①「象は鼻が長い」②「象の鼻が長い」③「象の鼻は長い」の差異には何か差異があるでしょうか?
ある人が
①「象は鼻が長い」
象という特殊な種の認識であり、象という種は鼻が長い。
②「象の鼻が長い」の解釈
個別の象という対象の認識であり、ある象の鼻が長い。
という違いがあると主張していました。
そこで、個別の象を指差しながら、①「象は鼻が長い」と言えるのか、その人に確認したら、言えると回答されました。
しかし、そうすると、①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識だという上記の主張とは矛盾します。
上記意見との関連性を問わず、お考えをお聞かせ下さい。
No.9
- 回答日時:
>>不明瞭で何を主張されたいのか分かりません
なぜ不明瞭にしか理解でいないのか、なぜ頓珍漢な応答を繰り返されるのかが良く理解できました。
団那は語、文は何かを指すものという粗雑な、誤った理解をされているためです。
語、文、文章は何かを指すのではなく話者の認識の表現です。この点が全く理解できていないために、話者の認識ではなく状況を持ち出すしかないということです。従って、下記のような不明瞭な質問をされることになります。
>>また、以下の3ケースについて、正しいのか、誤りなのか、それぞれご回答願います。
②「象の鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
誤りです。
「象の鼻」という個別性の認識の表現です。
③「象の鼻は長い」は象という特殊な種の認識。
誤りです。
「象の鼻」という特殊性の認識の表現です。
③「象の鼻は長い」は個別の象という対象の認
誤りです。前項の通りです。
助詞「は」と「が」の意義の相違をどのように理解されていますか?
なお、語、文が何かを指すという誤りについて説明しておきましょう。
こどもが眼前の対象を知らない場合、「これは何ですか?」と質問し、この時、同時に対象を指差します。
この動作を捉え、「これは何ですか?」という質問、文があたかも何かを指すように誤解し、語や文が指すと誤認したものです。
この場合の「これは何ですか?」という文自体は疑問という認識の表現です。
この表現と動作の取り違えという誤りです。
この点は、「この」という代名詞が「何かを指す」という誤りと同じで、この点は時枝誠記が『日本文法 口語篇』の「代名詞」の項で説いています。
つまり、対象自体が不可知と見なすカント的不可知論、ソシュール的な発想の根本的な誤りだということです。
言語が対象とする現実の世界は、諸実体・諸属性・諸機能・諸関係などの種々の側面から捉えることができる立体的、重層的な構造を持っています。言語表現に当たってはその対象のある側面を抽象し、概念として捉え表現しています。
対象を丸々捉えることはできません。語や文が「指す」というのはこうした対象のある側面の抽象であることが理解できずに、単に曖昧な動作、行為に置き換えた誤りということです。■
認識について色々おっしゃってますが、
動物園である象を見ながら、個別の象という対象の認識をもって「象は鼻が長い」。
家で子供に象がどのような動物か説明しながら、象という特殊な種の認識をもって「象は鼻が長い」。
この2つは状況も認識も異なります。これを踏まえた上での投稿をお願いします。
「象の鼻」に関しては言い方に問題がありましたのでその点は訂正します。(②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。はあなたが書いたもののコピペだった気がしますが…。)それを踏まえて、あなたが認める正しい用法は以下の4ケースだということでよろしいでしょうか?
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
①「象は鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位の認識。
③「象の鼻は長い」は象という特殊な種の部位の認識。
>助詞「は」と「が」の意義の相違をどのように理解されていますか?
まさにその点が問題となりますので、それに関しては上述の点が確定した後に検討しましょう。
No.7
- 回答日時:
>>象という特殊な種を指して
①「象は鼻が長い」
個別の象という対象を指して
①「象は鼻が長い」
と、異なる状況に利用できると、あなたは認めました。
この理解が根本的に誤っています。
「個別の象という対象を指して」ではなく、対象の個別性の側面を捉えてということです。
認識ということが全く理解できていませんね。
語が何かを指すという根本的に誤った理解をされています。■
不明瞭で何を主張されたいのか分かりませんので、あなたのその検討の結果、「象は鼻が長い」「象の鼻が長い」「象の鼻は長い」の解釈に具体的にどのような差異が生じるのかを具体的に示して下さい。
また、以下の3ケースについて、正しいのか、誤りなのか、それぞれご回答願います。
②「象の鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
③「象の鼻は長い」は象という特殊な種の認識。
③「象の鼻は長い」は個別の象という対象の認識。
No.6
- 回答日時:
>>異なる状況に利用できる
いいえ。
どこがどう状況が異なっているのですか?
そもそも何をどう利用するのですか?
異なっているのは話者の認識です。
旦那には対象→認識→表現という表現の過程的な構造が全く理解できていないということです。
④で回答の通り、同じ人の顔を絵に描いても同じにはならないのと同様です。
■
いいえ。
どこがどう状況が異なっているのですか?
動物園である象を見ながら「象は鼻が長い」。
家で子供に象がどのような動物か説明しながら「象は鼻が長い」。
明らかに状況が違います。
また、以下の3ケースについて、正しいのか、誤りなのか、それぞれご回答願います。
②「象の鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
③「象の鼻は長い」は象という特殊な種の認識。
③「象の鼻は長い」は個別の象という対象の認識。
「が」「は」の違いとしてあなたが主張されていたことが成り立たないことが明確になるでしょう。
>旦那には対象→認識→表現という表現の過程的な構造が全く理解できていないということです。
回答できなって悪口に逃げるのはやめましょう。また投稿を消されますよ。
>④で回答の通り、同じ人の顔を絵に描いても同じにはならないのと同様です。
同じ風景
①写実派
②抽象派
と
動物園である象を見ながら「象は鼻が長い」。
家で子供に象がどのような動物か説明しながら「象は鼻が長い」。
は状況が異なると既に示しました。
No.5
- 回答日時:
>>状況が違うでしょう。
状況が同じであれ、異なれども話者による対象の捉え方が異なれば表現が異なり、意味が異なります。
眼前の事故を見、
人が死ぬ。
と言う場合もあれば、
人は死ぬ。
と言う場合もありますが、これらは対象の捉え方が異なり、意味が異なります。この二つの文が同じに見えるのですか?
■
同じ状況
①人が死ぬ。
②人は死ぬ。
とは状況が異なります。
象という特殊な種の認識
①「象は鼻が長い」
個別の象という対象の認識
①「象は鼻が長い」
と、異なる状況に利用できると、あなたは認めました。
ですので、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
という差異があるとの主張は成り立ちません。
No.4
- 回答日時:
No.3 の補足です。
絵の場合、同じ対象でも写実派と抽象派では全く異なります。ピカソの絵を思い浮かべれば良く理解できるでしょう。
どちらが正しい、誤っているという問題ではありません。■
①「象は鼻が長い」と②「象の鼻が長い」とその喩えの対応が不明です。
同じ風景
①写実派
②抽象派
同じ状況
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
とおっしゃりたいのでしょうか?
しかし、
①「象は鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
は可能だとご自身で認めたばかりです。
したがって、
同じ状況
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
①「象は鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
となって、その喩えとは状況が違うでしょう。
No.3
- 回答日時:
>>個別の象に対しても、「象は鼻が長い」と言えるのならば、①と②について主張されている差異がなくなります。
いいえ。
対象自体の問題ではなく、話者による対象の捉え方の相違なので何の矛盾もありません。
言語は話者の認識の表現であり、対象→認識→表現という過程的な構造を持っていることを正しく理解する必要があります。
対象と認識は相対的に独立しています。■
>話者による対象の捉え方の相違
話者が個体の象を見て「象は鼻が長い」と言うのですから、個別の象という対象の認識があります。
ですので、やはり、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認。
という差異は主張できません。
No.1
- 回答日時:
①は象の特徴の表現
③は象の鼻の特徴の表現なので差異はあります。
2点目:
象という動物に個別の象も含まれますので、①はどちらに対しても〇です。
②は、それだけでは使わない表現です。象の鼻が長いことはよく知られている事実です。それをあえて「象の鼻が長い」と鼻を強調して言及するのは何か理由があるのだろう。というわけで言葉としては説明不足の感があります。
だからどうした・・ です。
その人のいう「ある象の鼻が長い」すなわち「(ある)象の鼻が(普通の象より)長い」または「象の鼻が長い、のには理由がある」などと使う場合ではないでしょうか。
なるほど。
>①は象の特徴の表現
>③は象の鼻の特徴の表現なので差異はあります。
確かに①「象は鼻が長い」は「象」が主題となっているのに対し、③「象の鼻は長い」は「象の鼻」が主題となっているという違いがあります。
ただ、①と③が表わす状況としての違いについてはいかがでしょうか。つまり、同じ状況を見ても着目する点が異なるという差異なのか、それとも表わす状況から差異があるのでしょうか?
>①はどちらに対しても〇です。
これは同感です。
>②は、それだけでは使わない表現です。
これはどうなんでしょうか?
>象の鼻が長いことはよく知られている事実
ということであれば、「象は鼻が長い」「象の鼻は長い」だって、だから何だ?という気がしてしまいます。
主題がなく、平板に状況を述べている印象は確かにありますが、不自然だとは感じなかったですが…。
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象という特殊な種を指して
①「象は鼻が長い」
個別の象という対象を指して
①「象は鼻が長い」
と、異なる状況に利用できると、あなたは認めました。
したがって、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
という差異があるとの主張は成り立ちません。
個別の象という対象を指して①「象は鼻が長い」と言うとき、個別の象という対象の認識がありますので、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
①「象は鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
が可能だとなり、差がなくなります。
(②「象の鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
が可能であるかあなたは明言されていないので、この点は不明ですが。この点に関してはご回答頂ければ。)
動物園である象を見ながら、個別の象という対象の認識をもって「象は鼻が長い」。
家で子供に象がどのような動物か説明しながら、象という特殊な種の認識をもって「象は鼻が長い」。
この2つは状況も認識も異なります。そのどちらにも「象は鼻が長い」と言えるとあなたは認めました。
そのことは理解した上で投稿して下さい。
三浦の『日本語の文法』には、
今日は遅刻した。
月は東に日は西に。
などを例に出し、この種の「は」は特殊判断のときに使われる、と述べています。さらに続いて、
象の鼻が長い。
は
キリンの首が長い。
というような観念的な前提が存在するわけである、と述べています。このような前提の妥当性は疑問がありますが。
三浦の「は」の特殊性はこのような特殊判断として理解すべきであって、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
のような「象という特殊な種」ではないでしょう。
三浦の『日本語はどういう言語か』には
一台のテレビを指して、
これは最新型です。
と言うのも特殊性を扱った「は」だと書かれています。「これ」は個別のテレビを指していますので、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
のような「象という特殊な種」に限定されるという解釈が誤りである事をはっきりしてしています。
長くなってしまったので要約します。
「が」は個別で、④「は」は特殊だという主張の論理的欠陥が明確になりました。
<ツチノコ説>
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
<致命的誤謬>
②「が」と④「は」で同じ説明をしてしまってます。
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
・個別性
「あの象」
「このテレビ」
「このテレビ」の認識があるのだから、個別性を認識しています。個別性の認識なしに「このテレビ」の認識など不可能。
・特殊性
「鼻が長い」
「新製品」
「鼻が長い」のは象の特徴。実際に、三浦はキリンは「首が長い」ことを対比しています。「新製品」は特殊なのに、「鼻が長い」は特殊じゃないとか子供の言い訳レベル。
これに反論するには②と④のどちらかにしか当て嵌まらない何らかの差異を示すしかありません。ところが、返されたものは、どれもどちらにも該当する内容だから論理的に無意味。
以下の記述を見れば明らかなように、「は」の特殊性とは「特殊な種」であり、「が」の個別性とは「個別の物」であるというのが主張でした。
<ツチノコ説>
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
しかし、④において、う「個別の物」としてのテレビの属性でしかない「最新型」を特殊性として認めた時点で、ツチノコ説は完全に破綻したのです。「最新型」は「特殊な種」ではありませんから。
そこが三浦とツチノコ説の差異であり、ツチノコ説の明白な誤謬でもあります。
経緯を正確に書くと、当初のツチノコ説は、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
と主張しており、「は」の特殊性は「特殊な種」の認識に対応していて、「が」の個別性は「個別の物」の認識に対応していました。
ところが、三浦の『日本語はどういう言語か』に
これは最新型です。
が例として載っていることを指摘された結果、
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
と方針変更に追い込まれました。しかし、その結果、②「が」と④「は」で同じ説明をしてしまうという既述の致命的誤謬が生じたのです。