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人からどう思われるかとか多数派とか普通などを重視する人が多く、物事の本質を見る人があんまりいない?のはどうしてなのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • そういうのを「集団意識」と言うのかわからないですが、そもそも「本質」よりも人からどう思われるかとか「多数派」や「普通」などに価値を置きやすい深層心理が気になりました。
    人間の脳構造的にどういった働きがされてあるのか。

    それってどうして?と物事を深く突き詰めようとしたり疑問に感じる人自体も少ない印象ですが…

      補足日時:2023/09/23 17:42

A 回答 (7件)

そういう人が実際に多いのかどうかがわからないです。


また、物事の本質といってもそれは人によって違うものであって普遍的なものではないかもしれないので、確認できないです。
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人からどう思われるかとか多数派とか普通などを重視する人というのは、


自分で物事を判断しないで多数派に流されようとしている人。
つまり、自分の気持ちを大事にしていない人と言える。
あるいは、自分のことでも、自分の責任で決断しようとしていない。
こんな人は一見楽なように思えるけど、自信を持てない。
自分が心細くて仕方ない。
自分が頼りないから、不安で仕方ないし、他人がどうするかばかり気になる。
人間は自分を支えとして生きられるようにならないと、自立しているとは言えないね。
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> それってどうして?と物事を深く突き詰めようとしたり疑問に感じる人自体も少ない印象ですが…



そういう傾向は、年齢が高いほど強く出ます。幼児ではどうして、なぜとおもたり、質問したりすることも多いです。 成長発達の過程では、より多くのことを知り理解する必要も高いこと、10歳、15歳となると、もう自分が理解している程度でも困るようなことがなくなってくること、20歳も過ぎれば脳神経回路の劣化が始まり、30歳過ぎれば脳神経回路の柔軟性も失われることになるのが背景にあるのでしょう。

> そういうのを「集団意識」と言うのかわからないです

「そういうの」が何をさしているのか、わかりません。
しゅうだん‐いしき〔シフダン‐〕【集団意識】 の解説
1 ある集団に共に帰属しているという自覚的意識。
2 ある集団に共通する意識。

この2のことを意識して、「人からどう思われるかとか多数派とか普通などを重視する人が多く」⇒「集団に共通する意識」と思われているのかもしれませんが、「集団意識」={「"ある集団に共通する"意識」であって「"別の集団に共通する"意識とは異なる意識」}です。

> そもそも、人からどう思われるかとか「多数派」や「普通」などに価値を置きやすい

多くの生物は同種の一員であることは存続の最重要なものです。そうでないと子孫を残すことも出来ません。人間の場合は、細菌やトラなどと誓って、集団を構成し集団で協力し役割分担して安全や生存環境を維持し食糧を確保し衣類や住居を造り技術を発展継承することなどで、他の生物よりも子孫を増やし、地上の王者のようになってきています。この人類の歴史は人の脳の構造や神経回路の機能と不可分の密接な関連があります。 個々に自立して他と関連を持たないということよりも、集団の状況や集団の意向(言葉としてちょっと奇妙ですが)を感知して自分の思考や行動選択にとって重要な要因として取り入れていくというメカニズムを顕著に発達させているのです。 その副作用(?)として、他人や集団の状況を理解出来ない状況になると、寂寥感・疎外感・孤立感に苛まれるほどの状況にもなります。 そのような孤立・疎外・寂寥の危険を避けるために、予防的に周囲の動向に意図的に気を振り向ける・同調的に振る舞うというような病的(?)傾向を持ってしまう人も少数発生します。そういう不安障害的な人は少数です。多くは、「集団の動向・感情・価値観も充分に考慮して」となるだけです。しかもごく自然にそうするので、通常は"考慮して"のような意識はしません。 高速で自動車運転、車の多い道路で自動車運転をするときには、空いた道を30km/hで運転するときとは、運転への集中度は違いますが、「状況を考慮して」のような意識的な思考はしません。自然に反応し適応行動するのです。 そのように脳神経回路は機能するようになっているのです。
{人からどう思われるかとか、「多数派」や「普通」などに}というのも、いつもそうなっているのではなくて、その場の状況やその集団と自分との関係で、反応性が大きく変化します。 受験で面接、転入者として紹介を受けるときと、そのある集団に慣れてきている中の普通の日常のとき、そのある集団で集団としての意向や行動を選択しようとしているとき、そのような状況の違いがあると、{どう思われるかとか、多数派や普通/変わり者に思われるとか}への"意識の程度"は大きく変わります。


> 「本質」よりも

単に、"つい、うっかり"と「本質」という熟語を使ったのでしょうけれども、深く考え、検討してみてください。
❶ 物事の根本的な性質・要素。そのものの本来の姿。用例:本質を極める
❷ 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
㋐偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
㋑実存に対立し、そのものを規定し、その本性を構成するもの。
❸ 論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のような普遍概念。
たぶん❸の用法ではないのでしょう。❷のようなイメージで使ったのかもしれませんが、❷は「要素・側面・性質・性状」についての概念です。 「本質」は❶の意味で日常使用されることが多いように思いますが、ちょっと検討するだけで分かることですが、❶のような意味で、数十人が共通利用可能な本質概念は存在しません。 男の本質・雲の本質・熱の本質・料理の本質・運動の本質・考察の本質・存在の本質・集団の本質・部分の本質・失恋の本質、etc そのような「本質」は存在しません。

飽和水蒸気圧・ボイルシャルルの法則・潜熱などで、凝結などを理解することは可能です。しかし、今、ある場所のある高度で雲が消えたり出来たり、移動したりの状況を説明理解することは出来ません。大変に膨大な観測事実と広域のデータがなければ、現実のわずかな理解さえも出来ないです。 ほとんどすべてのことについて、「それってどうして?と物事を深く突き詰めようとする」のは初手・第一歩から躓いて先に進めなくなります。 対人的な愛憎や飲食や音楽の好き嫌いでも、どうしてと考えることは難しいのです。 比較的簡単なのは、「皆が好むので、人気が出る」というような「言い方を変えただけ」のようなものです。 でも、「理解は出来ない」としても、「理解したい」と気を入れて研究しよう・探求しよう・考えようとすることは出来ます。 一流のミュージシャンやスポーツマンになれる/なるなど「極める」ことなど思いもしてなくても、練習・トレーニング・工夫を重ねることは出来るし、子供時代や若いときに限らず、成人・壮年・中高年となっても意欲的にはなれます。 

これらは「分かろうとしている」のとは異なりますが、「もっと上手く・もっと高く・もっと深く・もっと簡単に・もっとスマートに・もっと難度の高いことを」などと同じく、《欲》がなせる結果でというか、《欲そのもの》のようなものです。
これを脳でいうと、【快が得られる】効果を期待しているための行動や情動の結果です。 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BF%AB%E3%83%BB% …
アディクションには複雑な心理的・社会的背景が関与していますが、生物学的・脳科学的・物質反応的な側面もあるのです。
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怖いからです。

。。
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人間は社会的な生物ですから集団に受け入れられなければ生きていけません。


大多数と同じように振る舞えることは、人類にとって、生き残るために最も効果的な戦略だったのです。
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多くの人は「本質とは何か」なんていう面倒なことを考えもしないし、そもそも物事を深く突き詰めて考える必要性を感じない。

そんなことを考えなくても生きて行けますからね。

この現象を多くの人はバカだからと決めつけても良いかもしれませんが、そういう多数派は誰かの「本質」を突いた言葉に実感が伴えば「そうだそうだ」と発言者を賢者と評価して、その本質論が多数派とか普通とかになるわけです。

また、賢者らしき人物が本質について述べても、それに実感が伴わなければ、その発言者を似非学者として非難したりただの変わり者だと無視する訳です。

賢者の優れた分析も有難いとは思いますが、世の中が賢者だらけになったら日常がめんどくさいことになり、気が休まる暇がなくなりそうですね。」
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日本人は同調意識の強い種族だからね。


自動車のルールを守らない奴らもそんな感じだよね。「流れ」とか言って、10キロも20キロもオーバーして運転する。

日本人の国民性と言っていいと思うよ。
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