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地球上ではいろいろな社会があり、例えばポリネシアの人々の中にはお金という概念がない狩猟採集生活の社会もあれば、農耕生活の社会もあり、そういう社会は基本的に物々交換で暮らしているでしょうが、一部の資本主義社会に生きている人間は、働くことで人々はお金を手に入れたり、投資などの利回りで利益を得るなどなどの手段でお金を手に入れて毎日の衣食住などに使って生きていますが、
一方で、お金を手に入れる代わりに何かしらの不利益が地球上のどこかで起こっているような気もするのですが、もしあるとするなら例えば何でしょうか?

例えば、仕事して労働という苦痛(仕事が楽しい人は苦痛はないかもしれない)の代わりにお金を貰うという考え方だと、保存則的に考えるとそれで相殺されるはずですが、両者を天秤にかけてもまだ釣り合わないかもしれない。

これは人によっても違うかもしれないです。
苦痛>対価
苦痛<対価
という場合もあるかもしれないです。

しかしそれ以上に、例えばお金が増えるぶん地球の環境負荷の増加に寄与していたりするかもしれません。

実際のところお金が増えると、物理的にしろ精神的にしろ、そのぶん何かが減るのが自然の摂理ではないかとも思いますが、どう考えますか?

地球の大気の悪化や温暖化などもお金が増えた影響だったりするのですか?

A 回答 (2件)

「何かの益が得られるとき、そこのとで別の何かの害が発生する」というようなことをイメージされているのであれば、そのイメージの基になっている「利害」は「自分あるいは評価者の価値観」にあるのというように考えてはいかがですか。


海の波・海流で浸食も堆積も起きます。これを利害で感じ評価するのは、感じ評価する人の感覚や立ち位置によるモノです。台風や地震噴火降雨四季昼夜に関しても同様のことがいえます。人間社会での社会集団の規模の拡大や分業・役割分化・職業分化や職業文化の発達でも、道具の発達・複雑化や社会のシステム化や技術の発展高度化・情報利用の仕組みでも、それを便利・益・好機と解したりする人が現れる一方で、それを困難の増加・不都合・格差拡大で排除が厳しくなると辛さの源と受け取る人も現れます。
受け取る側の要因やそのような受け取りに基づく行動選択が、社会全体にある分布で生じると、社会現象・ムーブメントが起きます。 その結果さらに社会現象・ムーブメントが大きくなり顕著な社会変化をもたらし、もはや後戻り出来ない社会状況に変わり、新しい出発点となって、この繰り返しで、社会は変わり、歴史が造られます。 個々の人は自分の生まれ育った社会状況を基盤・ベースとするので、多くの人はその状態からの変化を変化と捉えます。多くの人は、自分が生まれ育った社会状態を100年前・50年前からの変化と捉え理解することはしません。 気候などでも、社会インフラでも、産業構造や就労や学習でも衛生状態や治安状態でも遊興娯楽のスタイルでも、流通や飲食物・各種サービスでも、家族関係や人間関係のあり方でも同様です。 幼児期・学齢期・十代後半で学習した経歴で得たものがベースとなって、現状と今後についての推定や憶測・期待・願望・不安・嫌悪で、損得・利害を評価しようとします。
「そのような心理」を「自然の摂理である」とみることも可能です。
ただし通常は、「心理や感情・精神状況のサマ」を「自然の摂理である」とは表現しません。通常は、「自然の摂理である」とみなす対象には、人間や社会が造り出すような変化のことは含みません。「自然界の変化のメカニズムを支配している理法」を「自然の摂理」というのが普通です。

{実際のところお金が増えると、物理的にしろ精神的にしろ、そのぶん何かが減る}とか、{実際のところお金が増えると、物理的にしろ精神的にしろ、そのぶん何かが増える}とかを、「自然の摂理」と呼ぶのは、常識的ではないです。

> 地球の大気の悪化や温暖化などもお金が増えた影響だったりするのですか?

当人の考え方次第です。  地球の大気の悪化や温暖化などを陰謀だと考える人や、神が人間になさっていると考える人や、単に大気中の二酸化炭素が増加したのが最大の要因と考える人、不安や逼塞などの心的ストレスを「他に原因説明のスッキリしたのを求める"人の病理のようなもの"と考えるひとなど、沢山あるでしょう。 ロジックもなく、原因説明を一つ二つに絞ろうとするだけでなくて、他人や世間に原因説明そのものを求めるというのは、いかがな心的状況でしょうか。 金や衣食住に原因があると絞り込むのは、明らかにムリです。 狩猟採集、育成農畜産、交易商業や鉱業・機械制工業生産、第三次産業の隆盛など変化にその原因を求めるのは、無謀です。
地球の大気の変化それ自体に関心があるのならば、もっと全体を眺めてみるのもいいです。 https://tenbou.nies.go.jp/learning/note/theme1_1 …

「対価は苦痛」という連想対比もあるのでしょうが、「辛苦・心労・辛労⇔辛抱・努力・奮励⇔没頭・効力感・満足」のどこに位置づけるかによっては、「対価は喜び」という連想対比にする人もいるのでしょう。

今、地球上で生きている人間の数は80億人を越えているらしいです。500年前には想像もできないような膨大な人間が生きているのです。2020年代の先進地域だけでも、10億人は生きていて、その人口の60%以上は大した労働もせずに飲食住衣だけでなく医も娯楽も享受出来ているのです。低開発地域で貧困で餓死や若年死が多数みられるところは実に多いですが、そのような状況は300年前までは人類の多数が直面し、一部の恵まれた生活で怠惰を享受出来た人々でさえも寒暑を凌ぐことさえできず、病気怪我を癒やす治療も低レベルでしかない状態です。
https://tokyo.unfpa.org/sites/default/files/%E4% …
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/476413.h …

「感性、気分、気持、精神、幸不幸のような観点で、世の中をみること」では、理解を進めることは出来ません。 
革命や反革命などをめざすというような動機、あるいは信仰のため、または、大衆の賛同や反発を自分の糧にしたいという希望をもってのことなら、それは個人の選択ですから、私は意見を挟んだりしませんが、もっと別なことに心を向けた方が多くの満足を得られるだろうになぁという感想を持ちます。
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お金と言うのは、物々交換において、


お互いの価値を代替し、等価交換を実現する、文明の産物です。

> 何かしらの不利益が…、もしあるとするなら例えば何でしょうか?
産業革命は、石炭と言う化石燃料の発見とその利用から始まりました。
その後石油発掘に至り、産油国は膨大なお金を手にした代わりに、
近年になって地球温暖化を招いた、と認識されています。

> お金が増えると、…、そのぶん何かが減るのが自然の摂理では
お金の増加は人間の活動を増やして文化の更なる発展へつながる、
という事になると思います。
そのため自然資源の消費が加速され、消費増加は廃物増加にもつながり、
地球全体の環境悪化が進んでいく、人間には欲望があるので、
これは止められない事実、という事になるでしょう。
ま、今の世代では関係ないでしょうけど。
日本の借金が増加の一途、誰も心配していないのと同じですね。
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