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「芸術作品はその作者の全人格の表現」と聞きますが、
北大路魯山人のケースでもその法則は成り立つものでしょうか?
北大路魯山人は横暴で非常識な人で、海原雄山のモデルとも言われる人物です。
少なくとも「人格者」とは言えないでしょう。
にもかかわらず、北大路魯山人が造った芸術作品が美しく、高雅なな味わいを
持っているのは何故でしょうか?

人格と美を創造する感覚、知恵、技能は別物ということでしょうか?

A 回答 (9件)

「芸術作品は全人格の表現」を科学っぽい言い方に直すと「作品には作者の全人格についての情報が含まれ、適切な解析をすれば作品から作者の性格を再構成できる」になると思うのですが、これ明らかに嘘とは言わないまでも誇張ですよね。



少なくとも私は作品を分析して作者の人格を言い当てるような信頼性の高い手法を見たことがなくて、あるのは作者の人格の既知情報を元に「作品のこういうところに作者のこういう性格が表れている」という後付けの解釈だけです。

後半については、真善美という言葉がありますが、その通り真偽・善悪・美醜は別軸なので、悪しき美もあるし、善なのに醜いものもあります。
作者が人格者かどうか、というのは飽くまで社会の中で評価されるレベルの善悪に基づく判断であって、作品の美醜とは無関係です。もし相関があるなら、殺人が悪である以上「美しい刀」なんてものは存在し得ないわけで。

「趣き」という点に着目するなら、そもそも趣きって「完全性」とは対極ですよね。欠落、アンバランスさ、矛盾、そういったものが美と調和すると見られたときに使われる表現が「趣き」です。なので、人格が作品に表出するとして、誰もが認める人格者でなくても(何なら人格者でない方が)趣のある作品は作れると思います。
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「芸術作品はその作者の全人格を表現したものではない」が、正しいでしょう。


☆人格と〔美を創造する感覚、知恵、技〕は別物という事ですね。

魯山人の作品から、横暴で非常識な人柄は全く見えてこないことで、それと知れます。

大体が、全人格を当の本人が認識しているとは思えないし、全人格を一つの作品に込めるなんて、不可能。それに、他者が読み取ることだって、困難。

気の利いたような、受けそうな言葉だからと云って、それを使われるのは紛らわしくて迷惑ですね。

誰なんだ、こんなことを云うのは!
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北大路魯山人は横暴で非常識な人というイメージを根拠無しに信じ込んでいるようではお話にならないです


このような質問する前に北大路魯山人が如何なる人物なのか?それを当時の背景や事情等を踏まえ徹底的に調べるべきでしょうね
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この回答へのお礼

アホ

北大路魯山人が横暴な人物というのは
多くの人々の証言で明らかだ。
違うというのなら、証拠をみせろ!

お礼日時:2023/06/26 13:55

人格者であるか否かと、作品の完成度は別物だからです。

逆に言えば、倫理観を重視するある意味社会迎合的な人間では、優れた芸術などは産めないということも言えます。
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解釈の問題で、科学的に証明された話ではありません。


違うという見解もあれば、そうだという見解もあるでしょう。

おそらくですが、「芸術作品はその作者の全人格の表現」という説は、全人格のすべてが等しく作品に表れるという主旨ではなく、「全人格が表現されているものの、作品によって人格の一部が際立って表出している」という主旨なのでしょう。

そもそも解釈なんて、どんな屁理屈でも全く構わないので「横暴で非常識だからこそ、素晴らしい芸術作品を生み出せるのだ」と言い切ることも可能でしょう。
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何を描くか、どんな色使いをするか、どんな大きさにするか



全て創作者の好み・センス・その時の気持ち・技術、が反映されます
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「人格」とは


その人の性格
その人の個性のことですから
何も問題はありません
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色々な考え方の一つにすぎません


芸術家と言っても所詮金儲け売れる絵や作品を作っているだけで
亡くなってから欲しがる人のために値段を跳ね上げただけのものです
千利休は韓国の猫のエサ入れを使って茶をたてたとか
千利休がいい品だと言ったフィリッピンの水坪が何万ものお金で取引されたという事もあります
釜元は何百の陶器を作り一個を残して後をたたき割ることで付加価値を作ります。
世間でいうモンドセレクションも寄付金でしょうがもらえるし日本で公開される前に海外の映画レースにもっていって賞を取るのも寄付金額で貰えるしょうが違っています
実際に上映すると大コケ
黒沢作品はたとえ白内障のぼけ老人が作った作品でも監督の名前だけで評価されています
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全人格の表現・・そうなんですか?


その人の一部分ということもあるでしょうし
そんな法則はだれかが勝手に言っているだけのことじゃないかと
私は思うのですが・・
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