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1. ここでミラー・ニューロン現象とは: 

   相手( A )の・特に疚しいと感じている思いや行動を
   こちら( B )があたかも自分という鏡に映して 
   多少ともその内容を表現してしまうこと

を言うとします。

2. ヤマシサだけに限らないのですが いまはそれをあつかいます。ウソ・イツハリの問題だと見てよいと思います。

3. そのヤマシサは 一般に 相手もこちらもそれぞれがそう思っているという意味とします。つまり 定まりがたい部分をのこすのですが おのおのそうだと思っていること自体は 事実としてあるというかたちです。

 

4. このとき こちら( B )がヤマシサ行動を侵すあやまちについては もしそうだとしたら あたかも相手( A )の代わりにおこなっているということであり ならばおそらく多少とも水割りのようなかたちで あやまちの度合いがうすまっているとは思われます。

5. けれどもこれは けっきょく A と B との間において はしなくも互いに繰り広げられる・あやまちについての共同自治なのであると考えることが出来るかも分かりません。

6. アヤマチがおこなわれたと同時に 疚しきウソ・イツハリをめぐる共同自治の一環である。そういう見方です。






7. さて 一般にコミュニケーションにおいて 相手がけんか腰で向かって来たら こちらもけんか腰になって わたしは 応対していました。いまも色濃くそれは のこっています。いつになったら こういったミラー・ニューロン現象は 静まっていくのでしょうか?



8. このミラー・ニューロン現象を 自分の中で 避ける・しない(止める)と決めた場合は あり得ます。

9. それは あやまちうるスサノヲ人間語にもとづくのではなく あたかもそこから去って もはやあやまち得ない〔と冀った〕アマテラス普遍語――アマテラス科学語(真実)およびアマテラス人格語(倫理規範)――の世界にのがれる場合です。
 
10. この普遍アマテラス語――じつは しばしば疑似普遍にとどまるアマテラス語方言に成りやすいのですが――をたくみに駆使し得る場合というのは その駆使する人びとに神聖にして侵すべからざる権威が 人びとによって着せられる情況を思い浮かべれば ひとまづ腑に落ちるかと思います。

11. このアマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität )なる権威のもとに生活するなら ミラーニューロン現象は 避けることが出来るかも知れないという見通しが成り立つかも分かりません。

12. けれども そのときには このミラーニューロン現象を初めに起こした相手( A )をどう扱うかと言えば じつは こちら( B )がアマテラシテ権威のもとに走り入ったとき そのようなオモテの世界から閉ざされたウラの世界に追いやってしまったかも知れない。ということのように思われます。

13. 自分( B )の手は汚さない恰好をよそおうことが出来たかに見える。

14. さて 事態は どう成ったか?




15. 可能性として考えてみる。

① アマテラス普遍語の真髄とも言えるアマテラシテなる権威の下にのがれたのは ひょっとして あたかも核の傘のもとに身を寄せたかたちになる・・・のか? 

② ひょっとすると その権威の世界が――かがやかしいオモテの世界だと思っていたのに―― 世間ぜんたいにおよぶクウキのような《相互ミラーニューロン現象界》として推移するような異境だったのか?

③ 最初にウソ・イツハリによってミラーニューロン現象をこちら( B )に向けて起こしたという相手( A )は むしろ このいまのかがやかしいアマテラシテ国のクウキを嫌って 反発するような(逆向きの)ミラーニューロン現象を起こしていた・・・ということだったかも知れない。

④ アマテラス普遍語は 普遍アマテラス語モドキの隠語に成り得るのだろうか?



16. 長くなったので ひとまづ締めたい。

17. このときひとつのみちびかれる結論として:
成るべくあやまちうる〔ながらでも その〕スサノヲ人間語にもとづき・ここから飛躍するようには離れないで できるかぎり主観を共同化しうるアマテラス科学語およびアマテラス人格語としての普遍語を用いる。のがよい・・・であろうか?

18. ミラーニューロン現象を 《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語》なる二層構造的なコトバをつうじて 互いに助け合って生け捕りにするような方向へとすすむこと・・・だろうか?

19. このような意味でのアース役の出番か?


20. 具体的な事例がとぼしいままなのですが 取り敢えずここまでをつづって 当否・成否その他批評・批判を問います。自由な見解をお寄せください。

質問者からの補足コメント

  • お礼欄のスペースを空けときます。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/12/09 08:31
  • №34

    〇 noname#80116
    ☆ となっているIDが わたしです。


    浄土真宗の 僧侶の組織だと思います。

    No.34の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/12/09 23:57

A 回答 (86件中81~86件)

私の子供のころ、というか、私の世代だと大卒より高卒の方が多いと思う。

中卒も多いです。妹が中卒だし。
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この回答へのお礼

その視点が 足りなかった?

お礼日時:2022/12/09 08:51

何を目指すのか❓


は親がいれば、親が大体、子の進路を決定してしまうのだけれど。

例えば、将来、学力で勝負するよう、親が子に指導するのであれば。

自分が選抜で勝ち続けると、

自分は

選ばれた人間

だとの誤認識が生まれてしまう・・・・。


私の中高大とは、選抜試験に漏れると、もう、将来はないのだ。という教育的指導をした、学校の先生にも問題はあったが。


コマツの油機製造部工作課は、中卒・高卒が多かった。

若き私には、現場に人たちの苦渋の何十年、コマツ人生は汲み取るだけの

人生経験が

足りなかったね。

(´・ω・`)
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この回答へのお礼

ふむ。もうひとつ ふむ。

地道に飛躍していってください。わたしのガミガミを超えて。

お礼日時:2022/12/09 08:44

春さん、こないね。



(´・ω・`)
「外から来るアヤマチまたはヤマヒ:ミラー・」の回答画像4
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この回答へのお礼

△△ №39 bonbonnier さん ~~~~
ある民族にとっては首の長い女性を美しいと感じたりするのも、物理的現象の観点からは、DNAなり遺伝子に求めることになりますが、そのような固有情報の形成されていく過程を考えるとするとアーラヤ識における、その民族の経験の蓄積が共業となって、独自の民族性を生み出したものといえます。

blageloneさんから「コモンセンス」のお話がありましたが、まさにこの共業をいっているのだと思います。

この教えの素晴らしい点、あるいは恐ろしいところは、ひとりの人生のあり方の中で、共業の影響が少なからずあるという点です。

大乗仏教の信心は一切衆生への責任を生み出すものであると回答しましたが、私たちの行為は、新しい共業を作っていくことになります。ゆえに、この認識を知った上で信心に励むのですから、社会への倫理的な責任が生まれます。

自らがいかに生きていくかの問いは、他の人がいかに生きるかの問いに直結しているのです。平川彰先生の『仏教入門』の中で、災害等により不慮の死にあった場合、個人自らの業ではなく、共業の業によりその災禍を招く場合があるという趣旨の記述があったと思いますが、この一文はショッキングでした。

清浄に美しく人生を生きていても共業による災禍というものはあるのでしょうか。この考えを発展させると、私の行為による経験の集積が、共業のひとつの要素となりうるわけですから、自らの行為は間接的な殺人行為ともなります。

この辺のところは、だれも体験的に述べているのではなく、あくまでも説としての位置付けになるかとは思うのですが。
~~~

お礼日時:2022/12/10 05:52

【小松製作所】応援歌


「外から来るアヤマチまたはヤマヒ:ミラー・」の回答画像3
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ブディズムにおける《共業(ぐうごう)》という考え方を このミラーニューロン現象ないしアース役をめぐって参考にしてよいと思いました。

△ こころの深層の相依相即性の集合する領域が共業となります。

△ この共業は、小さくは家族的な共業、さらには地域的規模の共業、さらには国家的、民族的規模の共業が形成されていくとされています。

☆ 次のように bonbonnier さんにわたしは 多々 おそわりました。


▲ 【Q:《我れ》はある?ない? どちらですか(仏教)】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3454478.html

△ №39 bonbonnier さん ~~~~

共業についていえば、

唯識では各個人の経験は何らかの形で深層心であるアーラヤ識に種子(しゅうじ)として保持され(薫習)、その経験の集積が人格ともいえるかと思いますが、その人の生命の傾向性を形作っていくとしています。

共業とは、共同体を構成する人々の経験の集積が共業種子としてアーラヤ識に保持され、その共同体における業(ベクトルの方向性)を作っていくというものです。

唯識では、こころの深層部(アーラヤ識)は相互相即性にあると説かれています。

唯識では外界の事物の存在は 識(アーラヤ識)が顕現したものであり 外界の事物は存在しないという立場ですので、

中観派が 外界の事物に仮説されたものであるという限定された実体性を認め、その外界の世界の縁起を説くのに対して、

唯識の場合は、アーラヤ識の縁起を説きます。

こころの深層の相依相即性の集合する領域が共業となります。

この場合も存在論ではなく、「働き」の観点からアーラヤ識の縁起なるものを考える必要があります。私たちの生命という主体から見るならば、どちらの教えでも同じことを言っていることになると思います。

この共業は、小さくは家族的な共業、さらには地域的規模の共業、さらには国家的、民族的規模の共業が形成されていくとされています。
~~~~

お礼日時:2022/12/10 05:48

スサノオとアマテラスは姉弟喧嘩ばかりしていた気がします。


アマテラスがヒッキーになったり人間を1日1500人殺し始めたのもスサノオが原因らしいですし

と言うかツキヨミは何してたのでしょう謎の神様ですかね
実は裏社会を牛耳っていたのは本当はツキヨミなんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


用語として日本の神話から採って来て造語していますので――そのタトヘをめぐって―― 微妙なむつかしさがあるかと思います。

そうですね。

アマテラスは タカマノハラの主宰神。ウナハラを父のイザナキからまかせられたスサノヲは いやだと言って泣いてばかりいた。

母の国に行こうと思って 暇乞いに姉のアマテラスを尋ねた。姉は着物の下に鎧をつけて むかえた。

ここから:
★ 姉弟喧嘩
☆ が始まります。

女帝アマテラスは ウケヒに負けても 一歩も引きさがりません。
★ ヒッキー
☆ のようですね。

そういった支配者の姿とたしかに・しかしそこに見られる《オホヤケ》なる一般性とを ここでは《アマテラス》にふくませています。



★ 人間を1日1500人殺し始めた
☆ これは イザナキが黄泉の国に亡き妻イザナミをおとづれたときでしたね。




★ 実は裏社会を牛耳っていたのは本当はツキヨミなんじゃないでしょうか。
☆ たしかに 記述がなく:
★ 謎の神様ですかね
☆ といった情況があるかに思えます。

私見では 官僚に譬えています。アマテラスのあたまや手足となってはたらく。

アマテラス公民圏――これをわたしは《お二階さん》と呼んでいますが――にあって 一面としてアマテラス普遍語を駆使する公僕なのに(一面として)《ジャーゴン》を使うというのも どこか合っているかも。




〇 アース役
☆ の問題。これを取り上げたいですね。スサノヲは――決して巷間言われているようなトリックスターなどではなく――アマテラスや取り巻きからは けっきょくタカマノハラを追い払われるように 〔しばしば無言による〕ハラスメントを受けていました。

つまり スサノヲが アース役です。子の(または子孫の)オホクニヌシも その生い立ちが そうです。

かれらのイヅモの国も タカマノハラから服属要求を受けるというように――そしてクニユヅリをする羽目になるように―― おおいなるアース役でした。

いまも スサノヲ市民一般が そうです。
・・・

☆ 決してこの話は 神話どころではなく それどころか 現代・現在この国の真っただ中で起きているドラマでしょう。

アマテラス政治家が いかがわしい宗教とつるむというのも むべなるかな・・・かも知れません。

お礼日時:2022/12/09 05:22

成立しなければ不成立


不成立を律するので 成立は
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 不成立
☆ は 全面的にでしょうか?


たとえば 《クウキやミラーニューロン現象》というのは 一般に通用する概念ですね。

《アース役》は 造語ですから あやしいでしょうけれど おそらく――これまで何度も使って来ましたから――通じると思います。

ほかにも 造語があるのですが どこまでは通じるか どこからはダメか こういったところを あきらかにしていただけると ありがたいのですが。・・・

お礼日時:2022/12/09 00:26
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