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私は幼少期に親から、何でも完璧にやって、何でも完璧な結果を出すことが、最善で素晴らしいことだという価値観を強要された為、極度の完璧を意識していました。
 19歳の時にそれが間違いであることに気付き、それから現在まで、基本何でも大体で意識してやるようになりました。数値で言えば100%で良しとしていたのを80%で良しとするようになりました。

そこで以下の質問になります。


①基本的に全部を完璧にやることは悪で、大体でやることが正しいということに、何歳の時に
 どうやって気付きましたか?

②普段、大体さ適当さをどれくらい意識していますか?
 大体さ適当さを意識するのは人として不自然で変なことだと思いますか?

③人が生きていく上で完璧を意識した方がいいことは何ですか?
 人は完璧を全部に意識するのではなく、部分的に意識した方がいいことがあると思います。
 それは何ですか?


これは人が何かをやる時、何かを考える時の感覚に関わることだと思いますので質問しました。
ご回答の程よろしくお願い致します。

A 回答 (6件)

50すぎてから


ほぼ意識してない
自己満足の範囲内で完璧ならいいかと
いい加減が一番です
肩に力いれても生きにくいだけだし
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①基本的に全部を完璧にやることは悪で、大体でやることが正しいということに、何歳の時に


 どうやって気付きましたか?
@まず完璧にやることは悪ではない、完璧主義が悪なのだ
完璧にやっているつもりでもそれは完璧ではない
年齢は学生時代から社会人の間

②③ には60点主義という考え方があります

参考に
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私は、将棋が趣味なので初めから完璧主義といった考えは1ミリも無かったです。

将棋は無限に考える時間がある訳ではないので完璧主義はあり得ない。適当に決断できなければ将棋にならない。もちろんケース・バイ・ケースであって世の中なんでも適当で良い訳ではない。それは大人なら当たり前だよね。それは完璧主義ではないのです。適当主義も完璧であってはなりません。

(18) 人生を破壊する【3つの完璧主義】 - YouTube
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①高校時代研究クラブに入って、1ミリの試薬を間違っても結果が大きく変わって違うものになりその研究が0になるを学びました


指示されたことは忠実にして行動も完璧でないといけないと自覚しました
②縦から見ても横から見ても多方面から見ても欠陥がないように何事に対してもしています
③すべてにおいて三方良しを基本としています
少しでも手を抜くと 迫からほころびが出てきていずれ大きくなった汚れに悩まされます
例えば 風呂掃除 隅までちゃんと掃除しないとそこに残されたゴミが溜まりカビが生えます、カビ取り剤など使って必死にとってもカビは生地に入り込み取れなくなってしまいます。
初めに隅までちゃんとしておけば 生地まで汚さずに済んだと後悔します。
すべて 今は楽かもしれませんが将来出てくるほころびに備えて指差し確認をして生きています。
それが仕事につながり確かな仕事をすると信頼を得ます。100回の信頼も1回の手抜やミスで0マイナスになった評価は元には戻りません。
私自身に問いただして これでよかったのか もっと改善策はなかったのかといつも反省しています。
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①完璧は主観であり、絶対的には存在しないということに中学生くらいの時に気づきました。



②意識すらしていません。
変と思うかという部分については、評価基準、対象によります。

③外科手術や数学等。その他精神的な、人間的な面においては、完璧は存在しないと考えています。
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完璧の意味を理解しないから そうなる・・

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