【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

HP、庭 三郎『現代日本語文法概説』が開示されている。
http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html

しかし、ここに示されている言語観、文法観は現在のソシュールパラダイム下の非科学的な、言語の本質を捉え損ねた形式主義/機能主義的な言語論、文法論で、これに基づき論理が展開されている。

ここに展開されているのは、機能主義的ないわゆる言語道具観に立つ、アプリオリな実体としての文の存在を前提とした生成文法と同様な発想による逆立ちの論理が展開されている。

この言語観、文法論の誤りについては、

庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …

で詳しく展開したが、品詞の定義一つにしても、

「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを「品詞」と言います。//

と、誤った定義がされている。品詞とはその語が表す意義により分類されなければならない。

文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在するのではない。その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて表現するというのは因果を逆転した、言霊としての単語が存在しなければならないことになる。

科学的言語論を誇る生成文法の教祖チョムスキーは、さすがに言霊では気が引けるので、その産みの親を更に妄想することになった。それが、普遍文法である。しかし、その下っ端信者は親の心子知らずで、言霊を直接に裸体的に売り出しにかかったということである。

このため、

疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11788778.html

のNo.24 では、「私はこういう細かい品詞論議にはあまり興味を感じないほうなのです」と全くピント外れな回答をされている。「品詞はなんなのでしょう」という問いの回答には全くなっていないことに無頓着である。さらに、「こういう細かい品詞論は、あんまり突き詰めても得るところはない」と問題を回避している。得るところがないのではなく、論じることができないということを告白しているということである。

これは、<名詞>と<助詞>の品詞の区別もできない事実を露呈している。

こんな雑な、文法とはいえない回答を繰り返されるのは、『概説』が露呈している非論理性に起因するものである。

「まえがき」では、

中学・高校で国語の文法(国文法・学校文法)をいちおうは習っていても、わかった気がしなかった、そしてまた、英語の時間に英文法を習い、その用語をいくつか記憶しているが、国語の文法との共通点および相違点がよくわからない、というような人です。//

などと述べているが、この文法論では学校文法の混迷を拡大再生産することにしかならない。

さらに、この文法論を真に受け中味のない質疑を繰り返しているのが、<疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう>の質問者である。

このような、無用な混乱を招く念仏、SF文法の繰り返しはスペース、タイムの浪費でしかない。

適切な論理的回答を、「頭が痛いだけ。」などという体たらくで、愚問を繰り返すことのないよう自覚、学習すべきであろう。少なくとも、自身の理解力のなさを棚に揚げ、悪罵を繰り返すのは良識ある大人の為すべき行為ではない。

真に迷惑なのは念仏に付き合わされ、混迷に落とし入れられる善良な回答者諸賢である。

この点、諸賢はいかがお考えであろうか。■

質問者からの補足コメント

  • なお、生成文法の逆立ち的性格については、

    三浦つとむ「チョムスキー文法論の逆立ち的性格」
    http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …

    を参照願います。■

      補足日時:2020/08/11 10:13
  • なお、チョムスキーの発想の原点は、

    TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE
    https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …

    などを参照下さい。この原点の誤りに立ち戻らない限り科学的な言語論、文法論には成り得ません。

    しかし、この点に立ち戻り反省すれば生成文法は崩壊します。まあ、チョムスキーも傘寿を超え、遠からず言霊となることと思います。そして、教祖が崩御すれば信仰は崩壊する他ありません。

    その他の初期論考も、以下に公開されています。

    CHOMSKY.INFO
    https://chomsky.info/articles/

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/11 17:29
  • なお、上記論文を批判的に検討するためには、

    クロード・E. シャノン (著), ワレン ウィーバー (著), 植松 友彦 (翻訳)
    『通信の数学的理論 (ちくま学芸文庫) 』( 2009/8/10)

    の「Ⅰ 離散的無雑音システム」なども参照下さい。この辺に関し、チョムスキー自身は、

    ノーム・チョムスキー (著), 福井 直樹 (翻訳), 辻子 美保子 (翻訳)
    『生成文法の企て』 (岩波現代文庫; 2011/8/19)

    で、当時の雰囲気を語っています。■

      補足日時:2020/08/11 17:46
  • 「暑い中、自尊心回復のための必死の努力、お疲れ様です。」

    これは、てっきり自戒を込めた告白かと思いましたが、そうではないのですか?

    頭を冷やし、この夏に貴『概説』の論理を再検討、再学習するようにお薦めします。

    チョムスキーの論理的逆立ちについては、具体的な例や資料を掲げておきましたが、この理解も夏の宿題ですね。■

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/11 21:23
  • ムッ

    応答をいただけるのは有りがたいのですが、いつも言い訳、他人の権威にすがる云い立てに終始し、対象事実と論理に基づく展開は無いことを自覚、反省されたことはありませんか?

    時枝は次のように述べています。

    「今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡て歴史的に規定されたものであって、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基づく言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであって、言語のいはば本質が何であるかの謎に対する私の回答である。」☇

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/12 11:04
  • 「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考えた最初の人間は、やっぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実はあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が無精なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべってゐる人間の方が余程のんきだし、無精だよ。」//

    ということで、学問を舐めちゃあいけません!■

      補足日時:2020/08/12 11:05
  • どう思う?

    No.6 への再補足です。

    >> 名詞節=連体節+(底の)名詞
    と書いてある文献を提示してください、と言っているのですが

    良い例が、貴『概説』にありましたので提示致します。
    まず、『概説』より

    10.修 飾
    補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに述べます。
    「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。

    56.1 概観
    連体節とは、連体修飾節、つまり【名詞(体言)】を修飾する」節です。//
    (【】は引用者による強調)

    であれば、

    【[そこにあった]パン/の】

    の[そこにあった]が連体節であれば、「パン/の」は名詞、【[そこにあった]パン/の】が名詞節でなければ矛盾します。☇

      補足日時:2020/08/14 17:04
  • また、「ウィキペディア」の「複文」を引用しておきます。

    複文(ふくぶん)とは、次に掲げるようなものをいう。
    文の中に名詞句【名詞節】があり、かつ、それに主語・述語が含まれているもの。

    例えば、「太郎がきのう花子に会ったのは彼女の家だった」は「太郎がきのう花子に会った」と「・・・のは彼女の家だった」の2つの節に分けられ、それぞれに「会った」「彼女の家だった」という述語が含まれる。//
    (【】は引用者による強調)

    ということです。

    ところで、「書名とページ数を教え」ましたが確認いただけましたか?
    別に、急ぎませんが。

      補足日時:2020/08/14 17:07
  • ムッ

    要は、三浦(つとむ)の云う、「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」ということが全く理解出なかったということですね。

    この誤りと、膠着語である日本語の活用とは何かが理解できない所に展開されたのが、ナロックや田川 拓海 や三原健一・仁田義雄(編) (著)『活用論の前線』(2012/11/6)などの謬論ということです。■

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/16 07:03
  • ムッ

    もう少し補足させていただきます。

    音声第一主義のソシュールパラダイム下では語基論も、もっともらしく聞こえますが、字韻に「ら」「ラ」はあっても「r」はありません。こんなことも理解できずに良く文法を論じますね。馬鹿馬鹿し!■

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/16 15:47

A 回答 (67件中11~20件)

どうでもいいことだが、ついでに。



   なお、チョムスキーの発想の原点は、
   TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE
            (No.2の回答への補足コメント)

ここが目に留まるたび、英語は不得意なんだなあ、と思う。
この論文を読めたはずがない、とも。

saburoo
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この回答へのお礼

No.58 のお礼欄の続き

>>「いた」は「動詞+助動詞」でテンスを表すというが、「いる」が「活用形」に過ぎないならば、なぜ「現在」を表すのか。その返答はいまだにない。

日本語に動詞の過去形はなく、表現されるのは全て現在ゆえに、助動詞「た」が使用される。この日本語の言語事実が理解できていない。西欧屈折語文法を信仰するしかないお粗末さが露呈している。

「幼稚な形式主義、機能主義」では、日本語の言語事実が示す本質を理解できず、常に言語事実に目をふさいで、西欧屈折語文法の権威の説に寄りかかってばかりの者には真実は見えない。

「英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …

参照。

言霊論を卒業しよう!

>>TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE

→Three Models for the Description of Language.

この程度の揚げ足取りしかできないのが哀れを誘う。

情報理論にいかれた発想の誤りを理解できたのかな?

お礼日時:2020/10/14 11:09

久しぶりに覗いてみると、また馬鹿なことを言っているので、一応コメントを。



   本質問で最初に指摘した
     >「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを
     「品詞」と言います。
   という定義の誤りが全く理解できずにあれこれ言われているところに

「定義の誤り」って、何度言えばわかるのか。定義に「誤り」も何もない。定義は論の出発点に過ぎない。その定義から始まる論全体の見てみなくては「定義の誤り」なんて論じようがない、ということがわかっていない。
学問の議論の立て方を知らない。

   庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
     https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466
   で詳しく展開したが、品詞の定義一つにしても、
     「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを
    「品詞」と言います。
   と、誤った定義がされている。品詞とはその語が表す意義により分類されなければならない。

「意義により分類」してもいいが、それでどういう文法ができたのか。その文法はどこにあるのか。
まだない。品詞分類して、終わり。それ以上のSyntax はどこにもない。

(これも何度も書くが、「「・・・迷妄」で詳しく展開したが」というところ、あんな切れっ端のふらふらした文章で「詳しく展開」というのは日本語の誤用である。)

   ここで、一番の問題は<動詞>の命令形によって表される命令と<助動詞>の命令形
   により表される命令の内容の相違であるが、これは<助動詞>とは何であるかが理解
   できていない回答者に問うても無駄というしかない。それが理解できていれば、こんな
   雑な質問などありえない!

というのは、「紳士であれ!」という「命令」をどう解釈するかという話なのだが、「命令の内容の相違」なるものについては、一切説明できず、あれこれ逃げ回っている。
いい加減、何か返答すればいいのに。

   <助動詞>とは何であるか

の説明も聞いたことがない。それで、「命令の内容の相違」が説明できるのか?

   「二重の肯定判断辞で」あれば、命令形など問題になりません。
   命令形とは、【単語】の形の名称です。

はあ。それで、「紳士であれ!」はどうなるの? 何か答えは?
「紳士であれ!」に関しては、徹底的に逃げ回る。よほど困ったのだろう。

   そして、命令とは何かが。

これも、きちんとした説明はない。三浦つとむのごまかしの詭弁を引用したことがあったか。

   動詞と判断辞である助動詞の本質的な相違

でた!「本質的」。こういうことばで何とかごまかそうとする。
一度くらい、ちゃんと説明してみたら?

   活用とは次に続く語による形の変化で、語の意義は変化しません

これは、恣意的な定義に過ぎない。上にも書いたように、そう定義するのは構わない。
しかし、

   動詞「行く」の命令形は「行け」ですが、仮定形も「行け」です。

都合のいい例だけ持ってきてはいけない。「いる」の命令形は「いろ」で、仮定形とは違う。

   つまり、「行け」という形が表す意義は「行く」と何ら変わらないということです。

この「つまり」は、ぜんぜん「つまり」ではない。「行け」と「行く」の「意義」が同じというのは、本人がそう言っているから、だけに過ぎない。説得力ナシ。
「言語事実」に基づいていない。

     「いる」は動詞の活用形「い」に「現在」を表す「る」が付加されたものと見なす。
         いる   動詞 い + る(現在)
         いた   動詞 い + た(過去)
   という、 幼稚な形式主義で、言語事実に反するピンボケな誤まった分析です。
.
いまだに、上の分析に対する有効な反論ができていない。

「いる」がなぜ「現在」を表すのか。テンスを表すのは「助動詞」ならば、「る」を助動詞と見ないのはなぜか。これには絶対に答えない。「活用形だから」という自らの定義を根拠にするらしい。
「活用形」という考え方そのものが問われているのに。
(自ら信じてきたものを根本から問い直すことは難しい。まして、人の説をそのままうのみにしてきただけのシロウトには。研究とは、教えられたものを疑うことから始まる。)

「いた」は「動詞+助動詞」でテンスを表すというが、「いる」が「活用形」に過ぎないならば、なぜ「現在」を表すのか。その返答はいまだにない。

「幼稚な形式主義」というレッテルを貼って、答えない。答えられないから。

   言語事実に反するピンボケ

「言語事実」!? 
常に言語事実に目をふさいで、権威の説に寄りかかってばかりの者がそれを言う?

saburoo
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この回答へのお礼

相変わらずの妄言をありがとうございます。
そこここで、襤褸を晒していますね。

>>定義に「誤り」も何もない。定義は論の出発点に過ぎない。その定義から始まる論全体の見てみなくては「定義の誤り」なんて論じようがない、ということがわかっていない。

科学を建設する場合には、研究対象についての定義が必要になる。しかしながら、定義は普遍的な把握によってつくられるものであって、何を普遍化するかでその性格がちがってくる。現象を整理したに過ぎない定義もあれば、本質的なありかたをとらえた定義もあって、区別する必要がある。現象をとらえたものでは、現実のありかたを研究するときには有用性を持たないし、学問をはなはだ歪んだものにしてしまう。

最近の好例は、<名詞>の定義であろう。

>>名詞とは何か、ということ。
  1 ガ・ヲなどがついた格になることができる。
  2 「~の」の形で連体修飾になる。また、連体修飾される。
  3 「~だ」の形で述語になる。

これは、機能と本質を取り違えた定義で、これでは語の転成など全く問題にできず頓珍漢な応答が繰り返されている。

学問の議論の立て方を知らない!

>>「意義により分類」してもいいが、それでどういう文法ができたのか。その文法はどこにあるのか。まだない。

文法とは何かの理解もなしに寝ぼけたことを言っても何の有用性もない。
三浦つとむ『日本語の文法』(勁草書房)他を参照のこと。

>><助動詞>とは何であるかの説明も聞いたことがない。

何度も回答しているが理解できないだけに過ぎない。モダリティ-などとごまかしていては<形容動詞>説の誤り一つ指摘出来ない。

>>「紳士であれ!」はどうなるの?

どうもこうもない。助動詞「ある」による希求、願望の表現。

>>そして、命令とは何かが。

きちんと説明したが理解できないに過ぎない。一度くらい、ちゃんと説明してみたら?

>>動詞「行く」の命令形は「行け」ですが、仮定形も「行け」です。
都合のいい例だけ持ってきてはいけない。

都合の問題ではなく、言語事実である。
この事実をどう理解するのか?

>>テンスを表すのは「助動詞」ならば、「る」を助動詞と見ないのはなぜか。

「る」は語ではないから。語とは何かの定義も示せずに矛盾した循環論法を繰り返すのは見苦しい。

以下、No.59のお礼欄へ■

お礼日時:2020/10/14 11:01

No.57=56=54=52=49=39=37=36=9です。

 『Gooogl Books Ngram Viewer』https://books.google.com/ngramsがあります。saiteki と saiai で2000年から2019年を折れ線図ができました。添付画像です。日本語は使えません。最寄な駅を Yahoo 検索すると278件です。最寄の駅だと1790000件です。『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断......』のスロさんとサロさんのNo.67と66と65と64と63と62と61と60と59と58と57を適当に要約します。最Aの/なBについてです。Aが名詞かなを除く形容動詞か静詞です。のが格助詞です。なが助動詞か活用語尾です。Aが属性表現から実体表現へ変わります。のによる比喩です。なによる判断です。最Aのが多いです。のとなが等分に使われます。名詞のと形容動詞と静詞なにまたがって使われる語があります。割合に差がある語とあらない語があります。これまでとこれからでのとなの割合が変わります。
 時空の無駄づかいのまにまにときめきとむなしみを憶えます。屈折語で時制の対立があるものとあらないものの割合はいくつでしょうか。膠着語で時制の対立があるものとあらないものの割合はどのくらいでしょうか。まつもと,ひろたけ『さまざまな<膠着>--<膠着>再説--』https://ci.nii.ac.jp/naid/120002970843のp.3より引用します。「典型的な膠着語とされるテュルク諸語ほかのアルタイ語族」テュルク諸語に現在時制があると反例になります。英語は屈折語です。英語で私は居るは I am. です。私は居たは I was. です。『日本語の過去形は、未来を意味できますか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11820758.htmlさんが良かったです。
 昔はいろはにほへとでした。今はあいうえおです。あいうえおへ最近ぬ切り替えがありました。割と昔からあいうえおはありました。『いろはにほへとからあいうえおにいつから変わったんですか?』https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …の窓さんがよかったです。引用します。「したがって、単に、<いろは歌>から<五十音図>に切り替えられたというのではないようです。」『五十音』https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D% …より引用します。「現在の配列になったのは室町時代以後である。この配列になった理由付けとして有力なのは、悉曇学による影響である。」
 運ぶさんのNo.7から引用する「外部刺激が加わらなければどんな言葉も生成されないし無論文法も存在する必要がない。何の刺激も無ければ人間の内部構造は高機能を備えた空箱」が良かったです。柴田健志『言語と主体:時枝誠記のソシュール批判再考』https://ci.nii.ac.jp/naid/110000036917のp.12より引用は「時枝は言語主体と規範的意識を同義としてとらえ次のように述べる。「言語主体なくして、或いはその規範的意識なくして言語は成立し得ない」。」です。1000年の歴史と100年の人生と1年の流行と現在の表現と現在の解釈とこれからの予想があります。
「庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る言霊」の回答画像57
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この回答へのお礼

コメントをありがとうございます。

>>最Aの/なBについてです。Aが名詞かなを除く形容動詞か静詞です。のが格助詞です。なが助動詞か活用語尾です。

若干誤解があるようです。<形容動詞>と<静詞>ではなく、<形容動詞>という品詞区分は誤りで、<形容動詞>とされる語の語幹が<静詞>で、これが<名詞>にも転成するということです。

>>まつもと,ひろたけ『さまざまな<膠着>--<膠着>再説--』

教科研文法はスターリン言語論の系譜をひく機能主義的な誤った言語観に基づくもので、単語の定義ひとつまともにできない代物です。この誤りが批判できるレベルになりましょう。


>>「外部刺激が加わらなければどんな言葉も生成されないし無論文法も存在する必要がない。何の刺激も無ければ人間の内部構造は高機能を備えた空箱」が良かったです。

言語は話者の認識の表現であり、刺激と反応などという機械論で捉えられるものではありません。■

お礼日時:2020/10/13 10:10

No.56=54=52=49=39=37=36=9です。

 紳士がある。と紳士である。の比較です。両方ともその人は紳士です。否定します。紳士があらない。と紳士であらない。です。前者は人がいません。後者は紳士であらない人がいます。両方ともに共通するのは変化です。人がいなくなるのと紳士に値しなくなります。前者は命令し難いです。紳士があれ。後者は命令し易いです。紳士であれ。
あるは動詞    あるは補助動詞
 紳士がある。   紳士である。
 紳士があらない。 紳士であらない。
 紳士があれ。   紳士であれ。
 紳士があるな。  紳士であるな。
いるは動詞    いるは補助動詞
 紳士がいる。   紳士っている。
 紳士がいた。   紳士っていた。
居るに語幹があらないです。活用と助動詞の組み合わせが4つあります。1)は連用形いに時制の助動詞現在ると過去たです。2)終止非過去形いると連用形いと過去たです。現在の時制があるとすべての時制があらないが対立します。
ア行上一段活用
語幹 未然 連用 終止 連体 仮定 命令
   い  い  いる いる いれ いろ
私は居る。
私は 動詞 助動詞 。
1)
連用 い   る 現在
連用 い   た 過去
2)
終止 いる    非過去形
連用 い   た 過去
3)
連用 い   る 現在
終止 いた    非現在形
4)
終止 いる    現在形
終止 いた    過去形
 村木 新次朗『日本語の機能動詞表現をめぐって』https://ci.nii.ac.jp/naid/120006014921が良かったです。p.8より引用します。「日本語の動詞は, Ru/Ta(Ru は ru と u が, Ta は ta と da がそれぞれ異形態であることをしめす)というテンスのカテゴリーにささえられたパラダイムをもつことを絶対の条件としている。」
 伴 映恵子『時制交替と述語-「テイル/テイタ」と「ル/タ」-』https://ci.nii.ac.jp/naid/120000974544が良かったです。p.17より引用します。「「テイタ/テイル」の対立は、過去と現在という時間的対立があるのに対し、「タ/ル」という対立にはそれがなく、アクチュアル化された行為と概念としての行為という対立が存在することが分かった。」
 守田 貴弘『意味的分類の科学的妥当性』https://ci.nii.ac.jp/naid/40019892129/amp/jaが良かったです。p.18より引用します。「日本語のタに複数の用法があることは誰もが承知しているが,「果たして過去と完了のどちらが本義なのか」,「結局のところタとは何なのか」と問われることがある。」  スロさんのNo.4 へのお礼コメントで紹介の長谷川 信子『主要部内在型関係節:DP 分析』https://ci.nii.ac.jp/naid/110000040541がよかったです。p.8より引用します。ただし久美子さんが逃げようとするのには下線が施してあります。それは太字で書かれています。暴漢が襲い掛かってきたのに下線が施してあります。それは太字で書かれています。「
(14)a.暴漢は、久美子さんが逃げようとするのを、それを押し倒した。
  b.警官が、暴漢が襲い掛かってきたのを、逆にそれを組み伏せてしまった。
この種の例文の特殊性は、太字で示した代名詞「それ」の存在で、その先行詞は、下線の(内在関係節と同じ形態を示す(3)に例示した)逆接の副詞節(連体止めノ節)とみられるが、」
3.暴漢が襲い掛かってきた
3-1.節
3-2.副詞節
3-3.副化辞が続く
3-4.副連副化辞修飾節
3-5.のを、逆にそれを組み伏せてしまった。
3-5-1.のは副化辞
3-5-2.のは様子
UG 普遍文法 universal grammar
S  文    sentence
NP 名詞句 noun phrase
VP 動詞句 verb phrase
DP 限定詞句 determiner phrase
IP 屈折辞句 Infliextion phrase
N  名詞 noun
Det 限定詞 determiner
  補文標識 Complementizer
  屈折辞 Infliextion
PF 音声表示
LF 意味表示
 『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断......』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11814104.htmのスロさんのNo.60がよかったです。適当に要約します。
格助詞の
体言扱いのものにつきます。上の体言と共に下の体言を修飾します。この助詞の示す格は体言を修飾するので連体修飾格です。意味としては主に所有あるいは所属を表すので所有格あるいは属格ともよばれます。上下の体言の意味あるいは前後関係によっていろいろな意味を表します。学研国語大辞典。
・所有所属を表す。
・所在期間を表す。
・作者を表す。
・内容的連関を示す。「最近、お料理の本を読む青年が増えたそうだ。」(森鴎外)
・名称を示す
・同格を示す。
・下に相対的概念を表す語を伴いその概念が適用される対象基準を示す。
助動詞な
静詞につきます。なの下に名詞が続きます。上の静詞が属性を表します。なは判断辞なりの連体形なるから転成した助動詞です。
 悪 な/の       形容に近い
 高   の/に 名詞  形容に近い
 大   の/に 名詞  形容に近い
 善   の   名詞  形容動に近い
最大は実体認識を表します。最大は下にのがつくと名詞です。下ににするがつくと静詞です。最強は下にのがつくと名詞です。下にだがつくと静詞です。のの下に具体的具象的な名詞がつきます。要約を終わります。
最Aの/なBの表です。
       B
  の/な 気分  点
   適 ×/× ×/×
最 A 悪 〇/〇 〇/〇
   高 〇/〇 〇/〇
   大 ×/× ×/×
   善 ×/× ×/×
適うは動詞です。最速の女。bi-gramで最を固定してAのとAな使用率を調べるとの寄りあるいはな寄りの具合が分かります。昔からいろんな言い方があります。書物があります。文法は物です。若木 裕美 市村 由美 住田 一男 永江 尚義『単語の意味分類と大規模日本語 n-gram を用いた統計的日本語述語項構造解析』右を押すとpdfが落ちてきますhttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …。p.2より引用します。「Google n-gram は Google が Web から抽出した約200億文(約2550億単語)の日本語データから作成した n-gram データである。」
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この回答へのお礼

コメントをありがとうございます。
基本的な誤りが見られるので、解説しておきます。

>>紳士があらない。と紳士であらない

日本語では「あらない」とはいいません。動詞「ある」の反対は「ない」で、「ない」は形容詞です。

紳士は人のあり方なので、「紳士がいない」といいます。また、性格の否定の場合は、「紳士でない」と表現し、この「ない」は否定の助動詞です。

補助動詞というのは動詞の一類とするもので、形式にとらわれた誤りです。

「補助用言という誤り」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9455 …

を参照下さい。

屈折語と異なり日本語に時制の対立はありません。

>>「日本語の動詞は, Ru/Ta(Ru は ru と u が, Ta は ta と da がそれぞれ異形態であることをしめす)というテンスのカテゴリーにささえられたパラダイムをもつことを絶対の条件としている。」

これは、語と活用語尾を混同した誤りです。

>>「「テイタ/テイル」の対立は、過去と現在という時間的対立があるのに対し、「タ/ル」という対立にはそれがなく、アクチュアル化された行為と概念としての行為という対立が存在することが分かった。」

「テイタ/テイル」は対立するのではなく、「て+いる」と「て+い(る)+た」で語構成の異なる句です。

>>主要部内在型関係節

は名詞節に過ぎず、形式(抽象)名詞「の」による捉え直しを正しく捉えられない誤りです。

>>文法は物です。

文法は規範です。

>>最大は実体認識を表します。最大は下にのがつくと名詞です。

実体認識を表すのが<名詞>です。
因果関係を正しく捉えましょう。

形式主義、機能主義的な文法論に惑わされないように正しい言語理解をもちましょう。

まずは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を読んできちんと理解しましょう。■

お礼日時:2020/10/07 10:13

面倒なので前の論をコピーする。

No.51から。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     >> [2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
          紳士であれ!
       「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。

      「紳士である」の「である」は<動詞>ではなく、二重の肯定判断辞であるのが理解できませんか。

動詞でないことは最初からわかりきっている。「二重の肯定判断辞で」あろうがなかろうが、「命令形」を持つことが共通し、その命令は「変化」を命令している。
それは動詞「ある」に対する論理構成と同様である。

それは否定しようがない。
つまり、「ある」が時間的に変化する動的属性を持つならば、「である」も(少なくとも一部の用法では)時間的に変化する動的属性を持つ。
それを「論理的に」否定できるか?と問うている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「命令形」というのが気に入らなければ、「命令」を表す「形」でもいい。
   紳士であれ!
が命令を表すことは否定のしようがない。その後の推論も同じ。

その内容が否定できないので、「形式主義」とか「言霊論」と言って論から逃げる。
いつものこと。

内容に反論できない? できないよね。論理的に筋が通っているから。シロウトのエセ知識では、具体的な議論になると、手も足も出ない。


どうでもいい話だが、音韻論の話。まったくのシロウトを相手になんで音韻の話をしなけりゃならないのか。

音韻の定義? 定義だけしても何の役にも立たないのだとは何度も書いた。
三浦つとむは「定義」だけで後は何もない。日本語の音韻体系の提示、その分析などができるはずもない。

だから、その信奉者は「音韻体系の表」を要求されて、「かわいいひらがな表」を出すしかなかった。自分の乏しい知識では、「音韻体系の表」と言われて何を示せばいいのかまったく途方にくれたから。だよね?

国語辞典を見てみると、それぞれ微妙に違って面白い。

 音韻 一回一回の具体的な音声に対して、同一言語社会に属する話し手たちが共有していると仮定される抽象的な言語音。 2「音素」に同じ。  学研現代

   一つの言語で、個々の言語音を他の言語音と対比して、同類の言語音として一まとめにできるようなもの。例えば、日本語の「デンキ」「デンパ」の「ン」は音声としては異なるが、同じ音韻だとする。   岩波

   [言語学で]意味を区別するのに役立つ、ことばの音。たとえば、「天気」の「ん」は[n]、「任務」の「ん」は[m]で、音声としては異なるが、「ん」としての音韻は同一である。   三省堂現代

こんなところが代表的なものか。学研現代のが基本的なところをおさえていていいのではないかと思う。

なお、Wikipedia の「音素」の項は、いろいろ書いてあって興味深い。

繰り返し言うが、以上のような「定義」をしてみても、それだけでは何の価値もない。
実際に、例えば日本語の「音韻・音素」をとりだして、その手続きを議論し、全体の体系を示さなければならない。(例えば金田一春彦はそうしている。)

その力は、音韻論を専門としない私には当然ない。三浦つとむは、私よりもひどかっただろうと思う。そもそも子音を音素と認めないのだから。言語学が基本からわかっていない。

現代の音韻体系で難しいのは、外来語に現れる、元々の日本語(和語・漢語)にはなかった音韻をどう扱うか、である。これは、音韻論のシロウトには無理な話だ。

で、質問者は、「音韻の定義」以外に、「日本語の音韻体系」を全体として示せるのかな?「かわいいひらがな表」以外に?

saburoo
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この回答へのお礼

ご丁寧な応答を有難うございます。

形式主義、機能主義的なお粗末な発想が露呈しています。

本質問で最初に指摘した

>>「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを「品詞」と言います。

という定義の誤りが全く理解できずにあれこれ言われているところに、奴シロウトの御隠居さんの発想の欠陥が露呈しています。一々指摘するのは面倒ですが労を厭わず明らかにしておきましょう。

ここで、一番の問題は<動詞>の命令形によって表される命令と<助動詞>の命令形により表される命令の内容の相違であるが、これは<助動詞>とは何であるかが理解できていない回答者に問うても無駄というしかない。それが理解できていれば、こんな雑な質問などありえない!

>>動詞でないことは最初からわかりきっている。「二重の肯定判断辞で」あろうがなかろうが、「命令形」を持つことが共通し、その命令は「変化」を命令している。

「二重の肯定判断辞で」あれば、命令形など問題になりません。命令形とは、【単語】の形の名称です。語の活用、活用形とは何かという根本が理解できていません。そして、命令とは何かが。

>>その命令は「変化」を命令している。

これは同義反復です。

動詞と判断辞である助動詞の本質的な相違が理解できない御隠居さんではどうしようもありません。

>>「命令形」というのが気に入らなければ、「命令」を表す「形」でもいい。

ここに、活用に対する無智が露呈しています。最初に指摘の通り、活用とは次に続く語による形の変化で、語の意義は変化しません。語の意義と文での意味の相違が全く理解できていないということです。

動詞「行く」の命令形は「行け」ですが、仮定形も「行け」です。つまり、「行け」という形が表す意義は「行く」と何ら変わらないということです。この点が理解できていないのが致命的です。こうした理解の誤りの典型が、

「いる」は動詞の活用形「い」に「現在」を表す「る」が付加されたものと見なす。
         いる   動詞 い + る(現在)
         いた   動詞 い + た(過去)

という、 幼稚な形式主義で、言語事実に反するピンボケな誤まった分析です。

お礼日時:2020/10/03 12:19

No.54=52=49=39=37=36=9です。

 SF文法の誤使用にイラつきます。疑似科学文法と呼称しなさい。『SFってなんなんだろう?--言葉とSF--』https://scifi.skoba.org/sf%E3%81%A3%E3%81%A6%E3% …さんが良かったです。science fiction は小説の分野です。黒田航『言語学とは何か? また何であるべきか?』p.15より引用します。「言語科学で第一に必要なのは記述的態度(descriptivism)の徹底である. だが, 言語教育に携わるということは, その徹底を難しくする. 」右を押すとpdfが落ちてきますhttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …
 『Dual 大辞林 トップページ>特別ページ目次>言葉の世界1>接頭語・接尾語』http://daijirin.dual-d.net/extra/settogo_setsubi …さんに接尾語一覧がありました。接尾語は接尾辞です。164の接尾辞がありました。『助詞一覧表』さんに助詞一覧がありました。右を押すとpdfが落ちてきますhttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …。40の助詞がありました。『国語の文法』https://www.kokugobunpou.com/%E5%8A%A9%E5%8B%95% …さんに助動詞一覧がありました。19の助動詞がありました。3つ共良かったです。スロさんの『自立語/付属語という品詞区分の誤りについて』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11911841.htmlが良かったです。適当に要約します。
 学校文法では語を自立語と付属語に2分しています。自立語は単独で文節を構成できる語です。名詞と動詞と形容詞と副詞です。具体的な内容です。付属語は自立語に付属して文法機能を表します。文節を構成させる語です。助詞と助動詞です。広辞苑。自立語の行かは付属語です。なぜなら動詞行くの未然形行かは単独で文節を構成できないからです。付属語のでは自立語です。なぜなら助動詞では次の文中で付属語の助詞はが付属して文法機能を表すからです。では、これで失礼いたします。
 王が本塁打を打つのを見た。です。王が本塁打を打つとのを見た。に分けます。2通りあります。1つ目は王選手の署名入り打撃棒です。2つ目は王選手の打席の様子です。
1.王が本塁打を打つ
1-1.節
1-2.形容詞節
1-3.体言が続く
1-4.形容連体修飾節
1-5.のを見た。
1-5-1.のは形式直接抽象名詞
1-5-2.のは打撃用の棒
2.王が本塁打を打つ
2-1.節
2-2.名詞節
2-3.補文標識が続く
2-4.名連補文標識修飾節
2-5.のを見た。
2-5-1.のは補文標識
2-5-2.のは様子
『現代日本語文法概説』さんはhttps://ci.nii.ac.jp/naid/10028085332/amp/jaで確認すると1つの論文で参考文献に挙げられています。
 サロさんが『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断…』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11814104.htmlに寄せるNo.58の下から3番目は野外簡易寝台商品説明の一部です。他言語で書かれている文を日本語に翻訳したものである可能性があります。ポイントは英語由来の語です。google 翻訳して最大なポイントを英語にすると The biggest point です。さらに日本語にすると最大のポイントです。the most bigger point を日本語にすると最も大きなポイントです。点は成績を測った数だったり目立つ所だったりします。『ナ形容詞の名詞化について goo』https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12593335976.htmlさんが良かったです。
 長さが23の文をすべて用意します。音素は22種類あります。22^23個の文が a priori にあります。
←   長さが23    →
/aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa/ 1個目の文
 :
/hontouniuragiQtaNdesuka/ m個目の文
 :
/RRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR/ 22^23個目の文
長さが1からnまであるので全部合わせるとΣ[l=1,n](22^l)個の文が経験に依存せず先だってあります。『情報の符号化費用は4値と3値の並列が最小ですか?』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11916284.htmlのNo.1さんが良かったです。引用します。「離散的とは:英語にはアとエの中間の発音があるけど日本語はそれをアかエのどちらかとして認識する。アとエの中間発音は認識する必要がない。」音素が22種類なのは経験に依存します。音声は連続です。
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この回答へのお礼

コメントをありがとうございます。

「言語科学で第一に必要なのは記述的態度(descriptivism)の徹底である.」こんな疑似科学言語論では言語の本質を正しく捉えることはできません。

下記を参照下さい。

言語の過程的構造と自然言語処理
http://www.kcn-kyoto.jp/~sat/data/publications/1 …

言語過程説とは何か?
https://blog.goo.ne.jp/kawashou66/e/3dda43985fc1 …

お礼日時:2020/10/01 10:52

No.51の「お礼」に。



   まず、「である」は単語ではなく、二語、つまり句です。
   命令形とは単語の形のことです。

「である」は「だ」の文体的交替形に過ぎないのだから、二語に分ける必然性はない。
この辺が「言語の体系性」というものがわかっていない証拠。
まあ、学校文法に従っているなら、二語になるか。

   <助動詞>の本質が提示できますか?

はぁー。「助動詞の本質」なんてことを言いだすとは。何、それ?

  【助動詞】〔日本語文法で〕おもに動詞に付属して叙述に何らかの意味的な
       限定を加える語。   [新明解国語辞典第七版]

新明解はこう書いているけれども、「意味的な限定を加える」というのはちょっと。
「意味を加える」のほうがいいだろう。

また、「おもに動詞に付属」とあるが、「述語に付属」するのであって、「名詞+である」自体が述語なのだから、「である」は「助動詞」ではない、というのが私の解釈。(「文法概説」では、通説に妥協して一応「助動詞」としてある。)

とにかく、「である」だろうが、「ある」だろうが、「(で)あれ」という形があり、それが命令に使われるなら、「命令形」と言っていい。

   そういえば、『概説』には<助動詞>の説明がありませんね!
   それを論ずる論拠、論理がない以上そうなるしかありませんが。

「はじめに」とその「補説」で論じてあるんだけどなあ。読んでないだけ。

   音韻とは何かも理解できない以上しょうがありませんね。
   せめて、まず音韻とは何か、字韻とは何かを明らかにしてから一丁前の口を
   きくようにしましょう。

はっはっは。威勢がいいねえ。「かわいいひらがな表」の話はしないの?
「字韻」なんて根拠のないものまで持ち出して。

「音韻」って、定義だけすればいいものなの? 日本語の音韻の分析は全くなしで?
まあ、三浦つとむも定義だけだったろうからなあ。追随者は何もそこから学べない。
だから、「かわいいひらがな表」を「日本語の音韻を示した表」だと思ってしまう。

「わ行」の「わ、を、ん」を音韻論的に説明してほしいんだけど。説明できる?

間違いなのは(さすがに)わかっているんだろうけど、それを認めたくないから、まあ、大変だよね。

saburoo
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この回答へのお礼

相変わらずの迷妄には恐れ入ります。

>>「である」は「だ」の文体的交替形に過ぎないのだから、二語に分ける必然性はない。この辺が「言語の体系性」というものがわかっていない証拠。

「文体的交替形」ですか?恣意的な造語が得意ですね。
まあ、町の御隠居さんの妄想に付き合っていてもしょうがありませんが。
「文体的交替形」の交替表を示していただくとありがたいのですが?

>>「である」は「助動詞」ではない、というのが私の解釈。

ははは!
では、何なんでしょうか?
苦しい言い訳が続きますね。
その論理に従えば、「だ」に命令形があることになりますが?
そんな、活用表がどこかにありますか?

こういう馬鹿話がいかなる錯誤に繋がるかは、

「英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …

を参照下さい。西欧屈折語文法の模倣に明け暮れていては言語本質は理解できません。また、

「言語学コミュの橋本文法の形式主義的性格について」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=8720 …

も参考になるかと思います。妄想は自由に飛翔しますね。

>>「(で)あれ」という形があり

これを称して、形式主義というのですが理解できますか?
これも、「文体的交替形」ですか?
本当に、時々の思い付きが飛翔しますね。

まあ、【言霊論】であることを自ら言明されているということですね。

>>通説に妥協して一応「助動詞」としてある。

そりゃそうですよね!
学校文法の品詞一覧を堂々と掲げているのですから。
その程度の妥協の産物でしかないということですね。

>>間違いなのは(さすがに)わかっているんだろうけど

ははは!
音韻の定義も示せずに、間違いも何も根拠がありませんね!
得意の逃げの一手ですか。

まず音韻の定義を示していただければ幸いです。字韻の方が判りやすいと思いますが?

所詮、【言霊論】ではどうしようもありません!■

お礼日時:2020/09/27 09:54

No.52=49=39=37=36=9です。

 前回答No.49で1つ link を貼ってませんでした。上林洋二『措定文と指定文:ハとガの一面』が良かったです。右を押すと pdf が落ちてきます。https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …です。前回答No.49へのお礼 comment で指摘のように親切さは静詞ではありませんでした。誤りました。ごめんなさい。さを取って転生前に戻すと静詞です。下記のように訂正します。ありがとうございました。
誤)
 親切さは静詞です。
正)
 親切は静詞です。
『「日本語動詞の活用体形」論の迷妄』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11879241.htmlのNo.1のお礼 comment で紹介の宮崎正弘 白井聡 池原悟『言語過程説に基づく日本語品詞の体系化とその効用』https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnlp1994/2/ …のp.p8-9より引用します。「静詞<形容動詞語幹に対応・ダ型とタルト型がある>,状態性転生名詞<形容詞転成名詞<<例:寒さ,厚み>>・静詞転生名詞<<例:親切さ>>>,連体詞型名詞<例:大型,急性>」引用を適当に改変します。
静詞
 形容動詞語幹
   ダ型
    例:親切
   タルト型
    例:混沌
名詞
 状態性転生名詞
  形容詞転成名詞
    例:寒さ,厚み
  静詞転生名詞
    例:親切さ
   連体詞型
    例:大型,急性
さを取って転生前に戻すと寒は形容詞です。無さのさを取って転生前に戻すと無は形容詞です。動詞居と命令の助動詞れと同様に形容詞無に命令の助動詞れがつきます。
   紳士で無い。
現在    な-い。
過去    な-かった
未然    な-からない
連体    な-きもの
名詞    な-さ
連用    な-くて
仮定    な-ければ
命令    な-れ
紳士でない。左の否定形は右です。紳士でなくない。紳士であれ。左の否定形は右です。紳士であるな。形容詞と名詞と動詞の三角形があります。各々の間に1.形容動詞と2.動名詞と3.名形容詞があって真ん中に4.名動形容詞があります。三角形の外が静詞です。
     形
    / \  5
   1  4  3
 /       \
動ーーーー2ーーーー名
 形容   紳士な
1.形動   紳士なする
 動    紳士する
2.動名   紳士するさ
 名    紳士さ
3.名形容  紳士さな
4.名動形容 紳士さするな
5.静    紳士
大切なものは紳士だ。大切なものは人ではないので紳士できません。いろいろなそ定文が成り立つか試して適当な語を探したいです。サロさんの言う病気のように気っぽい語の実体の無さが静詞風味です。私は空気だです。静詞の一覧表がありません。一覧表の静詞を全部試してし定文がうまく行かないか試したいです。希少は静詞です。とがし定ででがそ定です。そ定のとき静詞です。3-1はしそ定文です。大切なものは静詞です。3-2はし定文です。
1 ×大切なものは希少と高価だ。
 〇      希少で高価だ。
 〇      平和と安全だ。
 ×      平和で安全だ。
 ×      紳士と変態だ。
 ×      紳士で変態だ。
 ×      混沌と雑然だ。
 ×      混沌で雑然だ。
2 ×世界   は希少と高価だ。
 〇      希少で高価だ。
 ×      平和と安全だ。
 〇      平和で安全だ。
 ×      紳士と変態だ。
 ×      紳士で変態だ。
 ×      混沌と雑然だ。
 ×      混沌で雑然だ。
3-1 世界   は大切なものだ。
 2 大切なものは世界   だ。
 昔で終わることにはあるです。裏返します。今に始まったことではないです。『「二」の使い方』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11904835.htmlさんが送答したNo.5さんが良かったです。役過足ですが受答しました。引用します。「この手の悩みは"今に始まったことではない"でしょう。」左記を元にしました。今なのに始まるでなく始まったです。否定してあるので昔に始まったことが言いたいです。
    昔
  前 ┃継続 後
ーーーー・ーー・ーーー→
  始まった 今
ソニーはPS5を去年に発売しなかったです。否定すると去年にでもダイジョブです。『去年にさかのぼって。。。。』さんhttps://www.nghead.com/580/のように遡っても去年にがダイジョブです。ソニーはPS5を今年中に発売します。中を入れた今年中にもダイジョブです。未来に対応する漢字一文字は新です。新たでに終え始めたことにではなるです。
 哈斯『構造主義言語学における「音素」概念の存在論的考察』が良かったです。右を押すと pdf が落ちてきます。https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …です。p136に「音素ということで考えるべきは、言語体系の内部でそれぞれの音素がどのような役割を果たすかを考察すればよいのである。」とありました。文を聞いたときに相手が腰蓑をして夜船に乗ってかがり火を焚いてると比べられるのは羊飼の形態素〔HITSUZI〕です。
   ↓は形態素〔U〕です。
 私は鵜飼です。
   ↑は音素/u/です。
文を相手が名刺を取り出しての名乗りとして聞いたときは比べられるのは阿加井の音素/a/です。嵯峨山茂樹『音声とは:音声学の雑学』が良かったです。右を押すと pdf が落ちてきます。https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …です。50音は22音素です。
5種類の母音
     Front  Central  Back
Close    i          u
Close-mid   e        o
Open-mid
Open         a
14種類の子音
k s t n h m j r w g z d b p
促音Qと撥音Nと長音R
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この回答へのお礼

コメントをありがとうございます。

>>状態性転生名詞<形容詞転成名詞<<例:寒さ,厚み>>・静詞転生名詞<<例:親切さ>

これらは、正しくは派生名詞で「さ」「み」は接尾語です。
「さ」は量的な実体認識を表し、「長さ10m」「高さ100m」「旨さ100倍」のように使用します。

「み」は質的な実体認識を表し、「高みに立つ」「(胸の)痛み」「旨味」「甘み」のように使用します。

次に示された活用表?は全くの誤りです。形容詞「ない」の活用は、

かろーかっ/くーいーいーけれ

で、形容詞に命令形はありません。

「日本語動詞の活用体系」論の迷妄
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11879241.html

で指摘した内容を良く理解しましょう。

言語論、文法論で扱うのは音韻で、音素、形態素は単なる物理的な対象で音声判別の問題でしかなく、まさしく雑学です。文字で問題になるのは字韻で、字素や形態素は物理的、工学的な文字判別の問題でしかないのと同じです。

音韻とは何かも理解できないどこかのシロさんに騙されないようにしましょう。

まずは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を良く読み、正しい科学的な日本語論を理解してください。■

お礼日時:2020/09/24 09:32

おやおや。

「論理的推論」ということがわかっていない。

   異なる対象を「論理的推論の形を同じ」にすることなどでできる訳がありません。

「論理」というのは、様々な、千変万化の事象の中から共通の筋道を発見し、それを取りだして整理したものなのだが。

「異なる対象」の中にある同一の論理を発見するのが「論理的推論」というものだ。
哲学が好きなようだが、いったい哲学の何を読んできたのか。

   >> [2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
        紳士であれ!
     「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。

   「紳士である」の「である」は<動詞>ではなく、二重の肯定判断辞であるのが理解できませんか。

動詞でないことは最初からわかりきっている。「二重の肯定判断辞で」あろうがなかろうが、「命令形」を持つことが共通し、その命令は「変化」を命令している。
それは動詞「ある」に対する論理構成と同様である。

それは否定しようがない。
つまり、「ある」が時間的に変化する動的属性を持つならば、「である」も(少なくとも一部の用法では)時間的に変化する動的属性を持つ。
それを「論理的に」否定できるか?と問うている。

   したがって、~筋違いのピント外れということです

の「したがって」は、まったくの誤用である。何も説明していない。

   「ある」が「時間的に変化する」ことであるのは以前説明した通りで、
   それゆえに<形容詞>には無い「命令形」があるという事実を突きつけた
   のに、あれこれ逃げ回るしかないのでは、

だから、「である」も「<形容詞>には無い「命令形」があるという事実を突きつけた」のである。
助動詞だとか、「二重の肯定判断辞」とか言っても、何の反論にもならない。

  日本語の音韻も理解できずに単独子音など取り出し、

音韻の話はやめておいたほうがいいんじゃないか?

また「かわいいひらがな表」の話になってしまうよ?

「わ、を、ん」が一行に入っていることの説明と、「お」と「を」が「音韻的に」別であることの説明と、いわゆる「濁音・半濁音・促音・拗音」などは日本語の音韻でないのかどうかの説明が、まだできていないんだよ?
ずーーっとできないだろうとは思うけれど。明らかな誤りだからね。
音韻論無知のシロウトさん?

saburoo
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この回答へのお礼

おやおあや!

支離滅裂な論理を展開されていますね。

>>「である」も(少なくとも一部の用法では)時間的に変化する動的属性を持つ。
それを「論理的に」否定できるか?と問うている。

まず、「である」は単語ではなく、二語、つまり句です。命令形とは単語の形のことです。ここに、語とは何かの理解もなく与太を飛ばすしかない根源があります。

>>「したがって」は、まったくの誤用である。何も説明していない。

したがって、こういう意味不明なことを喚くことになります。

>>「である」も「<形容詞>には無い「命令形」があるという事実を突きつけた」のである。

<動詞>とは何か、<助動詞>とは何かの理解もなく、自立語/付属語などという形式にたよるしかない方が、こういう馬鹿話を<「事実を突きつけた」のである。>などというのは噴飯ものです。

<助動詞>の本質が提示できますか?

そういえば、『概説』には<助動詞>の説明がありませんね!
それを論ずる論拠、論理がない以上そうなるしかありませんが。

顔を洗って出直しましょう!

>>音韻の話はやめておいたほうがいいんじゃないか?

音韻とは何かも理解できない以上しょうがありませんね。
せめて、まず音韻とは何か、字韻とは何かを明らかにしてから一丁前の口をきくようにしましょう。

音韻論無知の奴シロウトさん?

理解できますか?■

お礼日時:2020/09/22 19:55

No.48の「お礼」欄に。



   この定義は、<動詞><形容詞>と云う単語の意義を述べているもので、〔述語の「時間性」を論じている〕のではありません。

    <動詞>:時間的に変化する属性
    <形容詞>:時間的に変化しない属性

「時間的に変化する」というのは、動詞の「時間的性質(属性)」である。それを「時間性」と言っている。

    <動詞>と<助動詞>を混同する

「混同」などしていない。論理的推論の形を同じにしているだけだ。その区別がつかない?

   [1] 「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち、
      静的な属性を表わす形容詞は命令形を持ちません。
      無から有への変化を命令します。
   [2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
        紳士であれ!
     「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。

この論理は崩せないようなので、「異論以前」といつもの逃げの手を打つ。
議論ができなくなると、「議論以前」と言い出す。
そうやって論理をうやむやにして逃げる。

たまには、論理に基づいた議論をしてみたら?

   <形容動詞>という誤りは理解できましたか?

いつもの安逸な問題に戻りたがる。(これは自信があるらしい!)

これも繰り返し書いてきたが、そもそも私は「形容動詞」支持派ではない。
また、「<形容動詞>という誤り」論は、活用の恣意的な定義によりもたらされた疑似的な「誤り」の論に過ぎない。

その定義そのものが問題であることを、「活用論」の所でしているがそこでも逃げ回ってばかりで、論理的な問いに答えられないでいる。
すべては一つながり。論理的な議論ができないから、決まりきった問題の決まりきった主張を繰り返すだけになる。

「言霊論」というレッテルを、批判のつもりでつけて喜んでいるらしいが、何がどう「言霊」なのだか、さっぱりわからない。三浦の空想(妄想)的な論のほうがよほど「言霊」ということばにぴったりなように思うのだが。

上の[1][2]の論理に反論できないようなら、この議論はこれで終わりとする。

    <動詞>:時間的に変化する属性

もともと、この「定義」が無理だっただけの話だ。いわゆる「状態動詞」はここに入らない。
それを、「ある」が「時間的に変化する」などと言い出すから、論理的に無理が生ずる。

所詮、シロウトの論である。そんなことではいつまでたっても「文法」は書けない。

saburoo
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この回答へのお礼

相変わらずの頓珍漢な応答をありがとうございます。

>>「混同」などしていない。論理的推論の形を同じにしているだけだ。その区別がつかない?

異なる対象を「論理的推論の形を同じ」にすることなどでできる訳がありません。

>> [2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
        紳士であれ!
     「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。

「紳士である」の「である」は<動詞>ではなく、二重の肯定判断辞であるのが理解できませんか。学校文法で謂う補助動詞です。中学生にでも聞いて下さい。したがって、

>> 紳士であれ!
     「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。

は筋違いのピント外れということです。

たまには、論理に基づいた議論をしてみたら?

>>「形容動詞」支持派ではない。

であれば、その論拠と、どう理解するのかを提示しなさい!

そこを逃げ回ってばかりで、論理的な問いに答えられないでいる。
まあ、語とは、<動詞><形容詞>とは何かが理解、提示できない以上論理的必然ですが。

「ある」が「時間的に変化する」ことであるのは以前説明した通りで、それゆえに<形容詞>には無い「命令形」があるという事実を突きつけたのに、あれこれ逃げ回るしかないのでは、

所詮、シロウトの論である。そんなことではいつまでたっても言語、「文法」は書けない!

アプリオリな文から出発し宙に浮いた語の機能を論じるのが言霊論でなくて何なのでしょうか?

日本語の音韻も理解できずに単独子音など取り出し、活用と屈折の相違も理解できないレベルが奴シロウトでなくて何なんですか?■

お礼日時:2020/09/20 22:53

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