![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?5a7ff87)
HP、庭 三郎『現代日本語文法概説』が開示されている。
http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html
しかし、ここに示されている言語観、文法観は現在のソシュールパラダイム下の非科学的な、言語の本質を捉え損ねた形式主義/機能主義的な言語論、文法論で、これに基づき論理が展開されている。
ここに展開されているのは、機能主義的ないわゆる言語道具観に立つ、アプリオリな実体としての文の存在を前提とした生成文法と同様な発想による逆立ちの論理が展開されている。
この言語観、文法論の誤りについては、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
で詳しく展開したが、品詞の定義一つにしても、
「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを「品詞」と言います。//
と、誤った定義がされている。品詞とはその語が表す意義により分類されなければならない。
文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在するのではない。その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて表現するというのは因果を逆転した、言霊としての単語が存在しなければならないことになる。
科学的言語論を誇る生成文法の教祖チョムスキーは、さすがに言霊では気が引けるので、その産みの親を更に妄想することになった。それが、普遍文法である。しかし、その下っ端信者は親の心子知らずで、言霊を直接に裸体的に売り出しにかかったということである。
このため、
疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11788778.html
のNo.24 では、「私はこういう細かい品詞論議にはあまり興味を感じないほうなのです」と全くピント外れな回答をされている。「品詞はなんなのでしょう」という問いの回答には全くなっていないことに無頓着である。さらに、「こういう細かい品詞論は、あんまり突き詰めても得るところはない」と問題を回避している。得るところがないのではなく、論じることができないということを告白しているということである。
これは、<名詞>と<助詞>の品詞の区別もできない事実を露呈している。
こんな雑な、文法とはいえない回答を繰り返されるのは、『概説』が露呈している非論理性に起因するものである。
「まえがき」では、
中学・高校で国語の文法(国文法・学校文法)をいちおうは習っていても、わかった気がしなかった、そしてまた、英語の時間に英文法を習い、その用語をいくつか記憶しているが、国語の文法との共通点および相違点がよくわからない、というような人です。//
などと述べているが、この文法論では学校文法の混迷を拡大再生産することにしかならない。
さらに、この文法論を真に受け中味のない質疑を繰り返しているのが、<疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう>の質問者である。
このような、無用な混乱を招く念仏、SF文法の繰り返しはスペース、タイムの浪費でしかない。
適切な論理的回答を、「頭が痛いだけ。」などという体たらくで、愚問を繰り返すことのないよう自覚、学習すべきであろう。少なくとも、自身の理解力のなさを棚に揚げ、悪罵を繰り返すのは良識ある大人の為すべき行為ではない。
真に迷惑なのは念仏に付き合わされ、混迷に落とし入れられる善良な回答者諸賢である。
この点、諸賢はいかがお考えであろうか。■
A 回答 (67件中1~10件)
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No.69
- 回答日時:
No.69=68=67=66=65=57=56=54=52=49=39=37=36=9です。
『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断......』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11814104.htmlのサロさんのNo.76のA1ケーキの話が良かったです。ケーキはおいしい。
山 は高い 。
水 は流れる 。
あれ は富士山 。
摩周湖はきれい 。
だにするとおいしいだ。と高いだ。と流れるだ。がだいじょばないです。
ケーキはおいしいだ。
山 は高い だ。
水 は流れる だ。
あれ は富士山 だ。
摩周湖はきれい だ。
名詞っぽいとだがだいじょぶになるのでしょうか。さを付けてます。
ケーキはおいし さだ。
山 は高 さだ。
水 は流れ さだ。
あれ は富士 さだ。
摩周湖はきれ さだ。
ですにします。流れるです。はだいじょびます。
ケーキはおいしいです。
山 は高い です。
水 は流れる です。
あれ は富士山 です。
摩周湖はきれい です。
のを付けます。富士山のです。はだいじょぶです。きれいのです。はだいじょばないです。
ケーキはおいしいのです。
山 は高い のです。
水 は流れる のです。
あれ は富士山 のです。
摩周湖はきれい のです。
ですは動詞に付きにくいです。ますにするです。
ケーキはおいし ます。
山 は高 ます。
水 は流れ ます。
あれ は富士 ます。
摩周湖はきれ ます。
本質問のNo.62のスロさんのお礼 comment で紹介の田川拓海『「分散形態論による活用への統語論的アプロ―チ」』https://ci.nii.ac.jp/naid/120001139424が良かったです。p.11より引用します。「内丸(2006)はテ形節がその節内に過去の時制辞も生起させない((26a))ことなどから、時制辞の削除分析を提案している。
(26)a.太郎はおもちゃを壊し(*た)て、母親に怒られた。
*太郎はいつもおもちゃを壊すて、母親に怒られる。
」です。
コメントありがとうございます。
だいぶ日本語が乱れています。
>>だいじょばないです。
こんな日本語はありません。
<「高いだ。と流れるだ。」が不自然です。>が適切な表現です。しかし、方言ではこうした表現をされるところがあります。
接尾語「さ」は動詞や名詞には付きません。なぜか理解できますか?
「ます」は判断辞の丁寧形です。
「の」には<格助詞>と<形式(抽象)名詞>があるので、正しく区分しましょう。単に形式的に付加するのは誤りです。それは言語表現ではなく、単なる絵でしかありません。
「分散形態論」という生成文法に基づく発想自体が誤りなので注意しましょう。■
No.68
- 回答日時:
No.68=67=66=65=57=56=54=52=49=39=37=36=9です。
No.67の繁は誤りでした。ごめんなさい。糸の上は敏ではなくて軗です。お礼 comment でスロさんが指摘するように繋が正しいです。ありがとうございます。『繋辞とは』https://kotobank.jp/word/%E7%B9%8B%E8%BE%9E-58839さんでも確認しました。下記のように2か所訂正します。誤)「である」を繁辞とする
正)「である」を繋辞とする
誤)「べき」を繁辞とする
正)「べき」を繋辞とする
松木正恵『複合辞研究史Ⅴ 「形式副詞」との関連性--山田孝雄から奥津敬一郎まで--』https://ci.nii.ac.jp/naid/40007361929/amp/jaが良かったです。p.2から引用します。「実質用言と形式用言との関係になぞらえて、実質副詞と形式副詞を認めようという趣旨であり、「ごと(毎)」「まま(儘)」「まにまに」「すがら」「から」などが形式副詞にあたる。」です。ねばねばを連体格にするのは格助詞です。AのBの並びがあります。4つの場合があります。
A のB
1.王が本塁打を打つのを見る。
2.王が本塁打を打つのを見る。
3.王が本塁打を打つのを見る。
4.王が本塁打を打つの巻。
1.ののは様子です。左に連助格を与えます。2.ののは打撃棒です。のは具格を持ちます。左から修飾されます。3ののは球です。のは目的格を持ちます。左から修飾されます。4ののはなにものでもあらないです。左に連体格を与えます。『具格』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B7%E6%A0%BCさんが良かったです。引用します。「具格、英:instrumental case、羅:casus instrumentalis)は、名詞の格の一つで、道具・手段を表す。」です。
No.67
- 回答日時:
No.67=66=65=57=56=54=52=49=39=37=36=9です。
『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断......』のサロさんのNo.76で連体格がわかりませんでした。べたべたは副詞でのがつくと体言に連なってトリモチべたべたのになります。体言のトリモチが連なってべたべたのトリモチになります。尾田栄一郎『ONE PIECE』(集英社)がゴムゴムの実を発明しました。指定で述定で陳述で叙述で装定です。相松 慎也『ヒュームの道徳哲学と規範』https://ci.nii.ac.jp/naid/40020111920/amp/jaが良かったです。p.1より引用します。「事実命題(「である」を繁辞とする命題;事実判断)のみで構成される前提から、規範命題(「べき」を繁辞とする命題;価値判断)を論理的に導出することはできない」です。同質問のNo.72さん紹介の田中 秀毅『「多い」の装定用法と述定用法について』p.9より引用します。「「多い」が「の」を連体修飾する場合は、単独で用いられても容認されると指摘している。(27) 日本で一番多い苗字は「鈴木さん」
だそうですが、私は今まで生きてきて
3人しかお会いしていません。多いの
は、「佐々木」「佐藤」です。
(佐野(2016:90))」です。のが多いに連体修飾されます。のはべたべたを連体格にします。多にくがついて名詞になって居で動詞にして現在や過去の助動詞るやたで時制を膠着します。
原 be 居
現在We are the many.我々は多く居る。
過去we were the many. 我々は多く居た。
We were many. 我々は多た。
上林洋二『措定文と指定文:ハとガの一面』p.9より引用します。「「AはBだ」において, A, Bともに指示名詞句の場合は除いて考える。
基本的な例として, 次をみよう。
(35)(a)太郎は学生だ。 〔措定〕
(指示) (叙述)
(b)太郎が学生だ。 〔指定〕
(指示) (叙述)
(c)学生は太郎だ。 〔倒置指定〕
(叙述) (指示)
」です。量に着目すると多いとわずかを比べたくなります。わずかのお礼はだいじょぶです。多いのお礼はだいじょばないです。多いなお礼。お礼が思っていたより多いと驚きます。
コメントありがとうございます。
若干混乱があるようです。
>>【繁】辞とする命題
【繋】辞
>>のが多いに連体修飾されます。
この「の」は<形式(抽象)名詞>なので、当然<形容詞>「多い」は連体形になります。
>>多にくがついて名詞になって居で動詞にして現在や過去の助動詞るやたで時制を膠着します。
この「多く」は連用形で、動詞「居る」が続き、過去の助動詞「た」が続いています。「く」は活用語尾です。
>>多いのお礼はだいじょばないです
よくある、格助詞「の」の過剰な誤用に過ぎません。
大丈夫ですか?■
No.66
- 回答日時:
No.66=65=57=56=54=52=49=39=37=36=9です。
No.65に誤りがありました。1が9になっていました。下記のように訂正します。ごめんなさい。誤)
スロさんのNo.69へのお礼 comment より引用の「科学的な論理」が分かりませんでした。
正)
本質問のサロさんのNo.61へのスロさんのお礼 comment より引用の「科学的な論理」が分かりませんでした。
No.65へのお礼 comment より引用の「科学的な言語の本質」がわかりませんでした。望月 通子『接尾辞「~的」の使用と日本語教育への示唆』https://ci.nii.ac.jp/naid/120005851773と呉 雪梅『中国人日本語学習者の「的」付きナ形容詞の習得に関する研究』https://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/proje …が良かったです。宮園 健吾『内語と自己知』https://ci.nii.ac.jp/naid/130004546731が良かったです。p.4より引用は「われわれは先に生起的と傾向的の区別を導入した.」です。中野 聡子『マンデヴィルとイギリス経験論の接点』https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R000000004-I627065 …が良かったです。p.11より引用は「 そして, この無知な人間は, 生得的な観念を持たずに生まれ, そののちに知識を獲得していくと考えられている。
「本有観念(innate ideas)は存在せず, 人
間はぜんぜん知識をもたずにこの世に生まれ
てくる」(Mandeville(1924) vol.2. p.149.
邦訳 p.160.)
」です。書くときに親切が状態でなを付けます。読むときになが付いていて親切が状態です。書くときに親切は行為なのでのを付けます。読むときにのが付いているので親切は行為です。
言語とは表現であることが理解されていません。
内語とは概念の運用による思考で、人は誕生の際に母親より本有観念(innate ideas)を受け継ぎます。■
No.65
- 回答日時:
No.65=57=56=54=52=49=39=37=36=9です。
No.57に誤りがありました。oが1つ多かったです。下記のように訂正します。誤)
『Gooogl Books Ngram Viewer』
正)
『Googl Books Ngram Viewer』
いっぱいあってなを探します。そこにあったなを食べます。そこな下郎です。王が本塁打を打つなを見ます。みそこなうです。しょくじなうです。『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断......』さんのNo.58へのお礼 comment より引用の「「最適」の悪影響ですかね」が良かったです。最適の影響がありました。スロさんのNo.69へのお礼 comment より引用の「科学的な論理」が分かりませんでした。三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本があります。弁証法は科学です。ですから科学的な論理とは弁証法的な論理です。『真実の科学と疑似科学の見分け方』のNo.8さんhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/11966564.htmlが良かったです。『論理的であることと、科学的であることの違いをどのように説明しますか?』さんhttps://jp.quora.com/ronri-teki-de-aru-koto-to-k …も良かったです。弁証法と疑似科学を分けるのは難しいです。サロさんのNo.68も良かったです。ぬばたま玄人です。適当の要約をします。
noとnaは互いに音が似ている。
わずか の/な 光
自然 の/な ポーズ
自然 の/な 法則
わずか の/な お礼
親切 の/な 押し売り
親切 の/な 友人
ケーキは美味しい。美味しい ケーキです。
お礼 はわずかだ。わずか のお礼です。
光 はわずかだ。わずか な光です。
美味しいときのもなもあらないです。わずかだとお礼でのがあって光だとながあります。要約を終わります。
お礼が硬貨が何枚か数えられます。わずかとお礼をので繋ぎたくなります。光が数えられません。光は強弱です。わずかと光をなで繋ぎたくなります。わずかとハズレをにで繋ぎたくなります。
ハズレはわずかだ。わずか にハズレです。
反対 は賛成 だ。賛成 に反対 です。
の
な
野村 雅昭『否定の接頭語「無・不・未・非」の用法』https://ci.nii.ac.jp/naid/120006557224がよかったです。田中 秀毅『「多い」の装定用法と述定用法について』https://ci.nii.ac.jp/naid/120006412861が良かったです。Aの/なBは3つの枠があります。1.Aで2.の/なで3.Bです。でも3つに分けて組み合わせると別の結果になります。量子力学です。得丸公明『デジタル言語の量子力学的側面と数学的側面-文法の神経細胞組み込み仮説-』https://ci.nii.ac.jp/naid/110008668875が良かったです。p.1より引用します。「構造主義言語学者 A. マルチネは, 音節の離散性と単語を文法で二重分節化するところに言語の特徴を求めた.」
親切を押し売りできます。洗濯と似ています。『「洗濯に」と「洗濯しに」と「洗濯をしに」の違い その3』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11904099.htmlです。おじいさんは街へ
┏し┓
┏押し売り━┻━┫
親切┳を┻━━━━━┳し╋に行きました。
┣━━━━━━━┫ ┃
┗の押し売り┳を┛ ┃
┗━━━┛
『国語が得意な方にご質問です』さんhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/11960874.htmlが良かったです。くまは山へ
┏━┳━┓
┳ご質問╋を┻し┻に行きました。
┗お洗濯┻です。
です。で終わると質問をするが予想に挙がります。させてもらうのではあらないです。するのは自分です。ごで相手に対する敬意を示したいのが自分に向かいます。だいじょばないです。滝浦 真人『日本語敬語および関連現象の社会語用論的研究[全文の要約]』https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/ …が良かったです。『「二」の使い方』No.25さんhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/11904835.htmlより引用の「助詞は文字通り、助ける詞、単独では何の意味も持ちません。表しません。」が良かったです。『日本語コロケーション辞典』https://collocation.hyogen.info/word/%E6%9C%80%E …が良かったです。英語の最大級と並べます。最適は fittest です。最悪は worst です。最大は largest です。最高は maximum です。
be が原形で屈折して am が現在形で屈折して was が過去形です。日本語は居が原形でるが膠着したりたが膠着したりします。形容詞は多が語幹で現在の助動詞るが膠着します。表にします。
英語 日本語
原形 be 居 多 親切 塵
現在形am 居る 多い 親切だ 塵だ
過去形was 居た 多くあった 親切であった 塵であった
物っぽい語と状態っぽい語があります。
平田眞一朗『『悉曇藏』所傳の四家の聲調について』https://ci.nii.ac.jp/naid/40015134559 が良かったです。『漢字をいまだ使っていない頃の縄文・弥生の方々は、動詞の「きく」をどのように思い、どのように扱っていたの』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11941094.htmlさんが良かったです。『日本に漢字が伝わる前は、文字はなかったのでしょうか?』https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …の津さんが良かったです。『ヲシテ文献』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B2%E3%82% …も良かったです。白川静『文字逍遙』(平凡社ライブラリー)p341より引用します。「東がなぜ二つ並べられているのか、説明されていない。裁判の時、双方が束矢、均金を神前に提供するというというような古文献の記載には、全く無頓着である。下にあるのは口ではなく曰、祝告の器中に自己詛盟の文を入れてい有る形である。これも古代の裁判から出ており、法曹の語の起こるところである。」も良かったです。
荒木 直樹『ソシュールとチョムスキー』https://ci.nii.ac.jp/naid/120005403073が良かったです。引用します。p.6より「チョムスキーは I-language が人間の脳内に物理的メカニズムとして存在すると考えている。」です。p.7より「ソシュールは言語の本質を形相(forme)に帰している(物質に求めていない)のである。」です。時枝さんは規範です。
>>「助詞は文字通り、助ける詞、単独では何の意味も持ちません。表しません。」が良かったです。
単独では何の意味も持たないものが助けることはできません。意義を表すゆえに助けることができるというのが科学的、論理的な理解です。
>>日本語は居が原形でるが膠着したりたが膠着したりします。形容詞は多が語幹で現在の助動詞るが膠着します。
「多い」のどこに「る」がが膠着していますか?
目、耳は大丈夫ですか?
日本語の動詞に原形はありません。終止形で代表します。
>>「チョムスキーは I-language が人間の脳内に物理的メカニズムとして存在すると考えている。」
この誤りは、最初に指摘の通り
チョムスキー文法論の逆立ち的性格
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。内語などというものは存在しません。言語は表現されて初めて存在します。
>>「ソシュールは言語の本質を形相(forme)に帰している(物質に求めていない)のである。」です。時枝さんは規範です。
これも、上記の指摘の通り<デカルトの「本有観念」(ideae innatae)と一致することになった>ということです。
時枝は規範を捉えることができず、過程自体を実体視しており、規範による媒介を明らかにしたのは三浦つとむです。
諸説の継ぎ接ぎではなく、論理的、科学的な言語の本質を正しく理解しましょう。■
No.64
- 回答日時:
No.63の「お礼」に。
いよいよムチャクチャになってきた。
「居た」の「居」が現在を表し
ここまででたらめだと、むしろ感心する。語幹が「現在を表す」??
「字」のない時代は音韻による音声表現がなされていたのは、
別に遠い過去の話ではありません。
何を言っているか、意味不明。
「日本語音韻」の話は、また知らぬ存ぜぬの触らぬ神に祟りなし、のようで。
だったら、そっちに話を振らなければいいのに。みじめな過去を思い出すだけじゃないか。
語、句、節、文、文章という表現としての言語の本質
それに基づいて「文法」を書いてほしいもんだ。
「節」の定義がふらふらしているような状態で、何が書けるのか。
とても音韻の本質など理解しようがないということです
おやおや、「音韻の本質」は「かわいいひらがな表」からわかるのだろうか。
言語事実に即した論理的な展開
はどこでされているのだろうか。どこにもない。
saburoo
いよいよムチャクチャになってきましたね!
>>ここまででたらめだと、むしろ感心する。語幹が「現在を表す」??
「居た」が動詞「居る」の連用形「居」+助動詞「た」であることが理解できませんか。
まずは、日本語の動詞の活用とは何かから学びなおす他手の施しようがないようですね。
規範が理解できず、概念とは、普遍性とは何かが理解できないようでは如何ともしがたいということです。
まずは、
>>「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。
という対象認識の誤りから正さない限り、科学的、論理的な言語論、文法論の展開は望むべくもありません。
言っていることが理解できますか?
この点が理解できないようでは、ご自由にということで置いていく他ありません。
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』が全く理解できず、時枝誠記の『国語学原論』を読みこなせないようでは学問とは無縁な世界の住人でしかありません。■
No.63
- 回答日時:
同じトンチンカンの繰り返し。
しかし、「い-る」は動詞「居る」そのもので、「い」「る」は
これを音韻、字韻である「い」「る」に形式として分解したものに
過ぎず、「い」「る」は何ら概念を表しません。
「いる」が存在という1概念を表す【語】で、「い」「る」は概念を
表さない単なる音韻、字韻でしかありません。
「「い-る」は動詞「居る」そのもので」というところ、意味不明。
「い-る」は「い-た」との対立により、「現在」という意味を持つ形であり、「い-ない」との対立により、「肯定」という意味を持つ形である。
それらすべての形の総合として、「居る」という意味を持つ語がなりたっている。
だいたい、
まず、音韻、字韻という最小単位が規範により規定され、
この組み合わせにより概念を表す語が規定されます。
などと何を寝言を言っているのか。
「字韻」の組み合わせにより概念を表す語が規定される??
「字」のない時代の「語」はどうやって規定されるのだろう?
ここを見ただけで、言語について何もわかっていないことが明らかだ。
「る」を「r‐u」と語基に分解するところに
「語基」という言語学(日本語学)の用語を、でたらめに使うのは混乱のもと。
日本語の音韻には「r」は存在しません。
日本語の音韻の話?
「かわいいひらがな表」の、いわゆる「濁音・半濁音・拗音・促音」の不在の説明はどうなった? 「お」と「を」の話は?
説明拒否? 回答拒否?
もちろん、日本語の音韻体系で「r」は必要。それが科学的な言語学。
(中学生でもわかる?)
saburoo
相変わらずの惚けをかましていますね。
>>「い-る」は「い-た」との対立により、「現在」という意味を持つ形であり、「い-ない」との対立により、「肯定」という意味を持つ形である。
どこに対立があるのですか。「居た」の「居」が現在を表し、「た」が過去を表しています。対立ではなく、付加なのですが理解できませんか。
屈折語のように、動詞の現在形と過去形があるわけではありません。こんなことは、英語を習い始めの中学生がまず最初に学ぶことです。
>>「語基」という言語学(日本語学)の用語を、でたらめに使うのは混乱のもと。
「語基」という誤りが理解できないための混乱です。
>>「字」のない時代の「語」はどうやって規定されるのだろう?
ここを見ただけで、言語について何もわかっていないことが明らかだ。
「字」のない時代は音韻による音声表現がなされていたのは、別に遠い過去の話ではありません。
明治時代以降の義務教育により国民のほとんどが文字の読み書きを学習する機会が得られた結果であるのは良く知られたことです。無知程怖いものはありませんね。
>>「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。
という誤った言語観に立ち、「記号の体系」である文からスタートするチョムスキーと同じ逆転の発想に基づく言語言霊論では、語、句、節、文、文章という表現としての言語の本質を正く捉えることはできません。
認識を捉えられない回答者が単なる形式に囚われ、形式の対立しか捉えらえないのはソシュールパラダイムの限界であり、とても音韻の本質など理解しようがないということです。
表現過程を全く理解できない欠陥文法論を説き、言語言霊論となるしかないのは論理的必然だということです。
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
日本語動詞の活用論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9461 …
他を参照下さい。
言語事実に即した論理的な展開が必要です。
物言えば唇寒し秋の風 芭蕉
■
No.62
- 回答日時:
一つだけ。
>>ではなぜ「る」は語でないのか。その論証をしなければ論にならない
こういう問いに対して、一度くらい自分の議論を書いてみたら?
以前から論証しているが、理解できないだけ。「る」は<動詞>の
活用語尾に過ぎず、何ら独立の概念を表す単語ではないのは誰もが
理解していることです。
え? 「以前から論証している」 どこで? ほんとに??
「る」は<動詞>の活用語尾に過ぎず
これは何度も読んだ。それで、その根拠を聞いているんだけども、一度も答えていない。
誰もが理解している
これが根拠? アホな。
語は概念を表すもので、助詞・助動詞が語ではないなどというのは
中学生にも馬鹿にされるレベル。
中学生が好きだねえ。まさに中学生レベルなんだな。
先生(権威)が書いたことを繰り返すだけ。
ずいぶん前に書いたことだけれども、
い-ない い-ます い-る い-た い-よう
この中で「いる」だけが「活用形」とされる根拠は何か。
それに答えたことがある?
「いる」は活用形。中学生でも知っている。
これを繰り返すだけ。
ほんとに自分では何も答えられないんだねえ。
saburoo
良い質問です。
>>「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。
という誤った言語観に立ち、「記号の体系」である文からスタートするチョムスキーと同じ逆転の発想に基づく言語言霊論では、語、句、節、文、文章という表現としての言語の本質を正く捉えることはできません。
まず、音韻、字韻という最小単位が規範により規定され、この組み合わせにより概念を表す語が規定されます。
この語とはなにか、活用とは何かという基本的な概念が全く理解できていませんね。何度も指摘したことですが、言語表現は規範に媒介された話者の個別の認識の表現です。
>>い-ない い-ます い-る い-た い-よう
この中で「いる」だけが「活用形」とされる根拠は何か。
それに答えたことがある?
ここに示された中で、「い-ない い-ます い-た い-よう」は其々、
動詞「居る」+否定の助動詞「ない」、指定の助動詞の丁寧形「ます」、過去の助動詞「た」、推定の助動詞「よう」で、それぞれが一語が概念を表していまし。
しかし、「い-る」は動詞「居る」そのもので、「い」「る」はこれを音韻、字韻である「い」「る」に形式として分解したものに過ぎず、「い」「る」は何ら概念を表しません。「いる」が存在という1概念を表す【語】で、「い」「る」は概念を表さない単なる音韻、字韻でしかありません。
こうした、形式主義的な発想はさらに「る」を「r‐u」と語基に分解するところに行き着きますが、日本語の音韻には「r」は存在しません。単なる物理的な音声で日本語の文法の対象ではありません。
先に取り上げた、
田川 拓海
「分散形態論による活用への統語論的アプローチ」
-現代日本語における動詞連用形の形態統語論的分析-
も、このような誤った日本語の音韻を無視した論理を展開しています。分散形態論という生成文法に基づく発想の誤りを露呈した論考です。
回答者もまた、本質的にこの逆転した誤った言語観による言語言霊論でしかないというのが今回の問題提起です。詳しくは、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
他を参照下さい。■
No.61
- 回答日時:
相変わらずだねえ。
何の具体的な言語事実に基づいた議論もなく、ただただ抽象的な議論を連ねて、論証をサボる。
何か一つでも、きちんとした議論を積み上げて反論してみればいいのに。
何もできない。
>>ではなぜ「る」は語でないのか。その論証をしなければ論にならない
こういう問いに対して、一度くらい自分の議論を書いてみたら?
悪口雑言のみを連ねても、何も内容がない。
などと尻尾を巻いて逃げようとしてもどこまでも追及の手を
緩めることはありません。
はあ? なにか「追及」していたの? え?
そして、命令とは何か、語とは何かも説明できないくせに、
毎回、この「語とは何か」が出てくるんだけれども、今まで、一度も「語とは何か」の説明を聞いたことはないんだけれど。
まあ、詳しくはできないからしたことがないんだろう。
時枝が例の言語過程説であれこれ言っているけれども、結局、
このやうに語の認定が主体的意識にあるといふことは~
(口語篇 p.97 岩波全書版)
などと言うのでは、はあそうですか、とは言えませんねえ。
これは言語学じゃないもの。
私の立場は、前にも書いたと思うけれど、いわゆる「語」を「概念語(内容語)」と「機能辞」に分けて考える、というもの。後者は「語」とはしない。いわゆる助詞・助動詞は機能辞。「概念」じゃないものね。
ただ、「文法概説」では、学校文法にだいぶ妥協している。あれは一般向け(日本語教育用)の「概説」なので、あんなところで自説を主張してもわかりにくいだけだから。
三上章は、「名詞+格助詞」を、一語でも二語でもなく、一語半だと言ったところが確かあって、非常に納得した覚えがある。そんなところ。
「語」か「語ではない」か、なんてはっきり線が引けるものでもない。
「言語言霊観」ていうのも、何を指して言っているのかわからない。
なにかレッテルを貼って、いい気持になっているだけなのだろう。
そういうことばの使いかたは、その人間の愚かさを示すだけなのだが。
文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在する
のではない。
その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて
表現するというのは因果を逆転した、言霊としての単語が存在
しなければならないことになる。
「言霊としての単語」ねえ。何を言っているのか。
文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在する
のではない。
これはまあ、そうなんだろうけれども、
その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて
表現するというのは
って、誰がそんなことを言っているのかねえ。
ぜんぜん論理の筋がない。
まあ、いつものことだ。
論文の一つも書いてみるといいと思う。
相変わらず、人の文をまねて書くだけの脳しかないのだねえ。
論文はたくさん書きましたよ。いくつかは評価され、引用されている。
ほんとに、どこかで論文でも書いてみたら?
さてさて、気晴らしの雑文書きは終わりにして、まともな勉強でもしましょう。
saburoo
本当に、相変わらずだねえ~。
>>ではなぜ「る」は語でないのか。その論証をしなければ論にならない
こういう問いに対して、一度くらい自分の議論を書いてみたら?
以前から論証しているが、理解できないだけ。「る」は<動詞>の活用語尾に過ぎず、何ら独立の概念を表す単語ではないのは誰もが理解していることです。
>>なにか「追及」していたの? え?
言語言霊論という非科学的な言語論と冒頭で指摘の通りです。
>>いわゆる「語」を「概念語(内容語)」と「機能辞」に分けて考える、というもの。後者は「語」とはしない。いわゆる助詞・助動詞は機能辞。「概念」じゃないものね。
これは誤った語の分類でしかなく、語とは何かの定義ではない。辞とは何かも?で、何ら論理性がないことが理解できませんか。助詞・助動詞がどのよな概念を表すかが理解できていないのが根本的な欠陥。
語は概念を表すもので、助詞・助動詞が語ではないなどというのは中学生にも馬鹿にされるレベル。
それゆえに、助詞「は」「が」「に」や助動詞「だ」「な」がいかなる意義を表すのか理解できず頓珍漢な議論を繰り返している。
>>「文法概説」では、学校文法にだいぶ妥協している。
論理的な展開ができないのは論理的必然で、妥協は言い訳でしかない。だいぶもへちまもない、自立語/付属語と同じ区分をしていれば妥協ではなく同類でしかない。
>>「言霊としての単語」ねえ。何を言っているのか。
表現の媒介としてではなく、アプリオリな実体か宙に浮いた機能としてしか理解できない誤った言語観ということ。
いくら言っても理解できない人を相手にしてもしょうがないが、まずは言語とは何かをきちんと勉強しよう!
子供騙しの論文まがいを書いたところでしょうがない。
しっかり、科学的な論理とは何かをまともに勉強しなさい!
No.60
- 回答日時:
おやおや。
やっと答えを書いたんだ。それにしても、このどうしようもない詭弁を考えつくのに一月以上もかかったとは。
>>「紳士であれ!」はどうなるの?
どうもこうもない。助動詞「ある」による希求、願望の表現。
どうあっても「命令」とは言えないんだねえ。
「命令」であることを認めると、これまでの論理が全部崩れてしまいそうで、それが怖くて。
「紳士であれ!」という表現を思いついたとき、頭にあったのは海軍士官に対する言葉としてだった。
どこかでその話を聞いたような気がして。
ネットで探してみると、ちょうどそれを書いたものがあった。
その第一は「紳士たれ」であり、ここに海軍士官である前に、紳士であれという
イギリス流の紳士教育が始まったと言われています。
なるほど。戦前だから、文語調で「紳士たれ」なのか。
でも、その後にあるように、現代語では「紳士であれ」なんだな。
例えば、山本五十六が若い海軍士官に「紳士であれ!」というような場面。
「希求、願望の表現」なのかねえ。
そこまでみっともない詭弁を弄して、恥ずかしさはないのかねえ。
まあ、いいか。
「希求、願望の表現」ではあっても、その実現を望むことに、「命令」と何ら変わりはない。
これも一月前に書いたこと。
[2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
紳士であれ!
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。
「命令形」ではないとして、「希求、願望の表現」。で、
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を
「希求、願望」する、と。
ゆえに、「紳士である」は「時間的に変化する属性」。
ということでよろしいかな?
むろん、言うまでもないことだが、私は以上のことを本気で主張しているわけではない。
次の詭弁を(詭弁として)傑作だと思い、その話に乗ってみただけである。
[1] 「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち、
静的な属性を表わす形容詞は命令形を持ちません。
無から有への変化を命令します。
これが言えるなら、「紳士である」も同じだろう、という詭弁を考えてみただけである。
「ある」は「時間的に変化する属性」。なかなか意表をついていて、よろしい。
なぜそんな、明らかに無理なことを言うか。
そうしないと、もともとの「動詞」の「定義」に反するから。
時間的に変化する属性を表わすのが<動詞>で、時間的に
変化しない属性を表わすのが<形容詞>です。
普通、こういう時は「定義」のほうを疑うものだ。その恣意性を。
すべてはこの定義の不適切さから話が始まる。
「状態動詞」の存在という言語事実に目をふさいで、いい加減な「定義」を作り上げるから、まともな文法ができない。
「品詞」は文法を書くための語の分類なのだから、文法的特徴から分類しなければならない。
意味から分類したら、意味論のための分類になるだけだ。
この話は終わりにする。「希求、願望の表現」という詭弁の傑作が出てきたので、潮時だろう。
もう一つだけ言っておく。
>>テンスを表すのは「助動詞」ならば、「る」を助動詞と見ないのはなぜか。
「る」は語ではないから。
そういうのはいいが、ではなぜ「る」は語でないのか。その論証をしなければ論にならないと言っているのに、それがわからない。
日本語に動詞の過去形はなく、表現されるのは全て現在ゆえに、助動詞「た」が使用される。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11823076.html?isSho … No.59「お礼」欄
「表現されるのは全て現在」? こういうでたらめを書いていてはねえ。
いつも恣意的な主張を繰り返すばかりで、その論証はどこにもない。
「詳しく書いた」というのが、何の論理もなく、ほんの数(十)行書き散らしただけだったりする。
言語学・日本語文法の研究をしたことがなく、研究会などの議論でもまれた経験のないシロウトが、こういう掲示板で好きなことを書いても、単なる自己満足に過ぎない。
いつか、まともに勉強して、論文の一つも書いてみるといいと思う。自分の実力がわかるだろう。
saburoo
蛇足。チョムスキーの論文名の誤植を指摘したら、「この程度の揚げ足取りしかできない」というあたり、人間性にも問題があるねえ。三浦と一緒だ。
いよいよ逃げの詭弁に終始していますね!
人間性に問題があるねえ~!
言霊論を卒業しないかぎり不可能ですが!
>>「状態動詞」の存在という言語事実に目をふさいで、いい加減な「定義」を作り上げるから、まともな文法ができない。
これは金田一による<動詞>の分類ですが、内容のこのような捉え方は、表現の直接の基盤が認識であることを正しく理解したものではなく、言霊論的な発想によるもので、動詞の転成など文法論的に正しい説明ができず何ら有用性を持ちません。
そして、命令とは何か、語とは何かも説明できないくせに、
>>ではなぜ「る」は語でないのか。その論証をしなければ論にならない
と詭弁を弄することになります。最初から<言霊論>と言っているのに、それがわからない。何おかいわんやということです。
>>「品詞」は文法を書くための語の分類なのだから、文法的特徴から分類しなければならない。意味から分類したら、意味論のための分類になるだけだ。
<「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。>などというお粗末な言語言霊観では文法も意義も意味も正しく理解することはできません。
冒頭の問題提起に戻り、頭を洗って出直して下さい。
>>潮時だろう。
などと尻尾を巻いて逃げようとしてもどこまでも追及の手を緩めることはありません。
もう一つだけ言っておく!
言語学・日本語文法を科学的に研究したことがなく、同じ穴の狢が寄り集まった研究会などの議論でもまれた気になった奴シロウトが、こういう掲示板で好き勝手なことを書いても、単なる自己満足に過ぎない。
いつか、まともに勉強して、科学的、論理的な議論を提示し、論文の一つも書いてみるといいと思う。自分の実力の無さがわかるだろう。
所詮、ソシュールパラダイム下での通常科学の言葉遊びしかできない奴シロウトが出る幕はありません。■
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おすすめ情報
なお、生成文法の逆立ち的性格については、
三浦つとむ「チョムスキー文法論の逆立ち的性格」
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照願います。■
なお、チョムスキーの発想の原点は、
TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE
https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …
などを参照下さい。この原点の誤りに立ち戻らない限り科学的な言語論、文法論には成り得ません。
しかし、この点に立ち戻り反省すれば生成文法は崩壊します。まあ、チョムスキーも傘寿を超え、遠からず言霊となることと思います。そして、教祖が崩御すれば信仰は崩壊する他ありません。
その他の初期論考も、以下に公開されています。
CHOMSKY.INFO
https://chomsky.info/articles/
■
なお、上記論文を批判的に検討するためには、
クロード・E. シャノン (著), ワレン ウィーバー (著), 植松 友彦 (翻訳)
『通信の数学的理論 (ちくま学芸文庫) 』( 2009/8/10)
の「Ⅰ 離散的無雑音システム」なども参照下さい。この辺に関し、チョムスキー自身は、
ノーム・チョムスキー (著), 福井 直樹 (翻訳), 辻子 美保子 (翻訳)
『生成文法の企て』 (岩波現代文庫; 2011/8/19)
で、当時の雰囲気を語っています。■
「暑い中、自尊心回復のための必死の努力、お疲れ様です。」
これは、てっきり自戒を込めた告白かと思いましたが、そうではないのですか?
頭を冷やし、この夏に貴『概説』の論理を再検討、再学習するようにお薦めします。
チョムスキーの論理的逆立ちについては、具体的な例や資料を掲げておきましたが、この理解も夏の宿題ですね。■
応答をいただけるのは有りがたいのですが、いつも言い訳、他人の権威にすがる云い立てに終始し、対象事実と論理に基づく展開は無いことを自覚、反省されたことはありませんか?
時枝は次のように述べています。
「今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡て歴史的に規定されたものであって、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基づく言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであって、言語のいはば本質が何であるかの謎に対する私の回答である。」☇
「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考えた最初の人間は、やっぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実はあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が無精なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべってゐる人間の方が余程のんきだし、無精だよ。」//
ということで、学問を舐めちゃあいけません!■
No.6 への再補足です。
>> 名詞節=連体節+(底の)名詞
と書いてある文献を提示してください、と言っているのですが
良い例が、貴『概説』にありましたので提示致します。
まず、『概説』より
10.修 飾
補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに述べます。
「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。
56.1 概観
連体節とは、連体修飾節、つまり【名詞(体言)】を修飾する」節です。//
(【】は引用者による強調)
であれば、
【[そこにあった]パン/の】
の[そこにあった]が連体節であれば、「パン/の」は名詞、【[そこにあった]パン/の】が名詞節でなければ矛盾します。☇
また、「ウィキペディア」の「複文」を引用しておきます。
複文(ふくぶん)とは、次に掲げるようなものをいう。
文の中に名詞句【名詞節】があり、かつ、それに主語・述語が含まれているもの。
~
例えば、「太郎がきのう花子に会ったのは彼女の家だった」は「太郎がきのう花子に会った」と「・・・のは彼女の家だった」の2つの節に分けられ、それぞれに「会った」「彼女の家だった」という述語が含まれる。//
(【】は引用者による強調)
ということです。
ところで、「書名とページ数を教え」ましたが確認いただけましたか?
別に、急ぎませんが。
■
要は、三浦(つとむ)の云う、「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」ということが全く理解出なかったということですね。
この誤りと、膠着語である日本語の活用とは何かが理解できない所に展開されたのが、ナロックや田川 拓海 や三原健一・仁田義雄(編) (著)『活用論の前線』(2012/11/6)などの謬論ということです。■
もう少し補足させていただきます。
音声第一主義のソシュールパラダイム下では語基論も、もっともらしく聞こえますが、字韻に「ら」「ラ」はあっても「r」はありません。こんなことも理解できずに良く文法を論じますね。馬鹿馬鹿し!■