ
 ると成果は無視される。無駄に消えるんだ。そして他人を感
 動させた人が選択される。誰かを感動させる力のない人は何
 をやっても無駄ってことなんだよね。
 ここ(感動させる力が必須)に対して不満を言えば余計に扱
 いが悪くなりもっと酷い場所に落ちる。
 諦めて他人を感動させる方向を伸ばしていくしかないんだ。
 世の中が厳しいとか言われるのはこのためだねえ。
 早く言ってくれよと俺も思ったよ。
 だけどちゃんと道徳を大事にしろって言われてるんだよね。
 んで、名作と呼ばれる感動作品のほとんどがモラルに回帰す
 る話ばかりなんだ。俺はそれで言うと大分逆をやってきたか
 ら、感覚的に分からなくなっててさ。モラル音痴になってた
 みたいなんだ。これはハンデだったよ。普通に戻すのに凄い
 苦労したよ。」

という訳で他人を感動させる力を急いで身につけましょう。
私の経験から言うと、自分の心はそう長く持ちませんよ。
ある程度補填して置かないと崖から転がり落ちる様に転落しま
すよ。反省を求める相手は自分の読者であり視聴者なんです。
へらへら笑ってしまえばどうなるか?

以上、ご参考になれば。
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反省してもまた他人を苦しめるようなことしてませんか?。

全く何も原因なくクズ呼ばわりは無いでしょうから。私はクズだった方に反省されても追い回されたらキレます。ほっといて欲しいので。
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そうやって生きて下さい。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
しかし答えになっていません。私の生き方ではなく客観的な意見、回答を求めます。

お礼日時:2022/10/02 09:02

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