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武田信玄があと30年長生きしてたら戦国時代はどうなってたでしょうか?

A 回答 (3件)

歴史に「たられば」は無いのですが、敢えて、何も変わらないと思います。


家臣への求心力は大きいですが、家臣も老齢化しているし、更に金の
産出量も減少していて、鉄砲を大量に買う事が出来ませんでした。
織田家の家臣は戦闘専門のプロの集団です、その上軍資金が豊富で鉄砲を
大量に買えました、鬼に金棒なのです。
武田軍の半数は通常は農作業をしていて、戦争の時に馳せ参じる旧隊の
軍隊で鉄砲を揃える近代化が遅れていました。

甲斐の国は武田勝頼の時が最大版図でした、新興勢力の徳川織田の連合軍
に敗れたのです。
武田勝頼は近代化の遅れた軍隊でよく頑張ったと言えると思いますよ。

戦国大名の殆ど領土拡大が目的でしたが、織田信長は商業圏の拡大が
主目的でした、清須、小牧、岐阜、安土と居城を替えたのが、その表われ
です。
安土は東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道を通って物流が流れる
拠点で琵琶湖を通って北前船の物資が運ばれます。

石山本願寺の跡地を港にすれば、堺、難波、福原の一大商業圏が出来、
瀬戸内、淀川を通って海外貿易の物資が安土に運ばれる、この様な
構想が織田信長に有ったと勝手に推察しています。
豊臣秀吉は石山本願寺の跡地に大阪城を建て太閤検地で得た富を
大坂城にせっせと蓄財しました。
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何も変わらない。


甲斐が強かったのは金山があったからで、信玄の代になってからは金山が枯渇し始めた。信玄が信濃攻略に頑張ったのも金山収入が減少し始めたのでその補填を狙ったということも大きいだろう。

勝頼の代にはほぼ完全に金山は枯渇した。金欠では勝頼であろうと信玄であろうと大したことは出来ない。
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武田信玄は、51歳で亡くなり死因は、胃癌や結核、肝臓病などが考えられるそうです。

30年長生きしたら81歳です。仮に信玄が元気で織田信長や徳川家康を打ち滅ぼして、京に上り天下統一を果たしていたら、徳川幕府では無く、武田幕府が開かれたかも知れません。
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