
HP、庭 三郎『現代日本語文法概説』が開示されている。
http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html
しかし、ここに示されている言語観、文法観は現在のソシュールパラダイム下の非科学的な、言語の本質を捉え損ねた形式主義/機能主義的な言語論、文法論で、これに基づき論理が展開されている。
ここに展開されているのは、機能主義的ないわゆる言語道具観に立つ、アプリオリな実体としての文の存在を前提とした生成文法と同様な発想による逆立ちの論理が展開されている。
この言語観、文法論の誤りについては、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
で詳しく展開したが、品詞の定義一つにしても、
「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを「品詞」と言います。//
と、誤った定義がされている。品詞とはその語が表す意義により分類されなければならない。
文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在するのではない。その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて表現するというのは因果を逆転した、言霊としての単語が存在しなければならないことになる。
科学的言語論を誇る生成文法の教祖チョムスキーは、さすがに言霊では気が引けるので、その産みの親を更に妄想することになった。それが、普遍文法である。しかし、その下っ端信者は親の心子知らずで、言霊を直接に裸体的に売り出しにかかったということである。
このため、
疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11788778.html
のNo.24 では、「私はこういう細かい品詞論議にはあまり興味を感じないほうなのです」と全くピント外れな回答をされている。「品詞はなんなのでしょう」という問いの回答には全くなっていないことに無頓着である。さらに、「こういう細かい品詞論は、あんまり突き詰めても得るところはない」と問題を回避している。得るところがないのではなく、論じることができないということを告白しているということである。
これは、<名詞>と<助詞>の品詞の区別もできない事実を露呈している。
こんな雑な、文法とはいえない回答を繰り返されるのは、『概説』が露呈している非論理性に起因するものである。
「まえがき」では、
中学・高校で国語の文法(国文法・学校文法)をいちおうは習っていても、わかった気がしなかった、そしてまた、英語の時間に英文法を習い、その用語をいくつか記憶しているが、国語の文法との共通点および相違点がよくわからない、というような人です。//
などと述べているが、この文法論では学校文法の混迷を拡大再生産することにしかならない。
さらに、この文法論を真に受け中味のない質疑を繰り返しているのが、<疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう>の質問者である。
このような、無用な混乱を招く念仏、SF文法の繰り返しはスペース、タイムの浪費でしかない。
適切な論理的回答を、「頭が痛いだけ。」などという体たらくで、愚問を繰り返すことのないよう自覚、学習すべきであろう。少なくとも、自身の理解力のなさを棚に揚げ、悪罵を繰り返すのは良識ある大人の為すべき行為ではない。
真に迷惑なのは念仏に付き合わされ、混迷に落とし入れられる善良な回答者諸賢である。
この点、諸賢はいかがお考えであろうか。■
A 回答 (67件中11~20件)
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No.12
- 回答日時:
#11です。
>「に」が着点を表わすといいう誤りと同じで、格助詞とは何かが理解できずに補文化辞と呼ぶという誤りだということです。
アプリオリな文の存在からスタートすると統語論から始めるしかないということです。
:
それは何回も聞きました。
ですから、
「に」を補文化辞と呼ぶと、なぜ誤りだということになるのですか?
「庭に二羽鶏がいる」という文で解説してください。
とお願いしているのすけどねえ。
言語過程説では、
「庭に二羽鶏がいる」
という文においては、表現主体が、
「鶏がいる」場所としての「庭」という【対象】を、区間的に位置付けたいと【認識】したため、格助詞「に」を使って表現している。
のように正しい解釈をするのですよね。
アスナロウさんは、生成文法の場合は、このように解釈しないから間違いだ、と何度も繰り返しておられる。
では、どのように解釈するから間違いだとおっしゃるのか、具体的に教えてください。
ということです。
ご理解いただけたでしょうか?
>前にも指摘しましたが、こういう一丁前の口を叩くのは10年早いということです。
:
こういう簡単な質問にも答えられないような方が、そんな口を利くのは、それこそ10年早いのではありませんか?
こういう口を利かれなくても済むような、適切な応答ができるようになってからにしましょう。
必死になって論点を変えることで、質問から逃げまくっているような人間の言えるセリフじゃあない。
>そう言えば、今日のプレバトで夏井いつき先生が梅沢をたしなめていたのと同じです。
:
物事を正確に把握する能力の欠如が、こういった点にも期せずして露呈されてますな。
彼女がたしなめていたのは梅沢じゃなくフジモンですよ。
他人の遣り取りも、ここでの応答も同じですが、もう少し落ち着いて把握してから、自分の意見を述べるようにしないと、まともな会話が成立できなくなります。
>>まともな会話が成立できなくなります。
言っていることが理解できなければ、「まともな会話が成立できなくな」るのは当然です。
おこちゃまを相手にしているのではないので。■
No.14
- 回答日時:
#12です。
>言っていることが理解できなければ、「まともな会話が成立できなくな」るのは当然です。
:
言語過程説では、
「庭に二羽鶏がいる」
という文においては、表現主体が、
「鶏がいる」場所としての「庭」という【対象】を、区間的に位置付けたいと【認識】したため、格助詞「に」を使って表現している。
のように正しい解釈をするのですよね。
アスナロウさんは、生成文法の場合は、このように解釈しないから間違いだ、と何度も繰り返しておられる。
では、どのように解釈するから間違いだとおっしゃるのか、具体的に教えてください。
ということです。
この質問の意味が理解できないのですか?
おこちゃま以下ですな。(笑)
No.15
- 回答日時:
#14です。
>既に回答済みですと言っているのですが。
:
いくら切羽詰まったとは言え、嘘を言ってはいけませんなあ。(笑)
言語過程説では、
「庭に二羽鶏がいる」
という文においては、表現主体が、
「鶏がいる」場所としての「庭」という【対象】を、区間的に位置付けたいと【認識】したため、格助詞「に」を使って表現している。
生成文法の場合は、どうなるのか、これに対応する形でお示しください。
と申し上げている。
ここまでかみ砕いてもまだわからないようなら、おこちゃまを通り越して、赤ちゃん以下ですぞ?(笑)
そもそも、すでに回答済みというなら、その箇所を示さないとね。
どこを探しても、そんな箇所はないだろうから無理ですが。(笑)
>>すでに回答済みというなら、その箇所を示さないとね。
No.8 のお礼に応えてを参照下さい。
そもそも自称科学的を称する生成文法の論理構造を理解しないと補文化辞という位置付け理解できないということです。
THREE MODELS FOR THE DESCRIPTION OF LANGUAG
https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …
に示された言語観に基づき、文は普遍文法が生み出すという論理です。この辺の理解がないとまず、お話しにならないということです。■
No.16
- 回答日時:
#15です。
>No.8 のお礼に応えてを参照下さい。
:
参照しましたが、
<助詞「に」の統語的性質について : 補文化辞の観点から>
の何ページに書いてあるのですか?
「庭に二羽鶏がいる」という文は出てきませんが???
>そもそも自称科学的を称する生成文法の論理構造を理解しないと補文化辞という位置付け理解できないということです。
:
そんなことはないでしょう。
アスナロウさんが気に入らないということと、理解できないということをごっちゃにしてはいけません。
『まず、補文化辞とは何か、統語論としての視点でしか捉えられない所に生成文法の欠陥があることが理解できませんか。』(#10お礼欄)
と宣もうたわけだから、『統語論としての視点でしか捉えられない』と、
「庭に二羽鶏がいる」という文の解釈に、どのような欠陥が生じることになるのですか?
とお尋ねしている、ということでもある。
答えられないのですね?
>THREE MODELS FOR THE DESCRIPTION OF LANGUAG
https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …
に示された言語観に基づき、文は普遍文法が生み出すという論理です。この辺の理解がないとまず、お話しにならないということです。
:
わあっはっは~~~っ!(笑)(笑)
英語の論文を出せば、ははあ~~っ!と恐れ入るとでも思っておられるのかな?(笑)
そんなこけおどしが通用すると思っているなら、とんだ勘違い。
論点をずらすのに必死のようですが、要するに、生成文法であっても「庭に二羽鶏がいる」という文の解釈に、何か特別な欠陥が発生するわけではない、ということでよろしいですね?
少なくとも、アスナロウさんは、それ(欠陥)を論理的に指摘することはできない、ということのようで。
そもそもですが、いくらチョムスキーだとて、オオカミ少年が(生成文法を駆使して)いきなり言葉をしゃべるなんて言ってるはずはありませんよね?
毎度です。
>>いくらチョムスキーだとて、オオカミ少年が(生成文法を駆使して)いきなり言葉をしゃべるなんて言ってるはずはありませんよね?
いいえ。
普遍文法が言葉をしゃべるといっています。
>>それ(欠陥)を論理的に指摘することはできない、
最初から言霊論と指摘していますが理解できませんか。■
No.17
- 回答日時:
No.6の「お礼」に。
>>「名詞節」という人はもちろんいるが、それは【連体節】を含まない。
【連体節】とは連体修飾節で、体言(名詞)を修飾する節という用語です。
「それはを含まない。」節とは一体何なんですか。
中学生でも、みんな私の言っている理解をしています。云うも愚かなことです。
また無意味なことをくり返していますね。
【連体節】とは連体修飾節で、体言(名詞)を修飾する節という用語です。
このわかりきったことを何度書くのか。
「それはを含まない。」節とは一体何なんですか。
なんだか焦って書いているようで、意味がわかりませんね。
私が書いたのは、「名詞節」は、その中に「連体節」を含まない。つまり、「一般的な」定義では、
名詞節=連体節+名詞
などという構造はない、ということです。それがわからない?
前にも書いたように、そう(個人的に)定義したい、と言うなら、それでかまいませんが、それがふつうの定義だ、などと嘘を書いてはいけない。
天野みどりも、Miaoも、長谷川信子も、そんな定義をしていない。彼ら(彼女ら)の「名詞節」は、中に連体節を含まない。何度も何度も書いてきたことです。
中学生でも、みんな私の言っている理解をしています。云うも愚かなことです。
こういうことを書くと、書いた人間の愚かさを示すだけですよ。
「中学生」「みんな」って、だれですか?
そもそも文とは何かが理解できていないのに複文などという名称を使用していますが、
本来は一文であり複節文というべきものです。この名称に混乱させられているだけです。
「そもそも」って書けば、何か重要なことを言っているようで、問題点をそらせると思っている。
「複文」というのは、「節」が「複数」ある文のことを言います。それはどの本にも書いてある定義です。ご存じない? 「文」が「複数」じゃありませんよ。シロウトさんには難しい?
ふむ、それにしても「複節文」というのは、悪くない用語ですね。シロウトさんにもわかりやすい。
しかし、研究者はみんな(これは文字通り「みんな」です)、「複文」で「節が複数ある文」だと理解していますから、「複節文」とわざわざ言わなくてもわかります。
言語事実と、正しい論理に基づき思考できなければそこらじゅうに矛盾を生じます。
おお、このことばを質問者が書くとは!
「言語事実」、大切です。事実に基づいて思考してください。
>>国語辞典・百科事典の「品詞」の定義は皆ダメだということですね。
今ごろ何を寝惚けたことを言っているのですか。カマトトぶっちゃって気持ち悪いです。
日本語文法学会が欠陥文法事典を出している事実をどのように理解されているのですか?
こういう気持ち悪い日本語はやめてほしいですね。そもそも何を言いたいのかはっきりしません。
「カマトトぶっちゃって」というのは、「当然知っているはずのことを知らないふりをする」という理解でいいでしょうか。
私のことを言っているんだと思いますが、私が、何を知らないふりをしているんでしょうか。
国語辞典・百科事典の話から、なんで日本語文法学会の事典の話になるのか。論理的思考がありませんね。
それに、日本語文法学会の事典は「欠陥文法事典」だとはおもいませんが。
質問者があの事典を隅から隅まで読めば、よほど賢くなると思うのですが。そうすれば、私に対して無知をさらけ出さなくてすみます。
まあとにかく、日本の国語辞典、百科事典の類で「品詞」について行っていることはほぼ一致していて、質問者のみが違う意見を持っている、ということですね。
で、時枝ですが、私は岩波文庫版を持っていないので、「日本の言語学」という「論文集」で「原論」のその個所を読んでみました。「口語篇」も学術文庫版は持っていないので、岩波全書版を見ました。
で、 「品詞は意義によって分類する」とは書いていないように思ったのですが。
「詞」と「辞」は意義によって区別するのだろう、と理解しましたが、それぞれの品詞の区別は、文法的な係り方と形態なんじゃないですか?
もし、私の理解が間違っていましたら、お手数でも、はっきり書いているところを引用していただけませんか?
形容詞と形容動詞(それをなんと呼ぼうとも)の区別など、意味ではできないでしょう。(きれい:きたない・美しい、じょうず:うまい)
「口語篇」の時枝の文章はどうもうまく書けていませんね。論証が中途半端なまま、どんどん先を急いでいる。これが出版された当時、どういう批評があったのでしょうね。
あの「論証」で他の研究者を納得させるのは難しいだろうと感じました。(詳しくは「原論」を見よ、ということでしょうか)
まあ、三浦つとむは読むまでもありませんね。「日本語とはどういう言語か」を少し読んで、笑いが止まらなかったので。
「補足コメント」の時枝のことば。(ですよね?)
「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。
事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、
学問の邪道さ。」
「地球が円いと考えた最初の人間は、やっぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ
確実なら、事実はあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が無精なのぢやなくて、
資料の上に安心して寝そべってゐる人間の方が余程のんきだし、無精だよ。」
これは時枝の本音でしょうね。
「事実を山ほど集めて」上代語の八母音説という、空前絶後の大発見をしたごりごりの実証主義者、橋本進吉の業績と比べられたら、後任の時枝としてはそうでも言うしかなかったのでしょう。
「最初の見込みさへ確実なら、事実はあとからついて来るものさ。」
ところが、文法はそうではなかった。「事実を山ほど集めて」いなかった時枝は、「口語篇」を書く際に、書くべき事実があまりにも少なく、あのような小さな本しか書けなかった。
おそらく、書き始めたときは、山田文法を超えるような本を書きたかったのではないでしょうか。
しかし、そうならなかった。
もちろん、あの本は「総論」で、各論は一つ一つの論文で書く、という形もあり得ますが、時枝は「助詞」についても、「助動詞」についても、「動詞」「形容詞」についても、「受身・使役」や「複文」についても、格別論文は書いていないようです。書けなかったのでしょう。
後の時代の者がそう書くのは酷でしょうか。
前にも書いたことですが、「口語篇」の出た3年後に、三上章の「現代語法序説」が出版されます。驚くべき内容の、シンタクスの本です。
三上も、どちらかといえば「事実を山ほど集め」るよりは、「スペキュレーション」型の研究者です。しかし、あれだけの内容を書き、その2年後には「現代語法新説」を書く。
まったく、才能の差というものを感じます。
(三上の師である佐久間鼎は、「事実を集める」ほうですね。着実に、日本語全般を記述していった。しかし、三上に大きな影響を与えたのは、佐久間の「物語文」と「品定め文」の二大別で、現在では「叙述類型論」として、大きな研究分野となっています。)
とまあ、余計なことを書いていくと終わりません。この辺で。
saburoo
丁寧な応答をありがとうございます。
時枝以降の日本語論、文法論を発展と誤解されているために根本的に理解が食い違っています。松下大三郎が論理主義的な文法論を説き、佐久間鼎がゲシュタルト心理学にいかれた文法論を展開し機能主義的な吸着語論を提示し 、それを真に受けた弟子の三上章の文法論を発展と誤解している点で致命的です。
三上は西欧屈折語文法の形式主義的な発想で膠着語である日本語を理解しようとし、結局<形式(抽象)名詞>「の」の本質を明らかにすることができずに挫折し、「は・が論」もお手上げしています。
その後の、寺村や、金水、仁田、益岡、庵らの日本語論がどの程度のものかは云わずもがなということでしょう。動詞屈折論でも指摘した通り、ナロック・ハイコや分散形態論を説く田川拓海らの事実認識の誤りは別途論じた通りです。お粗末な貴音韻論の理解の誤りは『概説』で具体的に指摘した通りです。
北原や尾上の機能主義的な言語論もまた同様です。
日本語文法学会の事典が「欠陥文法事典」であるのは、対象である文法の本質を理解できずに「文法」とは何かを提示できないまま「群盲象を評す」という機能主義文法論の典型だからです。その上、文法化などと意味不明の言葉を並べられても笑止ということです。
どちらが、街の好事家である「シロウト」かは自ずから明らかでは。いつも、自分の言葉や論理で語ることができずに、人の褌で相撲をとっているようでは如何ともしがたいということです。
>>つまり、「一般的な」定義では、
名詞節=連体節+名詞
などという構造はない
ははは!
No.6 への再補足で記した、
10.修 飾
補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに述べます。
「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。//
これは何ですか?
>>三浦つとむは読むまでもありませんね。「日本語とはどういう言語か」を少し読んで、笑いが止まらなかったので。
そうですか、要するに理解する能力も論理も持たないということですね。
音韻論、意味論、文法一つ理解できずに何をおっしゃいますやら?
学問を舐めてはいけません!■
No.18
- 回答日時:
ばかばかしいけど、おつきあいで。
>>つまり、「一般的な」定義では、
名詞節=連体節+名詞
などという構造はない
ははは!
No.6 への再補足で記した、
10.修 飾
補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を
修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに
述べます。
「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を
合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。//
これは何ですか?
はい? 「連体修飾」の説明です。
何か問題が?
それが「節」になると、
連体節+名詞
という形になります。
「ははは!」というのは、暑さでついに頭がおかしくなった? 大丈夫ですか?
もう何十回も書いたような気がしますが、上の「連体節+名詞」全体を、「名詞節」とよぶのは、質問者一人で、まともな研究者でそう考える人はいない、ということです。
「これは何ですか?」などというごまかしでなく、はっきり自分の言いたいことを主張したほうがいいですな。
お粗末な貴音韻論の理解の誤り
おやおや! 「音韻論」の話をするとは! 「かわいいひらがな表」の人が!
『概説』で具体的に指摘した通りです。
え? そんなところ、ありました?
時枝の「口語篇」の「音韻文字表」というのも、なんだかわからないものですね。
トキエダの「ダ」がないのに、
根本に於いて、国語の音韻表であるといふことが出来る。(全書版p.32)
などと書いていますが、濁音その他については何かいいわけをつけるのでしょうか。
「ん」もないし。
御大がこの有様だから、それを受け継いだ三浦つとむも音韻に関してはトンチンカンだし、(いや、文法そのものもトンチンカンですが)ましてやその信奉者に至っては、「かわいいひらがな表」ですからね。それを「日本語の音韻表」だと言う。いやはや。
世界のすべての言語学者が間違っていて、時枝と三浦だけが正しい、なんていうのは、ほとんど宗教的信念ですね。神がかっている。
しかし、それならもう少し勉強しましょうよ。(ふむ。この、「それなら」はあまり論理的につながっていませんね。)
膠着語と屈折語がお好きだけれど、屈折語の文法でも、冠詞や主語のことは何もわかっていないじゃありませんか。証拠を出しましょうか?
まあ、いいですけどね。トンチンカンな人が、どんなトンチンカンなことを書こうとも。
saburoo
早速の応答を有りがとうございます。
>>世界のすべての言語学者が間違っていて、時枝と三浦だけが正しい、なんていうのは、ほとんど宗教的信念ですね。神がかっている。
だから、教祖チョムスキーの信仰に溺れ、ソシュールパラダイム下の誤りと指摘しているのが全く理解できていませんね。
マイケル・トマセロ〔(Michael Tomasello、1950年1月18日 - )はアメリカ合衆国の認知心理学者。ドイツ・ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所の所長〕が生成文法の機械論を批判し、共同注意(ジョイントアテンション)などと阿保なことを言っていますが、今時生成文法に入れ込むとは危篤なことというしかありません。
Θ統率などという迷妄か聞いてあきれます。
音韻と音声の相違も理解できずに、日本語を話すのに「ローマ字」を意識しているなどトンチンカンな議論をしているのはどなたでしょうか?
反省!
物言えば唇寒し夏の空
■
No.19
- 回答日時:
相変わらずこちらの質問には一切答えず、関係のないトマセロがどうのこうのと、話をそらすのに一生懸命ですね。
それからまた、ひとが書いていないことを書いたかのように言う。
日本語を話すのに「ローマ字」を意識しているなどトンチンカンな議論をしている
のはどなたでしょうか?
はあ? 少なくとも私じゃありませんね。
そう書いた部分があったら引用してください。(変な「切り取り」引用はなしで)
Θ統率などという迷妄か聞いてあきれます。
うまいですねえ。ぜんぜんわかっていないことを、さもわかっているかのように書く。
もうちょっと具体的な議論をしてもらえませんか?
「かわいいひらがな表」を、日本語の音韻表として、どう考えているのか。あれは何が足りないのか。
>>いわゆる「五十音表」ですか?
その通りです。細かな点が問題ではなく、これが日本語の音韻規範を示す表であり
であるならば、「五十音表」を書いていただけませんか?
「日本語の音韻規範を示す表」としての五十音表。
>>「五十音表」を書いていただけませんか?
え!
下記から好きにダウンロードして下さい。
https://happylilac.net/hiraganahyo.html
それで、出てきたのが次の表ですね。
かわいい ひらがな表
わ ら や ま は な た さ か あ
り み ひ に ち し き い
を る ゆ む ふ ぬ つ す く う
れ め へ ね て せ け え
ん ろ よ も ほ の と そ こ お
https://happylilac.net/hiraganahyo-g.html
この表への疑問を提示しましたが、ついに答えは得られませんでしたね。
例えば、最後のいわゆる「わ行」ですが、ここに「ん」を入れてしまったら、
音韻の表としては致命的ミスではありませんか。(なぜかわかります?-質問1)
(ついでに言うと、「を」の位置も変です。)
「を」がありますが、(ひらがなを書くための練習としては「を」は必要ですが、)
「音韻」として、「を」を「お」とは別に立てる正当な理由があるのですか?
質問2
このひらがな表では、「三浦つとむ」の音韻を示すことはできても、「時枝誠記」
の音韻を示すことができないのですよ。わかりますか?(質問4)
こういう質問にきちんと答えるのが、こういう質問掲示板の正しいやりとりではないのですか?
また逃げ回りますか?
saburoo
適当なコメントをありがとうございます。
>>はあ? 少なくとも私じゃありませんね。
そう書いた部分があったら引用してください。
『概説』より。
それ自体では独立した単語となれず、他の単語について意味を加えたり、文
法的性質を変えたりする(重い→重さ、自由な→自由化する)ものです。
この本で述語の活用形としたものの一部には、「語幹」に接辞がついたもの
と考えた方がよいものがありますが、この本では便宜的に活用表の中に並べて
おきました。
食べ-ない なぐr-areru 食べ-させる
(「なぐる」は「五段動詞」なので、「語幹」は「nagur」で、これはローマ
字を使わないと表せません。くわしくは第2部の「活用」を見てください。)
自分で書いたことをお忘れですか。日本語の音韻には「なぐr」などありません。何をとぼけているのですか。「r」の音韻表があったら示して下さい。馬鹿馬鹿しい。
>>「五十音表」を書いていただけませんか?
大好きな時枝の『日本文法 口語篇』でも読んで下さい。
>>Θ統率などという迷妄か聞いてあきれます。
もうちょっと具体的な議論をしてもらえませんか?
普遍文法などという迷妄の産物につきあっても意味がありません。
本質的な論理破綻の馬脚が示されたので、
疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう(Ⅳ)
として纏め提示します。
論理的、科学的な回答を提示するのがこういう質問掲示板の正しいやりとりではないのですか?
ところで、トマセロはご存じない?■
No.20
- 回答日時:
「No.19のお礼の欄」について。
問題の元はここ。
日本語を話すのに「ローマ字」を意識しているなどトンチンカンな議論をしている
のはどなたでしょうか?
はあ? 少なくとも私じゃありませんね。
そう書いた部分があったら引用してください。(変な「切り取り」引用はなしで)
それに対する引用。
食べ-ない なぐr-areru 食べ-させる
(「なぐる」は「五段動詞」なので、「語幹」は「nagur」で、これはローマ
字を使わないと表せません。くわしくは第2部の「活用」を見てください。)
自分で書いたことをお忘れですか。日本語の音韻には「なぐr」などありません。
何をとぼけているのですか。「r」の音韻表があったら示して下さい。馬鹿馬鹿しい。
ぜんぜん違うなあ。
「ローマ字を使わないと表せない」と「日本語を話すのに「ローマ字」を意識している」が同じだと思う人はいないでしょう。
言語学による分析と、話者の発話時の意識ですよ。
これが同じに思えるほど、読みとりが雑駁なのかなあ。
日本語の音韻については、wikipedia の「日本語の音韻」の「子音」を見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …子音
/r/は「ふるえ音」「はじき音」として表にあげられています。(「r」の音韻表、って何?)
言語学でごくふつうの説です。というより、それ以外の説があるかどうか。
ひらがな単位で「音韻」を考えるのは、シロウトにはわかりやすいけれど、分析としては中途半端ですねえ。
上の「日本語の音韻」では「日本語のモーラの一覧」として挙げられているものですね。
それでも、時枝の表や、「かわいいひらがな表」とは違って、濁音/半濁音と言われるものも、拗音もちゃんと入っています。
まさか、日本人が「日本語を話すのに「ひらがな」を意識している」なんて言わないでしょう?
大好きな時枝の『日本文法 口語篇』でも読んで下さい。
この「大好きな」は意味不明ですが、「かわいいひらがな表」よりは時枝のほうがましでしたね。
どうしてそうしなかったんだろう?
論理的、科学的な回答を提示するのがこういう質問掲示板の正しいやりとりではないのですか?
私の質問に対する「論理的、科学的な回答」はないんですか?
トマセロ? 本は何冊か持ってますが、今の話にぜんぜん関係ないでしょう? チョムスキーも。
どうも話をそらすのに一生懸命ですね。よくないですよ。
saburoo
早速の応答をありがとうございます。
>>「ローマ字を使わないと表せない」と「日本語を話すのに「ローマ字」を意識している」が同じだと思う人はいないでしょう。
「ローマ字を使わないと表せない」のであれば、「ローマ字」を意識せざるを得ないでしょう。こんな初歩的な誤りは、佐藤喜代治『国語学概論』(1952年)で、ローマ字論者の誤りとして指摘されています。<語基>論はローマ字論者の<活用>語尾論に、内容についての解釈でさらに輪を掛けたものです。
>>ひらがな単位で「音韻」を考えるのは、シロウトにはわかりやすいけれど、分析としては中途半端ですねえ。
仮名が日本語の音韻であることを理解できない奴シロウトの戯言です。
科学的とは何かが根本的に理解できていませんね。
「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」ということが全く理解出なかったということですね。
言語という対象の本質を正しく捉えることが科学的な言語論の第一歩です。
>>「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。
などと言っているようでは日暮れて道遠しですね。これも、誤植ですか?
>>トマセロ? 本は何冊か持ってますが、今の話にぜんぜん関係ないでしょう? チョムスキーも。
「今の話にぜんぜん関係ない」としか捉えられない所が致命傷です。
視野狭窄ということです。
学問を舐めてはいけません!
■
No.21
- 回答日時:
まったく、頭の悪い方ですね。
「ローマ字を使わないと表せない」のであれば、「ローマ字」を意識せざるを得ないでしょう。
こういうことを本気で言っているのですか? 言語構造の話ですよ。そこまで無知なの?
いやあ、文字を持たない民族は何を意識して話しているのかなあ?
文字がなかった時代の日本人の祖先は? やっぱり「かな」が意識にあった? どうやって?
ばかばかしくて話になりませんね。
それに、上代語の音韻を表すのに、ローマ字(もちろん、正確には「音韻表記としてのローマ字」ですよ。ローマ字論者の「(日本語の)ローマ字表記」ではありませんよ。その辺の区別、つきますか?)を使いますけど? 上代人(と言っていいのかなあ?)はローマ字を意識していた?
音韻論が専門の馬淵和夫の「国語音韻論」でも見てください。いいテキストですよ。
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E9%9 …
日本語がモーラ言語だから、モーラを基準として記述できる部分が多いのは事実だし、その点で「かな」単位で音韻を考えても、まあ、表面的にはそれほど大きくはずれる部分はないのだけれど、仮名に頼っていると、音韻史(音韻の歴史的変化)を分析、記述するのにかえって複雑になるのですよ。その辺、勉強したことないんだろうなあ。(もちろん、現代語の「深い」分析には仮名なんて問題外です。)
で、上のテキストを薦めておきます。もうちょっと勉強してください。
音韻も、ましてや音韻史など、まったくの専門外の人間からこんな初歩的なアドバイスを受けるのは、アドバイスするほうが恥ずかしいぐらいの話なんですよ。
まあ、私の見るところ、時枝は音韻に関してはほとんどシロウトだったんじゃないかと思います。論文は一つもないでしょ?
時枝以後、音韻研究はどんどん進んだわけだし。
科学的とは何かが根本的に理解できていませんね。
こういう空疎な強がりばかり言っていたって、言語事実を何も知らないんだから、悲しい話です。
「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」
これは三浦つとむでしたね。「普遍的」「一族」が何を意味するかという点に問題が残りますが、言っていることは他の学者の受け売りですね。三浦つとむに有坂音韻論がわかるわけがない。
空疎な強がりという点でも師匠ですか。
saburoo
おやおや!
音韻とは何かの理解もできずに空疎な世迷い言が並べられていますね。
>>三浦つとむに有坂音韻論がわかるわけがない。
ははは!
無知ほど怖いものはない。
ということですね。
今度は有坂信仰の告白ですか。
言語の本質も理解できずにどうして音韻が理解できるのですか?
もう少し勉強しましょうよ。
音韻については、
音声そのものが言語としての表現ではなく、音韻と呼ばれる面が言語表現であることの自覚です。音声は具体的であるが音韻は抽象的であるとか(金田一氏)、音声は客観的であるが音韻は主観的であるとか(神保氏)、音声は具体的であるが音韻は理念的であるとか(有坂氏)、音声は生理的であるが音韻は意識的であるとか(時枝氏)、いろいろ説明されています。
と諸説を検討のうえ、
異色なものとしては、有坂秀世と時枝誠記の音韻論が存在する。有坂は音韻を理念として解釈した。「音韻は発音運動の理想であり、音声現象の背後にあって之を意味づけるものである。」という。理想は現実と一致せず、まだ実現されていないし、発音としての理想であるから語の意味としての区別とも直接の関係を持たないというわけであって、これによって前にあげた二つの問題は統一的に説明されているかに見える。」
これに対する佐藤喜代治の批判を検討し、「有坂は表現の側面に音韻論を限定する点でこの混同からのがれてはいるものの、音声の構造についての検討が不十分であったために表現相互の区別の問題を説明できなくなってしまった。」とその限界を指摘し、活用、連濁や音便のなどの解明をしています。
この点が理解できていないのが、ナロックや田川や、三原健一・仁田義雄(編)『活用論の前線』という謬論だと言う訳です。
空疎な強がりと信仰への埋没という点で奴シロウト丸出しです。
まったく、頭の悪い方ですね。■
No.22
- 回答日時:
どうもお忘れのようなので、改めて。
No.17から。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、時枝ですが、私は岩波文庫版を持っていないので、「日本の言語学」という「論文集」で「原論」のその個所を読んでみました。「口語篇」も学術文庫版は持っていないので、岩波全書版を見ました。
で、 「品詞は意義によって分類する」とは書いていないように思ったのですが。
「詞」と「辞」は意義によって区別するのだろう、と理解しましたが、それぞれの品詞の区別は、文法的な係り方と形態なんじゃないですか?
もし、私の理解が間違っていましたら、お手数でも、はっきり書いているところを引用していただけませんか?
形容詞と形容動詞(それをなんと呼ぼうとも)の区別など、意味ではできないでしょう。(きれい:きたない・美しい、じょうず:うまい)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の引用部分の、次のところです。
それぞれの品詞の区別は、文法的な係り方と形態なんじゃないですか?
もし、私の理解が間違っていましたら、お手数でも、はっきり書いている
ところを引用していただけませんか?
お手数でも、書いていただけたら、勉強になります。
動詞の「意義による」定義、同じく名詞・形容詞・形動動詞に当たるものの「意義による」定義がどう書かれているか、です。
できれば、「日本文法口語篇」のほうがいいですね。手元で確認できますから。
以上、よろしく。
saburoo
まず、詞と辞の区分が概念内容によるものであり、次に体用の区分について述べていますが、ここでは、
体言、用言の別は、詞が、他の語との接続関係に於いて、その語形式を変えないものを体言といひ、その語形式を変えるものを用言といふ。この分類法とその概念規定は、古来の方法とその命名法に従ったもので、国語の性質をよく反映してゐるものとして合理性が認められる。体言をはたらかぬ語、用言をはたらく語といふのも、語形変化の有無の点から云ったものである。
~
以上のように、体言の名称は、語の形式に基づくものであって、その意義に関係しない。
概念内容の上から動詞を規定することは、用言の場合と同様、国語の性質から見て適切でない。//
と、<用言>とよばれる語についてその内容的な分類を拒否しています。この点については、三浦(つとむ)が次のように批判しています。
これは私の論文『日本語の「裸体的」性格』で検討したように、時枝が属性の変化の実体化の把握という問題を理解していないところと結びついている。時枝は山田(孝雄)と異なって、<接頭語><接尾語>を語の構成要素と見ない。//
また、時枝は動詞の語基論的な解釈も行いながら、「語が独立して用ゐられるか否かといふことは、必ずしも絶対的なものではなく、語を分類する絶対的な条件とはすることが出来ないものである。」とも述べ混乱しています。
この点を、三浦(つとむ)は、「時枝の認識論的な弱さが彼の検討を阻止することになったものと思われる。」と批判し、正しい分類を提示しています。
言語が話者の認識の表現であるという言語表現の過程的構造を、認識論に基づき展開しないかぎり正しい、科学的な語の分類もできないということです。■
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なお、生成文法の逆立ち的性格については、
三浦つとむ「チョムスキー文法論の逆立ち的性格」
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照願います。■
なお、チョムスキーの発想の原点は、
TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE
https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …
などを参照下さい。この原点の誤りに立ち戻らない限り科学的な言語論、文法論には成り得ません。
しかし、この点に立ち戻り反省すれば生成文法は崩壊します。まあ、チョムスキーも傘寿を超え、遠からず言霊となることと思います。そして、教祖が崩御すれば信仰は崩壊する他ありません。
その他の初期論考も、以下に公開されています。
CHOMSKY.INFO
https://chomsky.info/articles/
■
なお、上記論文を批判的に検討するためには、
クロード・E. シャノン (著), ワレン ウィーバー (著), 植松 友彦 (翻訳)
『通信の数学的理論 (ちくま学芸文庫) 』( 2009/8/10)
の「Ⅰ 離散的無雑音システム」なども参照下さい。この辺に関し、チョムスキー自身は、
ノーム・チョムスキー (著), 福井 直樹 (翻訳), 辻子 美保子 (翻訳)
『生成文法の企て』 (岩波現代文庫; 2011/8/19)
で、当時の雰囲気を語っています。■
「暑い中、自尊心回復のための必死の努力、お疲れ様です。」
これは、てっきり自戒を込めた告白かと思いましたが、そうではないのですか?
頭を冷やし、この夏に貴『概説』の論理を再検討、再学習するようにお薦めします。
チョムスキーの論理的逆立ちについては、具体的な例や資料を掲げておきましたが、この理解も夏の宿題ですね。■
応答をいただけるのは有りがたいのですが、いつも言い訳、他人の権威にすがる云い立てに終始し、対象事実と論理に基づく展開は無いことを自覚、反省されたことはありませんか?
時枝は次のように述べています。
「今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡て歴史的に規定されたものであって、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基づく言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであって、言語のいはば本質が何であるかの謎に対する私の回答である。」☇
「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考えた最初の人間は、やっぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実はあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が無精なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべってゐる人間の方が余程のんきだし、無精だよ。」//
ということで、学問を舐めちゃあいけません!■
No.6 への再補足です。
>> 名詞節=連体節+(底の)名詞
と書いてある文献を提示してください、と言っているのですが
良い例が、貴『概説』にありましたので提示致します。
まず、『概説』より
10.修 飾
補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに述べます。
「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。
56.1 概観
連体節とは、連体修飾節、つまり【名詞(体言)】を修飾する」節です。//
(【】は引用者による強調)
であれば、
【[そこにあった]パン/の】
の[そこにあった]が連体節であれば、「パン/の」は名詞、【[そこにあった]パン/の】が名詞節でなければ矛盾します。☇
また、「ウィキペディア」の「複文」を引用しておきます。
複文(ふくぶん)とは、次に掲げるようなものをいう。
文の中に名詞句【名詞節】があり、かつ、それに主語・述語が含まれているもの。
~
例えば、「太郎がきのう花子に会ったのは彼女の家だった」は「太郎がきのう花子に会った」と「・・・のは彼女の家だった」の2つの節に分けられ、それぞれに「会った」「彼女の家だった」という述語が含まれる。//
(【】は引用者による強調)
ということです。
ところで、「書名とページ数を教え」ましたが確認いただけましたか?
別に、急ぎませんが。
■
要は、三浦(つとむ)の云う、「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」ということが全く理解出なかったということですね。
この誤りと、膠着語である日本語の活用とは何かが理解できない所に展開されたのが、ナロックや田川 拓海 や三原健一・仁田義雄(編) (著)『活用論の前線』(2012/11/6)などの謬論ということです。■
もう少し補足させていただきます。
音声第一主義のソシュールパラダイム下では語基論も、もっともらしく聞こえますが、字韻に「ら」「ラ」はあっても「r」はありません。こんなことも理解できずに良く文法を論じますね。馬鹿馬鹿し!■