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①「象は鼻が長い」②「象の鼻が長い」③「象の鼻は長い」の差異には何か差異があるでしょうか?
ある人が
①「象は鼻が長い」
象という特殊な種の認識であり、象という種は鼻が長い。
②「象の鼻が長い」の解釈
個別の象という対象の認識であり、ある象の鼻が長い。
という違いがあると主張していました。
そこで、個別の象を指差しながら、①「象は鼻が長い」と言えるのか、その人に確認したら、言えると回答されました。
しかし、そうすると、①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識だという上記の主張とは矛盾します。
上記意見との関連性を問わず、お考えをお聞かせ下さい。
No.49
- 回答日時:
少し横レスさせていただきます。
No.46 方が、
>>因みに、普遍・特殊・個別をハガの違いに適用しようとするのは無理筋ですよ。
個別が特殊を含むという簡単な事実を三浦はどう考えていたのか?
などと頓珍漢なことを言われてますが、この方にも個別/特殊/普遍に関する、先に示した下記の内容を何度も提示していますが、旦那同様全く理解できていないことを露呈していますね!
一体、どこをどう読んだら、
個別が特殊を含むという簡単な事実を三浦はどう考えていたのか?
などというコメントが出て来るのか全く????
です。
どうも同じ穴の狢ということのようですね!
どう思われますか??
われわれが抽象的なかたちで思惟(しい)をすすめるときには、概念とよばれる超感性的な認識が使われる。しかし一部の学者は、思惟を頭の中で行う言語活動であると主張している(1)のであって、これは思惟をすすめるときに頭の中に観念的に音声や文字があらわれるという経験から出発している。それゆえ、概念と言語との関係が明かにされなければならないが、これは言語の発生と発展を歴史的=論理的に検討することになるので、後に譲ることにし、ここでは言語の問題を一応捨象して概念のありかたを考えてみよう。
概念は個々の事物の持っている共通した側面すなわち普遍性の反映として成立する。すでに述べて来たように、個々の事物はそれぞれ他の事物と異っていてその意味で特殊性を持っていると同時に、他の事物と共通した側面すなわち普遍性をもそなえているので、この普遍性を抽象してとりあげることができる。
たとえば私の机の上に文字を記すための道具が存在するが、軸は黒いプラスチックでつくられ尖端に金属製のペンがついていて、カートリッジに入っているインクがペン先に流れ出るような構造になっている。このような道具は多くのメーカーでそれぞれ異ったかたちや材質のものを生産していて、私の持っているものにも他のものとは異った個性があるけれども、それらは共通した構造にもとづく共通した機能を持っていて、ここからこれを「万年筆」とよぶわけである。それゆえ、概念にあっては事物の特殊性についての認識はすべて超越され排除されてしまっている。だがこのことは、特殊性についての認識がもはや消滅したことを意味するものでもなければ、無視すべきだということを意味するものでもない。特殊性についての認識は概念をつくり出す過程において存在し、概念をつくり出した後にも依然として保存されている。私が「万年筆」を持っているというときのそれは、私の机の上にあるそれであって、文房具店のケースの中にあるそれではないし、もし必要とあらばその概念の背後に保存されている特殊性についての認識をもさらにそれ自体の他の側面である普遍性においてとらえかえして、「黒い」「万年筆」とか「細い」「万年筆」とか、別の概念をつけ加えてとりあげるのである(2)。
この場合の「万年筆」は、机の上に個別的な事物として存在している。私はこの事物の普遍性を抽象して概念をつくり出したにはちがいないが、その対象とした普遍性はこの個別的な事物の一面として個別的な規定の中におかれている普遍性にすぎない。普遍性をとりあげてはいるものの、問題にしているのは個別的な事物それ自体なのである。
しかしわれわれは、個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる。このときにも同じように普遍性が抽象され概念がつくり出されるが、その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。先の私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。これと同じことは、鉛筆やボールペンについても成立するのであって、「鉛筆」「ボールペン」などの概念にも、個別的な事物をとりあげた個別的概念もあれば、全体をとりあげた普遍的概念もあるわけである。
つぎに、類としての普遍性を考えてみると、これは個別的な事物のすべてをつらぬいているという面から見て、たしかに普遍性であるにはちがいない。けれども類とよばれる存在はきわめて多種多様であって、その意味で類としての普遍性それ自体はいずれもひとつの個別的な存在としてあつかわれることになる。「万年筆」という類、「鉛筆」という類、「ボールペン」という類など、個別的な存在としての類が多種多様にあって、さらにこれらに共通した普遍性を対象とする「筆記用具」というヨリ高度の普遍的概念も成立している。そしてこの普遍性に対しては「万年筆」「鉛筆」「ボールペン」などの個別的な存在としての類はそれぞれ特殊性をそなえた類としてとらえかえされることになり、これらは特殊的概念の性格を与えられることになる。さらにこの『筆記用具」も、「文房具」という普遍的概念に対しては特殊的概念であるというようにヨリ低い類からヨリ高い類へと対象の立体的な構造をたどって認識が発展し、抽象のレベルが高くなっていく。そしてそれにもかかわらず、これらの概念は超感性的な点で共通しており、言語表現でも同じ語彙が使われるのである(3)。
(1) 頭の中で言語を駆使することが思惟であるという発想は、いわゆる「内語」について論じる人びとに共通して見られるところである。これは経験主義的な解釈であるが、それでは表現として頭の外に存在する「外語」と頭の中に存在する「内語」とはどういう関係にあるのか、どうして「内語」なるものが成立したのかと反問しても、説得的な答は得られない。言語そのものが外へ出たり内(うち)へ入ったりするかのように説明しかねない。
(2) 「黒い」「細い」という概念が、それ自体として普遍性の認識であると同時に「万年筆」については特殊性の認識でもあるというのは、やはり一つの矛盾である。われわれは自覚することなしにこのような矛盾をつぎつぎと創造しながら、表現を行っているわけである。
(3) これは言語学者に対する警告でもある。語彙論にしがみついて認識の構造を科学的に把握しようとしなければ、言語学は言語表現の理論へと発展することはできないのである。
このように、概念は現実の立体的な構造に対して、やはり立体的な構造をとることが要求されているのであるが、これを平面化したり切りはなして扱ったりするあやまりも起りうる。机の上に万年筆しか存在しないならば、「机の上の書くものをとってくれ」と抽象のレベルの高い普遍性でとらえても、万年筆をとってくれるであろうが、机の上に鉛筆もボールペンもあるときにはこのレベルではそのいづれにもあてはまるから、手当り次第にとってくれるであろう。「机の上の万年筆をとってくれ」といわなければならない。いわれた側では、「万年筆」の類としての特殊性を認識しているから、それに相当する存在をいろいろな存在の中からえらび出してとってくれるはずである。鉛筆がほしいときにも、同じように「机の上の鉛筆をとってくれ」といって、「鉛筆」の類としての特殊性の認識に訴えるわけである。
このときの「万年筆」「鉛筆」は個別的概念として個別的な事物をとりあげているのであるから、この二つの異った概念にはそれぞれ異った二つの個別的事物ではなく、一つの個別的な事物の一面である個別的な立体的な異った普遍性が対応している。それゆえ「万年筆」と「鉛筆」とはそれぞれ別に存在すると考えて「万年筆」のほかに「鉛筆」をさがそうとするのは正しいが、もし「万年筆」と「筆記用具」との場合にも同じように考えて「万年筆」のほかに「筆記用具」をさがそうとするならばそれはあやまりである。この二つの概念は、抽象のレベルの差異によって生れたのであるから、抽象として頭の中で切りはなして別々に扱っていても、現実の事物としては切りはなされて存在しているわけではないからである。
〔三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部 認識の発展』(1967年刊)から
第二章 科学・芸術・宗教 (3) 概念と判断の立体的な構造〕
■
この辺りは個体の識別を「特殊性の認識」という言い方で表現しています。
>鉛筆がほしいときにも、同じように「机の上の鉛筆をとってくれ」といって、「鉛筆」の類としての特殊性の認識に訴えるわけである。
No.48
- 回答日時:
No.45 のお礼に応えて
>>自分で~
と書いておきながら人のせいにするのはどうかと思います。
>あなたの、「個体の象」という表現がそもそも誤解していますね。
>正しくは、「対象としての象の個別性の認識」というべきところなのですが、誤った文章であったのなら、訂正した文章を提示して下さい。//
当方のコメントのどこに「個体の象」などと記述していますか?
要はあなたが、当方の指摘が全く理解できていないために自分の思い込みで誤読していることを露呈しているだけです。
>>訂正した文章を提示して下さい。
何度も、再三、再思指摘していますが?
既に何度も提示済みですが、概念も抽象も理解できていないあなたには内容が理解できずに勝手な思い込みで誤読を繰り返していりというだけのことです!
粗忽信仰宗教長屋の八丁堀の旦那が如何なる呆けをかましているのかを判り易く指摘しますので下記の簡単な質問に返答下さい!
あなたは、PCに向かいKBから①「象は鼻が長い」②「象の鼻が長い」③「象の鼻は長い」と入力していますが、あなたの眼前には象がいるのですか?
■
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
に「個別の象」と書かれていますが。
No.47
- 回答日時:
#46です。
>総記だからだとNo.23で説明されていましたが、それは誤りだったと判明しました。
となると、②だけ逆にする理由がありませんが。
:
総記が誤りだと申し上げたわけではありません。
中立叙述の場合も「きれい」について言いたいのは同じであるのに、その点について誤った表現をしてしまったため訂正させていただいた、ということです。
ややこしい説明になっていて申し訳ありませんが、《「きれい」について言いたいのは同じ》の理由はお示ししたとおりです。
No.46
- 回答日時:
#35です。
>ですので、②「象の鼻が長い」も、「象の鼻」について「長い」と言っている文だと思います。
:
それは指定文の場合ですね。
色んな動物の鼻を並べて、「一番長いのはどの鼻ですか?」などという質問に対する答えのような場合ですが、独立の文としては無理があると思いますね。
総記、または中立叙述と捉えるのが自然であり、《「長い(もの)」について、(それは)「象の鼻だ」と言っている文》だと捉えるのが妥当かと。
「いや、無理はない」とお考えなら、おっしゃるとおりですが、見解の相違ということになります。
因みに、普遍・特殊・個別をハガの違いに適用しようとするのは無理筋ですよ。
個別が特殊を含むという簡単な事実を三浦はどう考えていたのか?
No.20で
②「象の鼻が長い」だけ逆になっていたのは、
①「象は鼻が長い」
「象」について、(それは)「鼻が長い」と言っている文。
②「象の鼻が長い」
「長い(もの)」について、(それは)「象の鼻だ」と言っている文。
③「象の鼻は長い」
「象の鼻」について、(それは)「長い」と言っている文。
総記だからだとNo.23で説明されていましたが、それは誤りだったと判明しました。
となると、②だけ逆にする理由がありませんが。
No.45
- 回答日時:
No.41 のお礼に応えて
>>「個体の象」と「象という種」は対象として異なるのは当たり前と言ってるのは破綻してますけど。
あなたの、「個体の象」という表現がそもそも誤解していますね。
正しくは、「対象としての象の個別性の認識」というべきところなのですが、何せあなたの発想には概念という認識が全く理解できていないのスッポリ抜け落ちており全て議論がピント外れになります。■
自分で
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
と書いておきながら人のせいにするのはどうかと思います。
>あなたの、「個体の象」という表現がそもそも誤解していますね。
>正しくは、「対象としての象の個別性の認識」というべきところなのですが、
誤った文章であったのなら、訂正した文章を提示して下さい。
No.43
- 回答日時:
以前、<助詞>に関連し前置詞に付いて触れらていましたが、この点は下記を参照下さい。
「動相詞」概念について
https://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.d …
■
No.42
- 回答日時:
>>三浦が完全に誤解していることは辞書のソースも付けて既に示しました。
えっ!
どのコメントを言われてますか?
単なる自慰、自己妄想では?
まあ、当方の現実、事実に即した言語理解を大多数の方は御理解いただいているようなので、余り妄想に付き合う意味もなくなってきましたが!
■
何を白々しいことを。あなたの質問に回答しましたが。
自分で、
>中学生レベルの辞典しか示さずにあれこれ述べている貴方のソースは一体何なのですか?
と言っておきながら、
>どのコメントを言われてますか?
とは…。
いずれにせよ、質問と関係ないことや、しょうもない悪口の投稿は止めて下さい。
No.41
- 回答日時:
No.37 のお礼に応えて
>>「個体の象」と「象という種」は対象として異なるということは指摘した通りであり、それに同意頂けたのはほっとしましたが。
但し、対象は客体としての実体ではなく概念としての認識です。
ここが、あなたの発想からは現実、事実に相異しスッポリ抜けているということです。
「ほっと」している場合ではありません。
赤っ恥を晒しているのですよ!
■
で、対象はどちらも「象」だと言いながら、
>何度も指摘しているように挙げらた状況は象を対象としており、それに対する認識の表現ということで、どれも正しい表現です。
「個体の象」と「象という種」は対象として異なるのは当たり前と言ってるのは破綻してますけど。
>物理的に存在し、目で見える「個体の象」と、物理的ではない「象という種」は対象として異なります。
>これは当たり前です。
No.40
- 回答日時:
No.25 のお礼に応えて
>>「お前は理解できてないー!」とだけ言われても正直不快なだけです。
幼稚な理解を披歴している以上、「お前は理解できてないー!」とだけ言われても正直不快なのは自業自得と受け入れるじっと耐える他ありません!!
あなたの迷妄に付き合い極めて不愉快な思いを抱いた当方としては当然のしかるべき結果という他ありません!
No.38 の補足です。
>>三浦はソシュールをまったく理解できてないと再認識する記述です。突っ込みまくりたいですが、この質問からは離れてしまいますのでやめておきます。
概念と実体の区別もできないあなたが一体、三浦の何処にどう突っ込むのですか?
概念の無い所に一丁前の勘違いの迷妄だけが言葉になり宙に浮いていますよ!
でも、何が言いたいのか、言えるのか興味深々なのでサワリだけでも披露いただければ!
あなたの迷妄が何ら歴史的系譜を持たない、中学生レベルの辞典の知識を曲解した観念論の戯言(たわごと)に過ぎないことが明らかになった現在、結局は◎一教会並みの新興宗教的教義ではないかと懸念しておりますので!
■
そういうしょうもない悪口言ってるのが幼稚に見えます。大人なら論理的に回答しましょう。
辞書のソースを提示されて、
>中学生レベルの辞典しか示さずにあれこれ述べている貴方のソースは一体何なのですか?
と言うのは幼稚ではあります。
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象という特殊な種を指して
①「象は鼻が長い」
個別の象という対象を指して
①「象は鼻が長い」
と、異なる状況に利用できると、あなたは認めました。
したがって、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
という差異があるとの主張は成り立ちません。
個別の象という対象を指して①「象は鼻が長い」と言うとき、個別の象という対象の認識がありますので、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
①「象は鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
②「象の鼻が長い」は個別の象という対象の認識。
が可能だとなり、差がなくなります。
(②「象の鼻が長い」は象という特殊な種の認識。
が可能であるかあなたは明言されていないので、この点は不明ですが。この点に関してはご回答頂ければ。)
動物園である象を見ながら、個別の象という対象の認識をもって「象は鼻が長い」。
家で子供に象がどのような動物か説明しながら、象という特殊な種の認識をもって「象は鼻が長い」。
この2つは状況も認識も異なります。そのどちらにも「象は鼻が長い」と言えるとあなたは認めました。
そのことは理解した上で投稿して下さい。
三浦の『日本語の文法』には、
今日は遅刻した。
月は東に日は西に。
などを例に出し、この種の「は」は特殊判断のときに使われる、と述べています。さらに続いて、
象の鼻が長い。
は
キリンの首が長い。
というような観念的な前提が存在するわけである、と述べています。このような前提の妥当性は疑問がありますが。
三浦の「は」の特殊性はこのような特殊判断として理解すべきであって、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
のような「象という特殊な種」ではないでしょう。
三浦の『日本語はどういう言語か』には
一台のテレビを指して、
これは最新型です。
と言うのも特殊性を扱った「は」だと書かれています。「これ」は個別のテレビを指していますので、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の部位である鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊(種の)な鼻」の属性の認識の表現。
のような「象という特殊な種」に限定されるという解釈が誤りである事をはっきりしてしています。
長くなってしまったので要約します。
「が」は個別で、④「は」は特殊だという主張の論理的欠陥が明確になりました。
<ツチノコ説>
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
<致命的誤謬>
②「が」と④「は」で同じ説明をしてしまってます。
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
・個別性
「あの象」
「このテレビ」
「このテレビ」の認識があるのだから、個別性を認識しています。個別性の認識なしに「このテレビ」の認識など不可能。
・特殊性
「鼻が長い」
「新製品」
「鼻が長い」のは象の特徴。実際に、三浦はキリンは「首が長い」ことを対比しています。「新製品」は特殊なのに、「鼻が長い」は特殊じゃないとか子供の言い訳レベル。
これに反論するには②と④のどちらかにしか当て嵌まらない何らかの差異を示すしかありません。ところが、返されたものは、どれもどちらにも該当する内容だから論理的に無意味。
以下の記述を見れば明らかなように、「は」の特殊性とは「特殊な種」であり、「が」の個別性とは「個別の物」であるというのが主張でした。
<ツチノコ説>
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
しかし、④において、う「個別の物」としてのテレビの属性でしかない「最新型」を特殊性として認めた時点で、ツチノコ説は完全に破綻したのです。「最新型」は「特殊な種」ではありませんから。
そこが三浦とツチノコ説の差異であり、ツチノコ説の明白な誤謬でもあります。
経緯を正確に書くと、当初のツチノコ説は、
①「象は鼻が長い」は象という特殊な種の一部である個別の鼻の属性の認識の表現です
②「象の鼻が長い」は個別の象の(部位である)鼻の属性の認識の表現。
③「象の鼻は長い」は犬や馬の鼻ではなく「象の鼻」という「特殊な(種の)鼻」の属性の認識の表現。
と主張しており、「は」の特殊性は「特殊な種」の認識に対応していて、「が」の個別性は「個別の物」の認識に対応していました。
ところが、三浦の『日本語はどういう言語か』に
これは最新型です。
が例として載っていることを指摘された結果、
④「このテレビは最新型です。」は「このテレビ」というテレビの特殊性の側面に対する属性認識の表現。
と方針変更に追い込まれました。しかし、その結果、②「が」と④「は」で同じ説明をしてしまうという既述の致命的誤謬が生じたのです。