HP、庭 三郎『現代日本語文法概説』が開示されている。
http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html
しかし、ここに示されている言語観、文法観は現在のソシュールパラダイム下の非科学的な、言語の本質を捉え損ねた形式主義/機能主義的な言語論、文法論で、これに基づき論理が展開されている。
ここに展開されているのは、機能主義的ないわゆる言語道具観に立つ、アプリオリな実体としての文の存在を前提とした生成文法と同様な発想による逆立ちの論理が展開されている。
この言語観、文法論の誤りについては、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
で詳しく展開したが、品詞の定義一つにしても、
「単語」をその形の特徴・文の中での働きによって分類したものを「品詞」と言います。//
と、誤った定義がされている。品詞とはその語が表す意義により分類されなければならない。
文は話者の認識を表現するもので、表現に先だって文が存在するのではない。その話者が、文の表現に先だって「文の中での働き」を考えて表現するというのは因果を逆転した、言霊としての単語が存在しなければならないことになる。
科学的言語論を誇る生成文法の教祖チョムスキーは、さすがに言霊では気が引けるので、その産みの親を更に妄想することになった。それが、普遍文法である。しかし、その下っ端信者は親の心子知らずで、言霊を直接に裸体的に売り出しにかかったということである。
このため、
疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11788778.html
のNo.24 では、「私はこういう細かい品詞論議にはあまり興味を感じないほうなのです」と全くピント外れな回答をされている。「品詞はなんなのでしょう」という問いの回答には全くなっていないことに無頓着である。さらに、「こういう細かい品詞論は、あんまり突き詰めても得るところはない」と問題を回避している。得るところがないのではなく、論じることができないということを告白しているということである。
これは、<名詞>と<助詞>の品詞の区別もできない事実を露呈している。
こんな雑な、文法とはいえない回答を繰り返されるのは、『概説』が露呈している非論理性に起因するものである。
「まえがき」では、
中学・高校で国語の文法(国文法・学校文法)をいちおうは習っていても、わかった気がしなかった、そしてまた、英語の時間に英文法を習い、その用語をいくつか記憶しているが、国語の文法との共通点および相違点がよくわからない、というような人です。//
などと述べているが、この文法論では学校文法の混迷を拡大再生産することにしかならない。
さらに、この文法論を真に受け中味のない質疑を繰り返しているのが、<疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう>の質問者である。
このような、無用な混乱を招く念仏、SF文法の繰り返しはスペース、タイムの浪費でしかない。
適切な論理的回答を、「頭が痛いだけ。」などという体たらくで、愚問を繰り返すことのないよう自覚、学習すべきであろう。少なくとも、自身の理解力のなさを棚に揚げ、悪罵を繰り返すのは良識ある大人の為すべき行為ではない。
真に迷惑なのは念仏に付き合わされ、混迷に落とし入れられる善良な回答者諸賢である。
この点、諸賢はいかがお考えであろうか。■
A 回答 (67件中21~30件)
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No.49
- 回答日時:
No.49=39=37=36=9です。
『それいけ!アンパンマン』にかぜこんこんがでていました。彼は病気だです。世界はだいたい1個だけです。安全と平和は2個でこまります。大切なものは1個だけでなくてもだいじょぶです。×世界 は平和と安全だ。
〇大切なものは平和と安全だ。
最大には2つ意義があります。最も大きい事し定と最も甚だしい様そ定です。上林洋二『措定文と指定文:ハとガの一面』が良かったです。被害は最大だ。左記を前者の意義で読む指定文はナシです。後者の意義で読む措定文はアリよりのナシです。最大は他の適/悪/高がどっちかだけなのと違ってイヤなものもイイものもどっちも使えます。
スロさんの『下記のうち、不自然に感じるのはどれでしょうか。最適の判断/最適な判断/最悪の判断/最悪な判断…』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11814104.htmlのNo.7が良かったです。適当に要約します。話者が対象とする現実の世界の構造を理解します。木草犬猫の物体があります。観念と概念の観念体があります。物体と観念体は実体です。実体には属性が付属します。冷たいと暖かいは属性です。時間的に変化する属性は動詞です。変化しない属性は形容詞です。和語の形容詞は暖かい楽しい大きいです。華麗綺麗残酷は漢語の形容詞です。漢語は活用を持ちません。判断辞なりの活用を利用し形容動詞にします。最適最悪最高もこれらと同じです。しかし最大は属性ではありません。最大は名詞です。
これが最大だ。はアリです。最大が名詞だったりな形容詞だったりる動詞だったり中間だったりします。最大な被害はナシです。最大は静詞ではありません。
名 最大の
形容名 最大なの
形容 最大な被害
形容動 最大なる
動 最大る
親切さは静詞です。助動詞だは静詞にだけでなく動詞にもつきます。動詞居と助動詞だの活用表です。
私は居る。
未然 い-だろう
連用 い-だった
連用 い-でない
連用 い-になる
終始 い-だ。
連体 い-なとき
仮定 い-ならば
『「日本語動詞の活用体形」論の迷妄』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11879241.htmlのNo.1に活用表が続きます。
現在 い-る
過去 い-た
過去現在 い-たru
過去命令 い-たro
過去受動 い-たreる
過去仮定 い-たraば
過去連用 い-たriして
否定 い-ない
丁寧 い-ます
命令 い-ろ
仮定 い-れば
意志 い-よう
受動 い-られる
派生 い-る-のだ
複合 い-すわ-る
連続 い-てみ-る
適切な理解を示されありがとうございます。
日本語を母語とする他の回答者より数段深い理解を深められています。
ただし、若干誤りがあるので指摘させていただきます。
まず、<静詞>というのは時間的に変化しない属性の表現です。
>>最大が名詞だったりな形容詞だったりる動詞だったり中間だったりします。
<な形容詞>というのは、「平和な」を一語とする<形容動詞>と同じ誤まった品詞区分です。したがって「最大」は口語では<名詞>で、「な形容詞だったりる動詞だったり中間だったり」はしません。
但し、文語、漢語脈では<静詞>として使用される場合があります。これを口語で使用すると違和感を生じます。
最大の <名詞>「最大」+格助詞「の」
最大なの <名詞>「最大」+助動詞「な」+<形式(抽象名詞)>「の」
(「彼は学生なの。」と同じ用法です。)
最大な被害 口語ではこのような使用法はしません。
最大なる これは、<静詞>「最大」+<指定の助動詞>「なる」で、特殊な文語的用法です。
※岡本の手帳(1906)〈国木田独歩〉「人は悉く最大なる事実を見る能はずして幻影のみを見 るなり」 〔漢書‐西南夷伝〕 〔大乗義章‐一四〕
【精選版 日本国語大辞典の解説】
最大る これは日本語ではありません。
以上が正しい理解です。
>> 親切さは静詞です。
「親切さ」は派生名詞で、<静詞>「親切」+接尾語「さ」です。この「さ」は属性表現の語の量的な実体認識を表わす語で、「おいしさ百倍」「楽しさ倍増」「長さ100m」「高さ30m」のように使用します。
>><助動詞>「だ」は静詞にだけでなく動詞にもつきます。
だ (助動)
名詞・副詞およびある種の助詞ならびに、体言に準ずる語句に付く)断定の助動詞
【日本国語大辞典】
>>動詞居と助動詞だの活用表です。
動詞は「居る」で、これらの表は全くの誤りです。正しい活用表は、
未然 い-ない
連用 い-ます
終始 いる
連体 いる-とき
仮定 いれ-ば
命令 いれ(よ)
です。■
No.48
- 回答日時:
No.47のお礼欄から
(1)
今は<動詞>を論じているのでは。
<動詞>と<助動詞>を混同するようでは何ともはや。
違う。
<動詞>:時間的に変化する属性
<形容詞>:時間的に変化しない属性
この「定義」が成立するかどうかを論じている。
言いかえれば、述語の「時間性」を論じている。
名詞文の述語を論じるために、動詞「ある」から助動詞「ある」に話が展開しただけだ。
>>だから? 命令形はあるのかないのか?
もちろん、<指定の助動詞>「ある」にも命令形「あれ」はありますが。
従って、
[1] 「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち、
静的な属性を表わす形容詞は命令形を持ちません。
無から有への変化を命令します。
[2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
紳士であれ!
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。
「「紳士である」、は時間的に変化する属性」である、となるはずだが、異論は?
(2)
>>「要る」の命令形があるとして、では、それは使われるのか? 実例は?
まあ、普通には使用しません。命令【形】はありますが、「要れ」などと命令をしない
というに過ぎません。
つまり、「要れ」という命令は存在しない。
<実際に使われない>「命令形」が存在するなどという詭弁は成り立たない。
単なる形態規則の適用に過ぎない。
言語は現実に存在するものである。規則上の構築物ではない。
従って、
無用から入用への時間的な変化
などという解釈は、無意味である。
(3)
上記引用の[1]を認めるならば、
「紳士であれ!」は実際に使われる日本語である。
「要れ!」は実際に存在しない疑似日本語である。
「紳士である」は、「時間的に変化する属性」であり、
「要る」は、「時間的に変化しない属性」である。
saburoo
さっそくの応答をありがとうございます。
違う。
>>この「定義」が成立するかどうかを論じている。
間違っているのは回答者です。
この定義は、<動詞><形容詞>と云う単語の意義を述べているもので、〔述語の「時間性」を論じている〕のではありません。「ある」という形式が同じだからと、<動詞>と<助動詞>を混同するところに基本的な欠陥があります。意義と意味の相違を考えたこともない奴シロウトの誤りが露呈しています。それが理解できますか?
どこから、〔述語の「時間性」〕などが降って湧いたのですか?
馬鹿も休み休みにしましょう。
>>[2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
紳士であれ!
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。
「「紳士である」、は時間的に変化する属性」である、となるはずだが、異論は?
上記の通り、異論以前に問題提起が誤まっています。
この発想の誤りが議論を混乱させます。
>>言語は現実に存在するものである。規則上の構築物ではない。
従って、
無用から入用への時間的な変化
などという解釈は、無意味である。
言語とは何かの理解がないので出鱈目を言ってますね。
先にも指摘したように語の意義を論じているのであって、〔述語の「時間性」を論じている〕のではありません。したがって、ご指摘は無意味であるということです。
言語表現の過程的構造を捉えられないために、語の表わす規範としての概念と文が表す話者の個別認識の概念との関係が全く理解できないことを露呈しています。
この体たらくなので、「行く」を「ik-u」などと分割してはばからないことになります。
<形容動詞>という誤りは理解できましたか?
言霊論ばかり論じていないで、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』を読み通し、熟読玩味してから出直して下さい。■
No.47
- 回答日時:
問いに答えていない。
「紳士である」
の「である」は指定の<助動詞>「だ」+判断辞「ある」で、「ある」は<助動詞>です。
だから? 命令形はあるのかないのか?
というより、あるのは明らかだ。そして、それは動的変化である。
それに対する返答は?
相手の質問に答えるという、基本的な知能がない。
「要る」の命令形があるとして、では、それは使われるのか? 実例は?
これにも答えていない。
saburoo
何をおっしゃるのやら?
今は<動詞>を論じているのでは。
<動詞>と<助動詞>を混同するようでは何ともはや。
まず、その点を明確にしましょう。ごたまぜの議論では何とも。
>>だから? 命令形はあるのかないのか?
もちろん、<指定の助動詞>「ある」にも命令形「あれ」はありますが。
>>「要る」の命令形があるとして、では、それは使われるのか? 実例は?
まあ、普通には使用しません。命令【形】はありますが、「要れ」などと命令をしないというに過ぎません。
で、形式と機能にしたがって<形式名詞>「の」はどのように定義できますか。
<名詞>「平和」と<形容動詞>「平和だ」は一体どのように定義され、どう関係するのですか?
「私はこういう細かい品詞論議にはあまり興味を感じないほうなのです」などと、逃げないで説明いただければ幸いです。
興味の問題ではなく、言語科学、文法論の問題です。
言語言霊論の立場から?
そして、活用とは何かが理解できましたか。怪しげなローマ字書きの分割などナンセンスということです。■
No.46
- 回答日時:
No.44の「お礼」欄から
命令が話しての特殊な立場であることは、先に質問対する回答で示した通りです。
「起立!」で命令ができるように、命令形自体が命令を表わしているのではない
ことを先に示した通りです。
えーと、これはどこで?
したがって、「要れ!」が☓というのは単なる回答者の主観的な誤認であり、
はあ?
「要れ!」が○
というのは、どういう論拠なのか。上の「先に質問対する回答で示した」ところにある?
そもそも、「動」とは時間的な変化ということです。
これは無意味。「要る」が時間的な変化がどうかを聞いているのに、「[動]詞だから」というのは何の論拠にもならない。論理を勉強したほうがいい。
で、No.44の再掲。
[1] 「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち、
静的な属性を表わす形容詞は命令形を持ちません。
無から有への変化を命令します。
[2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
紳士であれ!
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。
[1]と[2]は、見てわかるように、同じ方の論理の展開である。
「ある」が動的ならば、「紳士である」も動的である。
それについて触れないのはなぜか。
上にも書いたが、「要れ」という「命令」はありうるのか。実例は?
saburoo
いよいよボロが出ましたね。
>>えーと、これはどこで?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
を提示しましたが理解いただけなかったようです。
理解できないのは先に、<「日本語動詞の活用体系」論の誤り>で提示した、
膠着語である日本語の動詞は単純に動作/行為を表わすだけで態,テンス,モダリティ等は他の助動詞、助詞、動詞を付加することに表現されるもので、動詞自体が表すものではありません。
という活用の本質が理解できていないためで、「行か(ない)」「行け!」「行け(ば)」の「行か」「行け」という形自体が否定や命令や仮定の意義を表わすのではなく、語の意義としては「行く」と何ら変わらないということです。
当然ながら、動詞には「命令形」という活用の形があり、「要れ」という命令形もあるということです。
>>「要る」が時間的な変化がどうかを聞いている
い・る【要る】
[動ラ五(四)]《「入(い)る」と同語源》費用・品物・時間などが必要になる。入用である。「資本が―・る」「暇が―・る」「お世辞は―・らない」
【大辞泉】
で、無用から入用への時間的な変化です。
> > [1]と[2]は、見てわかるように、同じ方の論理の展開である。
「ある」が動的ならば、「紳士である」も動的である。
これが「形式と機能」から語を定義しようとする根本的な誤りです。というか中学生レベル以下です。
あまり、馬鹿馬鹿しいので無視しましたが馬脚が現れましたね!
「紳士である」
の「である」は指定の<助動詞>「だ」+判断辞「ある」で、「ある」は<助動詞>です。
学校文法でさえ、その意義の相違から<補助動詞>と呼んでいます。
https://www.kokugobunpou.com/%E7%94%A8%E8%A8%80/ …
この誤りを指摘したのは時枝の『国語学原論』です。
この程度の理解もなしに、何を言っているのかということです。
冒頭に指摘した、言霊論の発想ということです。
結局、音韻、名詞、助詞、形容動詞の定義は示そうにも示せないことが明かになりましたね。■
No.45
- 回答日時:
No.43の「お礼」欄から。
だから、ここは「病気」を名詞とする方が誤りということです。
彼は健康だ。
の「健康だ」を<形容動詞>とするのであれば、
彼は病気だ。
の「病気だ」も<形容動詞>でなければ論理的ではない。
逆に、<名詞>とする根拠、論拠は何か。
ということです。
「病気」を名詞とする理由を知らないとは驚きだ。
病気の人 「~の」で連体修飾すれば名詞
健康な人 「~な」で連体修飾するのは「形容動詞」
それこそ中学生でも知っている知識ではないか?
上の引用の「論理的」とはどういう意味か?
なお、名詞と形容動詞の区別については、次のところに基本を書いた。
この程度のことは知っておくべき。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11814104.html?pg=2& …
No.18 の回答から。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まずは基本的なことの確認から。
A. 形容動詞とは
◇ 一般的な(?)考え方
(1)「-だ」の形で述語となる。(名詞と同じ)
(2)「-な」の形で連体修飾する。
(名詞は「-の」。形容詞は「-い」の形。連体修飾の機能は形容詞と同じ)
ここまでは何も反対がないと思います。ただし、次のような問題があります。
1 連体修飾で「-な」と「-の」の両方の形をとるものがある
1a 用法が違うもの 形容動詞と名詞は別と考える
「自由な女神:自由の女神」
→ その女神は自由だ:その女神は自由の象徴だ
「自由なとらえ方:自由のとらえ方」
→ とらえ方が自由(な発想)だ:「自由」というものをどうとらえるか
形容動詞のほうは、被修飾名詞を「主語」にして、形容動詞を述語にできます。
「名詞+の」のほうは、そうできません。
1b 用法がほぼ同じもの
「特別な事情:特別の事情」 「-の」でも用法としては形容動詞に近い
→ その事情は特別だ
これは、「形容動詞だが「の」の連体修飾の形もある」と考えるのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
saburoo
相変わらずの奴シロウト談義ですね。
]>> 病気の人 「~の」で連体修飾すれば名詞
健康な人 「~な」で連体修飾するのは「形容動詞」
これは、理由にはなりません。「健康が第一」の「健康」は名詞ですが、「健康の人」などとは言いません。また、
健康な人 「~な」で連体修飾するのは「形容動詞」
は「~な」で修飾するというのは、「な」が一語であることを言っており、「健康」とは異なる語で、「健康」自体の品詞を比べなければ意味を為しません。ここに、<形容動詞>という品詞の誤りがあります。
これが論理的ということです。
>>A. 形容動詞とは
◇ 一般的な(?)考え方
(1)「-だ」の形で述語となる。(名詞と同じ)
(2)「-な」の形で連体修飾する。
(名詞は「-の」。形容詞は「-い」の形。連体修飾の機能は形容詞と同じ)
これは、いつも指摘している通り<形容動詞>の定義ではなく、文での機能を羅列しただけで、<形容動詞>とは何かを明らかにするものではありません。<名詞>の定義なるものも同じです。
それ故に、「ただし、次のような問題があります。」意味不明な言い訳を並べなければならないということです。
正しい理解は次の通りです。
>> 1a 用法が違うもの 形容動詞と名詞は別と考える
「自由な女神:自由の女神」
「自由な女神」の自由は<静詞>で、「自由の女神」 の「自由」は名詞です。
>>その女神は自由だ:その女神は自由の象徴だ
「自由だ」の「自由」は<静詞>で、「自由の象徴」の「自由」は名詞です。
>>1b 用法がほぼ同じもの
「特別な事情:特別の事情」 「-の」でも用法としては形容動詞に近い → その事情は特別だ
「特別な事情」の「特別」は<静詞>で、「特別の事情」 の「特別」は名詞です。
「その事情は特別だ」の「特別」は当然ながら<静詞>です。
これが、言語事実に即した論理的な理解です。
<名詞>とは何か、<属性表現の語>とは何かを理解できず、そもそも
言語は、音声や文字、手話などの形式によって意味を表す記号体系です。
などという、ソシュールパラダイム下の話者の認識を捉えられない誤まった発想では、科学的、論理的な解明はできないことを露呈していることに気付いて下さい。■
No.44
- 回答日時:
No.32の「お礼」欄から
[1] 「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち、
静的な属性を表わす形容詞は命令形を持ちません。
無から有への変化を命令します。
そこから導出される論理。
[2] 「紳士である」、は時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持つ。
紳士であれ!
「紳士でない」状態から「紳士である」状態への変化を命令する。
[3] 「要る」は、命令形を持たない。(「形」は作れるが、意味を持たない。)
× 要れ!
それゆえ、時間的に変化する属性ではない。
saburoo
命令が話しての特殊な立場であることは、先に質問対する回答で示した通りです。
この内容が理解出来ていないようなので、已むを得ません。
「起立!」で命令ができるように、命令形自体が命令を表わしているのではないことを先に示した通りです。
したがって、「要れ!」が☓というのは単なる回答者の主観的な誤認であり、
<動詞が、時間的に変化する属性>であることには何ら問題はありません。
そもそも、「動」とは時間的な変化ということです。
定義ということが理解できず、ピント外れな応答です。
回答者は<動詞>をどのように捉えられているのでしょうか?
残念ながら、語とは何か、<名詞><助詞>とは何かも理解できずにあれこれ言ってみても始りませんね!■
No.43
- 回答日時:
いったい何なのだろう?
一人漫才をやっているのだろうか?
>>「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。
だから、それが誤りだと言っているのですが。
彼は病気です。
この「病気です」は<形容動詞>なのですか。
初めの、
>>「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。
は質問者自身の文である。
繰り返すが、学校文法では「病気だ」を<形容動詞>と<しない>。
すべての国語辞典は「病気」を名詞としている。形容動詞と<しない>。
学校文法に従っているからである。
>>「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。
こう言っているのは質問者だけである。
学校文法が<言っていない>ことを言ったとし、それを<批判>する。
考えてみれば、この論法(?)は、三浦つとむのよくやるやり方である。
対チョムスキーしかり、長谷川しかり。
詭弁のやりかたも、三浦をまねているということか。
それなら、わかる。
saburoo
失礼しました。
>>すべての国語辞典は「病気」を名詞としている。形容動詞と<しない>。
学校文法に従っているからである。
ここは、ご指摘のとおりです。
だから、ここは「病気」を名詞とする方が誤りということです。
彼は健康だ。
の「健康だ」を<形容動詞>
とするのであれば、
彼は病気だ。
の「病気だ」も<形容動詞>でなければ論理的ではない。
逆に、<名詞>とする根拠、論拠は何か。
ということです。
かれは黴菌だ。
の黴菌は名詞ですが。■
No.42
- 回答日時:
「病気」はどの辞書でも名詞。
「病気だ」は「名詞+だ」。何度言ったらわかるのか。
この最初の「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。
学校文法でも同じ。
彼は健康だ 形容動詞
彼は病気だ 名詞+だ
何を見ても同じ。
こういう基本的なところでの愚かな誤解を元に何を議論しようと言うのか。
(しかし、変なところで英語訳に頼るのはなぜだ? 第二英文法か?)
saburoo
奴シロウトに相応しい迷言ですね。
>>「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。
だから、それが誤りだと言っているのですが。
彼は病気です。
この「病気です」は<形容動詞>なのですか。
<形容動詞>の活用語尾に「です」がありますか。
あったら、どこに記されているか挙げなさい。
そして、この「病気」は名詞ですか?
馬鹿馬鹿しい!
こういう基本的なところでの愚かな誤解を元に何を議論しようと言うのか!(怒)
語や品詞の定義ができないから、こんな混乱したことを平然と述べていることを反省しなさい。■
No.41
- 回答日時:
内容のない「二重分節」の話の続き。
あほらしいけど。No.33の「お礼」欄から。
>>はあ?? 「音声」と「音韻」で二重? 何を言っているんじゃい?
私はそんなこと言ってませんよ。
何をおっしゃいますやら。
>>それだけの話で、「【一重分節】」でもなんでもない。ごくふつうに二重分節の例である。
これですよ。あなたは言ってますガ~!
元を引用する。
例えば、日本語の音声[u]は、音韻/u/として日本語の音韻体系の中にあり、
それが単音節の形態素〔U〕(意味は鳥の一種)となる。(この場合、形態素〔U〕
は、単独で語「鵜」(漢字表記は単に便宜上のもの)でもある。)
それだけの話で、「【一重分節】」でもなんでもない。ごくふつうに二重分節の例である。
「文から形態素への分節」は三浦も認めているらしいので、そこは省略している。
形態素から音韻の分節は、単音節の形態素〔U〕が音韻/u/になるところがもう一つの分節であると言っている。だから二重分節。
どこが二重ですか。是非、日本語の音声[u]、音韻/u/の、どこが二重なのか
具体的に指摘いただきたいところです。
「文から形態素への分節」は当然のこととして、省略していることが質問者にはわからないから、「「音声」と「音韻」で二重」だと思いこんでいる。「二重分節」が何かわかっていない。
勝手に誤読して、相手の誤りだと思う。シロウトの相手は面倒だ。
「す(酢)」が「s/u」で二重分節なのは理解できますが。
もしかして、これだけで二重分節だと思っていないか??
マルティネをもう一度読むこと。
No.34の「お礼」欄から。
絵は絵に文節はされません。感性的に分割されるだけです。
何か無意味なことを言っている。
たまたま、一語・一音の文「絵!」があったとして、それは語のレベル「絵」に
「分節」され、「音素」/e/のレベルに「分節」される。
これが二重分節。マルティネをもう一度読むこと。
どこから引いてきたか知らないが、次のものでも同じ。
ぶん‐せつ【分節】(articulation)
①〔言〕事態を表す言語記号である文が、最小の記号である形態素に分けられること。
形態素の能記がさらに音素に分けられることも、分節と呼ぶことがある。
「分ける」と言っているが、一つの音素でできている形態素は「分けられない」。しかし「分節」であることには変わりない。レベルが変わるということ。これがわからないようだ。
元が一つだけでも「集合」と言う、と言えばわかるかな? 一層混乱する?
No.35の「お礼」欄から。
>>音素/u/と、形態素〔U〕が「一致する」と思いこんでいるんだ!
そういうレベルの「理解」で、「二重分節」を考えているのか。
それじゃあ、何もわからないはずだ。いやはや。
音韻の定義さえ提示できないので、音素/u/と、形態素〔U〕の相違が理解でき
ないためなのです。
「音素/u/と、形態素〔U〕が「一致する」と思いこんでいる」のは三浦。
マルチネのいう音素がそのまま形態素と一致する【一重分節】でしかない語
と本人が書いている。(この「【一重分節】」の意味はわからない。たぶんデタラメ。)
したがって、
音素/u/と、形態素〔U〕の相違が理解できない
のも三浦。
物理的な音と文レベルの機能の形を問題にしたもので、レベルが異なり
本来、分節などという関係で捉えること自体が誤りです。
「物理的な音」ではなく、「音声」であるのはくり返し言っているとおり。音声学の基本。
「レベルが異なる」ことを「分節」という用語でとらえている。そこがわかっていない。
マルティネの言うところをまったく理解せず、誤りだと主張する。シロウトの二人。
どうでもいいことだが、「どしろうと」を「奴しろうと」と書くのは個人的趣味?
そういう表記はないと思うのだが。
saburoo
音韻も理解できずに何を言われているのやら!
まず、音韻の定義を示しなさい!
>>「「音声」と「音韻」で二重」だと思いこんでいる。「二重分節」が何かわかっていない。
勝手に誤読して、相手の誤りだと思う。シロウトの相手は面倒だ。
音韻とは何かが理解できていないので、こんな訳の判らない応答になります。
本当に、奴シロウトの相手は面倒だ。
「言語の二重文節とは何か」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9459 …
を熟読、吟味しなさい!
>>「物理的な音」ではなく、「音声」であるのはくり返し言っているとおり。音声学の基本。
判らん人ですな~。
音声が「物理的な音」であるのは当然のことでしょう。「物理的な音」でない音声があったら、聞かせて下さい。
もっとも、「物理的な音」でない音をどうやったら聞けるのかがまず問題ですが。
どんな、非物理的測定器があるのか提示いただければ幸いです。
ノーベル賞級の発明かも。(笑)
物理的な音が音韻となるのは何故かが言語学、文法論の問題なのが全く理解できていません。
また、それゆえに「二重文節とは何か」が理解できないということです。
それゆえ、音韻の定義が示せないということを理解、自覚しましょう。
どうでもいいことだが、「どしろうと」を「奴しろうと」と書くのは中国が「匈奴」「倭奴国」と書く「奴」を借用したものです。
奴シロウトの街の御隠居さん、理解できますか?■
No.40
- 回答日時:
No.38の「お礼」欄から。
>>つまり、「学校文法では名詞とされる語が含まれる」わけで、どこが「混乱」
なのでしょうか?
「学校文法では名詞とされる語」が<形容動詞>、つまり「病気だ」なのか、語幹
部分「病気」なのかが一慣性がなく混乱しているということです。
元の話。No.32から。
つまり、「静詞」には、
形容詞 ~い
形容動詞語幹に当たるモノ+だ
が含まれるのはいいのですが、それ以外に、
この命題は真だ
彼は病気だ
あのへやはがら空きだ
財布はスッカラカンだ
その他、たくさんの(かなり多い)、学校文法では名詞とされる語が含まれる
のではありませんか?
「静詞」の話をしている。「静詞」に、いわゆる「名詞」が入るだろうという話。
「学校文法では名詞とされる語」が<形容動詞>、つまり「病気だ」なのか、語幹
部分「病気」なのかが一慣性がなく混乱しているということです。
なぜこんな反応になるのか。「病気(だ)」は学校文法でもはっきり名詞である。
混乱しているのは質問者の頭。
次は「ある」についての話。
「ある」は、時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち
というので、
紳士であれ!
は命令形であるから、「紳士だ/である」は「時間的に変化する」のか、と聞いている。
「病気だ/である」もそうか、と。
上の「形容動詞/名詞」の話とは関係ない。
このくらいの話の展開に付いていけない?
>>「病気だ/である」はどうなんでしょうか。
この、「だ」は指定の助動詞です。
答えられないのか、すっとぼけているのか。
>>「要る」「できる」「違う」などはどう考えるのか。
い・る【要る】 〘自五〙
で・きる【出来る】 〘自上一〙
ちが・う【違う】 〘動五〙 【広辞苑】
で、いずれも当然「<動詞>:時間的に変化する属性を表わす」語です。
「時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち」との整合性はどうするのか。
そこを聞いているのに、逃げてしまう。あるいは、何を尋ねられているのか、論理展開に付いていけない?
念のためにくどく書いておくと、
「ある」が「時間的に変化する属性で、それゆえに命令形を持ち」ならば、
「要る」も「時間的に変化する属性を表わす」動詞なのだから、「命令形を持つ」
はずである。そうか。
「できる」も「違う」も同様。命令形を持つはずだが、そうか。
そもそも「ある・いる・できる・違う」を「時間的に変化する属性を表わす」と考える点で、はなから誤っているのだが、「<動詞>:時間的に変化する属性を表わす」という定義を守るために四苦八苦することになる。
先に変な定義を考えて、それを墨守しようとすると言語事実に裏切られる。
空想的な「言語論」者によくある事例。
saburoo
相変わらず、寝呆けた応答をされていますね。
>>なぜこんな反応になるのか。「病気(だ)」は学校文法でもはっきり名詞である。
混乱しているのは質問者の頭。
なぜ、この「だ」を括弧に入れてわけの判らない話しをするのですか?
彼は病気だ。
He is ill.
の「病気」は<静詞>で、「ill」は形容詞です。
彼の病気が進行する。
His illness is progressing.
の「病気」は<名詞>で、「illness」は名詞です。
この最初の「病気だ」を一語とし、<形容動詞>とするのが学校文法です。これが混乱でなくてなんなんですか?
理解できますか?
呆けているのは回答者の頭。
>>紳士であれ!
は命令形であるから、「紳士だ/である」は「時間的に変化する」のか、と聞いている。
「病気だ/である」もそうか、と。
上の「形容動詞/名詞」の話とは関係ない。
このくらいの話の展開に付いていけない?
ははは!
ついていけてないのは、質問者の頭の方です。
聞いてくる方が間違っています。
それは、「時間的に変化する」訳がないでしょう。
「ある」という形式に引きずられた誤まりです。
>>答えられないのか、すっとぼけているのか。
すっとぼけているのではなく、質問者が呆けているだけです。
>>「できる」も「違う」も同様。命令形を持つはずだが、そうか。
だから、動詞の活用が理解できますか?
と聞いたのが理解できませんか。
「できる」の命令形は「できよ」「できろ」、「違う」の命令形は「違え」ですが一般的には可能形の動詞には命令形はないということです。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%8 …
そんなことも理解できていないのですか?
論理的な定義もできない、空想的な「言語論」者による文法論の誤りを
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
で展開しておきましたが理解できましたか?
典型的な、形式主義、機能主義による文法論の迷妄が展開されていますが。■
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なお、生成文法の逆立ち的性格については、
三浦つとむ「チョムスキー文法論の逆立ち的性格」
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照願います。■
なお、チョムスキーの発想の原点は、
TIIKEE MODELS FOR TIE DESCRIPTION OF LANGUAGE
https://chomsky.info/wp-content/uploads/195609-. …
などを参照下さい。この原点の誤りに立ち戻らない限り科学的な言語論、文法論には成り得ません。
しかし、この点に立ち戻り反省すれば生成文法は崩壊します。まあ、チョムスキーも傘寿を超え、遠からず言霊となることと思います。そして、教祖が崩御すれば信仰は崩壊する他ありません。
その他の初期論考も、以下に公開されています。
CHOMSKY.INFO
https://chomsky.info/articles/
■
なお、上記論文を批判的に検討するためには、
クロード・E. シャノン (著), ワレン ウィーバー (著), 植松 友彦 (翻訳)
『通信の数学的理論 (ちくま学芸文庫) 』( 2009/8/10)
の「Ⅰ 離散的無雑音システム」なども参照下さい。この辺に関し、チョムスキー自身は、
ノーム・チョムスキー (著), 福井 直樹 (翻訳), 辻子 美保子 (翻訳)
『生成文法の企て』 (岩波現代文庫; 2011/8/19)
で、当時の雰囲気を語っています。■
「暑い中、自尊心回復のための必死の努力、お疲れ様です。」
これは、てっきり自戒を込めた告白かと思いましたが、そうではないのですか?
頭を冷やし、この夏に貴『概説』の論理を再検討、再学習するようにお薦めします。
チョムスキーの論理的逆立ちについては、具体的な例や資料を掲げておきましたが、この理解も夏の宿題ですね。■
応答をいただけるのは有りがたいのですが、いつも言い訳、他人の権威にすがる云い立てに終始し、対象事実と論理に基づく展開は無いことを自覚、反省されたことはありませんか?
時枝は次のように述べています。
「今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡て歴史的に規定されたものであって、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基づく言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであって、言語のいはば本質が何であるかの謎に対する私の回答である。」☇
「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考えた最初の人間は、やっぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実はあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が無精なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべってゐる人間の方が余程のんきだし、無精だよ。」//
ということで、学問を舐めちゃあいけません!■
No.6 への再補足です。
>> 名詞節=連体節+(底の)名詞
と書いてある文献を提示してください、と言っているのですが
良い例が、貴『概説』にありましたので提示致します。
まず、『概説』より
10.修 飾
補語と名詞述語の名詞を修飾する「連体修飾」について、次に述語を修飾する「連用修飾」について、どのような形式があるかをかんたんに述べます。
「連体」の「体」というのは「体言」のことで、国文法で名詞と代名詞を合せてこう呼びます。つまり「連体」とは【名詞にかかる】という意味です。
56.1 概観
連体節とは、連体修飾節、つまり【名詞(体言)】を修飾する」節です。//
(【】は引用者による強調)
であれば、
【[そこにあった]パン/の】
の[そこにあった]が連体節であれば、「パン/の」は名詞、【[そこにあった]パン/の】が名詞節でなければ矛盾します。☇
また、「ウィキペディア」の「複文」を引用しておきます。
複文(ふくぶん)とは、次に掲げるようなものをいう。
文の中に名詞句【名詞節】があり、かつ、それに主語・述語が含まれているもの。
~
例えば、「太郎がきのう花子に会ったのは彼女の家だった」は「太郎がきのう花子に会った」と「・・・のは彼女の家だった」の2つの節に分けられ、それぞれに「会った」「彼女の家だった」という述語が含まれる。//
(【】は引用者による強調)
ということです。
ところで、「書名とページ数を教え」ましたが確認いただけましたか?
別に、急ぎませんが。
■
要は、三浦(つとむ)の云う、「音韻は、表現上の社会的な約束に結びついている音声の普遍的な面であり、一族である」ということが全く理解出なかったということですね。
この誤りと、膠着語である日本語の活用とは何かが理解できない所に展開されたのが、ナロックや田川 拓海 や三原健一・仁田義雄(編) (著)『活用論の前線』(2012/11/6)などの謬論ということです。■
もう少し補足させていただきます。
音声第一主義のソシュールパラダイム下では語基論も、もっともらしく聞こえますが、字韻に「ら」「ラ」はあっても「r」はありません。こんなことも理解できずに良く文法を論じますね。馬鹿馬鹿し!■