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例えば「病は気から」「この宇宙は幾つも存在する」とか、

医学のことをよく勉強した結果「病は気から」という結論を出すことと、
「病は気から」を素直に受け止めて、特に勉強しなくてもそういう結論を信じること。

「この宇宙は幾つも存在する」を科学的に勉強してそう結論づけることと、
素人が想像でそういう結論を導くこと。

どっちが大事だと思いますか?

勿論、後者は「感覚的な結論づけ」なので「論理的思考」はありません。
けれど、1つ1つを勉強して達観するには時間がかかります。

同じ結論に至っても経過って大事ですか?

A 回答 (14件中1~10件)

>同じ結論に至っても経過って大事ですか?



当然大事です。

「エベレスト登頂したことがある」
といっても単独登頂と、シェルパにおんぶしてもらっての登頂では、全然意味が違います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まぁそうですよね。
ただし、人間はすべての物事を「経験」したり「研究」することは不可能です。

多かれ少なかれ、教養本や他人の話を信じないといけないとは思います。

まぁエベレストに登頂したことある人と、想像で語る人は全く比較にならないと思いますが。

「すごい大変!命がけ!」と同じ発言をしても、後者は実感が伴いません。

お礼日時:2023/06/10 15:22

自分の中で処理する分には、どちらでも大差はないかもしれませんが、第三者に話すような場合は、経験や実績があるほうが、説得力は増します

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
だから経験者は語るというのはある意味で説得力があるんだと思います。

大震災の被災者の言葉と、テレビや映像で観て「感じただけ」の人では
やはり違うでしょうからね。

お礼日時:2023/06/10 15:23

大事ですね。

メンタルに影響します。

以下は長いので面倒だと思ったら読み飛ばしてください。

気持ちの上では、自分一人しかいない場合を常に考えて全て自分の責任であるとして考えるのが良いですよ。

頭も働きますので精神も安定します。誰かに依存し続けていると、我儘な自分になりますし、他者を思いやる事も出来なくなります。大人になるためには「全てが自分の責任だ」と思って考える事です。自分一人しかいなかった時、そういう世界でも自分は大丈夫だと感じられないと行けません。

このとき「そんなの無理だ」と思って嫌がる気持ちと闘いましょう。

苦しさが頂点に達したとき、

「実際には出来ないので専門の人がどんな苦労をしているのか
 調べて気持ちを一つにしますので許してください」

とやるわけです。

すると何かに許された様に楽に成ります。勿論、自分でやってませんから本当は良く無いです。それでもそれが自分の苦しさ(不安感)を消す最良の方法なんです。

他の人がどんな苦労をしたのか調べる事を勉強といいます。宇宙の広さについて調べている人は勉強をしているのではなく、研究をしています。私たちは彼らの苦労を知るために、その研究成果について勉強をしているのです。

私たちは三つのやり方を持っているという事ですね。

・想像で語る
・勉強をして他の人の苦労を語る
・研究をして自分の発見を語る

勉強をしているうちに自分にもできる気がしてきて、自分も研究する場合があります。ですので私は「自分もやるつもりなのか?」を自分に問うて「面倒だ」と思った時は「相手にお任せする積りで勉強する」としています。

一方で想像で語ることもよくやります。しかし、他の分野を勉強し、研究をしていると、そういった情報から想像が逞しくなります。代替の場合は当たっていると思います。

「俺がやるとしたら、こうするしかないしなあ」

こういう感じです。他の人も同じ方法を取るしか無いと思えるわけですから、単なる妄想よりも現実的な答えがでますよね。

例えばAIを使ってみた時、それぞれの人は感想を持ちます。その上で推測もするでしょう。しかし、この推測が浅いと恐怖感が強くなります。そして恐怖感を消すために闇雲に否定したり迎合したくなるんです。

「自分の感想から意見を言うのではなく、自分が実施した場合
 という想像から意見を言う。この時分からない事があれば、
 調べればイイ。調査する意欲も高くなるだろう」

つまり消費者としての自分が意見を言えば商品レビューです。実施する立場として意見を言えば助言でしょう。前者のまま自分の意見を聞いてくれと凄めばクレイマーです。

クレイマー化する群れと支援者の群れに分かれます。この差は責任感があるかどうかの違いですから「何をやってもクレイマーになる」という人と「何をやっても支援者になる」という人に分かれてしまうんです。クレイマーが支援者に勝つことはあり得ません。なので「何時も負けている」という人が存在し得るんです。本人はどうしてそうなるかきっと分かっていないでしょう。

「政治については政治を勉強しないとだめなんじゃないの?」

「いやジャンルの関係なく実態は人と人の分担論が存在して
 いるだけなんだ。ここで起きる難しい事(出来そうで出来
 ない事)と解決するための方法論が同じなんだよ。
 別の分野でも知る事が出来るので、共通の想像力と言うの
 が育つ。そのため純粋な専門知識や技術を抜きにして、
 プレイヤーとしての実力は別にあり、その力をもって正論
 を述べる事ができるようになるんだよ」

想像だけで語り続けた人は「出来そうで出来ない事」と言う部分が分からないんですよね。これは世の中に出て「自分がやらないと行けない」と言う責任を持った時、初めて遭遇するものです。それまでは他人が作ったものを利用していただけですから。

例えばゲームです。何かのFPSゲームで実力をつけると、他のFPSゲームもこなせますよね。それと同じことが社会全般で言えるんです。

しかしゲームが問題なのは「人と人との分担論」について全く学べない事です。

責任感覚が身についていない人は政治や経済、世情について幾ら語っても無責任な性質を帯びるでしょう。それが善意であろうと悪意であろうとです。善意の場合はお花畑、悪意の場合はクレーマーとなるわけです。

「責任エアプってバレるの?」

「モロワカリです」

人間がどうしても誤魔化せない部分が「責任エアプ」です。しかし同じエアプ同士ならばバレません。感覚として無いからです。これは音感みたいなものですから。

「どういう点でバレるの?」

「良い事と悪い事と言う捉え方しか知らないからです。
 責任を持っている人からすれば、何とか当事者を救いたいと
 いう気持ちと、ルールを順守して秩序を維持するという義務
 の中で揺れているはずです。妥協ラインが何処なのかを探ろ
 うとして必死になっているはずです。
 しかし、責任エアプの人は良い事だから悪い事だからという
 話をする。これではバレちゃうわけです。そしてそういう人
 がいるのを知っていて、敢えて良い事だとか悪い事だとかで
 話す知識人が多いんですよ」

「責任エアプの人はプロパガンダに騙されても自分で分からな
 いってこと?」

「そうなります。
 問題なのは騙されても何もできない事です。
 責任エアプの人は実行力自体が乏しい。騙して使おうとする
 側にとっても使えないと分かっています。
 そこで、大概において特攻や暴動をするように語り掛けられ
 るんですよ。これは何時の時代も同じです」

人の能力は人の体の構造が同じであるため「誰もが一定の力を示せる」と保証されています。しかし人生において違いが出てきてい仕舞うのは「良い事・悪い事」という発想から逃れられず、当事者(責任者)意識を(想像力で)持てない人がいるからです。本当の脳の力を解放できないんです。これは勿体ないですよ。

「じゃあ、責任エアプかどうかだけで人を判断してイイの?」

「ぶっちゃけそれでOKですよ。育てればイイだけですから」

「入社面接とかで学生時代何をしたか聞かれるって・・・
 責任エアプかどうか調べられてるって事?」

「そうです。嘘をついても責任音痴は自分が間違った回答を
 していることを(自分で)分からないんです」

上手くヤレタ気がしないのにスルッと合格する人もいれば、手ごたえを感じているのに落ちる人もいる。それもそのはずです。音感と同じように無意識に身に付いたものですから。本人は分からないんですよ。

「責任感ってどういうものか分からないんじゃ伸ばせないよ」

「なんでもいいですよ。小さい頃の思い出でも良いです。
 その時の感覚を思い出してみてください」

「むかし、両親が外出してて不在に成るので妹の面倒を見るよ
 うに言われた。この時、なんだか気が張って仕方なかった」

「そうそう。それです。その時、自分のせいじゃないと言って
 逃げたのか? 早く両親が返ってこないかと思いながら過ご
 したのかが重要なんです。後者の感覚が責任を持ったときの
 感覚となります」

責任を持たない人が不安に成ることは無いですよね。つまり誰だって責任感を持っているんです。これが「責任感」なのだと気づかなかったり、逃げて解決してしまうから責任感が育たないという事です。

「・・・僕は引き篭もってしまって学校も社会もいって無いん
 だ。凄く不安なんだ。この気持ちは?」

「そう。それそれ。自分の人生に責任があると思えば不安にな
 るし悩みますよね。自分一人しか考えてくれないですから」

「こ・・・この不安感が責任感なの?」

「そうです。逆に言えば上級国民だろうと、日本の首相だろう
 とそこに責任がある以上、貴方と同じ不安の中で生きます。
 ところがストレス耐性のお化けだから中々潰れないんです。
 それをもってスゲーと思う。良い事・悪い事だけで評価する
 人は責任エアプとされるので一目置かれ無いんですよ」

「クレイマーってことか・・・
 じゃあ引きこもりや低収入の人を馬鹿にするのは悪い事だっ
 ていう主張も駄目なんだね? これも良い事悪い事論になる
 から。ああ、どうしてダメなんだろう? 僕は考え方が慣れ
 てないから」

「責任感のプロとして言うならば、その不安感と闘って自分を
 維持さえしてくれればいいんです。万一自分が同じ状況に成
 ったときの先輩として助けて貰いたいですよ。引きこもりの
 方にだって後輩を助ける責任がるでしょ。引きこもりエアプ
 の人が、これについてどうこう言うのは無責任ですよ」

「そうか・・・これもエアプの人が無責任に良い事悪い事を決
 めてるってことだね。じゃあもしかしてその人も責任エアプ
 なのかな?」

「恐らく。働いていてもクレイマーと変わらない人ってのは沢
 山いるんですよ」

結論が同じであっても「最初は自分でやろうとして考えて」、役割分担として責任を持つ人に「お任せする」という発想が大事だと私は思います。この習慣が人生に大きく影響するからです。「責任が生じると逃げる」という癖をつけてしまうと、いずれ自分の想像(責任エアプの為、不安感を消せない)に押しつぶされて精神を病むのが目に見えているからです。

想像が自分を苦しめる妄想に発展しないためにも、世の中で起こり得る事と起こりえない事が判別できる程度には、責任感を育てていないといけないでしょう。そうしないと苦しい人生になるという事です。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ人類のすごいのは知能以上に「想像力」があることだと思うのですよ。
妄想力とも言えますが、その仮定の予測力(想像力)が人類の発展に寄与したと思います(もちろん、妄想が暴走したケースもあるでしょうが)

>結論が同じであっても「最初は自分でやろうとして考えて」、役割分担として責任を持つ人に「お任せする」という発想が大事だと私は思います

⇒確かにですね。
疑問を抱くことについては想像だけでなく、検索や自ら調べるという行為は必要でしょうね。

ただ、最近の科学とかではもう素人の手に負えるようなレベルではありませんが。

お礼日時:2023/06/10 17:43

経過を知ることで結論を検証する事が出来るという意味において景観を知ること重要ですね

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ、世の中すべての人がすべての教養に精通することは不可能で、
結局、わからない分野は知識本や教科書で学ぶのでしょうが、
それでも、例えば地球が丸いというのは、知識として学んでも実感として「?」だったりするんです。教養本には理論的に説明がなされていても、
読み手がそのレベルでは無いから、結局、知識として理解(
(記憶)するレベルにしか達しません。

重力、引力、、、これらだけでは地球が丸いのは説明できないでしょうし、
更に地球が回転しながら太陽の周りをまわっているとかも、知識上で分かっても理屈的に理解している現代人は少ないと思います。※科学者ぐらいか?

例えば我々が住む宇宙以外にも宇宙が複数存在する可能性というのは、学者は科学的思考からアプローチしてそういう結論に至りますが、そうでない人達(私のようなド素人)的思考では、かつて海には果てがあったというのが覆されて実は地球が丸く1周することができるという点からヒントを得て、実はこの宇宙も「我々が住んでいる宇宙以外にもあるかも?」という想像力を持つ人が出現するのは容易だと思うんですよ。海には果てがあるという時代だったら「お前、基地外か?(爆笑)」と言われるレベルだったかもしれませんが、
もはや人類の想像力を超えているのがこの世界であり、宇宙が複数あるのも
更に数多くの宇宙を統括する空間の外にも何かある可能性だって否定できません。

まぁ想像力は妄想力とも思えるので、ごちゃまぜにはできませんが。

お礼日時:2023/06/10 17:51

良い視点です。



あなたの指摘されるように「論理的思考」と「感情的思考(感覚、勘)」の問題かと思いますが、経験則で言わせてもらえば、「同じ」「結局は感覚、勘に左右される」と言えます。

例えば、質門者様は比較的論理的思考ができる方か?と推察しますが以下のことについてどう考えるか?

①「体罰は2020年に禁止になりました」
https://shakaidekosodate.com/archives/3565

これ9割5分以上が何も「違和感」を感じず、素直に信じてしまいます。

しかし、よく間違えている意見は
②「体罰は2019年以前は違法ではなかった」「子供を叩くのは体罰だからよくない(違法だ、虐待だ)」という意見です。

ですが、現実は2019年以前も体罰は違法ですし、子供を叩いてしつけをすることは違法ではありません。(いってる意味わかります?)

証明できるのですがたぶん文字数が足りなくなるので省略します。
とりあえず、現実には私の主張が正しいと仮定して聞いてください。


まず、大抵は②の主張を聞き、その根拠として②の主張者なりが①を出します。
圧倒的大多数の人間はこれに「違和感」を感じず、素直にそう信じてしまいます。
これはいくら「論理的思考」ができる人間であったとしても、「そもそも勘が聞かなければ…」「気づかなければ論理的思考は働かない」ということがいえます。

その「勘」というのは、人生経験(年齢ではない)からくるものであり、危険回避本能で自身が経験した情報から瞬時に正解を導き出す方法と言えます。

つまり、危険を回避するには論理的にだけ問題を解いていては死んでしまう…
ということで備わっている能力です。

ですので、やはり「どちらも必要」であり「どちらも重要」です。

上記「体罰」の問題では、まず「違和感」によってその相違点を調べることで真実が導き出されますが、「勘」が鈍い事にはそこ(論理的思考)にも行きつかないわけです。

ちなみに論理的思考ができても、「いじめ」を行ってしまうことは経験済みです。
論理的思考ができない人よりはかなり早い段階で気づくのですが、相手から理不尽なことを行われた場合、論理的思考を使って過剰に追求~制裁してしまいます。

論理的思考の起爆剤が感情、勘という点が非常に面白いと感じました。
(感情、勘→論理的思考=答え)

個人的にはまず「勘」で判断し、「論理的思考」で証明する…という思考パターンです。
その勘が狂っていては、そもそも疑問にも思わず妄信してしまっているがため、まともな答えは出せないということですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

論理的思考と勘(想像力)というのは両輪だというのがわかりました。
確かに、想像(根拠が皆無な予測)をするから、根拠が皆無でも論理的思考でその可能性を追求できますよね。

お礼日時:2023/06/10 21:33

オマケ


地球は実際丸くはありません
どちらかと言えば洋梨型です
というのも海洋エリアにおいては自転で生じた遠心力によって海面が膨らむからです
それはそれとして地球が丸くなったその物理的理由は地球自身の重力が地球自身に均等にかかるからです
これは無重力においては水の塊が必ず丸くなること同じ物理現象です
地球が太陽の周りを公転しているその物理的理由
地球が太陽の重力によって生じた歪んだ空間上に存在している
地球の公転速度が太陽の重力を振り切る程速くはない
逆太陽に落ち込むほど遅くない
です
オマケその2
現代物理は一般の人の想像を遥かに超えた領域に達しています
つまり物理を学んで理解したほうが想像力がますということです
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
ええ、厳密には丸くないのは存じ上げてます。

>現代物理は一般の人の想像を遥かに超えた領域に達しています
つまり物理を学んで理解したほうが想像力がますということです

⇒確かにそうでしょうね。
前提にある最低限の知識がない人による想像力と科学的教養がある人による想像力では、想像の幅が違いますよね。

以前、聞いた話では科学者は探求すればするほど、この宇宙は「自然」というより何か神のような存在を感じると聞いたことがあります。

例えばこの宇宙(または数多くの他の宇宙)が本当に「自然」のもとで形成されたのであれば、我々が住む宇宙以外の他の宇宙では、我々が住む宇宙の物理法則が通用しない可能性があります。

 自然という物が偶然の産物で出来上がるものであるならば、別の宇宙でも同じ結果(同じ物理法則ができる)になる可能性は無理があります。

いやいや、別の宇宙でも同じ法則が存在するならば、それこそ「自然」というよりは「必然」だと思うのです。ということはやはり創造主が居るというのは納得がいきます。

お礼日時:2023/06/10 21:38

感覚で目的を把握して、論理的な道筋によってその目的に到達すると言う感じなのかなと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
まず感覚で想像力を膨らませ「仮定」を立てるってのは大事でしょうね。
そしてその想像力を膨らませるにあたり、土台となる教養・経験・知識というのが精度を上げると思われます。

例えば学者がマルチバース論を話すのと、素人がマルチバース論を話しても
後者は論理的な説明ができないですからね。※もっとも前者の説明も素人にはチンプンカンプンでしょうが。

お礼日時:2023/06/10 21:40

大事です。



1,結論が正しいことの担保になるからです。
  一億回繰り返したけど、同じ結果になった。
  でも、一億と一回目は違う結果になるかも
  しれない。

  一億一回目も同じになることの担保が
  経過です。


2,経過があることにより、その経過から
 色々な知識、技術、真理が誕生することが
 あります。



後者は「感覚的な結論づけ」なので「論理的思考」はありません。
けれど、1つ1つを勉強して達観するには時間がかかります。
 ↑
素人は結論重視で良いと思います。
しかし、専門家は結論以上に経過が
重要になるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>素人は結論重視で良いと思います。
しかし、専門家は結論以上に経過が
重要になるでしょう。

そうですね。

お礼日時:2023/06/10 21:41

オマケ


理性と感性夫々の役割
本能に直結している感性が答えを出す
感性で出した答えを理性が検討するです
よって感性・理性どちらも必要で自覚するしないは別にして誰でもしていることです
それを踏まえると
感覚的な結論を理論的思考で検討するとなります。つまり感覚的結論と理論的思考は互いに連携関係にあるということですから感覚的な結論付けと理論的思考を分けるべきではないですね
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

なるほど。

お礼日時:2023/06/11 15:03

はっきり言って結論は結果であり、あればそれはそれでいいですが、必ずしも必要ではありません。

常に何者かに向かって自身を研鑽する姿勢を継続する以外に、人の道はありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/06/11 15:03

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