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儒教みたいな知恵遅れな教義を信仰したせいで東洋は西洋に劣後したのではありませんか?
精神論的な教義に偏重した儒教のせいで、東洋人は物事を科学的、客観的に理解する能力が低下し、そのまま文明の停滞を招いたのではないでしょうか?

A 回答 (5件)

儒教は「高級官僚の統治の心構え」を説いたものです。

西洋でいうところのノブレス・オブリージュ。なまじ体系が整っていたことから、高級官僚でないものも真似し始めました。

高級官僚でない者が取り入れた儒教は、儒教のつまみ食いで、自分達の保身に利用されました。何でそうなってしまうかというと、原因は国民性です。そういう国民性の国では高級官僚も儒教のつまみ食いをし、自分達の保身に利用しています。儒教と科学、客観的視点は互いに独立していますが、儒教を都合よく利用する側はそれを包含しようと試みます。

そういう面では、不景気、不況は、儒教を都合よく利用する側に都合よく作用します。貧すれば鈍するとはなかなか真実を突いています。
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大航海時代が始まる前の中世までは明らかに東洋の方が上だった。


それに風穴を開けたのは、モンゴルの西方進出だった。
モンゴルはロシア~東欧を席巻し、さらには東西の大きな文化的・経済的関所として繁栄していたオスマン帝国を打ち破って、インドの数学、中国の火薬・羅針盤・活版印刷などに代表される東洋の英知が滝のように西欧になだれ込んだ。

それがルネサンスに繋がり、聖書印刷がから宗教改革に繋がり、大航海時代に繋がり、やがては産業革命に繋がった。

西欧は多数の小国が競い合うことで、インド・中国の学問的成果と技術的成果を発展させることに成功し、その結果として世界を制した。
中国も大文明を飛躍的に高めたのは、小国が乱立して競い合っ春秋戦国時代だった。

儒教については、確かにご指摘の通りで、それ自体は中国人も欧米列強や日本に押し込まれたときに気づいている。漢の時代に儒教ではなく、西欧的な合理主義を唱えていた墨家を国教に定めていれば、こんな苦汁を飲まされることはなかったと多くの中国知識人たちが嘆いているのだ。

とはいえ、長い歴史の中で、西洋が東洋を逆転したのは、つい最近のことでしかない。
大航海時代が始まる前までは、インドはスパイスで、中国は絹織物と陶磁器で西洋から莫大な富を巻き上げていたのだ。

そして現代は、少し前までは日本が、そして中韓が世界から富を巻き上げている。
今後の文明については、東洋の比重が高まるであろうことは充分に考えられる。何といっても、人口は西洋よりも東洋の方が遥かに多いのだ。経済的に互角になれば、人が多いほうが知恵者も多いであろうことは単純な事実だ。
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先ずは、論語と儒教は別物です。


【なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 石平(著)】を参照して下さい。
その上で
>東洋は西洋に劣後したのではありませんか?
>文明の停滞を招いたのではないでしょうか?
過去500年を見た場合に、富(お金)と言う尺度で言えばその様に見えますが、この先500年後にはどの様に評価されるかは、全く未定であり断定も出来ません。
西洋が支配した、野蛮で残酷で非文明的な時代と、評価される可能性が十分にあります。現時点でさえも、その兆候が出始めています。
さて、富という尺度から見た場合には、偶々偶然にも、西欧にて近代資本主義が発生した為に、西欧に富が偏り良く見えただけと思われます。
キリスト教プロテスタントの禁欲から、近代資本主義は発生しますが、この禁欲的精神はどこでも発生する可能性があり、この発生が偶々西洋が早かっただけと考えられます。何故ならば、日本も同様に禁欲的精神が見て取れる為に、他の地域で発生する事も有り得ます。
中国には、この禁欲的精神が発生する余地は全くありません。これは儒教の問題ではなく、中国人気質・中国人文化の問題です。よって、国家統制の宗教である儒教が原因で、富(禁欲的精神)の爆発的拡大を阻害したとは断定できません。
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儒教みたいな知恵遅れな教義を信仰したせいで東洋は


西洋に劣後したのではありませんか?
 ↑
日本初のノーベル賞受賞者である
湯川秀樹博士の愛読書は「論語」
でした。
博士は、論語を読まなかったら
受賞は無かっただろう、とまで
言っています。

東洋が西洋に劣後したのは、西洋で
産業革命が興ったからです。
それまでは、インド、中国を包する
東洋の方が経済や文化、科学技術などで
上だったのです。



精神論的な教義に偏重した儒教のせいで、東洋人は物事を科学的、
客観的に理解する能力が低下し、そのまま文明の
停滞を招いたのではないでしょうか?
 ↑
湯川博士の例はさておいて、ワタシもそう
考えます。

儒教というのは、過去に遡るほど素晴らしい
という考え方をしています。
こんな考え方ではイノベーションが興るはずも
ないし、進歩発展が閉ざされます。

そして、儒教は国家を家族のようにするのが
理想とします。
王が父で、国民が子ですね。

この思想が現実社会に墜ちてくると
自分や家族、一族の利益を図る、という
ことになりやすいのです。
事実、儒教が強い社会では、中国、韓国
のように、汚職が蔓延しています。

儒教というのは、個人レベルの精神修養と
しては優れた面がありますが
国家、社会というマクロ的な面では
進歩発展の脚を引っ張る考え方のように
思えます。
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そうは思わないですね。


儒教のどの部分を引用するかの違いだと思います。
同じ儒教でも韓国は全く違う状況です。
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